第95話 唯我独尊

 


「なら詫びの代わりだ。もう帰っていいか」


 アラービスが肩をすくめてみせた。


「アラービス様……」


 レジーナが言葉に詰まる。


「伍長の分際でおめおめと連れてくるな」


「………」


 勇者から発せられた言葉に、レジーナとゲ=リがもはや何も言えなくなってしまう。

 その空気に耐えかねたように、フィネスたちが挨拶に入る。


「ユラル亜流剣術のフィネスです」


 カルディエです、フユナです、と挨拶が続く。


 フィネスの顔がすぐに背けられたのは、以前の出来事を気にしてのことだったが、あのアラービスが見逃すはずもなかった。


「お前はあの時、サクヤと一緒にいた……」


「………」


 フィネスは何も言わない。

 あれに関しては、当然謝るつもりもないからである。

 しかし。


「……サクヤ?」


「サクヤさん?」


 フユナとピョコが、呼ばれた名に反応した。


「そうか、お前が第二王女フィネスだったのか。王族らしく芝居が上手だった。褒めてやろう」


「………」


 フィネスは無言のまま、元の立ち位置に戻る。


 しばし首を傾げていたピョコだったが、思い出したようにたたた、とアラービスの前に走り込んでぺこり、と頭を下げた。


「はじめましてっ、ピョコといいますっ! 自分、今日は聖木を……」


「ところでサクヤは元気か? リラシスに隠れていたとはな」


 アラービスはピョコを無視し、フィネスに声をかけた。


「お元気そうですが」


 フィネスはもちろん、元気かどうかなど知らない。

 彼女にしてみれば、ただこの話題が嫌で早々に切り上げたかっただけであった。


「フィネス、サクヤってうちのサクヤのことか」


 訊ねてくるフユナに、フィネスは目だけで違う、と伝えた。


「おい」


 目を逸らしたフィネスに、アラービスが視線を戻させる。


「あいつがサクヤの所に行ってないか」


「あいつとは誰ですか」


 フィネスは訊ね返した。


「知っているな」


 だがそれをとぼけたととったアラービスは、フィネスの顔を指差して低い声を発した。


「サクヤに伝えておけ。土下座してあいつを返せば、今ならまだ許してやらなくもないと」


「あの……これはなんの話ですか」


 フィネスが困惑する。


「理解する必要はない。お前はただの伝書鳩だ」


 アラービスが吐き捨てるように言った。

 そんな言葉に怒りをあらわにしたのは、フィネスではなくフユナだった。


「おい、勇者といえど、我らの王女を――!」


 フユナがアラービスに詰め寄ろうとする。

 それをレジーナが割り込むようにして止めた。


「フユナ、いけません。戦いの前です」


 フィネスも首を横に振る。


「……くっ」


 フユナが小さく唇を噛んで引き下がる。


「全くもって噂通りのお方ですわね」


 そこへ、カルディエがさらりと言葉を滑り込ませた。

 王族護衛特殊兵ロイヤルガードとして王宮勤めをしている彼女は、この中で一番こういった応対に手慣れているのである。


「どういう意味だ」


「あら、噂通りの並々ならぬお方という意味ですわ」


 カルディエがオホホホ、と口元に手を当てて笑う。


「勇者アラービス様。今日はどうぞよろしくお願いいたしますわ。わたくしたちもこんなところに長居したくありませんので」


 カルディエの見事な作り笑いとともに発せられた言葉は、褒めているようで、決して褒めていなかった。


 その美しい笑みに、アラービスが目を向けた。


「ほう。言葉遣いがなっている。お前に免じて帰るのだけはやめてやろう。ところで」


 アラービスが片側の顔で笑う笑い方をしながら、自分の馬車の前に座っている巨大な空騎獣を指さした。


「俺の騎獣を見てなにか思うところはないのか。まさか全員が理解できぬバカどもばかりではあるまいな」


「………」


 皆が一斉にその騎獣に目を向けた。


 空騎獣は体長四メートルほどで、牛が毛を生やし、翼をつけたような奇妙な魔物であった。

 くすんだ白の毛並みで、翼はたたまれて背に折り重なっている。


 その首元には黒い金属でできた首輪が嵌められている。


 わからなかったらしいゲ=リがあたふたする横で、カルディエが面倒くさそうに小さくため息をついた。


「素晴らしいですこと。『四凶』の窮奇きゅうきですわね」


「ほう」


 アラービスが感心してみせた。


『四凶』とはミザリィ西の樹海【めい】の中にある神の山「十尊山」に棲む、4種の魔物を指している。

 饕餮とうてつ窮奇きゅうき混沌こんとん檮杌とうこつがおり、それぞれがあやかしとして強大な力を持ち、人が「十尊山」に近づくのを許さない。


 十尊山に侵入さえしなければ、四凶は人に害をなすことはないため、魔物でありながらも一部の地域では神の使いとして崇められている。


