第93話 湿地への道4

 


 結界の中では、今や偉大な存在となったピョコを囲んで皆が楽しそうに談笑している。


「ふぅ……」


 結界の外にいる僕は、血濡れた剣の切っ先を布で拭う。

 これで82体目。


 夜になって活発になった魔物たちが、ゲ=リ先輩についた「魔物寄せ」を嗅ぎとってやってきているのだ。


 こういったにおいは、レベル3結界では遮断できない。


 そのため、当初はひたすら〈妖魔退散〉を使って追っ払っていた。


 しかし屍喰死体グールたちは【魔物寄せ】が相当に嬉しいらしく、一旦は去るものの、見事なUターンを決めて戻ってくる。


 このままでは、いつかやってくる結界の張り替えのタイミングで一行が襲われるため、倒すことにした。


 僕の結界を外張りする手もあるが、万が一、朝までこいつらが居残った場合、少々危険になるのでそれはやめた。


 そういうわけで今倒しているわけだが、一向に数が減らない。

 夜になって活動的になったのもあり、いい加減キリがない。


 すでに吸血鬼ヴァンパイアたちまでもがここを嗅ぎつけ、混ざってしまっている状況だ。


「しかたない、やるか……」


 このままでは血のにおいで、僕の行為自体が「魔物寄せ」となりかねない。

 幸い、まだ中の人たちには気づかれていないので、いろいろ手段は残っている。


「【幽々たる結界】」


 レジーナの結界に重ねるようにして、俺の結界を張る。

 その理由は簡単。


 レジーナの結界では、これからやることに耐えられないからだ。


 左肩に石板をつけ、呼び出す。


「Με την κλήτευση μου, ο βασιλιάς των μυγών……」


 悪魔言語ならば四十秒近くかかる詠唱を10秒くらいで呼ぶことができる。


 僕の詠唱に従い、やって来たのは。


「――アァァォォオ!」


 石板に現れた、蠅の顔。

 そう、気高き蠅の王バアル・ゼブブである。


 気高き蠅の王バアル・ゼブブは魔神が集まるソロモン72柱ではなく、『七つの大罪』というさらに上位に属する大悪魔の一種だ。


 昨年の夏休みに僕は、 イザヴェル連合王国の高難度ダンジョン『巨大蟻の巣穴』に入った。

 そこで気高き蠅の王バアル・ゼブブを何度も使役してみて、その力の恐ろしさを知った。


 やはり、魔王に放り込まれたあの果てしない回廊で、最後に登場してきただけはある。


 しかしそれだけ頼もしくても、喚び出しを躊躇させる問題がひとつあった。


 気高き蠅の王バアル・ゼブブは常に狂気バーサーク状態にあり、命令が入らないことがあるのだ。


 悪魔言語を取得してからはまだ使役できるようにはなった気がするのだが、博識なる呪殺者グラシャ・ラボラス煉獄の巫女アシュタルテと比べると、格段に使役が難しい。


「Ευγενή βασιλιά, χρησιμοποίησε το φυλλάδιο σου για να φας όλη τη σάρκα」


 僕は命じる。


 おぞましい羽音を立てて、蠅たちが亡骸に群がった。

 幸い、今回の命令は一度で通ったようだ。


 数分と経たぬうちに蠅たちがすべての亡骸を骨だけにしてくれたのを見届けて、僕は木の上に登って様子を眺める。


 しばらく気高き蠅の王バアル・ゼブブを出現させておき、やってくる不死者アンデッドたちを次々と食らってもらうのだ。


 蠅たちは血肉を喰らい、残すのはまさに骨のみ。

 こんなこと思ってもみなかったが、消臭効果としては異次元レベルだ。


「さて」


 僕は結界の中を眺めた。

 皆が談笑している。


 問題のゲ=リ先輩はオムツのまま、体育座りをしているのが見える。


 身体に振りかける「魔物寄せ」、「魔物避け」はその量にもよるが、効果時間が1時間、長くても1時間半。

 これだけ続くとなると、ゲ=リ先輩は繰り返し間違って使用しているということになる。


「いや、そろそろだろう」


 結界に覆われたので、そろそろ振りかけること自体がなくなると踏んでいる。

 予想通り、30分と経たぬうちに魔物の数が減ってきた気がした。


「よし」


 長かったゲ=リ先輩の魔物寄せ問題は、やっと決着を見たようだ。

 明日の朝、また使われないようにしないと。




 ◇◇◇




「見張り、ありがとうございます」


 フィネスたちが礼を言うと、兵士たちは気恥ずかしそうに笑った。


『ユラル亜流剣術』の三人は結界の中で見張りに立ってくれている兵士たちに挨拶をして回っていた。


 当初、三人は率先して見張りに立とうとしたが、明日以降の実践に備えてほしいとヘルデンに重ねて言われ、ありがたくそれに従っているのである。


「いやぁ結界があるおかげで、こんな気楽な見張りはないですよ」


「本当ですね」


 フィネスたちが笑みを浮かべる。


「いつもこうだったらいいんだけどなぁ」


 そりゃ贅沢ってもんだろ、と別な兵士がツッコミを入れ、フィネスたちがクスクスと笑う。

 そうやって場所を変えて談笑しながら、次の兵士のところへ向かう折。

 

