第111話 召喚されたもの

 


 やがて、魔王が湿地から姿を現した。


「まだ不完全とは言え、これだけの力を手にしながらかすりもせんとは……」


 魔王が歯をぎりぎりと鳴らすようにしながら、男を睨んだ。

 その隆々とした体に深く刻まれた2つの大きな創は、すでに塞がろうとしている。


 魔王の自己回復能力セルフヒールである。

 だがフードの男は特段気にした様子もなく、ただ飄々と構えている。


 なお、この自己回復能力セルフヒールも、本来は「光の聖女」がただそばにいるだけで封印することが可能である。


「我が回復を止めようとしないとは、たいした自信だな」


 魔王が男の余裕すぎる態度を嘲笑う。


「どのみち終わる」


「――我を愚弄するとは!」


 魔王が声を荒げると、フードの男の脳天を割らんと再び斬りかかった。


 だが、紅蓮の両手剣グレートソードは再び空を斬り、なにもない大地を抉る。

 男の姿は真っ二つになって残っているのにもかかわらず。


 そして、いつの間にか魔王の傍に、本物の男は立っている。


「――易い」


 今度は男が踏み込んだ。


 ――キン、キン、キン、キィィン。


 数撃で、魔王の上半身が仰け反っていく。

 防戦一方で押し込まれているのである。


「うぬっ」


 やがて、紅蓮の両手剣グレートソードはあっさりと弾き飛ばされる。

 剣はくるくると宙を舞い、離れた湿地の中に突き立った。


「ぬぅ……」


 魔王が自身の右手を見つめる。

 剣を振るっていた右手は、衝撃で手首のところからあらぬ方向に曲げられていた。


「……剣では敵わぬ……」


 魔王が右手を押さえながら、無感情に言った。

 そこに、先程までの怒りはなくなっている。


 その言葉を聞いた周囲の者たちが、ざわりとした。


「おい……魔王が敗北を認めたぞ」


「たったひとりで……」


「すげぇ……さすが勇者だ!」


 戦いを見守っている兵士たちが、たまらない様子で歓喜に震えた。

 続けてその起死回生の立役者に、一斉に拍手が送られる。


 彼らが感激するのも無理はない。

 なんと戦ってみれば、十八番たる【勇者の一閃ブレイブ・ストライク】を出すまでもない実力差なのである。


「………」


 兵士たちが絶賛する中、しかしヘルデンだけは変わらず、男に厳しい視線を向け続けている。


「当代の勇者よ」


 魔王が男を見下ろす。


「貴様を歴代最強の勇者と認めよう。名はなんという」


「魔王に名乗る名はない」


「……ほう。それは実に残念なことだ。この魔王、人間風情の名を覚える気になったのは、お前でまだ二人目だぞ」


 魔王が両手を広げ、ゆっくりと語るようにしながら、愛想を振りまく。


「時間稼ぎは終わったか」


 救世主の男がそれに惑わされる様子もなく、静かに言った。


 話している間にも、ローブの隙間から見える魔王の胸元に、ひとつの紋が浮かび上がろうとしていたのである。

 髭に囲まれた口を歪めるように、魔王がにやっと笑った。


「ふむ……気づいていたか。だがもう手遅れだ」


 魔王が笑みを浮かべたまま、右手を地面に向けた。

 その瞬間、ふいにピシ、と氷がひび割れたような音が辺りに響いた。


「……な、なにか来ます!」


 フィネスが後ずさりながら周りに告げる。

 なにか異質な気配が、地中で蠢いたのを感じ取ったのである。


 レジーナが頷き、すぐに声を張り上げた。


「みんな下がって、もう一度結界を建てるから!」


「我々の後ろに下がってください――!」


 痺れから回復したヘルデンと精鋭騎士たちが前に出ると、一斉に王国紋の刻まれた方形の盾を構えた。


「――Έλα τώρα, είσαι ο μεγάλος διάβολος που μπορεί να γίνει αληθινός!」


