第86話 学年末実技試験10
サクヤンの言った通り、今日はあまり
昨日10回以上エンカウントしたコボルドとは、一度も遭っていない。
「コボルドが全然いないわ」
「つまり、それだけあいつらは鼻が利くってことだろうね」
「なるほど」
サクヤの言葉に、周りの生徒たちが頷く。
『コンドルズ・アイ』に向かうスシャーナたちは、いつの間にか先頭になっている。
いや、まわりが自然と下がっていったという方が正しい。
サクヤがあれこれと知識で安全を示してくれることに気づいて、その後ろに付き従うのが賢明と知ったのだ。
「すげぇなあいつ」
「言ってること全部当たるらしいぞ」
スシャーナは、くすっと笑う。
(そうでしょうよ。だってサクヤンだもの)
他の学園の一年生らしい生徒が後ろで呟いているのを、スシャーナは鼻を高くして聞いていた。
でも褒められても、サクヤンは『現場に出れば誰でも知っている知識だよ』と言うだけで、自慢げにする様子は欠片もなかった。
(はぁ……いよいよ山って感じになってきた)
足が棒のようになってきた。
魔物が出ない分、代わりに辛く感じていることといえば、それは坂道が少々きつくなったことだった。
しかし、悪いことばかりでもなかった。
時折、森を抜けて眼下を見下ろせる風景を目にすることができたのだ。
高地から見るそれは死の国ミザリィでもこれほどを目にできるのかと驚くほどに綺麗なものだった。
「そっちの道に見える、あの禿げ上がったエリアは身を隠せないから、遠回りした方がいい」
「ありがとうサクヤくん」
「怪我すんなよー」
「そっちも気をつけて」
そうやっていくつかの分岐を越え、一緒に行動する徒歩組の生徒たちはすでに五分の一くらいに減っていた。
すぐ後ろをついてくるのは、無言のポエロのパーティだった。
もちろん、騎獣には乗っていない。
女の上級生が、全てがどうでもよさそうな表情で付き添っている。
なお、ポエロのすぐ後ろを歩くバヤは、左のまぶたを蚊に刺されていた。
目が見えないほどにぼっこりと腫れているのが痛々しく、さっきからスシャーナの目についている。
「なんでついてくるのよ」
「道が同じだけだ」
ポエロもスシャーナ同様に息が上がっており、この坂道が辛いようだった。
当然と言えば当然。
スシャーナとポエロはなんだかんだ言っても、同じ環境で育ってきた似た者同士なのである。
「じゃあ前みたいに、騎獣でさっさと先に行けばいいじゃない」
「うるせぇ」
ポエロたちは昨日と比べて勢いがなく、めっきり口数も少なくなっていた。
相当怖い思いをしたらしいと噂になっていたが、スシャーナも同じように感じていた。
そんなポエロはスシャーナから視線を外し、その隣の人物を見る。
「ゴッド、この木の枝は燃えるのか」
ポエロがサクヤの横に並び、拾った木を見せながら訊ねた。
サクヤはそれを手に取り、さっと見て匂いをかぐ。
「これはだめだ。漢桜と言って燻しに使う。これがいいよ。ていうかその呼び方やめてくれ」
「ありがとう、ゴッド」
枯れ枝を受け取ると、再びサクヤの後ろに下がっていく。
「………」
夢でも見ているのだろうか、とスシャーナは眉をひそめた。
あのポエロが人に物を訊ねるとか、素直にありがとうと言うとか、信じられない。
ていうか、ゴッドってなに?
神?