「……先ほど、ちらりと聞いてみたのですが」

 

 誰にも聞こえない位置になったところで、カルディエがフィネスに小声で囁いた。

 

「はい」

 

「レジーナ様は第二相でやめる気がないようでしたわ」

 

 フィネスの脚が止まった。


「そうでしたか」

 

 フィネスがさらりとした黒髪を後ろに払うと、ふいに厳しい表情になる。

 

「なぜだろう。普通は迷うと思うのだが」

 

 フユナが腕を組み、顎に手を当てて思案する。


「想像するに、レジーナ様はアラービス様に絶対の信頼を置いているのかもしれませんわ」


「もしくは何かに後押しされているか、ですか」


 フィネスが呟くように言う。

 

「後押し、か……」


 三人が、向き合いながら思案する。

 

「……明日、第二相が終わった時点で相談してみましょう」


 フィネスが王族護衛特殊兵ロイヤルガードの二人に言う。

 

【第一相浄化】、【第二相浄化】、【第三相浄化】の間には、レジーナの魔力を回復させるために必ず休憩を挟むのである。


「そうだな」

 

「そうですわね」

 

 考えのまとまった三人はいつもの表情に戻ると、そのまま歩を進め、見張りについている髭男の元に来た。

 隊長自ら、見張りについているのである。


「こんなに何もしなくていいとは、逆に不安になりますな」


 三人がヘルデンに見張りの感謝を伝えると、ヘルデンは顎髭をさすりながらその顔に微笑を浮かべる。

 

「私たちもレジーナ様の結界は初めてです」


吸血鬼ヴァンパイアまでも遮るとは、かつてないですわ」

 

「仰る通り、家で眠るよりも安心かもしれぬな」

 

 ヘルデンの言葉に隣にいた兵士がそうですね、と相づちを打った。

 

 宮廷付きの司祭の数が少ないこともあり、 彼らレイシーヴァ王国兵士は普段、結界をたてることなく野営をする。


 アイテムで野営結界を建てられるものがあるが、 巨大熊グリズリーなどの【軍曹】ランクに属する魔物を防ぐのがいいところで、それ以上となるとたやすく破壊されてしまうため、根本的に防ぎたい魔物を防げないということもあった。


 さらに「アイテム野営結界」は金貨二枚と高価である。

 重要な人物を護衛するなど、よほどの事情がない限りは使わないのが普通であった。


「フローレンス王女はお変わりありませんか」


 話が弾んできたところで、フィネスがヘルデンに訊ねる。

 気安く声をかけ合う間柄でわかるように、二人は10年以上前から面識があった。


 リラシス王国とレイシーヴァ王国は同盟成立から十数年が経過しているのである。


「日々気丈に振る舞っておられます。借金だらけの我が国を年端も行かぬ王女様に背負っていただくなど、不憫でなりませんが」


 ヘルデンが言葉の通り、厳しい表情に変わっていた。


 二年前に王が病で床に伏した後は、セントイーリカ市国がバックアップし、十五にも満たない王女が国政を仕切ることとなった。


 が、積もり積もった負債は一向に返済の目処が立っていない。

 もしミザリィの次に亡国になる国があるとすれば、100人のうち99人がレイシーヴァ王国の名を上げるほどである。


「……そうだ。剣姫殿、つかぬことを伺いますが」


 ヘルデンが思い出したような顔をする。


「リラシスの冒険者には、一騎当千のような強者はおりませんかな」


「一騎当千……ですか?」


 フィネスが流れるような黒髪を揺らして、首を傾げた。


「我が国で一時的に借り受けるだけで結構なのだが」


 ヘルデンは真剣な表情で続けた。


「どういった理由でしょう」


「国の事情でしてな。我らが姫も強くご所望されている」


「ふむ……」

 

 フィネスたちが顔を見合わせ、思案し始める。

 彼女たちはまだ学生であり、現場に出ている冒険者たちとはそれほど面識がなかった。


 しかし、その直後。

 

「いや失礼、今のは聞かなかったことにしていただこう。考えてみれば貴国から引き抜こうなど、実に失礼極まりない話」


 ヘルデンが両足を揃え、深く頭を垂れた。

 すぐにフィネスがそんなヘルデンの頭を上げさせる。


「招聘を受ける者が自由に判断すべきことです。それに我らは同盟国。我が国の者がレイシーヴァ王国に発とうと、なんら問題ありません」


「いや本当に失礼。つい口が滑ってしまった」


 それでもヘルデンはもう一度失礼を詫びると、周囲の警戒に戻った。


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