第113話 穢れ

 


 俺の言った通り、フィネスはすぐに動いてくれた。


 事情を聞いたレジーナは血相を変えて、即座に〈状態診断ディアグノーシス〉を行い始めた。


 レジーナが確認したところ、魔王の攻撃を受けた者は、28名に及んだ。

 ヘルデンと精鋭兵士23名、フィネス、フユナ、カルディエそしてレジーナ本人。


 ひとりひとり、時間をかけて診断していくレジーナ。

 皆が無言で、その作業を見つめている。


 膨大な魔力を使う〈大地浄化〉の魔法を終えたのだから、回復薬を使ったと言えど、魔力も残り少ないのだろう。


 レジーナの首筋には小さな汗がいくつも流れ落ち、疲労の色は濃い。


「終わりました」


 大きく息を吐き、皆に告げたレジーナの顔に、いつも浮かべるような微笑はなかった。

 彼女はひとりだけ、屍喰死体グール化している者を見つけていたのだ。


「ごめんなさい、言いづらいのですが……あなたが感染しています……」


 そう言われた者が、ぺたりと地面に座り込んだ。

 その顔は蒼白になっている。


 そう、フィネスだった。


「じ、冗談ですわよね……?」


 カルディエが、笑いたいのか泣きたいのかわからない顔で訊ね返した。


 だがレジーナはやはり、笑わない。

 〈状態診断ディアグノーシス〉に間違いは起こり得ないのだ。


「嘘だ……嘘だ嘘だ……!」


 隣に寄り添うフユナが、声を張り上げた。


「レジーナ様! 屍喰死体グール解除は!? 発症を遅らせるだけでも――!」


 早口になったカルディエが、わかりきったことを訊ねる。

 しかしレジーナは首を横に振り、ごめんなさい、と消え入るような声で言った。


「フィネス様、まだ時間はあります。ミエル様を探し、治療をお願いしましょう。魔王討伐を果たしたあの方なら、必ずや治癒できますわ!」


 カルディエが諦めずに気持ちを繋ごうとする。

 だが普段は常に冷静に振る舞うカルディエも、今は声が震えてしまうほどに動揺していた。


「確かにそうだ! フィネス、私も一緒に行くぞ。ミエルを探そう!」


 フユナがフィネスの腕を取って、力づくで立たせる。


「カルディエちゃん、フユナちゃん……いくらフィネスちゃんでも……それはまずいかもしれないわ」


 それを見たレジーナが申し訳無さそうに言う。


「なったのはフィネスだぞ! 第二王女だ! 規約など関係ない!」


「この名に懸けて保証します。危険はありません、レジーナ様。危なくなれば我々が必ず対応いたします」


 フユナはレジーナに噛みつかんばかりに言い、カルディエも頑として応じるつもりはない様子を見せた。


 フユナの言にあった『規約』の言葉からもわかるように、レジーナは根拠もなくそう告げたのではなかった。


 各国家の安全を保証するため、この世界には国家の枠組みを超えた『エーゲ国際条約』というものが存在する。


 その中の、ミザリィが亡国となってから追加された『不死者等感染対応規約』に屍喰死体グールになってしまった者の処遇について記載がある。



 ◇ 屍喰死体グールの確定的予兆がある者は意識が残っているかどうかを問わず、捕縛の対象となる。


 ◇  同予兆がある者は、国を渡ることは許されない。


 ◇  同予兆がある者が捕縛から逃れようとする場合は、殺害を含め、すべての行為が正当化される。



 これはつまり、重罪死刑囚と何ら変わらない扱いとなっている。


 フィネスはひと知れず目元を拭うと、王族護衛特殊兵ロイヤルガードの二人に向かって笑顔を作った。


「二人とも、気持ちだけで十分です」


「フィネス!」


「諦めるのは早いです! せめてミエル様に打診を……進行を抑えることくらいならきっと……!」


 フユナとカルディエが、かたくなに主張する。


 カルディエは「進行を抑える」ことを易いことのように言うが、それがどれだけ大変なことか、知らないのだろう。


 概して、学園の生徒達は神殿勤めとなる神の信徒たちとは触れ合うことがほとんどなく、神聖魔法ホーリープレイ領域の「当たり前とされる知識」が浅いのだ。


 過去の神の信徒たちが残してきた古文書を紐解くと、屍喰死体グール化の進行を遅らせるために、怪しい薬や、迷信じみたまじないが数え切れないほどに提唱されてきたことを知ることができる。


