第62話 連合学園祭17

 


「……Προσαρμογή του τύπου μετατροπής στο όνομά μου」


 謎の詠唱を終えた少年が、カルディエを見て小さく笑った。


「……い、いったい何をしたんですの!?」


 裏返った声で叫びながら、カルディエは気づく。

 自分が今までにないほどに取り乱していることに。


 カルディエは第六位階までの古代語魔法なら、詠唱の序盤を暗記している。

 それを耳にすれば体が勝手に動き、臨機応変に対応できるほどの訓練を積んでいる。


 しかし先程の少年の詠唱は、まるで理解できなかった。


 誓っていい。

 今の言語は下位古代語ロー・エンシェントではない。

 音の並びからして、おそらく上位古代語ハイ・エンシェントでもない。


 十中八九、全く別系統の言語だ。

 発音自体が全く違ったのである。


(しかも……)


 思い出すだけで、全身に冷たい汗が出てくる。


 途中から発せられた、あの女の声は何だったのだ。


 ……まさか……まさかさっきの……。


「……カルディエ? どうかしたのですか」


 恐怖のどん底にいるカルディエに、温度差のある声がかけられる。


 フユナとフィネスは、先程の大歓声がよもや少年がダウンから立ち上がったものだとは思わなかった。

 てっきり、この『バトル・アトランダム』が終わったものと確信していたのである。


 そんな二人に向けられたのは、蒼白なカルディエの顔。


「……え……?」


「まさか、まだ終わっていないのですか?」


 二人がはっとさせられる。


「さ、サクヤ!?」


 フユナが慌てて少年へと視線を向ける。

 少年もフユナを見ており、その視線が絡み合った。


「す、済まないサクヤ、私はもう――」


 フユナは座り込んだまま、涙声で言った。

 だが少年はそれを最後まで聞かず、視線をカルディエに戻す。


「悪い知らせだ」


「……な、なんですの」


「優勝は譲れなくなった」


「…………」


 カルディエが何も言えず、じり、と後ずさった。

 少年が、代わりに一歩詰め寄る。


「どうだ? 俺はまだ簡単に倒せそうか?」


 少年が先程のカルディエの言葉を借りると、少年らしくなく落ち着いた様子で、ゆらりと木刀を構える。


「………!」


 カルディエは背筋がぞわりとした。


 先程までとはまるで違う、磨き抜かれた構え。


 それに鬼気とした迫力を感じたのもある。

 だがもうひとつ、見逃したくてもできぬことがあった。


 少年を取り巻く、身の毛もよだつほどの禍々しい気配。

 この闘技場に決して似つかわしくない、死の香り。


 ――あの女が憑いている。


「ひっ……!」


 カルディエがさらに一歩、二歩と下がる。


 手が信じられないほどにがたがたと震え、木刀を落としそうになる。


 そんな内臓が締めつけられるような恐怖の中で、カルディエははたと我に返った。


(――ば、馬鹿。何を怯えているの、わたくしは)


 わたくしは栄光ある『神の聖騎士ディヴァインナイト』。

 自分は見るだけで他者を【評価】できる。


 この目の前の少年は『常識外』。

 ゴブリンよりも下なのである。


 なぜ、そんな存在に自分のような『ユラル亜流剣術』の継承者が臆さねばならぬ。


 カルディエは後ずさりかけた脚を止め、女の気合いで笑って見せた。


「……こ、このわたくしと戦うつもりですの」


 しかし震える声はどうしようもなかった。


「だとしたら?」


「あら」


 カルディエは品に溢れた笑みを浮かべ直してみせた。


 戦いにおいては、気持ちの余裕こそが勝敗を左右する。

 彼女は重ねられた戦いで、それを身をもって知っていた。


 余裕のない今こそ、そうしなければならない。


(この少年は『常識外』……)


 カルディエは恐怖を押し込め、じっと目を凝らす。

 よくよく見れば、この少年に憑いているように見えた女はいない。


 見えていないのだ。


(そうだわ)


 そういえばさっき、何度殴り倒しても、そんなものは現れなかったではないか。


 最初からいないのだ。

 今感じているこの恐怖は、ただの幻惑。


(……なるほど、はめられるところでしたわ)


 自分の幻惑という言葉に妙に納得がいった。


 これは先程の謎の詠唱のせいかもしれない。

 あれは〈恐慌状態フィアー〉の魔法だったのだ。


 言われてみれば、あの詠唱に似ていなくもない気がしてきた。


(わたくしとしたことが、すっかり動揺していましたわ)


 幽霊の正体見たり、枯れ尾花。

 もはや恐れるものはなにもない。


 〈恐慌状態フィアー〉は古代語魔法第四位階に存在する魔法で、効果範囲にいる敵に恐怖を与え、錯乱状態にする魔法である。


 敵の数が多い時に、〈眠りの闇雲スリープクラウド〉と併用するようにして用いられる効果の高い魔法であり、魔術師の存在価値を知らしめる魔法と言えるだろう。


 もしカルディエが思い込んだ通りなら、目の前の少年は剣士ではなく魔術師ということになってしまうのだが、カルディエの余裕を失った頭では、それ以上の思考は働かなかった。


(『常識外』……『常識外』なの)


 カルディエはまじないのようにひたすら繰り返し、心の中で言い聞かせる。


 なにも恐れることはない。

 相手はゴブリン以下。


 カルディエは強張りそうになる顔に笑みを浮かべながら、構えた。


「一応言っておきますわ、少年。こう見えても、わたくしは赤髪のカルディエ。『ユラル亜流剣術』の第二の継承者。『常識外』の少年がわたくしに敵うはずがなくてよ」


「……『常識外』?」


 少年は眉をひそめた。


「少年の【評価】の結果ですわ。わたくし、見るだけでおおよその強さを把握できますの」


 そう言って、カルディエは【聖者の評価セイクリッドアイ】の能力を説明してみせた。


 少年が口元だけで、小さく笑った。

 そして、左手で静かに片合掌する。


「あら、なにか可笑しく……」


 次の瞬間。


 少年の姿がかき消える。


「――!?」


 カルディエが目を見開いた。


 一気に眼前に迫る気配。

 押し込めたはずの恐怖が再燃し、心臓がどくん、と跳ね上がる。


「――上段っ!?」


 それでもカルディエはなんとか木刀を構え、受けに回ろうとする。


 両手の震え。

 が、来るだろう衝撃に耐えんと、体を固くして歯を食いしばる。


 しかし。


「………」


 衝撃はいくら待っても来ない。

 目を見開いて、あたりを見る。


「……えっ……?」


 少年はいた。

 一歩も動いていなかった。


「ど、どういうこと!?」


 カルディエの思考が停止する。

 次の瞬間。


「――終わりだ」


 なんと声は、カルディエの背後から聞こえてきた。

 ぎょっとしたカルディエが、赤髪を揺らして振り向く。


 少年が背後に立っていた。


「……カルディエの背後を!」


「さ、サクヤお前!?」


 フィネスは息を呑み、フユナは驚愕した声を発する。


「……な……」


 カルディエの頭は真っ白になっていく。


 な、なに……なんなんですの? 

 今一歩も動かず立っていたのに……どうして後ろに……。


「――『常識外』ってのは褒め言葉なんだな。ありがとう」


「……え?」


 少年がわかりやすい動きで、木刀を横薙ぎで振り抜いてくる。


「くっ!?」


 カルディエはそれを悟り、木刀を持ち上げて自分との間に挟み込む。


 これはなんとか、受け止めることができる、と思った。

 受けさせる一撃なのだ、とまでは思い至らなかった。


 ――カァァン。


「きゃっ!?」


 カルディエが宙に打ち上げられていた。

 あの『ユラル源流剣術』すらもかくやというほどの、剛剣であった。


「ど、どうして――!?」


 カルディエの頭の中はもはや、どうしてだらけだった。


 さっきから、絶対におかしい。

 世界の法則が変わってしまったのかと思うほどに。


 なぜこんな小柄な無名の剣士が、これほどの剛剣を?


