第110話 歴代最強

 

「死ね――」


 横薙ぎにされた魔剣が、男に迫る。


 ――キィィン! 


 重なった剣から、火花が散った。


「受けたか」


 魔王の言葉に、男は小さく笑ってみせる。

 男は両手剣グレートソードをやすやすと、弾き返していた。


「これはどうだ」


 魔王が立て続けに剣を振るう。

 地まで叩き割りそうな袈裟薙ぎ、唐竹割り、首への突き。


 だが男は力負けすることなく打ち合ってみせる。


 男の剣は随所に刃こぼれがあり、魔王の両手剣グレートソードに比べると、あからさまに貧弱な武器である。


 しかし、男は魔剣の連撃を見事に芯で捉え、軽々と弾き返していた。


「ぬうぅ」


 まもなくして、魔王が飛びずさって距離をとった。


 フードの男は片足をわずかに引いた立ち方で、剣を左下に構えている。

 なんと魔王の猛攻を前に立ち位置は変わらず、一歩も動いていなかった。


「ほう、本物の勇者のようだ」


 一瞬笑った魔王が、すぐに男をギロッと睨んだ。


「……しかしふざけた真似を。魔人将アークデーモンの剣を握っておるとは」


 魔王は男が握っている、剣の柄に埋め込まれた竜胆りんどう水晶を目ざとく見つけていた。


 この水晶は魔界でしか手に入らない鉱石であり、魔王が指示して、配下の剣に埋め込ませていたものであった。


「……魔人将アークデーモンの……剣?」


 それを耳にしたフィネスたちが、一瞬耳を疑う。

 

「なぜその程度のものをアラービスが……?」


 カルディエが首を傾げた。


 アラービスは【第三相浄化】の魔物を大半倒した時に、すでに最強の品を揃えているからドロップはいらないといった内容のことを豪語していたのを、皆が覚えていた。


 そんなアラービスなのだから、紅蓮の魔剣を失ったとて、魔法の剣の数本くらいは取り揃えているはずだと皆は想像していたのである。


「案外に使いやすい」


「――馬鹿にしよって!」


 怒声を発した魔王が単音節の悪魔言語で次々と自己強化すると、フードの男に再び斬りかかる。

 

「死ね――!」

 

 魔王が構えで一旦袈裟に斬ると見せかけて、地を這うような横薙ぎを放った。

 男はそれを見抜き、小さく上に跳躍する。


「――かかりよった」


 魔王がほくそ笑む。

 男が跳躍した瞬間を見計らい、魔王は横薙ぎから90度剣を変化させて、足元から真上に斬り上げる。


 小剣ショートソードならまだしも、担がねばならないほどの両手剣グレートソードでこれを行うには筋に相当な負担がかかる。


 事実、剣の向きを変えた瞬間、膨らんだ魔王の肩の筋肉から、ぶっ、と吹き出す出血が見られた。


「――ぬおぉぉ!」


 魔王が構わず、両断せんと豪快に切り上げる。


「―――!」


 フィネスが口を押さえ、声にならない悲鳴を上げた。


 直後、両手剣グレートソードが斬り上げられ、フードの男を一閃、見事に両断する。


「なに」


 しかし、驚いたのは魔王の方だった。

 まるで羊皮紙を裂いたような手応えの無さだったのである。


 魔王はここまでしておきながら、してやられたことに気づいた。

 男の幻影を斬らされたのである。


 もちろん、時既に遅し。

 魔王は斬り上げた姿勢のまま、大きな隙をさらしている。


「――弱い」


 突然、魔王の目の前に現れた男はくるりと回転するように横薙ぎを放ち、魔王の胸板を深々と切り裂いた。


 ぶしゅっ、と鮮血が吹き出る。

 力量の差をまざまざと見せつける、明らかな致命傷であった。


「ぬう――!」


 それでも魔王は、男の攻撃後の隙をつくように横薙ぎを放つ。

 まさに自分と同じ傷を与えんとするかのように。


 しかし、フードの男はまたこつ然と姿を消していた。

 もうそこには居なかったのだ。


「二度も食らうか」


 だが魔王もただ剣を振るっただけではなかった。

 この一瞬で、かつて当然のように発揮していた十二の能力のうちの【黄嬢きじょうの目】を呼び起こしていたのである。


【黄嬢の目】とは、魔王が体内に従えている『黄嬢』と呼ばれる鬼神の力を使うものである。


 黄嬢きじょうは異界に棲む36の目を持つ鬼神で、鬼神の中では弱い部類に入るものの、ターゲットした相手に赤い光を灯し、目と耳から対象の位置を明らかにすることができる能力を持っている。


