第114話 漆黒の魔物


「――ひとり知っている」


 口を開いた男は、泣き濡れている女たちを順に見る。

 人知れず、男がため息をついていたことは、誰も知らない。


「……え?」

 

 3人の嗚咽が、ぴたりと止まる。


屍喰死体グールを治せる人間を、ひとり知っている」


 肩を揺らしていたフィネスが、はっとして顔を上げた。


「――ほ、本当か!」


「本当でございますの!?」


 男を見るフユナとカルディエの顔が、見る間に明るくなる。


 兵士たちがざわりとし、少し離れた位置に立つヘルデンは、険しい表情のまま目を細めた。


「……う、うそ……」


 フィネスはまだ信じられない様子で、フードで見えない男の顔に目を向ける。

 それに応えるように、男は静かに頷いてみせた。


「誰ができるのだ? ジェニファー様か? ミエル様じゃないとすれば――」


 笑顔のフユナが立ち上がり、再び男に問いかけようとする。

 しかし男は、片手を上げてそれを制した。


「事情を察してもらえると助かる」


「………」


 その言葉で、皆が否応なしに理解する。

 

 屍喰死体グール化を治癒できない現状、それが可能な逸材の噂が広まればどうなるか。

 その人物を争って、国家間での奪い合いが起きてもおかしくはない。


 特にセントイーリカ市国は光の神ラーズの高司祭ばかりを集めた、『神に最も近い国』を自負する最大の神聖魔法大国。


 それだけに、持ち合わせているプライドも尋常ではない。


 彼らですらできないことをやってのける存在がどれほどに危険視されるか、ここにいる者たちにも想像に難くなかった。


「乗りかけた船だ。そこまでは俺が連れよう」


 勇者の男が言いながら、地に突き立ったままの魔王の魔剣を拾ってきた。

 それを懐に仕舞うのを見て、数人が口を開きかけたが、結局誰もなにも言わなかった。


 なお、男は「連れる」と簡単に言ってのけたが、屍喰死体グールになりかかっている者を運ぶのに、大抵の騎獣では無理である。


 例えばグリフォンでは108種ある中でも、咒頭ずず刃汝ばなんという二種しか騎乗できない。


 だがフィネスたちは勇者の男の言葉を聞いて、その二種のグリフォンではなく、あの空舞馬車を思い出していた。


 たしかにあれなら、屍喰死体グールになりかかっていようと運べるに違いなかった。


「………」


 しかし明るかったフユナとカルディエの顔には、今になって若干の翳がさしていた。


 話は、随分と虫が良いようにも聞こえたのである。


「……まさかとは思うが」


 フユナが、剣の柄を掴んで言った。


「フィネスを騙して連れ去ろうとしているのではなかろうな」


「わたくしも疑いたくはありませんが、状況が状況ですし」


 カルディエも表情が僅かに険しくなっている。

 だが男が言葉を加える前に、フィネスが涙を拭いて、恭しく礼をした。


「……わかりました。お願いします」


「フィネス様」


「フィネス……」


 カルディエとフユナが、目だけで抗議する。

 それをフィネスは同じように目だけで遮った。


「勇者様は屍喰死体グールの私を皆から遠ざけてくださるだけで十分なのに、さらに治癒まで願い出てくださると言うのです」


「……でもアラービスは今まで……」


「フユナ」


 フィネスが手を上げ、フユナの言葉を遮る。


 フユナの言おうとしたことは、皆まで聞かずともフィネスも理解できていた。

 今までアラービスはフィネスを『伝書鳩』などと呼んだりと、なにひとつ好意的なことはしてこなかった。


 それが今は、まるで手のひらを返したような接し方である。

 弱みに付け込んで良からぬことを企んでいるのでは、とフユナたちが考えるのも無理はなかった。


「お願い」


 フィネスは小さく首を横に振りながら、目で告げる。

 それ以上は言わないで、と。


「………」


 フユナが唇を噛みしめると、言葉を飲み込むようにして、押し黙った。


「ならば私達もついて参ります」


 間をおかず、カルディエが口を開いた。


屍喰死体グールと成り果てる者に、もはや付添など不要です」


 フィネスは即答する。

 しかしカルディエは引き下がらなかった。


「我らは王族護衛特殊兵ロイヤルガード。宣誓の通りにこの命を捧げ、最後までお供を」