 いや、どうやってさっき立っていた場所から自分の背後に瞬間移動した?

 いや、そもそもどうしてこんなにも、この少年は強い?


 これのどこが『常識外』?


 ゴブリンよりも弱いはずが――。

 自分の【聖者の評価セイクリッドアイ】が間違っていたことなど、かつて一度たりとも――。


「………」


 そこで、ふいに少年のさっきの言葉が、耳に蘇る。


 ――『常識外』ってのは褒め言葉なんだな――。


 そこでカルディエがはっと息を呑んだ。


 ――まさか。


「………」


 頭に浮かんだ自分の途方もない考えに、言葉が出ない。


 ――まさか、まさか。


 いや、あり得ない。

 そんなこと、絶対にあり得ない。


 ――あの【破滅】水龍エヴァキオンよりも、この少年の方が強いだなんて――!


 そこでふいに、舞い上がっていた体が落下に転じた。


(ま、まずいですわ)


 カルディエは舌打ちした。

 もう数年、こんな打ち上げられ方をしていないので、体の反応がわずかに遅れたのだ。


 この落ち方は、頭から落ちる。


(――くっ)


 カルディエは目を閉じ、歯を食いしばった。


 しかし、やってきたのは。


 ふわり。


「……え?」


 予想もしなかった、優しい衝撃に瞬きする。


「ごめん。あんた軽いから思ったより上がっちまった」


 すぐそばから少年の声が聞こえた。


「………」


 カルディエが瞬きする。

 なんと自分は、少年の腕の中で横抱きにされていた。


「………」


 異性の顔が、目の前にある。

 素脚を、太もものところで異性に触れられている。


「――ち、ちょっと!」


 そうと理解したとたん、カルディエの胸が早鐘のように打ち始める。


「ん?」


「――ちょ、ちょっと待ってくださる!? わ、わたくし、いろいろと準備が――きゃっ」


 そう言って慌てて立とうとするが、脚が言うことを聞かず、倒れ込む。


「大丈夫か」


 それをまた、少年に抱きとめられる。

 二の腕を支えてくれている少年の両手が、思ったよりも大きくて温かい。


「………!」


 カルディエは、顔が熱いほどに真っ赤になっている自分に気づく。


 フィネスをさんざんからかっている手前、男性経験があるかのごとく振る舞うこともあったが、実はカルディエも剣に打ち込んできただけあって、そんなものはないのである。


 だが少年はカルディエの抗議の意味がわからなかったようだった。


「ともかく、武器がないから終わりでいいよな」


 少年はカルディエを地に優しく座らせながら呟いた。


「……え?」


 カルディエは右手でまだ握りしめている木刀に目をやる。


「なっ」


 カルディエが目を瞠った。

 握っていた木刀は、手の先のところから跡形もなく失くなっていた。




 ◇◇◇




 カルディエがダウンカウント10になり、傍観者に変わる。


 闘技場を取り囲む観客が大きくどよめく中、第三学園の観客席だけは、もはや陶酔状態と言っていいほどに歓喜していた。


「サクヤぁぁ――! サクヤすげぇぇ!」


「なんだあいつ!」


「フユナよりつえぇんじゃ!?」


 続けて「サクヤ・サクヤ!」とサクヤコールが始まる。


「さ、サクヤ……まさか……まさかお前があの御方なのか……?」


 座り込んだままのフユナが、呆然とした表情でサクヤの横顔を眺めている。

 少年はそんなフユナを一瞥すると、その前に立つフィネスに目を向けた。


 座り込んだカルディエに唖然としていたフィネスが、はっとする。


「あんたとは戦いたくないな」


 サクヤという名の少年は呟きながら、ゆっくりとフィネスに近づく。


「あなたは……?」


 フィネスが木刀を構えながらも、一歩、二歩と後ずさった。


「久しぶりだな王女様。あん時は気づかなくて済まなかった」


「……え……?」


 フィネスが影を落とすほどの長いまつ毛を揺らしながら、瞬きを繰り返す。

 そして、その目がふいに輝いた。

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