第106話 勇者の父

 


「せっかくの聖剣も当たらなければ意味がない」

 

 三人の中でもフィネスを一瞥した魔王は、その横を通り過ぎ、倒れたままのレジーナに近づく。

 

 そして、左手でそのほっそりとした喉元を掴んで持ち上げた。

 

「くっ……」

 

「さて、死ね」

 

 魔王が宙で、レジーナの首を締め付ける。

 レジーナの顔がとたんに真っ赤に紅潮した。




 ◇◇◇




「なぜ……」


 ゲ=リは口をぽかんと開けたまま、果敢に魔王に挑んだフィネスたちを他人事のように眺めている。

 魔王が迫ってきたにもかかわらず、自身の刀を取り出すことも忘れて。


 兵士たちが魔王から自分を遠ざけてくれたおかげで、幸いゲ=リは今の【究極の害悪ウルトハザード】を受けずに済んでいた。


「どうして……」


 あれからずっと、同じことを問いかけ続けていた。


 ゲ=リはアリザベール湿地に訪れた中で唯一人、自分たちが負けるなど到底ありえないと思っていた。

 大地の浄化で何が現れようと、たとえそれが魔王であろうと。


 なぜなら歴代最強の勇者アラービスが、ここに一緒に立ってくれていたからである。


 獅子奮迅の勇者。

 不敗神話を持つ無敵の戦士アラービス。


 なのに。


 なぜ勇者はこの場を立ち去っ……。


「………えっ!?」


 そこでゲ=リがはっと息を呑む。

 うつろだったゲ=リの目に、衝撃的な光景が飛び込んできていた。


 誰かが宙に持ち上げられ、長い裾から出ている白い足が、苦しそうにばたばたともがいている。


 その人物を見る。

 花柄の白いワンピース型ローブを着た、桃色の髪の女。


 苦しそうな呻き声を上げている。


「か、母さん……!」


 心臓がどくん、と跳ねた。


 今まさに、母が首を絞められ、殺されようとしている。

 ずっとそばで微笑み続けてくれていた母さんが。


 回りを見る。


 戦える人たちは皆、倒れ伏している。

 さっきまでいた勇者も、もういない。


 その意味が脳に染み込むまでに、若干の時間を要した。


 ふいに、ゲ=リの目が見開く。


 嘘だ……嘘だろ……!


 ――母さんが、本当に殺される。




 ◇◇◇




 ――絶対に勇者になってやる。


 かつて、ゲ=リにそう決心させた出来事があった。


 圧倒的な美貌をもつ聖女レジーナを射止めただけあって、ゲ=リの父、アイザックは実に優秀な男だった。

 

 一般に学問と名のつく分野においては、どの国よりもエルポーリア魔法帝国が一歩抜きん出ているのが普通である。


 学問に秀でた人材は、若い頃からエルポーリア魔法学院に集められ、そこで切磋琢磨しながら数々の成功を収めていくためである。

 

 しかしアイザックはリラシスにおいて考古学分野の研究を独自に行い、画期的な研究結果で学会を沸かせた天才であった。

 

 その研究は古代王国期のみに植生した花を検討したもので、化石となっていた花の雄しべを現存する花百種以上に移植し、得られた種で絶滅した花を復活させるという偉業を成したのである。

 

 元来、考古学と言えば三流学術の分野で、古代王国期の魔法を探求せんと意気込んだ魔法学者たちが成功できず、失意して転職する成れの果てとされていた。


 が、アイザックは周りからの見下しも意に介さず、考古学を最初から目指し、見事にその分野で成功し、古代花の研究の第一人者となったのである。

 

 アイザックは成功した翌年、レジーナと出会うことになる。

 ミザリィ国内の大地母神エリエルの聖地、ジューダスにおける祝いの儀式でのことである。

 

 花をこよなく愛する彼女とは当然意気投合し、長年レジーナに言い寄っていた男剣士や同僚の男僧侶プリーストたちもなんのその、最後尾からスタートして見事にそのハートを射止めたのである。

 

 挙式の日には、エリエルの教会はレジーナの好きなピンクのスイートピーで満たされた。

 

 そうして二人の幸せな生活が始まり、レジーナはすぐに息子をもうけることになる。

 

 順風満帆。

 それから八年後、アイザックはエルポーリアの学院に招かれ、考古学教授に就任することとなる。

 