 そのどれひとつとして有効なものはないが、いまだに否定もされずに行われている実態がある。


 裏を返せば、この世界では屍喰死体グール化治療の糸口すら掴めず、頼れる技がないということなのだ。


「私はこの地に残りますね。二人とも王国に戻って事情を話して」


 フィネスは二人に目を向け、いつもの微笑を湛えたままゆっくりと首を振る。

 そして皆さん、ありがとうございました、とフィネスは皆に向けて、気品に溢れた礼をして見せた。


「……フィネス、冗談じゃないぞ」


 フユナが目を潤ませ、フィネスの手を痛いほどに握っている。


王族護衛特殊兵ロイヤルガードでありながら、守りきれなかった私の責任なのだ。諦めるのは後でもできる。なにか手段を探そう」


 フィネスは、そんなフユナに微笑みかける。


「ありがとうフユナ。気持ちは嬉しいです」


 そして言葉とは裏腹に、その手をそっと振り払った。


「剣姫殿……貧しいが、我々の国ならば極秘裏に」


 ヘルデンが険しい表情のまま歩み寄ると、フィネスに申し出た。

 そこには、フィネスのために法を犯す覚悟すら垣間見えていた。


 背後に控える兵士たちも頷き、皆一様に異論はない様子を見せる。


「心から感謝します、ヘルデン。でもそれはいけません。どうか行ってください」


 フィネスが皆から一歩下がり、手をスカートの前で重ねる。


「フィネス様……せめてわたくしは最後まで」


 カルディエがフィネスの隣に並び、小声で囁く。


「だめよ、カルディエ」


 カルディエの言わんとすることを理解し、フィネスは即答した。


「フィネス様」


「許しません。今以降、私に触れることを禁じます」


「フィネス様!」


「皆さん、行ってください」


 フィネスはカルディエを無視すると、王女らしく、凛として振る舞う。


「………」


 しかし繰り返されたフィネスの言葉を聞いても、皆は厳しい表情のまま押し黙るのみで、誰も去ろうとしなかった。


「――屍喰死体グールになったのは、フィネスだけのようだな」

 

