第105話 舞う三蝶

 


「……え……?」


 ゲ=リは呆然と立ち尽くしていた。

 予想もしなかった事態に、レイシーヴァ王国の兵士たちもざわざわとし始める。


 置き去りにされた三人のボディーガードは、さすがに蒼白な顔色を隠せない。


「そんな、勇者が……」


「あ、あまりに無責任な」


 フユナとカルディエがたまらずに言う。

 だがゲ=リに比べれば、驚き具合は半分にも満たなかったに違いない。


 ふたりは勇者アラービスの人となりをまだ知っていたからである。


「どうして……どうして……?」


 ゲ=リは壊れた機械仕掛けのように、ひたすら同じ言葉を発していた。


 なぜあれほどの力を持ちながら、自身が勇者アラービスであると名乗り、魔王と対峙しなかったのか。

 なぜ勇者サクヤなどと語り、自身が勇者ではないふりをしたのか。


 完全にゲ=リの理解を越えてしまっていた。


 そんな中、一番最初に衝撃から立ち直り、言葉を発したのはフィネスだった。


「――皆さん落ち着いて、あの方がいなくとも、私達には聖火があります」


 文献によると聖火は不死者アンデッドのほか、悪魔にも有効とされていたことを、フィネスは知っていた。


「そうだ、レジーナ様の結界もある。みんな下がろう!」


「はいっ」


 フユナの掛け声とともに、兵士たち含め、皆が退いて結界内へと退避する。


 しかし。


「――実に滑稽な奴らよ。魔王にそんなものが効くとでも思っておるのか」


 魔王が聖火を一瞥すると、無造作に聖火の効果範囲に足を踏み入れてくる。


 ずんずんと突き進むその足は、止まる気配がない。


「なっ!?」


「――効いておりませんわ!」


 カルディエが宝剣ジュラールを魔王に突きつけるようにしながら、声を張り上げる。


「落ち着いて! まだレジーナ様の結界が」

 

  フィネスが叫んだ。

 レジーナが展開しておいた【大地の結界】レベル3である。


 魔界の瘴気も遮断できるほどの強力な結界で、さらに大地に直接展開しているため、大地母神の加護が追加され、防護効果はさらに強化されている。

 

