第96話 第一相浄化1

 

「俺をこれだけ待たせておいて何を寝ぼけている。今の今まで待ってやったのも奇跡だと思え。もし今ここで始めないなら、本当に帰るぞ」


「………」


「ゆとりのないお方のようですから」


 レジーナが唖然とするフユナにそっと耳打ちする。


 フィネスとカルディエもすでに疲れた表情で頷いた。


「ではご協力頂くアラービス様がお急ぎのようですので……ピョコちゃん、あれを」


 レジーナが青髪の小さな少女を振り返る。

 ピョコは頷いて聖木を取り出し、左右に二箇所、積み始めた。


 準備しておいた、ほぐした麻ひもと白樺の皮を下に敷くのも忘れない。


 フィネスが共通魔法コモンマジックでそれに火をつけると、まもなくして火はパチパチと音を立て、見事に燃え上がり始めた。


 一方でレジーナは桃色の髪をゆるく一本に束ねると、皆の後方に【大地の結界】を小範囲で展開した。

 ゲ=リやピョコなど、無防備な者たちが避難する場所である。


 レイシーヴァ王国の兵士たちも、戦闘中はここに控える予定となった。


 やがて、もうもうと聖木から煙が立ち始めたのを確認して、レジーナが口を開く。


「これから第一相、第二相、第三相と3回の浄化を行います」


 浄化を行うたびに、湿地から魔物が溢れ出てくること。

 相が進むたびに魔物は上級のものが出現するようになり、後半は厳しい戦いが予想されることを、レジーナは続けて説明した。


「第一相、第二相までは私自身も何度か経験がありますが、第三相は私も未知です」


 アラービス以外の仲間たちが、緊張した面持ちで頷く。


「浄化中の魔物はお任せします。よろしくおねがいします」


 レジーナが頭を下げた。


「大地の浄化」を行う回復職ヒーラーは詠唱する浄化の魔法により、そこに潜む魔物の強烈な怒りを買い続ける。


 湧き出た魔物たちは一心に浄化者を排除すべくやってくるため、浄化者の詠唱が止まらないように、仲間たちは近づく魔物を排除していく必要がある。


「時折、意識を集中させる必要があるので、私から回復魔法ヒールできないことがあることはお伝えした通りです」


 今回の浄化者たるレジーナは【並列詠唱】を持っており、魔力を大きく消耗するものの、同時に二つの魔法を発動できる。


 それゆえ、浄化中でも回復職ヒーラーとしての役割を担うことができるが、部分部分の大地から穢れを取り除く要所では、それだけに意識を集中させる必要があり、その際は味方への回復魔法ヒールなどは制限されてしまう。


