第61話 連合学園祭16

 

 カルディエとサクヤの膠着した戦いとは正反対に、フィネスとフユナの戦いは激しいものになっていた。


「………」


 圧巻の戦いに、観客達はもはや言葉がなかった。

 さっきまでの大歓声が、いつのまにか水を打ったような静けさに包まれている。


 息つく暇もない攻防。

 鳴り続ける木刀の音。


 フィネスの斬り上げ。

 無駄が一切排除された、最善の軌跡。


 フユナは見慣れているかのごとく、平然とそれを剣で払い、続く蹴りは体を翻すようにして躱す。

 攻守が入れ替わり、次はフユナが得意とする連続突き。


 放たれた七つの連擊を、フィネスはフィネスで涼し気な顔で躱す。


 さらにフユナからの連続剣【蝶舞斬り】。

 繰り出された三つの軌跡は、【真髄・蝶舞切り返し】によりすべてフィネスに受けきられた。


 返すフィネスの斬撃を、フユナは見切って躱し切る。


 ここでやっと二人は距離をとる。

 観客たちは忘れていたかのように呼吸を始め、大きな拍手を送った。


「うおぉぉぉ――!」


「マジすげぇぞ、フユナ!」


「フィネス王女様素敵ぃぃ!」


 互いを応援する声がかつてないほどに高まる。

 フィネスは微笑を取り戻し、嬉しそうに口を開いた。


「素敵よフユナ。この日をずっと待っていたのです」


「私もだ、フィネス。君の剣は変わらず美しい」


 乙女たちが微笑み合う。


「続けよう、フィネス」


「ええ。まだまだ足りません」


 剣は幾度となくぶつかりあった。

 そのまま観客達を沸かせながら、時間が過ぎていく。


 最初は微かだった差。

 数えるほどの人しか、感じ取ることは出来なかったに違いなかった。


 しかし剣を合わせるに従い、それはだんだん大きなものになっていった。


 一方は剣を振るう側に立つことが多くなり、もう一方は肩で息をして、後退し始める。


 やがて、誰の目にもあらわになり始めた優劣。

 そして――。


「くぁっ……!」


 とうとう一人が片膝をついた。

 フユナであった。


 彼女は先程までの好調が嘘のように、剣が重くなってしまっていた。


「はぁ……はぁ……!」


 ブロンドの髪を揺らし、呼吸がままならなくなっている。

 随所に走る痛みが正常な呼吸を乱しているのである。


 フユナはすでに腹を打たれ、木刀を持つ右手を打たれ、首筋を打たれ、そして両の膝を打たれていた。


 なんとか立ち上がろうとするが、彼女の脚は言うことをきかなくなっていた。


「1、2……」


 審判が駆け寄り、ダウンのカウントが始まる。

 一本調子で盛り上がってきていた第三学園の観客席からは、悲鳴が上がり始める。


「3、4……」


 審判と一緒に駆け寄ってきた司祭の女が、大丈夫、あなたはよくやったわ、と声を掛ける。


「くっ……」


 フユナが歯噛みをして、震える脚に力を込める。

 観客席からは「フ・ユ・ナ、フ・ユ・ナ!」と、懇願するように叫ばれている。


「5、6……」


 フユナは震える両膝を両手で押さえつけながら、なんとか立つ。

 おぉぉ、という一瞬の大声援もつかの間、フユナは再び崩れ落ちた。


 第三学園の観客席のいたるところから、泣き声に近い絶叫が発せられる。


「7、8……」


 第三学園の待機スペースからも飛び交う、必死の声援。

 その中では教師ゴクドゥーの声すら、涙に濡れた。




 ◇◇◇




「7、8……」


 フユナ先輩が、痛いほどに唇を噛んでいる。


「……9、10!」


 フユナ先輩の負けが決まった。


(まぁ仕方がないかもな)


 僕は小さく息を吐いた。

 フィネス第二王女の剣はフユナ先輩によく似ていたが、それを軽やかでかつ、鋭くしたような剣だ。


 さらにフユナ先輩は、一般の使い手なら気づかぬほどにわずかだが、剣が感情に左右されてしまう不安定さがある。

 今まではできるだけそうならないようにパートナーとして努力した。


 だが最後は本当の実力勝負。

 僕は一切手出ししない。


 予想通り、フィネス第二王女はフユナ先輩の欠点を丁寧に咎め、ここまでの差として形作ってみせた。

 言うまでもなく優劣は明らか。


「少年、第三学園の負けですわ」


 赤髪ボブカットの女――カルディエ――が、僕に木刀を突きつけると、座り込んだフユナ先輩を視線で示した。


「少年一人ではなにもできませんわ」


 カルディエは当初、仕掛けてくるのを随分としばらく躊躇っていた。


 しかしフィネス第二王女が勝利を手繰り寄せるのを見てか、カルディエも意を決したらしく、とうとう動いた。


 その後、僕はカルディエに何度も打たれてダウンを繰り返し、なんとかを装って立ち上がり続けていたという状況だ。


「聞こえまして? あなたがたの負けですわよ」


「わかっていますとも」


「ではひざまずきなさいな。早く終わらせたくてよ」


「はいはい」


 僕は言われた通りに片膝をついた。

 それを見て、カルディエが安堵をこらえきれぬ表情になる。


「………少年、『見かけ倒し』とよく言われませんこと?」


 カルディエが赤髪を掻き上げながら、僕を見つめてくる。

 彼女は髪と同じ、鳶色の瞳をしていた。


「それは褒め言葉ですか」


「【常識外】とわかっていたから打ち込めたものの、ずいぶんと躊躇いましたわ」


 意味がわからなかった。

 どうやら話しかけておいてカルディエの独り言だったようだ。


 やれやれ。


 僕はなんとなく、フィネス第二王女に目を向けた。


 フィネスは凛と立ったまま、僕を見ていた。

 だが膝をついた僕を見て、そっけなく視線を逸らした。


 フィネスは僕を敵、いや頭数とすら認識していないようだった。

 王女の中では、フユナ先輩を倒した時点ですべて終わり。


(どれ、終わろうか)