 魔王が異言語で詠唱を行う。


 直後、突如として魔王の目の前の大地がゴォォォ、と轟音を立てて割れた。


「うえぇ!?」


 兵士たちがぎょっとして、腰を抜かしながら左右に分かれる。


「……ひゃっ!?」


「こっちへ!」


 同じく腰を抜かしたピョコは、まさに地割れの真上にいたが、フユナが跳躍し、腕に抱えて一緒に退かせた。


「まさかこれ、『大悪魔召喚』では……」


 レジーナの前で身を盾にして構えるフィネスが、険しい顔になっている。

 魔王がその能力を持つことくらいは、吟遊詩人の歌を聞かずとも、誰しも知っている。


「本当だったら冗談じゃありませんわ」


 隣に立つカルディエも軽口を叩いているものの、その頬には汗が流れていた。


「噂の煉獄の巫女アシュタルテ……いえ、従えていないのでしたね」


 フィネスが思い出して言い直した。


「でもこの状況では何が来てもまずそうですわ」


「同感です」


「……わたくし、たった今まで、もしやあの魔王に勝てるかと思っておりましたのに」


 カルディエが微笑を浮かべながら、失望をあらわにする。


「私もですよ、カルディエ」


 そう話している間にも、二人の立つ地面はゴゴゴゴ、と縦揺れし始め、立っているのがやっとの状態に変わっていた。


「〈大地の結界〉」


 ここで、地割れを見極めたレジーナが結界を完成させた。


 全員が入ることのできる大きさを持つドーム型の結界が皆の後方に立つ。


「――皆さん結界の中へ!」


「た、助かった!」


「ありがとうございます!」


 一行が結界にいっせいに駆け込んだ、その時。


「――我を怒らせたこと、後悔せよ!」


 魔王の怒声とともに、大地の割れ目から白い女がゆらりと現れた。




 ◇◇◇




「………」


 皆が、宙に浮くその白い存在に目を奪われる。


 魔王に喚ばれたそれは、猫のような耳を生やし、雪のように白い髪をツインテールにした、15歳くらいのほっそりとした少女であった。


 白のノースリーブに白のミニスカート、白のヒールを履いており、腕や腰にまっ赤なリボンを巻いている。


 鋭利な武器は持っておらず、右手には蝦蟇口がまぐちの派手なバッグを下げているだけである。

 バッグはいかにも年頃の少女が好みそうな、赤地に白の水玉が入ったものであった。


「よくぞ来た。頼もしき叶える大悪魔シトリーよ」


 魔王が宙に立つ少女を見上げる。


「なんだよ、あれ……」


「シ、なんとかって言ったぞ」


「……あれが……悪魔?」


 一行は結界の中に遠ざかったため、魔王の言葉が正確に聞き取れなかった。


 そのためゲ=リや、ヘルデンを除いたレイシーヴァ王国精鋭兵士たちは魔物を外観だけで判断し、慄く者などひとりもいなかった。


 現れた魔物は腰まで届く白い髪を指でもてあそんだり、爪の垢を落としたり、バッグの埃を払ったりと少女らしい仕草を見せており、そこに凶悪そうな雰囲気をかけらも感じさせなかったからである。


 しかしフィネスとカルディエは舌打ちしていた。


「カルディエ……あれ、 悪魔君主イービルロード叶える大悪魔シトリーですよね」


「ええ。【悪魔解明論】にある通りの姿ですわ……」


異端の神々ジ・ヘレティックス』を信奉する者たちが著した【悪魔解明論Ⅱ】には、この大悪魔に関すると思われる描写がある。



 ソロモン七十二の一柱、叶える大悪魔、シトリー。


 序列十二番。

 別名、悪魔君主イービルロード


 天使エンジェルと見紛う雪髪の乙女こそ叶える大悪魔、途方もなき獰猛な龍の飼い手なり 。


 性格穏やかなれど、殺戮は躊躇わず。

 攻撃はまるで通じず。


 かの『ベベル西方遠征』、【陥落の計】で陥りし窮地においては、左右より押し寄せし天使の軍勢へ先陣を切り、その朱き龍で散々に天使を食い散らかし、悪魔反撃の皮切りとなり。