 その時はアラービスのボディーガードの回復職ヒーラーを頼る手はずとなっており、鎧を着込んだ回復職ヒーラーの男がひとり、アラービスの背後で待機している。


「ふあ」


『ユラル亜流剣術』の三人が緊張した面持ちで頷く中、アラービスは大きなあくびをしていた。

 そんなアラービスを見てか、ゲ=リが話し終わったレジーナのそばに寄ると、そっと耳打ちした。


「……なんだか心配になってきたよ、母さん」


「大丈夫。お母さん頑張るわ」


 レジーナが息子に向かってぐっと拳を握ってみせる。

 しかしゲ=リはいつになく不安げな表情を浮かべ、母を見た。


「やっぱりやめようよ。このままなら魔物は出ないんでしょ? 俺、母さんが心配だ」


「ゲ=リくん……」


 レジーナがじわりときて、目元を指の腹で拭うと、ゲ=リの頭を撫でた。


「ゲ=リくんは結界の中にいて。ゲ=リくんがいるだけでお母さん、パワーが出るの」


 レジーナがゲ=リの頬に軽いキスをした。


「――とっとと始めろ」


 悠長な様子のレジーナを見て、イライラしたアラービスが声を荒げた。

 そんなアラービスは剣すら抜いていないのを見て、今度はフィネスたちがため息をつく。


「では【第一相浄化】を始めます」


 レジーナが両手を胸の前に置き、歌うように高らかな詠唱を始めた。


 しばし、ミザリィの地にレジーナの清楚な歌声だけが響き渡る。


「来たな」


「来ましたね」


 やがて空気がピリピリと小さく震えはじめ、湿地の地面が煮立つようにぼこぼこと泡立つ。

 アリザベール湿地の随所から、不気味な呻き声が上がり始めた。 




 ◇◇◇




「あった。やっぱりそうか」


 僕はアラービスを加えたレジーナ一行から離れ、山を一つ挟んだ森の中にいた。

 そこには直径にして20メートルほどと小さいものの、一行が眺めているのと同じ、毒々しい湿地があった。


 アリザベール湿地からレイシーヴァ王国に魔物が抜けるためには、この相応に高い山を越えなくてはならない。


 点在諸村アルドニアが長年健在であることを考えると、どうにも腑に落ちず、探してみた結果だ。


 ここは恐らく半分に切ったドーナツのようになって、山の下であのアリザベール湿地と繋がっているのではなかろうか。

 あたりを探した感じでは、ここひとつだけだった。


 僕の予想していることが正しいとすれば……。


「やはり」


 その時、不意に目の前の湿地がぼこぼこと煮立ち始めた。

 きっと向こうの湿地で、浄化の儀式が始まったのだろう。


 予想通り、魔物のうめき声が聞こえ始めた。


「やるか」


 準備は万端。

 僕の両肩と胸には「憤怒の石板」が装備されている。


 こちらをさっさと仕上げて、向こうの様子も見に行かねばならない。


 まあ【第一相浄化】自体は世界で二百を超える回数で行われており、それだけに戦い方の研究も進んでいる。


 あの規模の怨念の地なら、500は下らない数の不死者アンデッドが現れるはずだ。


 だがどんな魔物が現れるかは、文献に羅列されている。

 せいぜいが討伐ランク【兵長】クラスの不死者アンデッドだ。


 噂では【大尉】級の実力があると言われているフィネスやカルディエ、そしてフユナ先輩もいれば、まず第一相は大丈夫だろうと思う。


 今回は聖火の力もあり、一応アラービスの奴もいるから第二相とて苦労しないはずだ。


 僕は剣を抜き、目の前の敵に意識を集中する。


 今日の僕の服装は、以前神殿に顔を出した時に購入してきた『漆黒の異端教会ブラック・クルセイダーズ』の黒神官服にラモチャーとして動いたあの時と同じ、フード付き外套を羽織っている。


 今回ちょっと違うのは、特注の靴を頼んだことだ。

 まさかのシークレットシューズで、背丈が22cmも伸びる。


 これで縮んだ僕とて、170cmくらいにはなる。

 チカラモチャーとしての威厳もそれなりに出てくるだろう。


「ギャアァァ……!」


 そんなことを考えている間にも、不死者アンデッドたちが這い出るようにして湿地の地面から現れ始める。


 〈戦闘を感知しました〉


 ――キィィン。


 〈【認知加速】が発動しました〉

 〈【明鏡止水】が発動しました〉

 〈【闇夜を這いずる魔】が発動しました〉

 〈【悪魔の数式ティラデマドリエ変換】が発動しました〉

 〈【捕喰者のディレンマ】が発動しました〉

 〈【回廊からギャラリアの帰還者サヴァイバー】が発動しました〉


 全身にみなぎる感覚。

 悪魔たちが顔を出さずとも、石板をつけているだけで戦闘を感知し、スキル【悪魔の付与Lv1】、【悪魔の付与Lv2】による加護が発動する。


 なお、これらの効果については夏休みの「蟻の巣」探索中に調べて、ある程度の推測がついている。


【認知加速】と【悪魔の数式ティラデマドリエ変換】は知っての通り、煉獄の巫女アシュタルテの能力だ。


 悪魔言語で煉獄の巫女アシュタルテに伝えておけば、返事はないものの【悪魔の数式ティラデマドリエ変換】を事前に発動させないようにすることもできるようになった。


【明鏡止水】と【闇夜を這いずる魔】は博識なる呪殺者グラシャ・ラボラスの能力。


【明鏡止水】では闇すらも貫く視覚を手に入れることができる。

 最初はこの視覚強化が【闇夜を這いずる魔】だと思っていたが、そうではなかった。


【闇夜を這いずる魔】はもっと、とんでもない能力だった。

 なんと見える範囲にある影と影の間をほぼ一瞬で移動できるのである。


 このすべてを台無しにするような能力は、影さえあれば瞬間移動に近い離れ業を可能にする。


 そう、僕はこれでレジーナたちの湿地とここを苦もなく往復できてしまうのである。


 僕には【縮地】も【キャンセル】すらもある。

【闇夜を這いずる魔】が使える時は、回避はもはや終わったレベルだ。


【捕喰者のディレンマ】と 【回廊からギャラリアの帰還者サヴァイバー】 は、気高き蠅の王バアル・ゼブブが付与してくる能力だ。


 この2つは、頼る時にまた説明しよう。


「グゥゥ……!」


 浄化の効果で湿地から現れてきたのは、屍喰死体グール下等不死者ゾンビ、ゾンビウルフ、幽鬼レイス悪霊操体ワイト


 その数はざっとみて200を超える。

 そいつらは湧き出るなり、我先にと僕の方へぞろぞろとやってくる。


 こちらは湿地の規模が小さい分、出現する魔物の数も少ないようだ。


「これくらいなら博識なる呪殺者グラシャ・ラボラスだけでいいな」


 もちろん憤怒させて三体の悪魔を覚醒させ、反撃で全てを倒してもいいが、ザコ相手にそこまでオーバーキルする必要もないだろう。


「Ως απάντηση στην κλήτευση μου ο δολοφονώντας το άτομο」


 僕は悪魔言語で、博識なる呪殺者グラシャ・ラボラスを呼び出す。

 詠唱に反応し、僕の右肩の石板には、顔が現れた。


 口周りに白髭を伸ばした龍である。


 その鼻がふしゅーと息を吐く。


 僕は始末を命じる。

「僕をターゲットしている不死者アンデッド全てを葬れ」と。


 龍の顔は応じ、悪魔言語詠唱を開始した。


「κλήσηδαίμονας καθυστέρηση……」


 直後。


 ――ブオオォォォ!


 轟音とともに燃え上がる猛烈な炎が柱となって吹き上がり、不死者アンデッドたちを悪魔らしい無残なやり方で消し去る。


漆黒の異端教会ブラック・クルセイダーズ』が研究し、著している「悪魔解明論」においては、悪魔はこの百年で四度に渡って天使たちとの大戦を行っているとされている。


 その「悪魔解明論Ⅲ」と「悪魔解明論Ⅳ」に数度に渡って登場する『無慈悲な炎』。


『無慈悲な炎』――悍ましくも気高き龍の悪魔が放ちし獄炎の柱、大地を赤く染め、飛来する天使の一団を瞬く間に焼き尽くさん。


 これがその博識なる呪殺者グラシャ・ラボラスによる〈終焉の劫火ラストインフェルノ〉を指している。


 もちろんそんなものに焼かれたら、屍喰死体グールたち不死者アンデッドはもはや跡形も残らない。




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