 言葉が途切れたところで、俺は口を開いた。


 三人が俺を見る。

 彼女たちは、ミエルに最も近しかった存在がここにいたことに気づいたようだった。


「アラービス様! もしミエル様の居所を知っていたら教えて下さいませ。謝礼ならいくらでも……今、先払いでも構いませんわ!」


 カルディエが目元を拭って立ち上がり、懐から金貨の袋を取り出してみせる。


「お前なら知っているだろう! ミエルは今、どこにいる!」


 フユナも俺に掴みかからん勢いで、荒々しく詰め寄った。

 彼女たちは俺のことをすっかり、アラ―ビスと誤解しているようだった。


 魔王の気を引くためとはいえ、勇者と名乗ったのだから、仕方がない。

 だが、わざわざ今ここで否定しなければならない理由も、とりたてて見つからない。


「ミエルとは最近会っていない。あいつの居場所はわからない」


 俺は淡々と告げた。


「………」


 カルディエは口を閉じるのを忘れたまま、呆然とする。

 ふいにその手から金貨袋が落ちて、地面でザッ、と音を立てた。


「それから、余計な世話かもしれないが」


 俺は構わず言葉を続ける。


「見つけたとしても、ミエルには屍喰死体グール解除はできないだろう」


 否定的な言葉に、皆の顔色がみるみる変わっていった。


「……できないだと? ミエルは世界最高位の癒し手だぞ!」


 耐えられないとばかりに、フユナが大声を発した。


「『光の聖女』にできるはずがない」


「最近会っていないくせに、お前が決めつけるな!」


 フユナの声は涙に濡れながら、どんどん大きくなっていく。


「――聞け、フユナ」


 俺の静かな声に、フユナはハッとする。


「そもそも光の神の信徒は『異常状態解除』の能力が伸びない。聖女ほどの力を持っていても、ラーズはその魔法を授けない」


 これは高位の冒険者とて、そうそう知らないことだった。

「光の神ラーズ」を〈世界最高神〉と崇めるセントイーリカ市国が、そういった都合の悪い事情を隠しているためだ。


「そ、そんな……」


「嘘……ですわよね」


 フユナとカルディエが、がっくりと膝をつく。

 二人から少し離れたところに立つヘルデンも、目を閉じ、額に手を当てた。


 そんな中、すっと立ち上がり、毅然とする人物がいた。

 フィネスだ。


「お話はよくわかりました。ありがとうございます、アラービス様」


 そう言ってフィネスは微笑み、俺に頭を下げた。


「……皆さん、先程は失礼しました。よく考えたら、私がここを離れるべきでした。――来て、オリビア」


 フィネスは騎獣スフィアからペガサスを呼び出した。

 現れた見事なそれは、輝くほどの白を放つ純白種だった。


 ペガサスはすべて白色系だが、その中でも乳白、胡粉ごふん、象牙、純白などと色が細かく分かれている。

 専門家に認定される曇りなき純白種は百頭に一頭と言われ、希少で価値が高い。


「行きましょう、オリビア」


 オリビアと名付けられたらしいペガサスの首には、ターコイズブルーの宝石が埋められたネックレスがかけられている。


「フィネス様、どこへ」


「皆に迷惑をかけない場所へ」


「いけませんわ、この死の土地で一人になるなど!」


「今はそれが正しくなったのです」


 フィネスがスカートの裾を乱さぬようにしながら、慣れた様子でオリビアに跨がろうとする。


「――ブルル!」


「きゃっ」


 しかし突然、オリビアは大きく嘶いて反り返った。

 フィネスが予想外の出来事に戸惑い、落馬してしまう。


 オリビアは振り向くようにしてフィネスを一瞥すると、なんとひとり空へと飛び去っていった。


「……う、うそ……」


 フィネスが座り込んだまま、呆然として言葉をなくす。


 このように騎獣が主に対して不忠をなすということは、本来は起こり得ない。

 しかし、ペガサスはユニコーンと並ぶ第一級の聖獣で、穢れを知らぬ乙女しか近づくことを許さない。


 人間の男ですら穢れていると判断するほどだ。

 それほどの騎獣ゆえ、今のフィネスは許されなかったのだろう。


 ペガサスはその研ぎ澄まされた感覚で、魔物に堕ち始めたフィネスを早々に見抜いたのだ。

 皆が涙ぐみながらフィネスを見つめる中、俺はひとり、空で小さくなっていく白い姿を目で追う。


「……うっ」


 ふいに、誰かの濡れた声が聞こえてきた。

 目を向けると、それはフィネスだった。


「……うぅっ」


 彼女はとうとう目から涙をぽろぽろとこぼし始めた。


 フィネスはきっと心のどこかで、まだ屍喰死体グールになったことを認められずにいたのだろう。


 症状が皆無なだけに、当然の心の反応とも言える。

 きっと数日経っても大丈夫で、レジーナの見立て違いだと思いたかったに違いない。


 だが嘘を言わぬペガサスに実際に避けられては、さすがのフィネスも堪えたのだろう。

 屍喰死体グール化の現実を、この場で突きつけられたのだ。


「嫌……いや……!」


 フィネスは人目も気にせず、嗚咽を漏らしていた。

 まるでずっと堪えていたものが、堰を切ったように溢れたようだった。


(……ちっ)


 俺は舌打ちし、それをどうにも直視できず、視線を逸らした。


 泣かないでくれよ。

 俺の話はまだ終わっていないんだぜ。


 そうやって泣かれると、冷静に頭が回らなくなる。


 治癒はできなくはないんだ。

 魔王由来なだけに少々面倒だが。


「フィネス……」


「フィネス様ぁ……!」


 そこへフユナとカルディエが駆け寄り、フィネスの肩を抱くと、俺の気持ちを煽るようにさらに声高に泣き始めた。


 俺はいい加減耐えられず、割り込むように口を開いた。




 ◇◇◇




「――ひとり知っている」


 口を開いた男は、泣き濡れている女たちを順に見る。

 人知れず、男がため息をついていたことは、誰も知らない。


「……え?」

 

 3人の嗚咽が、ぴたりと止まる。


屍喰死体グールを治せる人間を、ひとり知っている」


 男の言葉に肩を揺らしていたフィネスが、はっとして顔を上げた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る