 リラシスで務めを果たしていたレジーナを尊重し、アイザックは単身赴任することに決めた。

 アイザックがレジーナ、ゲ=リと別れて生活し始めるまであと二週間となったところで、レジーナの誕生日がやってきた。


 その日は三人で母の好きなスイートピー畑に行く予定であった。


 前日急遽夜勤となってしまい、夜通し働いてきたレジーナだったが、朝は何事もなかったように明るく振舞い、三人で王都に隣接した管理庭園に向かった。


 王都に隣接した管理庭園は森の中にあるものの、魔物は完全に排除され、植物研究家が管理している場所である。


 そこには、アイザックが春からこっそり作りあげていた、スイートピーで埋め尽くされた花のベッドがあった。


 もちろん、レジーナは歓喜してそのベッドに飛び込んだ。


 その日は最高の誕生日になるはずだった。

 王都に護送中の重罪人が、馬車を脱走さえしなければ。




 ◇◇◇




 罪人は「首狩り族」と呼ばれた集団の副頭領だった。


「首狩り族」は当時、最も恐れられた武装集団であった。


 王国打倒を掲げて様々な反社会アンチ行為を繰り広げ、王都の史実書にも『歴史上まれにみる反王国集団』として記載されており、いまだにそれを超える集団は存在しない。


 なおその名の通り、彼らは殺した人間の首だけを持ち帰り、のちに街道沿いにある決まった木に吊るして勲章のように飾るという、倒錯した趣向を持っていた。


 管理庭園に逃げてきた手枷つきの罪人は、近くに置かれていた草刈り鎌を拾うと、無防備に花を積んでいた三人に襲いかかった。


 いつもなら神聖魔法ホーリープレイで難なく応戦してみせるレジーナだったが、この日は不眠だった上に魔力を使い果たしており、まるで戦える状態ではなかった。


 代わりに戦ってみせたのは、なんと父アイザック。

 アイザックは「学者」という戦闘に全く関連のない職業でありながら、短剣を取り出すと、なんと鎌を持つ罪人と互角に渡り合ってみせた。


 これにはさすがにレジーナもゲ=リも目を瞠った。


 手枷をつけ、鎌という拾っただけの武器を持ったとは言え、相手は「首狩り族」の副頭領。


 数々の血濡れた戦いを切り抜けてきた裏社会の強者である。


 だが、アイザックは現実に渡り合っていた。


 子が生まれ、大切な人が二人となってから、アイザックはひそかに近くの道場に入門し、その身の鍛錬を行ってきていたのである。


 あなたっ、というレジーナの叫び声が管理庭園に響いた。


 ゲ=リも父さんっと何度も叫んでいた。


 ゲ=リは興奮していた。


 ひょろりと痩せ細った考古学者の父が、 いつも机に座って背中ばかり向けていた父が、これほどまでに戦いをこなしているのが信じられなかった。


 父さんすごい! かっこいいよ!


 ゲ=リは感極まって、叫んだ。


 ――父さんを誰だと思ってる。


 父は背を向けたまま、叫び返した。


 ――父さんは聖女レジーナの夫。

 そして、勇者ゲ=リの父だぞ――。


 その言葉に、ゲ=リの幼い心が震えた。




 ◇◇◇




 やがて、ゲ=リの父アイザックは【書籍転送】という学者のスキルを使い、ゲ=リとレジーナをエルポーリア魔法帝国、考古学教室内にある自分の私用図書室内に転移させた。


 本来、大量の書籍を契約した場所に一瞬で移動させるこのスキルだが、万が一の時に人を飛ばせることをアイザックは知っていたのである。


 安全な場所に逃げられた二人は手を取り合って安堵したものの、アイザックがいないことに気づき、慌ててリラシスに戻った。


 気ばかりが急く中、エルポーリア魔法帝国からリラシスに戻るまで、数日を要した。


 本来は出国には大きな手続きを要しないが、入国していない者の出国だったため、そこにも時間がかかってしまった。


 それでもやっとの思いで帰国し、リラシス王国王都に入ると、街中が大騒ぎになっていた。




 ――聖女の夫の首がぶら下がっているぞ、と。

 



『母さんを頼むぞ、勇者ゲ=リ』


 転送間際に発せられたそれが、父の最後の言葉となっていた。

 父の葬儀の最中、 泣きわめく母レジーナとは対照的に、ゲ=リはずっと無言でいた。


 両手の拳を握りしめたまま。


 父、アイザックは言っていた。


 勇者と聖女が結婚すると、生まれた子が血を引いた勇者なり、聖女なりになって世界に貢献していくことはよくあることだ、と。


 ここで初めて、ゲ=リの目から、涙が頬を伝い落ちた。


「父さん……」


 父さんは紛れもない勇者だった。

 だから僕は、勇者になる。


 なれないはずがない。

 父さんは最高の勇気を持っていたから。


「僕は勇者になる」


 そして、母さんを守るのだ。

 父さんとの約束通り、この僕が一生、母さんを支え、守り通してみせる。




 ◇◇◇




「母さん……」


 母さんが足をじたばたと動かして、もがいている。


 母さんが殺される。


 殺される――!


「――やめろやあぁぁ!」


 ゲ=リは懐に仕舞ってあったナイフを取り出し、魔王へと渾身の力で投げた。


 古代王国期に造られたとされる、『必中のナイフ』である。


 投げられたそれは、投擲者の殺意を認識すると、一度だけ強力な魔法の力で方向を修正され、狙った部位へと突き刺さるのである。


「――げ、ゲ=リさん!?」


 ピョコが驚く。


 魔王が背を向けたまま、やってくる鋭利なものを感知し、右に避けた。


 しかしナイフは秘めた強力な魔法効果を発揮し、白く淡く輝くと、ぐん、と向きを変える。


「ぬうっ」


 魔王は背後で起こった危機的な出来事を察知する。


 レジーナを掴んだまま振り返ると、投擲されたナイフを反対の手で叩き落とした。


 ナイフは湿地に突き刺さると、ゆるやかに魔法効果の輝きを失った。


「なんだこの小僧は」


 魔王がナイフを投げたらしい男に鋭い視線を向けた。

 ひょろりとした、少年と言ってよい年齢の男である。


「魔王、いいことを教えてやる」


「なに」


 ゲ=リが懐から脇差を取り出すと、それを突き出すように構えながら、ニヤリと笑ってみせる。


「――俺が勇者だ」


 魔王の右眉が、ぴくりと揺れた。


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