第94話 勇者登場
小鳥のさえずる声が聞こえ始める。
陽がどんよりとした雲に隠されているのは、いつものこと。
「母さん、朝だよ」
先に起きたゲ=リ先輩が、隣で寝ている母レジーナの肩を揺する。
レジーナは、あん……と艷やかな声を発すると、もう少し……と言ってまた眠ろうとする。
「母さん」
「……ゲ=リくん、だめ……そんなとこ……」
「母さん、ここミザリィだよ」
「………」
レジーナが薄目を開けた。
「そろそろ結界なくなるってさ」
「そ、そうだったわ!」
レジーナが桃色の髪に指を通しながら、慌てて上半身を起こした。
立ち上がって身なりを整える。
「皆さんありがとう。おかげでぐっすり眠れたわ……って、きゃっ!?」
ちょうど兵士に礼を言ったところで、レジーナの結界がふわり、と消え去った。
レジーナはそれに驚いたのではないだろう。
おそらくは、消えた結界のすぐ外に積まれた白い骨の山に、ぎょっとしたのだ。
そう、蠅たちにやられた残骸である。
「……う、うわ、なんだこれ!」
ゲ=リ先輩も気づいて目を見開いた。
ヘルデンや兵士たちも気づき、周囲を警戒しながら訝しげに骨の山に目を凝らす。
「これ……魔物の骨か」
「誰かが倒したのか……」
兵士の一人の言葉が聞こえたらしく、レジーナがはっとする。
「まさかこれ全部、ゲ=リくんが!?」
本人も驚いているんだから、そう訊ねるのはいくら親でもどうかと思った。
しかも、ゲ=リ先輩も割と「うん」といいかけた。
だが度を越していたようで、さすがに首を横にふった。
「ち、違う。さすがに違うよ、母さん」
そこへ、フィネスたちも居並ぶ。
ピョコはわっ、と声を発して尻餅をついた。
「みんな倒されていますね……」
「魔物同士が争ったように見えるな」
「待って……この人型の骨格に牙、
カルディエが骨を手に取りながら言う。
「だとしたら、とんでもない数が来襲しているぞ」
フユナが一層厳しい表情になる。
「でもどうして骨に……」
それから皆はあれこれと推測を重ねている。
さあみんな、考えるのはいいからさっさと移動してくれ。
「レジーナ様、もしかしたらこの場所が異常なのかもしれません。結界のおかげで大丈夫だっただけで」
そうそう、それ!
フィネス、よく言ってくれた!
「確かに。みんな荷物をまとめてすぐに離れましょう!」
手早く荷をまとめた一行は、早々にその場を立ち去り始める。
「皆さん、『魔物除け』を」
「あ、そうだ」
レジーナが付け加えて言うと、皆が思い出したように懐からそれを取り出した。
歩きながら、各自それを身にふりかけている。
ゲ=リ先輩もまた振りかけようと、丸の中に「寄せ」と書いた袋を取り出した。
あまりに予想通りの行動で逆に驚きながらも、僕は全力で駆け抜けて、ゲ=リ先輩の手から粉袋を叩き落とした。
「――おわっ!?」
ゲ=リ先輩がぎょっとして、足元に落ちたそれを見る。
「……待ってゲ=リくん。これ、『魔物寄せ』じゃないの?」
落ちた袋を拾ったレジーナが気づいてくれた。
よし。
よかった、一回で済んで。
気づいてくれるまで往復する覚悟だったからな。
「知ってるよ母さん」
「………」
しかし、ゲ=リ先輩は想定外の答えを発した。
「ゲ=リくん、それをかけようとしたんじゃないの」
「嫌だなあ。さすがにそんなことはしないよ。みんなを危険に曝しちゃうじゃないか」
アハハ、と笑うゲ=リ先輩。
その晒してなかったような言い方よ。
笑いながら、ゲ=リ先輩は正しい方らしい粉袋を取り出し直した。
丸の中に除けと書いてある。
「そうよね。疑ってごめんね、ゲ=リくん。お母さんがかけてあげるね」
ほっ。
よし、本当にこれで一件落着だ。
◇◇◇
「なんだろう。今日は全然出遭わないな」
「湿地に近づいて、雰囲気は悪くなった気がしますけどね」
「あの森が魔物の密集地だったんですわ」
『ユラル亜流剣術』の三人がそんなことを呟いている。
もちろん彼女たちは、原因が別にあったことを知る由もない。
そんな三人の後ろでは。
「ゲ=リくん、嬉しそうね」
レジーナが目を細めて、隣の息子を見る。
「ドキドキが止まらないよ……だって勇者様だよ。魔王を倒したアラービス様が目の前に来るんだ」
ゲ=リは出発してからずっと、喜々としていた。
ゲ=リは実は『必携! 歴代勇者図鑑』を常に手元に置く、勇者ファンであった。
なかでもお気に入りは歴代最強の呼び声高い、当代勇者アラービス。
そんなゲ=リの毎晩の日課はこうである。
自宅に吟遊詩人を呼び、『獅子奮迅の勇者』の詩を聞く。
詩人が帰った後は、木刀|(注:軽いもの)を持って勇者の真似事をしながら家の中を飛び回る。
