第101話 第三相浄化

 


 翌朝。

 空を覆った灰色の雲から、登って間もない太陽が透けて見えている。


 ピョコが昨日と同じ場所で、聖木を積む。

 昨日と違い、その手は小刻みに震えていた。


 フユナが共通魔法コモンマジックでそれに火をつけ、風を入れて火を熾す。


 皆が一言も言葉を発しない間にも、聖木からは灰色の煙が上がって火が力強く猛り始める。


「皆さん、準備はいいですか」


 レジーナが今まで同様に言いながら周りを見ると、皆が緊張した面持ちで頷いた。


 アラービスだけは例の紅蓮の両手剣グレートソードを背に担ぎ、自分に酔ったような表情を浮かべている。


「では始めます」


 レジーナが詠唱を開始した。


 今まで同様に、レジーナの詠唱に反応して湿地がボコボコと煮立ち始める。


「…………ぁぁア……!」


 やがて始まる呻き声。


 煮立つ湿地から追い出されるように、次々と魔物が現れ始めた。


「………」


 誰からも言葉はなかった。

 いや、言葉を発して動揺を見せてはならないと皆が思っていた。


 だから無言のまま、フィネスたちの顔は青ざめていった。


 現れてくる魔物が、止まらない。


 始まったばかりだというのに、1000を超えているのではないかと思うほど。


 数ばかりの問題ではない。

 現れた魔物の格も違った。


 彷徨う鎧リビングアーマー凶暴な不死者ブルータルゾンビ悪夢の死魔術師ナイトメアソーサリー不死の巨人タイタンアンデッド大叫喚地獄の亡霊ゴースト・デスメタル、そして吸血鬼ヴァンパイア類。


 いずれも討伐ランクが【准尉】より上の魔物ばかりである。


 中でも、次の二つは討伐ランクが定まっていない。


 移動速度低下をもたらす魔法をかけて踏み潰そうとする、五メートルを超える不死の巨人タイタンアンデッド

 手や足を掴まれると、そのまま地獄へ引きずり込まれるとされる大叫喚地獄の亡霊ゴースト・デスメタル


「ひっ……!」


「こ、これが……第三相……」


「か、母さん、これじゃ話と違う気が……」


 ピョコとゲ=リが後ずさっていた。

 ゲ=リたちも過日に第一国防学園、学園長イザイより説明を受けていた。


 が、聞くと見るとでは大違いであった。


「まずいな……トニーとジョセフ、お前たち二人は騎獣に乗っておけ。いつでもレジーナ様を拾い上げられるようにしろ」


「……はっ」


 兵士たちがヘルデンの青ざめた顔を見たのは、長年の関わりの中でも初めてであった。


「現実的な話、これでは少々荷が重……」


「カルディエ」


 取り繕わない性格のカルディエが言葉にしようとしたところで、フィネスが咎める。


「……わかっていますわ。やらねばなりませんわね」


 カルディエがちらりと、一心に詠唱するレジーナを見た。


 もちろん、今ならまだ逃げることは可能である。


 使う意思があるかどうかは別として、彼女たちは皆、いざという時のために帰還水晶を持参してきているのである。


 だが自分は助かっても、今、目を閉じて詠唱に集中しているレジーナは確実に死する。


 そして、一気に湧き出たこの魔物たちがレイシーヴァ王国へと流れ込み、被害を出すであろうことは火を見るより明らかであった。


「落ち着いて。私達にはピョコちゃんの聖火があります」


「そうですね」


 皆が思い出したように頷き、力強く燃える聖火に目を向けた。


 聖火の効果範囲で戦えば、討伐ランクが上の存在でも十分に勝算はあるのである。


「互いに背を守りましょう。多少の負傷はやむを得ませんが、屍喰死体グールからの負傷だけはなんとしても避けますよ」


 フィネスの言葉に、皆が思い出したように表情を固くした。


 そう。

 これだけの上位不死者の中でも、屍喰死体グールの姿は嫌になるほどに混じっているのである。


「行きます」


 フィネスたちが覚悟を決め、駆け出そうとした時。

 アラービスが動いていた。


「【勇者の一閃ブレイブ・ストライク】」


 赤く光る扇形の刃。

 現れた魔物は違えど、それが昨日と全く同じように次々と魔物を上下に切り裂いていく。


「オオォォ……!」


 大地がどぉん、と音を立てて揺れた。


 不死の巨人タイタンアンデッドが両脛をすっぱりと切断されて、湿地に前のめりに倒れ伏していた。


 アラービスのこの一撃で、多くの魔物が屍となったが、さすが第三相というべきか、耐性を持つ彷徨う鎧リビングアーマー吸血鬼ヴァンパイアの上位種たちが自らを再生し、ゆっくりと立ち上がってくる。


「――【魔の破滅イービル・コラプス】」


 さらに、アラービスが放つ。


 ドスドスドスッ!


