第109話 勇者の帰還

 

「ゆ、勇者……」


「勇者様……」


 突如現れた、フードを被った男に周りが驚きの視線を向けている。


「……あなたが……ゆ、勇者……?」


 フユナも、呆然としながら呟いていた。


 男はゲ=リとの間に割り込み、悠々と魔王と対峙している。


 もちろんそれだけで十分注目を集めるに値したが、3メートル超もある巨体の魔王が、その男を前にして後ずさったことが、周りを驚愕させていたのである。


 男の背丈は170cm程度、黒い外套を羽織り、フードのせいで顔は見えない。

 右手には、特段名のあるような品にも見えない片手半剣バスタードソードを持っている。


「ゆ、勇者様……本物の……」


 ゲ=リの顔に色が戻り、歓喜の表情が浮かび始める。


「やったぁ、やったぁ!」


 ピョコが胸の前で手を叩きながら、飛び跳ねる。


「……おお、おおぉ……!」


 伏したままのレイシーヴァ王国の精鋭兵士たちも、次々と歓声を上げ始めた。


 一方、『ユラル亜流剣術』の三人は。


「立てますか、フィネス様」


 カルディエが駆け寄り、フィネスを抱き起こす。

 それを見たフユナがハッとして、少し遅れてそれに倣う。


 至近距離で【究極の害悪ウルトハザード】を受けたフィネスと違い、二人は若干早く回復していた。


「助かります」


 フィネスも膝を震わせながらも立ち上がる。


「癒しますわ」


 カルディエがフィネスを横から支えながら、フィネスの右手に裂傷を見つけ、回復薬ポーションで癒した。


「……ありがとう。ところであの救世主、『勇者』と?」


 フィネスが男の背中を見つめながら、訊ねた。

「全殺し」を告げた魔王に対し、男は現在、たった一人でその行動を抑止してみせている。


「ええ。わたくしも聞きましたわ」


「魔王の手を斬り落としてもみせた。間違いない……だろうな」


 カルディエとフユナが頷いた。


 二人とも、その表情に若干の困惑を隠せずにいる。

 あえて付け加えるならば、フユナのそれは、一層色濃かった。


「よもや勇者アラービス様が戻られるとは……」


 フィネスの呟きに、二人が頷く。

 この展開は全く予想していなかった。


「とりあえず二人とも、加勢できそうですか」


 フィネスが魔王を睨むようにしながら、剣の柄を握る。


「………」


 カルディエとフユナは小さく頷きはしたものの、言葉を返せない。

 そんな二人を見て、フィネスも苦笑いをした。


「……実は私も無理そうです。今はどうみても足手まといにしかなれません」


 フィネスは自分の両手を眺め、苦しげに言った。


 三人とも先程の魔王の【究極の害悪ウルトハザード】の影響が抜けきっておらず、手足は痺れたままで、剣を振ればいつすっぽ抜けてもおかしくない状態であった。


「申し訳ありませんが、今はアラービス様に少し任せて機を待ちましょう。ただ、なにかあれば動きますよ」


「わかりました」


 カルディエとフユナが承知し、いつでも加勢に入れる位置に立つ。


「……しかし信じられませんわね」


 誰が予想しただろうか。

 勇者アラービスに再来があろうなどと。


 たしかに帰還ポイントに定めておけば、別の帰還水晶を使うことでここに戻ってくることは理論上可能である。


 だがあんな去り方をした手前、彼女たちには戻ってくる事自体がどうしても信じられなかったのである。


「今回は鎧はつけていないようですね」


 アラービスは派手な重鎧を身に着けていた。

 その上から外套を羽織ろうと、無駄な装飾をしたあの肩当てなら、輪郭が浮き出るはずである。


「なぜ鎧を脱いだのでしょう」


「いやむしろ……さっきとは別人という線は」


 フィネスとカルディエは懐疑的な視線を男の背中に送っていた。


「だが、アラービス以外にここに来れる者がいるだろうか」


「………」


 フユナの言葉を最後に、三人が押し黙って思案する。


 そもそも、今回の件は公にはされていない。


 国から打診のあった蛾尾がびたちとハイクラスの冒険者たちはアリザベール湿地の浄化が行われることくらいは知っているであろうが、その時期などは一切明かされていないのである。