それをレジーナが「ゲ=リくんかっこいい~!」と拍手するというものである。
言うまでもなく、ゲ=リが剣にこだわるのも、最強の勇者アラービスに憧れてのことであった。
「湿地が見えました。あれでしょうな」
数歩先を先行してくれているヘルデンが丘の上から森の中を指差す。
湿地は森林の中にあり、半径30メートルもない、歪んだ円の形をしていた。
正常な森林との境界は見た目にもはっきりしている。
湿地から生える木々は、幹が不可思議に折れ曲がり、背の低い異形の木と化しているからである。
「あそこなのか。レイシーヴァ王国までは山一つあるじゃないか」
フユナがうーん、と考え込んでいる。
アリザベール湿地から湧く
しかし、あの場から湧いた
一般的に
それがなぜかは明らかではないが、点在諸村アルドニアが長年無事であることがその証拠である。
それゆえ、フユナにはこの位置関係が信じられなかったのである。
「確かに。私も見るのは初めてだが、随分と距離があるな。本当にあそこから我が国に来ているのか」
ヘルデンがフユナに同調すると、連れられた兵士たちもざわついた。
「……あ、アラービス様がもういらしてますね」
そこでカルディエが眼下を指さした。
言う通り、湿地の手前側に灰色の箱形をした荷馬車みたいなものが見え隠れしていた。
荷馬車の前には、白っぽい空騎獣らしき魔物が繋がれているのも見える。
屋形部分と同じくらいの大きさに見えるので、相当巨大な魔物であることが誰の目にも一目瞭然であった。
「――勇者様だ!」
「待ってゲ=リくん!」
レジーナにぐっと掴まれる。
「か、母さん」
「……気持ちはわかるけど」
丘を一気に駆け下りようとしたゲ=リをレジーナがたしなめ、皆が周囲を警戒しながら進む。
◇◇◇
「俺が歴代最強と名高い勇者アラービスだ」
自分でそう名乗った男の背丈は180cmほどと高く、オールバックにした茶色のロングヘアーを肩におろしている。
色白の肌に無精髭を生やし、眉はその心の繊細さを表すように細く、神経質そうにうねっている。
目に飛び込んでくる真っ白な鎧は、さぞ高価であろうと思われる
無駄なまでにあしらいが多いのである。
例えば肩当て部分には角をイメージした繊細な作りの突起がついている。
首周りには赤い毛皮が縫い込まれており、高級感を漂わせるものの、機能的には大きな意味をなしていない。
胸から腹にかけては、ちょうど鬼のような顔に見えるように朱で紋が彫られている。
アラービスはその後ろに3人のボディーガードらしい強健そうな重鎧の男を引き連れていた。
馬車の屋形には身辺の世話をするらしい女性が2人乗っているのが見える。
距離をおいた位置から、皆が深く頭を下げ、無言で畏まる。
相手は様々な噂はあれど、この世界を救ってみせた勇者なのである。
「はじめまして、伍長ゲ=リと申します!」
一番乗りで近づいたのは、興奮したままのゲ=リだった。
「獅子奮迅の活躍をされたアラービス様を尊敬しています。どうか握手をお願いします、一度でいいので!」
そう言ってゲ=リが緊張した表情で両手を差し出した。
しかし。
「俺は伍長などとは握手はせん。なんでこんな奴がここにいる?」
アラービスがゲ=リの顔を親指で指差し、鼻で笑った。
ゲ=リの顔が一気に引きつる。
間もなく、アラービスのボディーガードのひとりが割り込み、ゲ=リを手で突き飛ばすようにして押し退けた。
「………」
フィネスたちの顔が曇る。
ヘルデンも眉をひそめ、アラービスに挨拶をするのをとどまった。
「初めましてですね、アラービス様。ゲ=リは私の息子なんですが」
レジーナが駆け寄り、ゲ=リの背を支えて苦笑いする。
「ほう、お前が『大地の聖女』レジーナか。あぁ、ということは」
アラービスがゲ=リを見下ろして嫌味な顔をした。
「こいつが溺愛されている息子ってわけか」
「息子はあなたを敬愛しているので、もう少しまともな会話を頂きたかったところなんですが」
「なら詫びの代わりだ。もう帰っていいか」
アラービスが肩をすくめてみせた。
「アラービス様……」
レジーナが言葉に詰まる。
アラービスという男は、基本の思想に男尊女卑がある。
それは勇者が男であり、聖女が女だからということに基づいている。
世界を救うのは男であり、その手伝いをするのが女。
だから女は男に逆らってはならない。
ちなみに結語としては、勇者たる自分は男の中で一番偉いので、男女誰一人として自分に逆らってはならない、となる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます