第104話 復活

 

「……ほう、これはまた随分と血を吸わせてもらったな、我が魔剣よ。これほどなら……」


 屍喰死体グールだった者は嬉しそうに紅蓮の両手剣グレートソードを眺めると、片手でやすやすと掲げた。


 そして。


「なに!」


 皆が目を奪われていた。


 屍喰死体グールだった者は自分の胸に紅蓮の両手剣グレートソードを突き立て、詠唱を始めたのである。


 血が噴水のように吹き出す中、魔物の体は紫のオーラに包まれ、ゆっくりと膨張し始めた。




 ◇◇◇



 真っ赤に染まった湿地。


 やがて、魔物は自分の体に突き立てた剣を何事もなかったように抜いた。

 ぱっくりと開いていた傷口は、あっという間に閉じていく。


 あれだけ血を失っていながら、魔物は平然としてその場に立っていた。


「浮遊もできぬ……召喚もできぬか。まだまだ本調子とはいかぬが、まあ良かろう」


 屍喰死体グールだった者は腕を曲げ、ついた筋肉の具合を確かめるようにしながら呟いた。

 なんと体長は3メートルにまで伸びている。


 銀があしらわれた黒いチュニックを身にまとい、笑みを浮かべるその姿は、もはや屍喰死体グールだった頃の面影すらない。


「いったい何者……!」


 慄き、言葉を発せずにいるアラービスに代わって、フィネスが訊ねた。


「人間風情に名乗る名などない……と言いたいところだが、蘇らせてくれた礼もある。お前たちには名乗ってやろう」


 屍喰死体グールとは思えぬ流暢な言葉で、それは語りかけてきた。


「――我こそ魔王」


 綺麗に整えられた口元の髭を歪めるようにして、その魔物は笑った。


「ま……!」


 フィネスが絶句する。


「ば、馬鹿な!」


「……魔王だと!?」


 兵士たちがざわついた。


「あ……有り得ない……!」


 フユナも口を開けたまま、それだけを言うのがやっとだった。


「我が魔剣が証明していよう。持ち主たる我に忠実なる剣。我が蘇りのために、血を吸い集めていたのだ」


 魔王と名乗った魔物は、紅蓮の両手剣グレートソードを背に担ぐと、目を細めるようにして笑った。


「そ、そんな……」


「嘘だろ……!」


 誰しも、予想をはるかに超えた事態に狼狽を隠せない。


「我は今、実に機嫌が良い。我が蘇りを見届けた貴様らは命を奪わずにおいてやろう。その代わりに」


 魔王はニヤリ、とする。


「この剣は『聖女』と『勇者』の血を吸っておらぬ。当代の名を教えよ。その血をもって、我は完全に復活を遂げるであろう」




 ◇◇◇




「この剣は『聖女』と『勇者』の血を吸っておらぬ。当代の名を教えよ。その血をもって、我は完全に復活を遂げるであろう」


 名前さえ知れば、魔王は〈強敵探知〉を使える配下を用いて、おおよそだが勇者や聖女の居場所を知ることができるのである。


「さあ、何をためらう。教えよ」


「……」


 魔王の言葉に、皆が無言で一人の男を振り返っていた。

 その男――アラービス――はぽかんと口を開け、失禁したまま座り込み、言葉を発することが出来ずにいる。


「聞けば勇者と聖女の名は生まれてすぐに世界に轟くらしい。人間なら誰しも知っているはずの名であろう?」


 数では圧倒的に不利なはずの魔王がつかつかと歩み寄り、フィネスたちの前にやってくる。


「――お下がりください。ここは我らが!」


 そこへレイシーヴァ王国の精鋭兵士たちがフィネスたちと魔王の間に割って入った。

 その中の一人の男が、堂々と魔王の目の前に対峙し、その顔を見上げた。


「この期に及んで魔王と相見えようとはな」


「……何だ貴様は」


「先に言っておくが、私は勇者ではない。レイシーヴァ王国近衛騎士隊長ヘルデンという」


 ヘルデンは臆することなくハルバードを構え、努めてゆっくりと口を開く。

 ヘルデンは今、レジーナが浄化の最終段階に入っていることに気づいていた。


 まもなく【第三相浄化】が終了する。

 そのための時間稼ぎを、ヘルデンは買って出たのである。


「確認のために訊ねる。我らが会話している魔物は、本当に魔界の奥地で勇者様に倒された、あの魔王か」


「先に問うたのは我。我が質問に答えぬか」


「魔王と確認が取れれば、ものによっては答えても良い」


 ヘルデンにはもうひとつ、意図があった。

 言葉通り、この世に魔王が蘇ったことの確認をすること。


