第102話 第三相浄化2

 


「………!」


 吸血鬼ヴァンパイアたちが次々と目を見開いた。


 男はまだ立っていた。

 しかもまるで負傷した様子がない。


 完全抵抗フルレジストにより、どれ一つとして、男に届いた魔法はなかったのである。


「〈否定ダウト〉」


 それでも不死なる高導師リッチーの詠唱した魔法だけは違った。


 この魔法は、不死なる高導師リッチーが発した独自魔法オリジナルスペルであり、男とて初見であった。


 男は目を細めながら抵抗レジストを試みるが、部分抵抗パーシャルレジストにとどまったことを知り、感覚を研ぎ澄ませて、どんな魔法か見極めにいく。


「キアァァ……!」


 まず男の足元から奇声が始まり、大地から出た紫色の手が男の両足首を掴んだ。

 いや、掴んだではなく、掴んだ状態で現れたと言った方が正確である。


 完全抵抗フルレジストしない限り、〈否定ダウト〉の拘束は回避不能である。


「ヒヒヒ……!」


 不死なる高導師リッチーが男を指さしながら、喜悦に入った声を上げる。


 直後には、次の魔法効果が現れていた。

 不死なる高導師リッチーの指先から発せられた手のひら大の球状の闇が3つ、男の体にまとわりついていたのである。


「へぇ。もしかして闇か」


 男が感嘆したように言う。


「ククク――!」


 一時は慄いていたものの、不死なる高導師リッチーの魔法が効いたのを見て、周囲の吸血鬼ヴァンパイアたちが続々と高笑いし始めた。


 男は微動だにせず、魔法が終わるまで、黙々とその効果を観察している。

 球状の闇は男の右膝の皿の部分に張りついたと思うと、同じ部位に焼け付くような熱さを残して消え去っていた。


 男の予想通り、これは上位属性【闇】による魔法であった。

 言うまでもなく、男は上位属性耐性を持たないため【全般魔法抵抗】でしか抵抗ができない。


「なるほど。これがお前の独自魔法オリジナルスペルか」


 接触部位を消し去る魔法なのだろうと、男は体に与えられた違和感で気づいていた。


「ククク」


「クハハハハ!」


 取り囲む吸血鬼ヴァンパイアたちの歓喜は、いまやピークに達していた。


「……ハハ……ハ……?」


 しかしまもなく、彼らの笑いにムラが出始める。


 一目瞭然。

 またもや、男に負傷が見当たらなかったためである。


 対する男の顔には、笑みが浮かんだ。

 吸血鬼ヴァンパイアたちは知る由もないが、男に憑いた大悪魔の一人が一定量以上のダメージを『身代わり』していた。


 実際、男はこの能力を使い、『死の九九七ナインナインセブン回廊ギャラリア』という、かつて誰一人として踏破したことのない迷宮を抜け、生き延びている。


 この程度の魔法で倒せるはずがなかった。


「しかしホールド時間が長いな……しばらく移動不可ってだけで十分な魔法だ」


 男はいまだに続いている足の拘束を見ながら言った。


「クォォ……!」


 無効化されたことを知り、不死なる高導師リッチーが怒りをあらわにして唸り声を上げた。


 が、その刹那、そんな唸り声などかき消されてしまうほどの怨嗟の声が、男の着けた3つの石板から発せられることになる。


「ゴアァァ――!」


「………」


「アァァオオォォォ……!」


 始まった、地獄から響くような唸り声。


「………!?」


 不死なる高導師リッチー吸血鬼ヴァンパイアたちが、一斉に後ずさる。

 もはや吸血鬼ヴァンパイアたちの笑いは、完全に凍りついていた。


 〈【ソロモン七十二柱】博識なる呪殺者グラシャ・ラボラスが怒りました。反撃を開始します 〉

 〈【ソロモン七十二柱】煉獄の巫女アシュタルテが怒りました。反撃を開始します〉

 〈【七つの大罪】気高き蠅の王バアル・ゼブブが怒りました。反撃を開始します〉


 石板に現れた三つの顔が、別々に詠唱を開始する。


「κλήσηδαίμονας καθυστέρηση……」


「απόγευμα αιώναςέκρηξη ἔκρηξις……」


「Κρυστάλλινα νερά ακάθαρτος……」


 始まる3つの、悪魔言語詠唱。


 それが何かを早々に理解し、畏怖する不死なる高導師リッチー

 その周りで、吸血鬼ヴァンパイアたちが意味を理解できずにただ、右往左往する。


 間もなくして、不死なる高導師リッチーが背を向け、吸血鬼ヴァンパイアをかき分けて逃げ去ろうとする。


 ヒヤァァ、と悲鳴のような叫びを上げて、吸血鬼ヴァンパイアの集団がそれに倣う。


「もう遅いかもな。こうなってからは止められない」


 男の言う通りであった。

 逃げるなら、男と対峙した時点でそうするべきだったのである。


 ――ブオォォォ!