「おい勇者よ、我に召喚の力がないと踏んでおったのだろう?」


 一発逆転の召喚に成功し、魔王の笑いが止まらなくなっている。


叶える大悪魔シトリーを前にすれば、如何なる者も生き残ること能わず」


 勝利を確信した魔王は、両手剣グレートソードの切っ先を男に向け、宙に立つ白の少女に目を向ける。


 叶える大悪魔シトリーには、【悪魔解明論】に軽く触れられている通りの特徴がある。


 叶える大悪魔シトリーが優れているのは、なにもその攻撃だけではない。

 その貧弱そうな見た目とは裏腹に、強力な物理魔法耐性結界を身にまとっているのである。

 

 それは叶える大悪魔シトリーの体を皮のように薄く包んでおり、あらゆる物理ダメージや魔法効果を完全無効化してしまう。

 

 本来、この耐性結界は上位の悪魔には備わっているが、叶える大悪魔シトリーのものは特別に強固である。

 

 なんと悪魔が苦手とする光属性、聖属性魔法を含めたほとんどを無効化してしまうのである。


 そんな強固な結界とて、累積ダメージが多くなれば破壊されてしまうが、叶える大悪魔シトリーはなんと『緊急時に自身に物理魔法結界を一枚まで自動追加する』という 悪魔君主イービルロード の専用スキル【万能なる防御マイティガード】すらも待機させている。


 この窮地において、魔王に選ばれるだけのことはあるのである。


 だが、これほどに強固な叶える大悪魔シトリーでも、光の聖女には敵わない。


 光の聖女はその存在だけで、悪魔のあらゆる結界を問答無用で弱体化するためである。


 それゆえ、かつての魔王は二重防御結界の叶える大悪魔シトリーよりも、膨大な体力を持ち、ダメージを【怨嗟】に乗せて跳ね返す煉獄の巫女アシュタルテを盾として好んだのである。


「 ……全く愚かな勇者よ。ノコノコと出てこずに、黙って潜んでいればよかったものを」


 魔王が不敵に笑い続ける。

 しかし男はまるで動じた様子もなく、ゆっくりと口を開いた。


「魔王」


「ぬ」


「悪い知らせがある」


 そう告げると、男は左手をゆらりと片合掌した。


「ぬ……その手……」


 それを見てとった魔王の顔から、一瞬で笑みが抜け落ちた。

 魔王は過去のどこかで、それを目にしたことがあったのである。


「………」


 片合掌が意味していたもの。


 なにかの前触れだったのではなかったか。

 そして、それはとてつもなく不快な過去をにおわせていた。


「………」


 魔王が、目を細める。

 あと数日も経てば、苦もなく思い出せるであろうそれが、今は霧がかかったようにぼやけている。


 思い出さねば危険だ、と魔王の脳裏で警笛が鳴った、そんな時だった。


「 ……Συμφώνησε με την κλήτευση μου Πριγκίπισσα του Καθαρτηρίου……」


「――ぬぅ!?」


 男の口で紡がれた言葉に、魔王が耳を疑った。


 それは聞こえないほどの、小声の詠唱であった。

 相対していた魔王とて、耳を凝らさねば聞き取ることができないほどの声。


 だが、魔王にとっては一番に耳慣れた言葉の羅列だった。

 そして、決してここで聞こえてはならない言語。


「――馬鹿な! なぜ勇者が!?」


 魔王がかつてないほどに動転した声を発していた。

 しかし男の次の言葉を耳にして、魔王はさらに驚愕することになる。


「Η πριγκίπισσα του καθαρτηρίου, αναπηδά από τη δύναμη του εχθρού……」


「――煉獄の巫女アシュタルテだと!?」


 魔王の顔が蒼白になる。


 次の瞬間、魔王の脳裏にフラッシュバックするもの。


 ――片合掌をした者が、自分に為したこと。


 魔王がハッとした。


「――貴様、まさか!?」


 魔王の驚声の一方で、男の口元に小さな笑みが浮かぶ。

 時を同じくして、胸の中央に隠された石板に、清楚な女の顔が浮かび上がった。


 その気配を感じ取り、宙にいる叶える大悪魔シトリーの虫も殺さぬような顔が、急に鋭く研ぎ澄まされた。


「……な、なにか起きている?」


 フユナが隣に立つ二人に訊ねた。


「なにか、おかしいですわ」


 カルディエの言葉に、フィネスが険しい表情で頷く。


「……召喚した側の魔王が、ひどく取り乱している?」


 だがフィネスたちには、それ以上のことはわからなかった。



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