 それが事実なら、世界はもはや安穏とは構えていられないのである。

 一刻も早く世界に周知し、国が一致団結して再び魔王との戦いの準備を行う必要がある。


 魔王がふむ、と顎を撫で、目の前の小賢しい人間を見下ろしていた。

 魔王は人間風情の言うことなど、到底聞くつもりはなかった。


「………」


 だが、と魔王は思案する。

 今の魔王にとって、勇者と聖女の情報はなにより重要であった。


 人間ごときに多少譲歩したとしても、手に入れねばならぬ類いのものなのである。


「――大地よ、浄化されよ」


 ちょうどその時、レジーナが声高に詠唱を終え、湿地が淡い光りに包まれる。

【第三相浄化】が終了したのである。


 ヘルデンとその配下が安堵し、目で頷き合う。

 一方の魔王は、そんなことはどうでもよかった。


 地上にある不浄の地で不死者アンデッドがどうなろうと、魔王が気に留めるはずもない。


「いかにも、我は魔王。この剣は我以外に力を渡すことはない」


 妥協した魔王がヘルデンに応じた。


「ふむ」


 確証を得たヘルデンは、厳しい表情のままハルバードを握り直す。

 この一瞬で、覚悟を決める。


「では皆さん、あとはお任せを」


 ヘルデンが振り返り、フィネスたちに目配せする。


 ――今のうちに帰還されよ、と。


 自分たちが盾となっている間に帰還して、その確定した情報を持ち帰ってもらうのである。

 その死の決意を見て取ったフィネスたちが、はっとする。


 もちろんヘルデンとて、後ろ髪を引かれる思いがないわけではない。


 ヘルデンの脳裏には、ずっと付き添ってきた盲目の少女が浮かんでいた。

 ここに来る前に少女がヘルデンに告げていた言葉が、ふいに思い出される。



 ――決して死するな。そなたに死なれては困るのだ。これからもずっと、わらわの目となってもらわねばならぬのだから。

 ――もちろんでございます、姫。



 申し訳ございませぬ、とヘルデンは心の中で深く謝罪した。

 しかし魔王復活に立ち会ったとなれば、犠牲になろうと、あの姫ならきっとわかってくれよう。


 そういう意味ではアリザベール湿地が完全に浄化されたのも好都合だった。

 ここを死に場所としても、最後の役割は果たせたことになる。


「貴様、身を挺して逃がす気だな」


 魔王はすぐに気づき、紅蓮の両手剣グレートソードを振りかざす。


「聞け人間ども。ひとりでも逃げれば残るお前たちを全員殺す。一番最初に逃げた奴以外を、我は殺せる」


 穏やかに構えていた魔王が低い声を発した。


「……嘘だな」


 ヘルデンが魔王を見る。


「なら、逃げてみせよ。貴様以外を惨殺してやるぞ」


「………」


 ヘルデンが魔王にハルバードの矛先を突きつけたまま、小さく舌打ちした。

 もちろん、誰かを逃すことで自分が死のうとも気にしないが、まとめた言い方をされると、ヘルデンたちも身動きが取れなかった。


「さぁ、早く我が質問に答えよ」


 魔王が続ける。


「なんと厄介な」


 ここで、浄化を終えたレジーナが魔力回復薬を使用しながら、魔王に向き合っている仲間に加わる。

 皆が少し安堵した表情になって、「大地の聖女」たる心強い存在に視線を集めた。


「幸いアラービス様もいます。ここはひとつ、皆で……」


 フィネスが魔王を睨んだままレジーナに小声で言うと、レジーナも同じことを考えていたらしく、メイスを取り出しながら頷いた。


 二人はちらりとアラービスに視線を走らせる。

 そんな策は、一抹の不安を覚えなくもなかった。


 アラービスは失禁したまま、いまだに座り込んでいたからである。


「そこの人間よ。我が問いに答えよ」


 魔王は再三、話を戻す。

 向き合っているヘルデンは、当然口を閉ざしている。


「どうした? では誰でも良い。勇者か聖女の名を告げてみせよ。教えた者にはこの魔王の名にかけて褒美を取らせ、生涯殺さぬと誓う」


「………」


 一瞬、しーん、と静まり返った。


 まずいな、とヘルデンは顔をしかめた。

 鍛え上げてきた兵士たちでさえ、戦意が削がれたのをはっきりと感じたのである。


「勇者か聖女、どちらでもよいぞ。たしか、聖女は光の信徒であったな」


 魔王が順に居並ぶ人間たちの顔を眺めていく。


 その中で、ふん、と鼻を鳴らした者がいた。


 ゲ=リである。