 カルディエは片膝をついて頭を垂れながら、 言葉の最後を小さく震わせた。

 フユナも無言のまま、隣でそれに倣い、頭を下げる。


「最後まで……お供を」


 カルディエはそのまま、うっ、うっ、とまた肩を揺らし始めた。


「ふたりとも………」


 二人の親友の気持ちに胸に迫るものを感じ、フィネスはつい言葉に詰まった。


「アラービス、不義を為すつもりがないなら私達がついていっても構わないだろう? どうだ?」


 フユナの言葉に、勇者の男は頷いた。


「離れてついてきてくれるなら、構わない」


「……離れて? 馬車で皆で行けるのではないのか?」


 フユナが首をひねった。




 ◇◇◇




「……離れて? 馬車で皆で行けるのではないのか?」

 

「フィネスは俺と一緒にこいつに乗ってもらう」


 男の懐から取り出されたスフィアが、手の中で光る。


「……騎獣?」


 フユナとカルディエが眉をひそめた、その直後。


「きゃっ」


 フィネスが黒髪を振り乱して、空を見上げた。

 突然大気がずしん、と縦に揺れた気がしたのである。


 いや、そんなはずがないと思うフィネスの考えは、すぐに否定される。


「……えっ……?」


 すでに皆が、信じ難いという表情で頭上を見上げていた。


 大気は本当に音を立てて揺れ続けているのだ。

 まるで巨大な何かが彼らの上を歩いているかのように。


「ひぇぇ……」


 ピョコやゲ=リは青い顔をしたまま、揺れに耐えられず地面に座り込んだ。


 やがて、痛いほどに研ぎ澄まされる空気。

 ただごとではない緊張感。


 次の瞬間、皆が仰け反った。

 男の前に、なんの前触れもなく巨大な黒い獣がぬっ、と現れ出たのである。


「――うえぇぇ!?」


「で、でかい!」


 皆がぎょっとして後ずさった。


 どっしりと構えたその魔物は、広げた翼をばさり、と鳴らし、無言のまま四本の足で地に降り立ってみせた。


「こ……これが騎獣……?」


 フィネスの言葉が続かない。


 姿を現したのは、空騎獣に違わぬ、翼を持つ魔物。

 しかし通常よりも一回り、いや二回り近く大きい上に、魔物としての猛々しさを一切失っていない。


 騎獣となり、人に従った魔物はたいてい、穏やかさを兼ね備えるようになる。

 それは凶暴で知られる巨大虎サーベルタイガー坐皇ざおうが、調教後に一般人向けに売られることからも明らかである。


 また、グリフォン亜種である刃汝ばなんも凶悪さで知られるが、ひとたび騎獣として従えば、仇敵である天使族すらも襲わなくなるという。


 だが、目の前の魔物はどうか。

 血に飢え、殺戮を求める眼差しには、おかしいほどに凶気が宿っている。


 まるで騎獣とは思えぬほどに。


「なんだ、これ……」


「やばいぞ……やっと魔王がいなくなったってのに」


 兵士たちが騒然としていた。


「……こ、これは……あの馬車の……?」


 カルディエが小さく指差しながら、やっとの思いで男に訊ねる。


 カルディエが指摘した通り、たしかに空舞馬車に繋がれていた、あの魔物に似ていた。

 牛が毛を生やし、翼をつけたような奇妙な魔物という意味で。


 しかし今、目の前にいるそれは、異質であった。

 少なくとも、カルディエが同じもの、とすぐに断定できなかったくらいには。


目の前に出現した魔物は隆々とし、見るからに力強かったのである。


「く……『黒窮奇くろきゅうき』だ……」


 カルディエの問いに答えるように、フユナが呻くように言った。


 黒窮奇。


 窮奇きゅうきは本来、白と黒のまだらの毛並みで知られ、白が大きく勝ったものが通常であるが、宿すあやかしの能力が強い個体で、白よりも黒が勝つことがあるとされている。


 だが、男が連れているそれは、勝つ負ける以前に、なんと白がない。


 まさに黒一色。


 これがいかほどの強さを宿すのかと想像して、フユナは絶句したのである。


 その時、漆黒の魔物がぎょろり、と辺りを見回した。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


「……好きに暴れてよいのでしょうな。我が主よ」



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