「Πες μου που είσαι, κίτρινη γυναίκα!」


 魔王が剣を振りかぶりながら、黄嬢きじょうに位置を教えるよう、悪魔言語で叫ぶ。

 直後、体内で黄嬢きじょうが応じるとともに、どこかで誰かが小さく笑う気配。


「……? なぜだ……」


 魔王が周りを見回していた。

 いつもすぐに現れる視認のための赤い光が、一向に現れないのである。


「Πες μου που είσαι, κίτρινη γυναίκα!」


 魔王はもう一度叫ぶ。

 すると黄嬢きじょうは、魔王に信じがたい答えを返してきた。


 〈対象は、この世界には存在しません〉


「なんだと……」


 見つけあぐねた魔王の手が、とうとう止まる。


「――こっちだ」


 なんと、この世界にいないとされた男は、悠然と魔王の背後に立っていた。

 その身には、黄嬢きじょうの灯した赤い光が宿っている。


「貴様どこに隠れ――ぐばっ!」


 魔王が仰け反った。

 振り返るも当然間に合わず、背中を深々と袈裟斬りにされたのである。


「いったいどうなっている……!?」


 魔王はたまらず、湿地の中へと隠れた。


「――す、すげぇぇぇ!」


 それを見たレイシーヴァ王国兵士たちが、どっと歓喜に沸いた。

 

「勇者様、強いぞぉぉ!」


「さすがだ! あの魔王を圧倒している!」


 拍手喝采が、現れた救世主に送られている。


「すげぇ……! やっぱアラービス様すげぇよ!」


 ゲ=リも再び、胸が熱くなっていた。


 まさかここまで圧倒的な差とは思わなかった。

 傍から見て、勇者が負ける気が全くしない。


 そう、まるで、ゲ=リが失望する前に信じていた時のように、勇者は歴代最強にふさわしい実力を見せていたのである。




 ◇◇◇




「……これが、あの勇者アラービスだと……?」


 ゲ=リが感激していた同じ時、別の角度から、ヘルデンは現れた救世主を射抜かんばかりに見ていた。


 ヘルデンの視線は感動というよりは、疑心にまみれていた。


 ヘルデンはどうしても、これがさっきのアラービスと同一人物とは思えなかったのである。


「………」


 ヘルデンが目を細める。


 ヘルデンは長年修羅場をくぐり抜けた経験から、剣には性格が出ることを知っていた。


 アラービスの剣は、泥酔と言ってよいほどの自己陶酔の中に大きな臆病が隠れた剣である。


 かつて、レイシーヴァ王国の剣舞大会でアラ―ビスを招待し、戦いを観戦したこともあったヘルデンはそれを何度も目にしていたために、よく覚えていた。


 先程【第三相浄化】で目にした剣も、全くと言っていいほどに同じものである。


 だが、今はどうか。


 剣には、恐ろしいまでに何も纏うものがない。

 ただ黙々と振るわれる、無の剣。


 それだけに、剣から何も読み取ることができない。

 どこまで剣を極めれば、ここまでの境地に昇華できるのか、ヘルデンにもわからないほどであった。


「………」 


 ヘルデンが険しい表情で、顎を擦る。

 その疑念は、一層深まっていくばかりである。


「……これほどに圧倒できるのに、なぜさっきはあんな真似を」


 一方のフィネスも黒髪を後ろに払いながら、男を見つめている。


 フィネスはどうしても納得がいかず、呟いていた。

 答えを求めるように、視線をカルディエとフユナに向ける。


 先程、アラービスがわざわざ魔王の前から逃亡してみせた意味が完全にわからなくなっていた。


「……不意打ちを狙ったか、あるいはただの余興のつもりだったか、ですわね」


「余興……確かにアラービス様が考えそうですが……わざわざ人の生死がかかったこの場で、ですか」


 カルディエの言葉にフィネスがすぐに言葉を返す。


「だってアラービス様ですもの。想像を超えたナルシストですし」


「……確かにそうかもしれませんが」


 フィネスが言葉に詰まり、視線をもうひとりの友人に向けた。


「フユナはあの行動をどう思いますか」


「………」


 しかしすぐ傍に立っていながらも聞こえておらず、フユナはただ、男を睨むように見ている。


「……フユナ? どうしたの」


「訳がわからない……」


 フユナが、ぽつりと呟く。


「まあ、確かにそうですわね」


 カルディエが頷いた。

 しかしフユナがそう言ったのは、完全に話題違いだった。


 フユナの胸中は、この中の誰よりも複雑だった。


 勇者と名乗った救世主の振るう剣は、なんとあの「存在感のない剣バックグラウンドソード」であったのである。


 つまり、今、目の前にいる男はラモチャーと名乗った男の可能性が高い。

 外見も、以前に目にした時とほとんど同じである。


 そして、その男は自分で勇者と名乗った。


「アラービス以外にここに来れる男などいない……」


 さっき自分で言った言葉を、フユナは無意識に繰り返す。


「……フユナ?」


 フィネスとカルディエが不審そうにフユナを見る。

 

「……愚劣の極み……」


 救世主の男を見つめるフユナの目元が、痙攣していた。


 ――なんということ。


 自分はあんな男に、恋心を抱いていたとは。

 一生拭いきれない汚点とは、まさにこのこと。




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