第36話 破格の力

 

「アハハハハハハハ! 泣いたわ!」


 それを目にしたヴェネットが高笑いした。


「もっと泣きなさいよ、この『泣き虫劣等生』!」


 ヴェネットが歓喜に震えた、その時。


「――なかなか笑わせてくれる」


 ふいに男の声がした。


「……ぬ?」


 ヴェネットが視線を向けると、なんとすぐ近くに一人の男が立っていた。

 つかつかと歩み寄ってくるその男は、黒い外套を羽織い、深くフードをかぶったその顔は見えない。


「そこまでだ。この勝負、俺が預かる」


 そう言って、男は座り込んだままのフユナを背にかばうように、間に割り込んだ。


「いいところだったのに、何? あなた死ぬほど邪魔者よ」


 ヴェネットがあからさまに興ざめした顔になり、脅すように男を睨みつけた。


 しかし男は平然として、フードの奥からヴェネットを見据える。


「お前のやり方は実に気に食わん……泣かせた以上は相応を覚悟しておけ」


「……えっ……?」


 男の発した今の言葉。

 フユナは耳を疑い、濡れた目を瞬かせて、現れた男の背中に目をやる。


 背はそれほど大きくはなかった。

 外套の下には学園の制服を着ているようだが、声の感じからして、彼女には全く見覚えのない男に感じられた。


 そんな男の前に、3人の巨漢の黒服が立ちはだかる。


「……おいお前、ここの生徒だな?」


 3人の黒服が50センチほどの鉄製の棒を取り出し、屈強な腕を見せるように腕まくりする。


 その後ろでヴェネットが余裕を見せるように、微笑を浮かべた。


「この方をどなたと思っている? この下郎が。今すぐ土下座しろ」


「――こんな奴は知らん」


「てめぇ!」 


 黒服のひとりが棒を振りかぶって、フードの男に襲いかかった。


「に、逃げて! そいつらは第一学園直属の――」


 フユナが叫ぶ。

 だがフード男は逃げる代わりに体を沈ませ、左手を片合掌した。


 黒服が鉄棒を振り下ろす。


「――ぶぉ!?」


 次の瞬間、黒服の巨体がひとつ、いともたやすく宙を舞った。

 フード男は鉄棒の一撃をひらりと躱し、黒服の顎を下から掌打で突き上げたのである。


 巨漢がドスン、と背中をしたたかに打った。


「………」


 その様子を見たヴェネットが、細い目をさらに細める。


「顎が、あごがぁぁぁ――!?」


 土埃まみれになりながら、呻く黒服のひとり。


「……てめぇ!?」


 フードの男は何も言わず、ただ静かに笑ったようだった。


「……ふぅん。面白いじゃない。ちょうど物足りなかったところだから、わたしが相手してあげるかな」


 ふん、と鼻で笑ったヴェネットが側近たちを後ろに下がらせ始める。


 フード男はその間にフユナを振り返ると、屈み込んで彼女の踏みにじられた手にそっと触れた。


「……え……?」


 手と手がわずかに触れ合っただけのことに、フユナは驚く。

 手が重なった部分が、不思議と温かく感じられたのだ。


 そして、その温かさはすぐに全身に広がった。


 彼女は何が起きたのか、気づかなかった。

 想像すらも出来なかったに違いない。


 学園の制服を着た司祭など、いるはずがないのだから。


「で、突然現れた王子様は何者? 学園の生徒よねぇ? ……ああ、訊ねる前に身分の高いわたしから名乗りましょうね。わたしは――」


「――お前の名前など、割とどうでもいい」


 男はフユナの手にあった木刀をそっと貰い受けて立ち上がると、そう吐き捨てた。


 ヴェネットの微笑が凍りつく。


「……貴様……ヴェネット様をお前呼ばわりだと!?」


 外野の黒服がいきり立って叫ぶのを、ヴェネットが手で制し、その顔に微笑を浮かべ直す。


「男風情がなにを偉そうに。見たところ盾を持っているわけでもない。あなたはどの流派の剣術を使うのかしら?」


「俺に師はいない。我流だ」


「アハハ!」


 ヴェネットがとたんに口を開けて笑い出した。


「それだけ啖呵を切っていて、師はいない、ですって!? どうして我流の連中は揃いも揃って身の程知らずなのかしら」


「クハハハ! 口先だけだこいつ」


「天下のヴェネット様を前に、愚か者め!」


 高笑いの声に黒服たちの笑い声も重なる。


「で、俺はお前が笑い終わるまで待っていた方がいいのか」


 男は木刀を持ったまま腕を組む。

 それを見たヴェネットがとたんに笑いをやめ、きっ、と男を睨んだ。


「……マジ気に食わない。なに、さっきからその『上から目線』は?」


 ヴェネットが木刀を片手で突きつけるように構え、フード男を睨む。


「だ、誰か知らないが逃げてくれ。そいつは……『ユラル亜流剣術』の真髄を極めているのだ……」


 フユナの呻くような言葉を聞いて、ヴェネットが誉め言葉とばかりにニヤリとする。


 しかしフードを被った男はただ肩をすくめる。

 まるで、だからどうしたといわんばかりである。


「だからどうした」


 いや、口でも言っていた。

 ヴェネットのこめかみがぴくついた。


「……いい度胸ね、エリート中のエリートであるわたしを理解できないなんて」


 ヴェネットが木刀を構え直す。


「今すぐ地面に這いつくばらせてあげるわ。そこの劣等生と一緒に――ねっ!」


 ヴェネットが跳んだ。

 男に一気に肉薄する。


「危ない!」


 フユナが叫ぶ。

 

 外野の位置からヴェネットを見ると、動きが別人のように感じられた。

 ヴェネットはやはり、知っている頃より数段腕を上げているとフユナは確信する。


「――はっ、殺ったわ。口ほどにもない!」


 ヴェネットが、相変わらず腕を組んだまま棒立ちしている男の顔めがけて、木刀を鋭く突き出した。


 ――ヒュン。

 しかし木刀は男を確かに貫いたにも関わらず、ヴェネットの手になんの手応えもなかった。

 

 やがて貫かれた男の姿が音もなく掻き消える。


「……えっ」


 ヴェネットが目を見開く。


「……なんだ……?」


「き、消えた……でも今、確かに」


 彼女の後ろに控える黒服たちも、その顔に驚愕の色を隠せない。


「……これは……ま、まさか【残像】……!」


 フユナが息を呑んだ。

 世界にあまたといる武術家たちが極めんとしながらも未だにできずにいる驚異の技、【残像拳】。


 それを目の前の男はいともたやすく為して見せた?


「……ど、どういうこと……?」


 ヴェネットが慌てた表情であたりを見回す。

 それが【残像】だったということにすら、彼女はまだ気づいていなかった。


「まさか、わたしの剣を躱した……?」


「ヴェネット様、上、真上に――!」


「頭の上に立って――!」


 黒服の男たちの叫ぶ声が、やっとヴェネットに届く。


「なっ、わたしの頭の上!?」


 慌てて頭上を見上げたヴェネットの眉間に、踵打ちが入る。


「あだっ」


 額を押さえて仰け反り、涙目になるヴェネット。

 ふわりと着地した男は木刀を持ったまま、まだ腕を組んでいた。


「なっ……」


 フユナはあまりのことに、言葉が出なくなる。


「弱いな。想像をはるかに下回る」


 男が吐き捨てる。

 ヴェネットが、顔を真赤にした。


「だ……騙し討ちくらいでほざくな! 男なら逃げないで受けろ!」


 ヴェネットが三つ編みした髪を首に巻き付けると、木刀を正眼に構える。


「どれ。なら打ち合ってみるか」


 男が腰を落とし、木刀を下段に構える。


「その『上から』やめろやぁぁ――!」


 ヴェネットが一気に間合いを詰めてくる。

 近接するや、ほぼ瞬時に斜め下から斬り上げられる、ヴェネットの木刀。


「馬鹿な! 意地を張らずにかわせ!」


 刹那、フユナの脳裏に浮かんだのは、受けきれずに左脇腹を打たれて吹き飛ぶ男の姿。


 過去に何度も見てきた、あの研ぎ澄まされた一撃。


 あれは皆、例外なく避ける。

 受けきることができる者など、道場に何人いよう。


 カルディエや自分ですら時に――。


 ――カァァン。


「……えっ」


 フユナが目を見開いた。

 男はなんと、それを木刀でいとも簡単に受けてみせた。


「――やぁぁ!」


 続く、ヴェネットの追撃の横薙ぎ。


 ―――カァァン。


 また木刀で受け止めた。


 さらに突き、突き、突き。

 男はそのすべてを軽いノリで打ち払っていた。


「ど、どうして……?」


 あまりの驚きに喉がカラカラになっていく。


 なぜ、あのヴェネットの攻撃が…………?


「涼しげにしてるのも今のうちだわ!」


 やがてぐん、とヴェネットの剣が加速した。

 見ている間にも、剣速はぐんぐん上がっていく。


 フユナが息を呑んだ。


「まずい……離れろ!」


 この怒涛の連撃こそ誰にも真似できぬ、ヴェネットが『疾風』と自称する剣技である。


 ヴェネットが「天才」と評される理由。

 フユナは知らなかったが、それはひとえにこの隠しスキル【高速化】をスキルツリーに与えられたからだった。


 ヴェネットはこの【高速化】により、同じ行為をどんどん加速させることができるのだ。


 ピーク時の剣速は第一の継承者フィネスをも越え、それが『連続剣』と相まって、驚異的な実力を発揮する。


 そしてこれこそが、当時からフユナがどうしてもヴェネットに勝てない理由にほかならなかった。


「早く離れろ! 大怪我するぞ!」


 しかし男は離れるどころか、どっかと腰を据えて、次々と放たれる攻撃を防御し始める。


 ――カァァン。カァン。


 ――カァン。カァァァン!