「バヤ、この葉を腫れた目に当てておくといい」
そう言ってサクヤはバヤに一枚の葉を取り出して渡す。
「これ、なんだ」
「当ててみればわかるよ」
「もしいたずらだったら承知しない……あだっ!」
バヤが後頭部を押さえて、悲鳴を上げた。
なんとポエロが後ろからバヤの頭を小突いたのである。
「ゴッドが言ってる。信じて当ててみろよ」
バヤはチッ、と舌打ちすると、おずおずとその目に葉を当てた。
するとどうだろう。
たった数分で、目の腫れが吸われたように軽減していた。
「――う、うわ、すげぇ!」
もちろんバヤも驚愕していた。
「本当はヒルを使うのが一番いいんだけどね」
サクヤがスシャーナにだけ聞こえるように、そっと呟いた。
「ゴッド、これ、ずっと当てておけばいいのか」
ポエロが訊ねた。
「2時間ぐらい経って、葉から水が滴るようになったら捨てていい。あと、僕はサクヤだ」
「治るのか」
「完治はしないが、半分以下にはなるよ。痛みも減る」
それを聞いたバヤがたまらず笑みを浮かべて、言う。
「ありがとう、ゴッド」
◇◇◇
辺りはゆっくりと暗くなりつつある。
森が途切れ、視界が開けたところで、サクヤが指をさす。
「あそこに見えているの、わかる?」
「はい」
「あの背の高い木の左を通る道でいけば、近いはずだ。時間も時間だけど、野営するよりちょっと急いで村に入った方がいいと思う」
「ありがとう、サクヤ」
「ありがとう」
他の学園の生徒たちが繰り返しサクヤに感謝の意を示しながら去っていく。
ここで他の学園の生徒は去り、スシャーナのパーティとポエロたちしかいなくなった。
「そういうこと……なのね」
ここに来て初めて、ポエロたちは同じ村を当てられていることにスシャーナは気づく。
一気に気が重くなったスシャーナは雲が失くなりつつある空を仰いで、額に手を当てる。
「ポエロはそう悪い奴じゃないよ」
そう言って隣で微笑むのはサクヤである。
「サクヤンは知らないだけよ。あいつ、ホント意地悪な奴なんだから」
「今はそうでもないさ」
「違うわ。サクヤンが大人すぎるのよ」
そう言ってスシャーナはため息をついた。
「ところで、あたしたちは野営したほうがいいかしら」
「そうだね。あの吊橋を夜に渡るのはちょっと気持ち悪いね」
サクヤが視線の先に見えている、谷にかかる吊橋を指さした。
あそこで魔物に襲われると逃げ場がないのは、スシャーナにもわかっていた。
しかも吊り橋まではあと30分少々、灯りなしで渡るには少々心もとない時間になる。
「もう少し進もうか、スシャーナ。ここよりもっといい場所があるかも」
「うん」
そうやって平野部を歩き続けると、本当にもっといい場所があった。
まもなくして庭園のような場所に出たのである。
まるで人の手が加わっているかのように、背の低い植物が並んで植生し、色とりどりの花を咲かせていた。
「あ、もしかしてこれ……」
スシャーナがそのうちの、紫の花をつけた野草を手に取って匂いをかいだ。
「みんな、見て」
「ん?」
サクヤは今、気づいたようだった。
みんながおでこを寄せるようにして、スシャーナの手の野草を眺める。
「これ、マチコ先生の授業で習ったわ」
スシャーナが嬉しそうに言う。
「なるほど、そういうことか。さすがスシャーナ」
サクヤがスシャーナに微笑んだ。
「やったー」
ウィンクしたスシャーナは、サクヤとハイタッチする。
「………」
ゲ=リは腕を組み、その様子を眺めながらニヤけている。
「ごめんなさいっ、自分、わかりませんっ! どういうことなんですか」
ピョコがついてこれずにタレ目になっている。
「これ、『魔除け草』よ」
スシャーナは得意げに笑ってみせた。
魔除け草は言葉通り、魔物が嫌がるにおい成分を分泌するため、すり潰されたエキスは「魔物除け」として重宝される。
ここは魔除け草が点在するように咲いているため、魔物が近づきづらいエリアになっているのである。
もちろん『魔除け草』の効果を無視できる魔物も存在するため、全てを排除できるような万能の品ではないが、目の悪い下級の