 第三相で現れた数々の魔物とて、破るには難渋するに違いないクラスの結界。


「くだらぬ」


 しかし、魔王はそれを一笑に付す。

 結界に歩み寄ると、両手を伸ばし、なんと紙を破るかのごとくあっさりと引き裂いてしまったのである。


「ひぃっ!」


 ピョコが尻餅をついた。


「貴様らは我が血肉と成り果ててもらう。ひとりで逃げた男を恨むがよい」


 魔王がニヤリと笑った。


「皆を守れっ、今こそ我らが戦う時だ!」


 ヘルデンが野太い声を張り上げて兵士たちを鼓舞すると、兵士たちがおおー、と声を張り上げて次々と魔王へと殺到する。


 兵士のある者は広刃の剣ブロードソードで豪胆に斬りかかり、ある者は槍で勢いよく突きかかった。


「――愚か者め」


「うぉ!?」


「はぐっ」


 しかし彼らは魔王が豪快に振り回す両手剣グレートソードで簡単に跳ね除けられ、次々と湿地の泥沼に吹き飛ばされていく。


「人間を舐めるな、魔王め」


 そんな中、ひとり機敏に動く重鎧の男が低い姿勢で魔王に飛び込んだ。


 魔王の攻撃の合間を見抜き、捨て身とも思える、しかし見事なハルバードの一撃を放ったのである。


 もちろんこれは、ヘルデンであった。

 ヘルデン自身も踏み込みがうまくなされて、かつてなく鋭い一撃となるであろう手応えをすでに感じていた。


「つまらぬ」


 だが魔王はたやすくそれを打ち払い、すれ違いざまにヘルデンの背中に蹴りを入れた。


「ぬぅっ」


 ヘルデンが体勢を崩され、つんのめるようにして湿地を転がり、泥を浴びる。


 それを一瞥した魔王がフィネスたちに視線を戻すと、結界の中に足を踏み入れてくる。


「――させません」


 その時、ドドォン、という轟音を立て、大地から巨大な石の手が3つ、魔王を取り囲むように屹立した。

 まるで閉じた花びらのように、魔王をふさぎ込む。


 〈石閉封ボックスイン〉の魔法である。

 大地母神の信徒だけが使うことのできる、行動封じの魔法であった。


 効果時間は5分と長く、大地の神官たちはこの魔法で望まぬ戦いの多くを避けるとされている。


「……エリエルの信徒がいるな。どの者だ」


 魔王はそのうちの一つをやすやすと拳で叩き割ると、 〈石閉封ボックスイン〉から難なく脱出し、居並ぶ人間たちを見下ろし、ひとりひとり見定め始めた。


 そんな中、堂々と一人前に出てみせる桃色の髪の女性。


「いかにも。私が『大地の聖女』レジーナ」


「ほう。貴様がエリエルの聖女か」


「この場で魔王と相対するとは思いませんでしたが、この私が全力をもって応じましょう」


 レジーナが凛としてメイスを構え、魔王を睨みつける。

 その周りをレイシーヴァ王国の精鋭兵士たちが盾を持って並ぶように構えた。


「愚かな。エリエルの聖女ごときに何ができる。光の聖女はおらぬのか。あれからそう時間は経っておるまい? 我が相対したのは忌々しきラーズの下僕であったはず」


 魔王が思い出したように苛々したような声を発すると、研ぎ澄まされた視線を向けてくる女性たちを順に見る。


「……ここにはいませんよ。もちろん、あなたなどには居場所も教えません」


 レジーナが不敵に笑って見せると、魔王は少し間を置いて、よかろう、と声を低くした。


「ならばまずは『大地の聖女』の貴様を殺し、我が力を高めてやろうではないか」


 魔王が顔の前で両手剣グレートソードを両手で握り、ふん、と全身に力を込め、筋肉を隆々と盛り上がらせた。


「………!」


 ビリビリするほどの覇王の気配に、レジーナがメイスを構えたまま気圧され、じり、と後ずさった。


 その頬を、小さな汗が伝う。


 そんなレジーナを庇うように、前に飛び出す者がいた。


「――私が相手だ!」


 フユナである。


 彼女はチェックのミニスカートを揺らし、魔王の正面から飛びかかると、愛剣 『エルガイムの第一剣』を振りかぶる。


「ユラル亜流の剣、受けてみろ――【蝶舞斬り】!」


 魔王に向けて高速の連続剣を繰り出す。

 その剣は王族護衛特殊兵ロイヤルガードとなるための鍛錬で、かつてより勢いをさらに増していた。


「おもしろい」


 魔王は涼しげな顔でフユナに向き合うと、一撃目、二撃目を甘んじてその身に受ける。


 しかし、剣は板金のように鍛え上げられた魔王の体の表面を滑っただけで、わずかも出血は見られない。


 そして最後にやってきたフユナの蝶舞三撃目。


「これだな」


 魔王は両手剣グレートソードで下から斬り上げて大きく跳ね返した。


「――きゃあっ!?」


 キィィン、という甲高い音とともに剣を撥ね上げられ、フユナが宙でバランスを崩す。

 そこへ追撃しようとした魔王の横から、別の少女が飛びかかった。


「――魔王に隙あり!」


 カルディエが気を引きつけようと大声を発して、同じ【蝶舞斬り】を繰り出した。


 宝剣ジュラールによる縦横無尽の高速剣である。


「その技はもう見たぞ」


 しかし魔王は、今度はその三連撃すべてを両手剣グレートソードで軽々と受けてみせた。


「なっ!?」


 カルディエが蒼白な表情になる。

 宝剣ジュラールの与える剣の加速など、魔王にとってはささやかな事でしかなかったのである。


「剣が軽すぎる。おまけにその技は終わった後が隙だらけだ」


 笑った魔王が返す刀でカルディエに踏み込もうとした時、今度はフィネスが黒髪を揺らして、魔王の頭上に舞い上がった。


 白いミニスカートが舞い上がり、白い素脚がいっそうあらわになる。


「受けてみよ魔王、我が聖剣を」


 フィネスの手で、聖剣アントワネットが白いオーラを纏う。

 魔王が振り返ってむぅ、と唸りながら見上げた。


「【八方連斬】――!」


 殺戮の連続剣を、今度は『ユラル亜流剣術』最強と名高いフィネスが放つ。


「ほう……」


 魔王がぴくり、と眉を揺らすと、大きく飛び退く。

 これは危険だ、と察知したのである。


 剣撃自体を恐れたのではない。

 まだ体の覚醒は不十分なれど、この程度の技を身に受けるほどには弱ってはいない。


 女が手に持つ剣にこそ、恐怖を感じたのである。


 白い微光を放つそれは厄介極まりない、かつて『戦の神の聖女』が持っていた聖剣アントワネット。


「光の聖女抜きで、この魔王と戦えるはずがなかろう!」


 それゆえ、魔王はここで奥の手を出した。

 剣を持たぬ方の拳を握り、空に向かって突き出す。


「【究極の害悪ウルトハザード】」


 その手を開くと、四方八方に黒い光線が発せられた。


「――きゃぁぁぁ!」


「ぬおぉ!?」


 フィネス、フユナ、カルディエ、レジーナ、加勢していた重装備のヘルデンたち兵士も直撃を受けて吹き飛ばされ、大地に転がった。


究極の害悪ウルトハザード】は効果範囲が自身の周囲4メートルと限定されるものの、物理攻撃とともに範囲内すべての敵に上位毒、石化、混乱、麻痺、沈黙の効果を付与するスキルである。


 究極の名の通り、本来は状態異常付与が多岐に渡るが、現在の未覚醒の魔王では、麻痺と沈黙しか付与できていなかった。


 しかし、この2つでも強力な行動制限になると言ってよい。


 麻痺はすべての行動が不能になり、声だけが発せられる状態を指し、沈黙とはすべての魔法詠唱が阻害される状態を指す。


 なお【光の聖女】がパーティにいる場合、魔王は強力な行動制限を受け、この能力自体を使うことができなくなる。


「み、皆さん大丈夫ですかっ!?」


 被害に遭わなかったのは、離れていたピョコとゲ=リ、兵士数人くらいであった。


「くそっ……」


「全く剣が通じない……」


「これだけでかかって、まさか……傷一つつけられないとは……」


『ユラル亜流剣術』の三人が顔だけを起こし、乱れた息で言う。


 吹き飛ばされたフィネスたちは、意識こそ残っているものの、全身が痺れ上がってしまい、息をするのもやっとの状態だった。


「せっかくの聖剣も当たらなければ意味がない」


 三人の中でもフィネスを一瞥した魔王は、その横を通り過ぎ、倒れたままのレジーナに近づく。


 そして、左手でそのほっそりとした喉元を掴んで持ち上げた。


「くっ……」


「さて、死ね」


 魔王が宙で、レジーナの首を締め付ける。

 レジーナの顔がとたんに真っ赤に紅潮した。


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