 木刀同士が削り合う音が、あたりに響き渡る。


 男は、なんと『疾風』の防御に成功し続けている。


「………」


 フユナは戦ってもいないのに、背中にじっとりとした汗をかいていることに気づいた。


 ヴェネットの攻撃はすべて手合いのレベルを超えていた。

 当たれば骨折、いや打ち所が悪ければ致命傷になる可能性すらある。


 それは受けているあの男が一番わかっているはずだ。

 なのに男は退くことなく、ただ淡々と攻撃をさばいている。


 それを見ているだけの自分の方が、息をつくことすらできない。


「……すごい……しかし」


 あの男、一体いつまでもつか。

 ヴェネットの剣はただ早いだけではない。


 軽い一撃、重い一撃、そして必殺の一撃。

 それを混ぜて打ち込んでくるのが非常に厄介なのである。


(七連撃、八連撃、九連撃……)


 フユナはだいたいここまでで打ち負かされるのが、お決まりのパターンだった。


「せぃ――!」


 ヴェネットの鋭い横薙ぎ。

 が、男は慌てた様子もなく、防御に成功する。


「やぁぁ!」


 ヴェネットの、すべてを両断するような、力強い唐竹割り。

 男はそれを易々とはじく。


「――まだまだ上げてやるぁぁ!」


 ヴェネットの剣速がさらに上回っていく。


 十七連撃、十八連撃、十九連撃……。


「……う、嘘だ……!」


 異次元すぎて、フユナの顎が震えた。


 驚くべきことに、男はまだ飄々と防ぎ続けている。


 この現実を誰が理解できよう。

 最強の流派『ユラル亜流剣術』の継承者たるあのヴェネットがこれだけ剣を振るって、かすりもしていないのだ。


 フユナはいいかげん、理解しなければならなかった。


 この男が、非常識な存在だということに。


「いったい、誰なのだ……」


 フユナはまじまじと男の背中を見つめた。


 流れ落ちる涙をどうにもできずにいたあの時、ふいにヴェネットの笑い声が止んだと思ったら、この男が自分をかばうようにして立っていた。


 最初は何をしに来た人なのか理解できなかった。

 でも話す内容とその行動から、追い込まれた自分を守るために戦ってくれているような気がした。


 今、こうして見ると、自分が求める強さを具現化したような、まるで夢のような異性だった。


(……こんな時に、私はなにを)


 つい見惚れてしまっている自分に、フユナは舌打ちをした。


 でもなぜこんな強者が、第三学園の制服を着てここに?

 もしや、ここの卒業生の方がクエスト受領がてら、通りすがりに自分を助けに来て――?


「――遅い」


 刹那、男が呟いて動いた。


「なっ!?」


 フユナは目を瞠った。

 なんと男はヴェネットの高速剣をさばきながら、攻撃に転じたのだ。


「ただ早回しで繰り返してるだけだろ。さすがに飽きたぞ」


「くっ……!」


 一転して、ヴェネットが防戦し始める。

 ヴェネットが先手を奪われ始め、一歩、また一歩と後退していく。


「………」


 フユナは口をぽかんと開けて、その戦いに見入る。


 信じがたいことに、男の剣が、さらに勢いを増す。


「なにっ」


 ヴェネットの顔に焦りが浮かんだ。

 そうしている間にも、男はまだその速度を上げていく。


 繰り出される斬撃は、完全にヴェネットの最速を超えていた。

 もはやフユナには見えなくなりかけた、そんな一瞬のこと。


「…………」


 ふと、フユナは男の剣に目を奪われた。

 そして、走った衝撃に呼吸を忘れる。


 脳裏で重なった剣。

 

「あ……あれは……」


 美しい剣筋。

 殺気もなにもない、無を纏う軽やかな剣。


「嘘……嘘だ……!」


 異常なまでの酷似。

 まさか、まさかあれは。


 ……『存在感のない剣バックグラウンドソード』……。


 だとしたら。

 この男……まさか。


 フユナはガタガタ言うほどの震えが止まらなくなりながら、確かめようと目を凝らす。

 しかしすでに剣速は高まり、フユナの目では完全に捉えられなくなっていた。


「……いや、違う……違うはずだ」


 あいつ程度の腕前で、ヴェネットに張り合えるはずがない。

 それは日々手合わせしていたフユナ自身、よくわかっている。


 だが、もし。

 もしあいつが、あの力を自在に使いこなしていたら――?


 フユナは飄々と剣を操る男の背中に、疑惑の視線を向ける。


「いや、それでも絶対に……絶対にない……!」


 叫ぶように言いながら、フユナの視界はなぜか涙で潤んだ。


 断じてありえない。


 だって。


 あいつが。

 あんなに下品で、バカな奴が。


 ――こんなにかっこいいはずがないもの。


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