「マジか!」
「よっしゃあ」
「今日は寝れるぞ!」
「……あ」
歓喜のあまり、ポエロともついハイタッチしてしまい、スシャーナはひどくバツが悪い思いをした。
◇◇◇
いつもケンカしかしないクラスメイトと一緒に並んで食事をし、火は最小限に済ませ、
スシャーナは信じられなかった。
ポエロとの間にサクヤが挟まるだけで、こんなにも違う時間が流れるということに。
バヤもボヤも、いつからかサクヤをゴッドと呼び、言うことを素直にきくようになっている。
「今日も早めに休むのね」
「そうだね」
スシャーナとサクヤは頷き合う。
人数がいたので、夜は二人ずつ交代で見張りをすることにした。
「じゃあ先に休むね」
「はいっ、おやすみなさいっ!」
この日は昨日とはうってかわった静かな夜になった。
魔除け草の効果もあったのだろうが、みんながサクヤの言う通りに従って協調したことが大きかった、とスシャーナは思う。
◇◇◇
肩を揺すられて、スシャーナは目覚めた。
辺りはまだ暗い。
「……あ、もう交代の時間?」
「うん。魔物は来てないよ。たぶん朝まで大丈夫だろう」
サクヤがスシャーナの隣で自分の寝床を整えながら言った。
ポエロたちの付き添いの上級生が、大いびきをかいて寝ていた。
ありがとう、あとは任せて、と言いながらスシャーナは起き上がり、天幕から出る。
「ふあぁー……っていうかなんであんたなのよ」
「うるせー」
朝方の見張り役になったのは、スシャーナとポエロだった。
仲良くやれよ、と言い残し、サクヤが天幕の下で横になる。
ついてない日なんだわ、と自分を無理やり納得させると、スシャーナは水を取り出して身なりを整え、厚蓬の葉をかけた火の前に女の子座りをする。
ポエロとは体二つ分、間をあけていた。
ポエロはそんなスシャーナを意に介する様子もなく、パチパチと小さな音をたてる焚き火を、ただひたすら見つめている。
「………」
「………」
「……ポエロ」
「なんだよ」
「なんか言いなさいよ」
「お前と話すことなんかねーよ」
いつもの雰囲気でやり取りが始まる。
しかしポエロには、やはり勢いがなかった。
「そう言えば、あんた坐皇はどうしたの」
「魔物にやられた」
「……はぁ!?」
スシャーナが大きな声を上げてしまい、慌てて口を押さえた。
「……やられたってあんた、あんな高価なものを」
「進んだ先の森で
「馬鹿じゃないの。だから言ったじゃない」
「うるせー」
相変わらずポエロはスシャーナに顔を向けず、ただ焚き火を眺め続けている。
「まぁ高い授業料だったけど、命があるうちに気づいたのはよかったんじゃない」
「………」
「自信持っていいわよ。あんた、
「………」
得意げに辛辣な言葉を吐いて笑ってみせるスシャーナ。
同時に、膝を抱えるポエロの両手にぎゅっ、と力がこもる。
ちらり、とスシャーナは、何も言わない同級生の横顔を見た。
ポエロはなにかを堪えるような顔をしている。
「………」
さらに口を開こうとして、スシャーナはやめる。
ポエロの様子がなにか痛々しく感じられたのだ。
ポエロはいつも、1を言うと常に10を返してくるような男子だった。
だからポエロを見れば、スシャーナはイライラしかしない。
それがあまりに強くて、それ以外の感情が隠れてしまうほどなのである。
だが、そんなスシャーナですらも今日は口をつぐみ、これ以上畳み掛けるのはやめよう、と思う。
それくらい、今のポエロは弱々しく萎れていた。
「そう言えばさ、ポエロ」
スシャーナは話を変えることにした。
「どうしてあんたたち、急にサクヤンに従順になったのよ。ゴッドとか変な名前で呼ぶし」
「………」
ポエロは相変わらず、口を閉ざしている。
そのまま、ただ焚き火がパチパチと音をたてるだけの時間が1分近く続いた。
ふと、ポエロはおもむろに後ろを振り返った。
どうやら後ろでサクヤが寝ていることを確認したようだった。
「……あいつ、すげーよ」
ポエロは小声で呟いた。
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