 赤く光る剣が湿地のあらゆる場所から、数えきれぬほどに空に向かって突き立つ。


 立ち上がったばかりの魔物たちが宙に突き上げられ、呻き声とともに倒れ込んでいく。


 不死の巨人タイタンアンデッドすらもその腹を貫かれ、のたうちながらすぐに動かなくなった。


 開始して一分と経っていない時点で、なんと動く魔物がいなくなっていた。


「す、すごい……」


「第三相もこの二撃で……」


 さすがにこれには、フィネスたちも驚きを隠せなかった。

 早くも、あれほどに危惧していた【第三相浄化】が終わってしまったのである。


 湿地に残っているのは、魔物たちが残したドロップ品の数々。

 そこにはひとめでわかるほどの貴重そうな盾や鎧も落ちていた。


「……すげー! すげーよぉぉ! さすが勇者様だ!」


 ゲ=リが飛び上がって喜び始めた。




 ◇◇◇




「へぇ。盛りだくさんだな」


 レジーナたちが浄化を試みている湿地の山ひとつ向こうでは、 【第三相浄化】 の産物との戦いが別で始まろうとしていた。


 向き合うのは、一人の黒髪の男。

 被るフードを背中に下ろし、黒い外套を羽織っている。


 その下に着込んでいる服は『異端の神々ジ・ヘレティックス』の信者のみが身につける、異端の証ともいえる黒神官服。


 そして履いているのは、シークレットブーツ。

 実は20cm近く身長が伸びているが、外套のせいでおいそれとわかる者は皆無であろう。


 男が対峙しているのは、数え切れないほどの吸血鬼ヴァンパイアたち。


 ただの吸血鬼ヴァンパイアだけではなく、その上位たる吸血鬼伯爵ヴァンパイア・カウント吸血鬼将ヴァンパイア・ジェネラル吸血鬼襲撃者ヴァンパイア・レイダーなどが混じっており、数は軽く200体を超えていた。


 それぞれが近接攻撃および魔法も相応に操る、【准尉】~【中尉】ランクの強力なアタッカーである。


「クックック……!」


 現れたばかりの吸血鬼ヴァンパイア族の者たちが向き合った一人の男を見つけ、魔法を叩きつけようと詠唱に入る。


「おっ」


 しかし男はそれを目にしながらも他人事のようにのんきに構え、魔物の集団の中央を見ている。


 吸血鬼ヴァンパイアに守られるようにして、一体だけ品格の違う、装飾のついた漆黒のローブを纏った魔物がいるのである。


「へぇ」


 男は嬉しそうに笑みを浮かべた。


 男の視線の先には、フードの奥に垣間見える、骸骨に皮を一枚貼り付けたような顔貌の魔物がいた。

 不死者アンデッドの中でも名高き強者、不死なる高導師リッチーである。


 この魔物はもともと、エーゲ大陸には存在していなかった。


 不死なる高導師リッチーが生まれたのは、古代王国の魔法文明が開花するその黎明期。


 当時は様々な魔法が見つけ出されており、現在では禁忌とされた魔法ですら、なんの制限もなく日常的に使用されていた。


 その中のひとつに〈不死転デッド・リヴァース〉という魔法が存在していた。

 詠唱者を高位の不死者アンデッドに転生させてしまうものである。


 この魔法の使いみちはひとつ。


 魔術に魅せられながらも老いに勝てず、世に未練を残した一部の高位魔術師たちが延命し、魔術を追求するためである。


 その結果、術に失敗して意識を飲み込まれ、理性を失った魔物と成り果てた存在が、この不死なる高導師リッチーなのである。


 しかし魔物となろうとも、彼らは強大な古代語魔術師であり、上位古代語ハイ・エンシェントに精通し、第十二位階存在する古代語魔法を第十位階まで操るほか、厄介な独自魔法オリジナルスペルまでも手にしているとされている。


 希少な魔物のため討伐ランクは定まっておらず、過去の文献では【大尉】~【少佐】程度と指すものもある。


 悪魔で言えば、|魔人将(アークデーモン》よりも極めて上であり、下級の【ソロモン72柱】に相当するレベルである。


「初見だ」


 男は興味深々といった表情で、不死なる高導師リッチーを見る。


 対して不死なる高導師リッチーは口元を歪めるようにして笑い、真っ赤な爪を伸ばした人差し指で男を指し示し、魔法詠唱を始める。


 その瞬間、男の内部で水晶が割れたような音が鳴り響いた。


 ――キィィン。



 〈【認知加速】が発動しました〉

 〈【明鏡止水】が発動しました〉

 〈【闇夜を這いずる魔】が発動しました〉

 〈【悪魔の数式ティラデマドリエ変換】が発動しました〉

 〈【捕喰者のディレンマ】が発動しました〉

 〈【回廊からギャラリアの帰還者サヴァイバー】が発動しました〉



 男に憑いた3つの大悪魔の加護である。



 刹那、不死なる高導師リッチーの前に立ち並ぶ吸血鬼ヴァンパイアたちの魔法が完成した。


 炎が、氷が、風が、大地の隆起が、そして雷が男にこれでもかとばかりに降り注いでいる。

 男の足元は凍りつき、割れ、さらに炎で溶かされ、おびただしい蒸気があたりを白く霞ませた。


「ククク……!」


 吸血鬼ヴァンパイアたちが燃えカスになっただろう男を予想して、笑う。


 やがて、もうもうと上がっていた蒸気が消え去り、視界がひらける。


「………!」


 吸血鬼ヴァンパイアたちが次々と目を見開いた。


 男はまだ立っていた。

 しかもまるで負傷した様子がなかった。


 完全抵抗フルレジストにより、どれ一つとして、男に届いた魔法はなかったのである。


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