 それらがいかほどの強さかは知られていない。


 古代の文献によると、吐息ブレスを持たず、もっとも与し易い相手とされる檮杌とうこつとて、討伐ランク【少佐】相応と解釈できる文脈があるという。


【少佐】といえば、それは下位の飛龍ドラゴンに匹敵する強さということであり、言うまでもなく、騎獣として従えるのは非常に難しい。


 アラービスの発言はそれをここで確認せんとするものである。


 しかし、ゲ=リやレイシーヴァ王国の兵士はともかく、フィネスたちの目には敬意は宿らなかった。


 馬車に繋がれた窮奇はその目がくぼむほどに痩せ細った体躯をしており、これが本当に『四凶』かと思うほどに覇気がなかったからである。


 窮奇は先程から一声も発することなく、ただうなだれるようにして座っている。


「噂では四凶は人の言葉を話すとか」


 カルディエが窮奇のやつれた横顔を痛々しそうに見つめながら言った。


「ハッハッハ! 面白いなカルディエ。それはでたらめだぞ」


 アラービスが高笑いした。


「なんなら近づいて話しかけてみるがいい。いい記念になろう。こいつはよく馴らしてあるから攻撃はしてこない」


 そこでフィネスがなにかに気づいて、カルディエに目で知らせる。


「これは……」


「『使役の首輪』ですわね」


 フィネスとカルディエが窮奇を見て、小声で言葉を交わす。

 そう、やせ細っている理由はその首につけられた首輪にあった。


 古代王国期に作られたとされる魔法付与エンチャンテドアイテム「使役の首輪」はよく知られた品で、調教師が自分より強大な魔物を捉える際に使用するものである。


 首を絞め上げ、力を大きく制限するその首輪は、本来は調教が成立するまで一時的な使用に留めるべきものとされている。


 首輪は飲食や発声など、喉を通す行為に激痛をもたらし、身につけ続けることで魔物は衰弱死してしまうためである。


「……これで『よく馴らす』と?」


「これでは話すはずがありませんわね」


 フィネスとカルディエが眉をひそめた。   


「なにか言ったか、カルディエ」


「いえ、ご立派な空騎獣ですこと。オホホホ」


 近づいて肩に手を伸ばしてきたアラービスを巧みに避けながら、カルディエが口に手を当てて笑う。


「騎獣の話はさておき、本当にここで合っているのだろうか。アラービス」


 フユナが話を戻した。


「………」


 呼び捨てにされたアラービスがぴくり、と眉を揺らした。


「なんだこの失礼な女は」


 だがフユナはお構いなしに話を続ける。


「ここで湧いた不死者アンデッドがレイシーヴァ王国に流れ込んでいるという話だったろう? だがこの位置からだと、そこに見えている山を越えてレイシーヴァに流れ込むということになる。不死者アンデッドがこの山を越えられるだろうかと疑問なのだ」


 そこでヘルデンが一歩前に出て、もう一度アラービスに騎士の礼をする。


「勇者アラービス殿、お初にお目にかかる。私はレイシーヴァ王国近衛騎士隊長、ヘルデン・リヴェルディと申す」


 その言葉と同時に、兵士たちが一斉に騎士の礼をした。


「ほう」


 アラービスがその堂の入った挨拶に機嫌を直したのか、目を細めて笑みを浮かべる。


「私も今のフユナ殿のお考えと同調いたすが、アラービス殿はいかがか」


「いかがも何も、その謎は簡単な理由で説明される」


 アラービスがこれ見よがしに口を開いた。


「第一にミザリィが滅ぶ前から、ここは何十年と放置されていた。第二に繋がった道があれば、下等な不死者アンデッドと言えど、移動もする」


 アラービスは何も新鮮味のあることを言っていなかった。


「本当に移動したのだろうか。逆に考えれば、何十年と国境を越えなかったのだぞ。それが今になって急になど」


 フユナが当然のように反論すると、アラービスが侮蔑したような視線をフユナに向ける。


「単に山を越えられる能力を持った連中が出現し始めたというだけだ。愚か者が」


 アラービスはさっきのことを根に持っていた。


「アラービス殿。一応周辺をもう少し調べてみてはいかがか。浄化を始めるのはそれからでも――」


 ヘルデンも口を挟む。

 しかしアラービスは片手を上げ、その言葉を早々に遮った。


「俺をこれだけ待たせておいて何を寝ぼけている。今の今まで待ってやったのも奇跡だと思え。もし今ここで始めないなら、本当に帰るぞ」


「………」


 あまりのことに、皆が絶句していた。


 まるで昨日から待っていたような言い草であったが、アラービスは今日の昼にここでレジーナたちと落ち合う約束をしていた。


 遅れたならわかる話だが、まだ昼には早く、レジーナたちも早く着いたくらいなのである。

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