 吸血鬼ヴァンパイアたちが、獄炎に飲み込まれた。

 憑いた3つの大悪魔の中で、最も発動が早い博識なる呪殺者グラシャ・ラボラスによる〈終焉の劫火ラストインフェルノ〉。


 やってきたのが炎の魔法と知り、吸血鬼ヴァンパイアたちはいずれも獄炎の中で身を固くして、魔法に抵抗を試みていた。


 吸血鬼ヴァンパイア族が不死者アンデッドの中でも恐れられる理由に、魔法抵抗が異様に高いことが挙げられる。


 第二位階に存在する〈炎の矢ファイアアロー〉、いや第六位階にある〈火炎球ファイアボール〉クラスの魔法でさえ、 吸血鬼ヴァンパイア族は平然と完全抵抗フルレジストしてくるのである。


 普通なら、吸血鬼ヴァンパイア族に魔法で交戦するのは愚の骨頂と言われている。


 吸血鬼ヴァンパイアたちも、炎の魔法ならと甘く考えた者がいたに違いない。


 しかし、吸血鬼ヴァンパイアにおいては一匹残らず消し炭になっていた。


「へぇ」


 獄炎が過ぎた場を眺めていた男は、また感嘆したようだった。


 炎の嵐が過ぎ去った湿地で、一体だけに動きが見られていた。

 その見事なローブは、燃えずに残っている。


 不死なる高導師リッチーのみがあの獄炎に耐え、なんとか立ち上がろうとしているのだ。


 不死なる高導師リッチー吸血鬼ヴァンパイアのさらに上、魔術の申し子たる存在であり、聖属性、光属性以外の全てを完全抵抗フルレジストすると言われるほどに魔法抵抗も破格に高かった。


「――ゴブッ!?」


 しかし、やっと立ち上がった唯一の生き残りたる不死なる高導師リッチーが、仰け反って突然呻き声を上げた。


 無惨に切り裂かれる漆黒のローブ。


 5つの光り輝く剣が雪の結晶を作るように、不死なる高導師リッチーを次々と貫いたのである。


 煉獄の巫女アシュタルテによる〈堕天使の烙印ルシフェルズブランド〉である。


「グゥゥ……!」


 不死なる高導師リッチーが再び膝をついた。


「あれ、おかしいな。効いたか」


 見ていた男はなぜか、逆に驚いていた。


 男は古代王国期の文献で、この不死なる高導師リッチーという魔物の特徴を知識として持っている。


 だから予想していたのである。

 この魔物は魔法だけでなく、鋭的物理攻撃にも強い耐性があり、煉獄の巫女アシュタルテの攻撃も無効化されることを。


 しかし不死なる高導師リッチーは果てていた。

 煉獄の巫女アシュタルテの剣は明らかに、致命傷を与えていたのである。


煉獄の巫女アシュタルテの攻撃って無属性じゃないのかな、もしかして……」


 男は首をひねり続ける。


「そういえば新月、もうそろそろだな……」


 男がそう呟く間にも、あまたの羽音を立てて、あからさまに異質な黒い靄が現れた。


 不自然に蠢くその靄は、虫の大群。 

 気高き蠅の王バアル・ゼブブの蠅たちである。


 蠅たちは獲物と見るや、串刺しにされ息絶えた不死なる高導師リッチーや、ただの炭でしかない吸血鬼ヴァンパイアに群がって我先にと食い漁り始めた。


 一分と経たぬうちに骨と皮だけだった不死なる高導師リッチーが、骨だけに成り果てる。

 蠅たちが去った後、男は人知れずため息を漏らした。


「泥だらけだけど拾っておくか……ん?」


 男は目の前に落ちたドロップ品を見て、歩き出そうとする。


 不死者アンデッドは通常の魔物扱いで金品のドロップが得られる。

 とりたてて少ないのは、古代王国期に作り出された石像系の魔物と、悪魔系の魔物くらいである。


 しかし、一歩踏み出そうとしたところで、男はまだ両足が拘束されていることに気づいた。


 がっちりと掴まれたままで、まだしばらく消失しない気配である。


「……なるほど、もう少し付き合えと」


 そこで男は小さく笑った。

 不死者アンデッドたちがやってくる気配に気づいたのである。


「アァァ………」


 唸り声を上げて、再び目の前の湿地に現れ始める手足。


 再び吸血鬼ヴァンパイアたちが地面から這い出てきていた。

 しかも今度は、3体の不死なる高導師リッチーが現れている。


「いいだろう」


 男は足首を拘束されたまま、片合掌して剣を構えてみせた。




 ◇◇◇




「なんと素晴らしい!」


「さすがアラービス様!」 


 アリザベール湿地に、勇者のボディーガード三人の大袈裟な拍手喝采が響き渡っている。


「……理解したか。勇者という存在の大きさを」


 再び紅蓮の両手剣グレートソードを担ぎ、フィネスたちを振り返るアラービス。


「あのドロップ品はすべてお前たちにやろう。俺はすでに最強の品を揃えているからな」


「………」


 驚き、未だに言葉を発せられないフィネス達を見たアラービスが満足そうに頷くと、ゆっくりとレジーナを振り返った。


 そしてにやっと笑う。


「見てわかるな、大地の聖女。俺がお前の身を守った。この事実をお前は世間に広める義務がある」


 そんな勇者らしくない言葉をアラービスが吐いた時だった。


「……あ、あれ?」


 ゲ=リが目を疑いながら、湿地を指さした。


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