 初めての大規模チカラモチャーとしては、上出来かな。

 最後の戦いに至るまではまぁまぁチカラモチャーできたし。


 僕も考えなかったわけではない。

 あんなに一生懸命努力してきた人だし、ホントは最後にもこっそりチカラモチャーしようかなと。


 けど、そんなことをしてもなんの意味もないと悟った。


 フユナ先輩がずっと心待ちにしていたこの日、この場所。

 嘘のない戦いにしてあげるのが、誠意というもの。


 こんな大事な場面で僕が介入したら、フユナ先輩を傷つけるだけだ。


「1、2……」


 審判が駆け寄ってきて、カウントを始める。

 僕は膝をついたまま、微動だにしない。


「サクヤぁぁ!」


「ダメェぇぇ、サクヤくんー!」


「諦めるな!」


「お前だけでも戦えゴラァァァ!」


 いろいろな人の声が、飛び交い始める。

 罵声ではないその声に、初めて僕の名前が混じった気がする。


 だが当然、立ち上がることはない。

 僕にとってはチカラモチャーこそがすべて。


 優勝はさして興味を引くものではないんで。


「3、4……」


「サクヤくん、戦ってぇぇぇ!」


 泣き濡れている金切り声は、うちの担任のマチコ先生。


「サクヤくん、一緒に山賊倒したじゃないか! こんなところで負けるな!」


 伍長ゲ=リからの必死の応援も届いた。

 いや、いつ一緒に倒したよ。


 第三学園の希望たるフユナ先輩が負けたんだし、勝利は譲る。

 僕らはフユナ先輩がフィネス王女と再会し、十二分に手合わせできたことを喜べばいい。


「5、6……」


「イヤぁぁサクヤン――! お願い立ってぇぇぇ!」


「サクヤさん! まだ終わってませんっ! 戦ってくださいぃぃっ!」


 スシャーナとピョコの涙声も、いろんな声に混じりながら、僕の耳に届いた。

 あぁ、ふたりともずっと応援してくれていたのか。


「頼むサクヤぁ! お前が最後の望みだぁぁぁぁ――!」


 涙声で絶叫するのは、学園祭参加者に毎日遅くまで寄り添って指導してきたゴクドゥー先生。


「立てサクヤくん! まだいけるんだろ!」


「サクヤくん! 今、君が第三学園の希望なんだぞ!」


 声を張り上げているのは、先鋒だった4年生、ウォルさんとビスケさん。

 そうだ、お二人は「最後だから絶対に優勝する」って息巻いていたっけ。


「サクヤぁぁ! お前は絶対にこんなもんじゃない! 本当の実力を見せてやれ――!」


 ああ、上から聞こえるこの声はヤスさんだ。

『魔物討伐戦』で三位になって、『バトル・アトランダム』に参加できなくなったヤスさんだ。


 ヤスさんはフユナ先輩にやられっぱなしだった僕を見ても、頭を撫でながら「まだまだ伸びる、サクヤくんはもっと強くなるから大丈夫さ」と褒めて、支え続けてくれていた。


「………」


 僕は大きく息を吐く。


 なんだか胸が熱くなってきていた。

 僕、いつの間にこんなに影響されやすくなったんだろうな。


 心も若返っているのかもしれない。

 それでも、立ち上がることはないけどさ。


「7……」


 凄まじい数の絶叫が重なり合う中、僕はフユナ先輩に目を向ける。

 フユナ先輩はフィネス第二王女に敗れ、その前で立てなくなったままだ。


「………」


 そんな先輩は、片膝をつく僕を見ていた。

 そして唇を震わせながら、何かを言った。


「………」


 そのひとりごとが、【聴覚】を高めた僕の耳に届いている。


 ……ごめん、サクヤ。

 私が、先に終わっちゃった……。


 そう言ってフユナ先輩は口元を震わせながら、目元を拭った。


「……泣いてんじゃねぇよ」


 何度目だよ。

 もう泣かないんじゃなかったのかよ。


 ……私、優勝するってみんなと約束したのに……。


「うぅっ……ううっ!」


 フユナが嗚咽を漏らす。


 ち、と舌打ちをする。


 ここぞというところで泣いてきやがる。

 俺が女の涙に弱いことを知ってるかのようだ。


「うぅっ……ご……ごめっ……!」


 ――本当に泣き虫だな。

 そうやって泣いて、俺の本職の邪魔ばかりしやがって。


「これっきりだ」


 ふいに俺の目に、力が宿る。


「9……おっ!?」


 カウントしていた審判の手が止まる。

 そう、俺は立ち上がっていた。


「うおぉぉぉー!」


「サクヤきたァァ――!」


「そうだぁぁ! それでいい! やっちまぇぇぇ――!」


 どっと沸き上がる大歓声。

 第三学園の観客席が再び総立ちになって、声の限りに俺を応援し始める。


「……どういうつもりですの? 遊んでいる暇はなくてよ」


 目の前にいるカルディエが、俺を睨みつけてきた。


「気が変わった」


 カルディエが瞬きをする。


「……あ、あなた、声が変わっていますわよ?」


「………」


 俺は不敵に笑うと、一枚の石板を取り出し、制服の下で胸の中央につけた。

 そして。


「……Συμφώνησε με την κλήτευση μου Πριγκίπισσα του Καθαρτηρίου……」


 カルディエがはっとして、木刀の切っ先を俺に向けた。

 だが俺の口は止まらない。


「……な、何ですの、その言語は!」


 カルディエが、俺の前から飛び退く。


 詠唱に応じて石板に現れた強大な悪魔に、俺はひとつだけを命じる。


「……Μεταμορφώστε τη μνήμη σας με αυτή τη δύναμη」


 悪魔は応じ、そのつややかな口を開いて、歌うように詠唱を刻み始める。


 響き渡る、澄んだ声。


「……そ、その女、まさか!?」


 カルディエが、地獄に連れられたかのように蒼白になる。


「……Προσαρμογή του τύπου μετατροπής στο όνομά μου」


 滞りなく行われた詠唱が、完成する。

 間もなくして、俺の脳裏にひとつのアナウンスが響いた。


 〈【悪魔の数式《ティラデマドリエ変換》】が発動しました〉


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