 ゲ=リは、ヘルデンとは全く違うことを思っていた。


 誰も答えるはずがないだろう。


 魔王め、現れた場所が悪かったな。

 なにせ、まさにその御方がここにいるんだ。


 歴代最強の勇者が、な。


 そんなふうにゲ=リがほくそ笑んだ、直後であった。


「……さ、サクヤだ」


 誰かが呟いていた。


「……え……?」


 皆がいっせいに声の元を振り返る。


 声の主は、座り込んだままの長髪の男。

 なんと勇者アラービスだった。


「……サクヤ?」


 その言葉に、え? という表情を浮かべたカルディエとフィネスだったが、とたんに険しい顔になった。


 フィネスがアラービスをきっと睨む。

 あろうことか、この勇者は自分の身を案じて、ひとりの生還者サヴァイバーの名を上げたのである。


「サクヤ?」


 フユナが首を傾げる。


「サクヤくんが?」


「……ど、どうしてサクヤさんが?」


 ゲ=リとピョコも目を丸くしていた。


「……サクヤだと?」


 魔王がぴくり、と眉を揺らした。

 勇者アラービスは立ち上がると、それを保証するかのように何度も大きく頷いた。


「勇者の名はサクヤという。探すがいい。そいつを殺して血を浴びればお前……いや、魔王様は強くなられる」


 その言葉を聞いた魔王は、突然、糸が切れたようにハッハッハ、と笑い出した。


「は……ハハハ……アハハハ!」


 魔王につられて、アラービスも笑い始める。


「魔王、これで俺の命は保証……」


 次の瞬間、魔王が左手を突き出した。


「――はぐっ!?」


 アラービスが吹き飛ばされ、再び大地に転がる。


「……な、なにを……」


 土まみれになった上に、前歯が二本折れたアラービスが、驚きの目で魔王を振り返る。


「……その名だけは違うぞ。我は転生しようと覚えておる」


 魔王が、かつてないほどの笑みを浮かべた。


「サクヤは我から煉獄の巫女アシュタルテを奪い、たったひとりで我を追い込んでみせた面白い人間の名」


「…………!?」


 フィネスとカルディエが息を呑んだ。


 なかでもフィネスを襲った衝撃は、相当なものだった。


 以前、フィネスはカルディエから全く同じ話を聞いたことがあった。


 が、当時のフィネスは煉獄の巫女アシュタルテを配下に下したという部分がどうしても信じられず、そんな話は絶対にあり得ないと一蹴していた。


 その絶対に嘘だと思っていた話が、なんとここにきて魔王自身に肯定されたのである。


「う、ううう、うそ……サクヤさんが?」


 ピョコもその名を聞いて、目を丸くしている。

 不穏になったピョコの肩に、ゲ=リが手を置き、首を横に振った。


「いや、多分サクヤくんとは違うお方のことだろう」


 魔王が紅蓮の両手剣グレートソードを握り直した。


「さて、人間ごときが我に嘘とは、もはや許すわけにはいかぬ」


 剣を担いだ魔王が、アラービスにゆっくりと歩み寄ってくる。


「……く……くくく、だったらどうしようと言うんだ? このクソ魔王が」


 アラービスが泥まみれの髪をぬぐって立つと、狂ったように笑い始めた。

 そして魔王の次の言葉を待たずに、片手を掲げた。


 その手には、青白い光を放つ水晶。

 間髪おかず、アラービスが叫んだ。


「――『祝福帰還』!」


 魔王がぬっ、と目を細めた。


「……な、何を!?」


 フィネスたちも驚きに目を見開いた。


「祝福帰還」とは、『祝福された帰還水晶』を用いた帰還を行うもので、通常15秒程度かかる発動時間を大幅に短縮したアイテムである。


 付与魔術師エンチャンターの力量によって発動時間は異なるが、祝福された品は、おおよそ1-5秒程度に発動時間が短縮されている。


 遺失魔法ロストマジックにより作成されており、この水晶ひとつで金貨8枚から値段がつくが、発動が2秒程度のものは金貨50枚以上、1秒弱のものはもはや値がつけられないと言われている。


 アラービスの手の水晶が、かっと、光を放った。


「あれはいったい……!」


 それが帰還水晶だとは思いもよらなかったゲ=リが、皆に訊ねた瞬間。


「ハハハハハ! 英雄は死なず――!」


 高笑いを残し、アラービスはこつ然と姿を消した。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る