「もしかしたら蛾尾がびの方が、通りすがりに……」


「でもフィネス様。アリザベール湿地に近づく奇特な蛾尾がびはいないかと」


 現実は、まさにカルディエの推測した通りである。


 彼らの目的は『めい』での騎獣の獲得であり、現金な彼らが不死者アンデッドしかいないこの地に回り道する理由がなかった。


「いずれにしろ魔王に肉薄できる者なら、それは……アラービスしか」


 フユナが若干言い淀みながら、言った。


 どんなに人間としての能力が優れていようと、魔王と比較すれば到底足元にも及ばないことは、誰もが知っている。


 事実、『剣姫』と呼ばれ、称えられるフィネスでさえ魔王にかすり傷ひとつ負わせることができなかったのである。


 一方、『勇者』は神々に祝福され、数々の対悪魔能力アンチデビルスキルを持ち合わせていると言われている。


 やはり魔王に相対できるなら、それは『勇者』。

 そこに疑問が挟まる余地はない。


「……そう、アラ―ビスしかいない……」


 自分で言いながらも、フユナは唇を噛み締めていた。





 ◇◇◇




「ゲ=リくん!」


 魔王が突然現れた勇者を名乗る人物に注意を逸らした隙に、レジーナと数人の兵士がゲ=リのもとへ駆け寄り、ゲ=リを魔王から引き離した。


「か、かあさ……」


「ゲ=リくん! なんて馬鹿なことを!」


 十分に距離をとってから、レジーナが堪えきれずに叫び、ゲ=リを抱きしめる。


 ゲ=リは柔らかい、いい匂いのする安堵に包まれ、思わず涙する。


「母さん……ごめん。でもアラービス様が戻ったからもう大丈夫だ」


「そうね、まだ信じられないけど」


 レジーナがゲ=リを抱く腕に一層力を込めた。


「……ひとまず話は後。まず腕の件よ、ゲ=リくん」


 そう言って、レジーナがゲ=リの頬にキスすると、すぐそばから真剣な表情でゲ=リを見つめた。


「ゲ=リくん、落ち着いてよく聞いて」


 レジーナの顔はまだ蒼い。


 当然であった。

 命は助かりそうだと言えど、ゲ=リは今後、重大な後遺症とともに生きることになるのである。


「ゲ=リくん、この腕はもう治らないかもしれ……」


 言いながら、レジーナがゲ=リの腕に目を落とす。

 その瞬間、レジーナの言葉が途切れた。


「えっ……?」


 レジーナが目を瞠っていた。

 そして、ゲ=リの両腕を、余すことなく何度も何度も触れる。


「ど、どうして……!?」


「どうしたの、母さん」


 ゲ=リがきょとんとする。


「げ、ゲ=リくん、この腕……」


「え?」


「か、完全治癒してる……」


 そう、ゲ=リの両腕は何事もなかったかのように元通りになっていた。


「え? あれ? いつの間に」


 あんなに曲がってたのに、とゲ=リが呟く。


「痛みもなくなってる。これ、母さんが?」


「…………」


 レジーナは小さく口を開けたまま、立ち尽くしている。


「母さん?」


 ゲ=リは不思議そうに母の顔を覗き込んだ。


「いやごめん、癒し手は母さん以外にいないよね。あんなの治しちゃうなんてすごい、やっぱり母さんだ」


「………」


 しかし、レジーナはまだ青ざめた顔をしたまま、言葉を発しない。


「……ない……」


「……母さん?」


「私……癒やしてない」


「……え?」


 レジーナが、やっとの思いで言葉を紡ぐと、思い出したように自分の二の腕を抱え込む。

 全身を襲った寒気で、鳥肌が立っていた。


 骨折の癒やしはレジーナとて、もちろん経験がある。


 だが、ゲ=リの両腕は骨折した骨の断端が皮膚から突き出す、「創開放型」であったのを、レジーナは見て気づいていた。


「開放変形型骨折」と呼ばれ、完全治癒の難度は非常に高い。

 傷口を閉じること自体は可能だが、たいていは骨の整復が正確にできず、曲がって癒合してしまう不完全治癒となるのである。


 さらに神経、血管の損傷を伴っている場合は、開放創による汚染が原因で再接着しない場合が多々存在し、生涯に渡って手指の機能が戻らない、もしくは後々、末梢側が腐り落ちる場合すらある。


 大地母神エリエルの加護ゆえに、レジーナの回復魔法ヒールの威力は他の神殿司祭に比しても高威力である。


 それでも5割を超える確率で不完全治癒となってしまうのを、レジーナ自身は何度も目にしていた。


「……いったいこれは……」


 どうしてゲ=リの両腕が完全治癒しているのか、レジーナには全く想像もつかなかった。




 ◇◇◇




「……貴様が勇者だと?」


 魔王が眉をひそめるようにしながら、切り離された左手を拾い、泥を拭うことなく切断面に接着する。


「……確かにさっきの馬の骨と違い、相当な腕前だ。勇者を名乗ってもおかしくはない」


 魔王が初めて、魔剣を構えた。


「………」


 男は何も答えない。

 それを見た魔王が、男が臆して無言になっていると踏んで、ニヤリと笑う。


「くく。しかしおめおめと我が前に現れるとは。おかげで探す手間が減ったというもの」


「同じ言葉をお前に返してやろう」


「――ほざけ!」


 魔王が動いた。


 一気にフードの男に近接すると、紅蓮の両手剣グレートソードを振りかぶる。


 冥剣「命の崩壊ライフブレイカー」は倒す者の血を吸い、ただ一人と定めた所有者に力を与える効果がある。


 所有者が魔族の場合は、さらに力の付与が20%大きくなる。


 つまり、今の魔王はこの「命の崩壊ライフブレイカー」を握り、他者を傷つけるだけで昔の力をどんどん取り戻すことができるのである。


「死ね――」


 横薙ぎにされた魔剣が、男に迫る。


 ――キィィン! 


 重なった剣から、火花が散った。


「受けたか」


 魔王の言葉に、男は小さく笑ってみせる。

 男は両手剣グレートソードをやすやすと、弾き返していた。

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