第35話 努力の剣
「でも学園祭まで待つ気はない。無能な人間がいくら努力しても無駄だということ、わたしが今ここで教えてあげる」
ヴェネットが木刀を突き出すようにして、半身に構えた。
「……何を考えている? 『連合学園祭』ならまだしも、部外者のお前がこの場で私と打ち合うとでもいうのか」
「なんら問題ないの。今日はお父様も来てるし」
「なっ……第一の学園長が?」
フユナが唖然とする。
ヴェネットの父は現・第一国防学園の学園長に就いている。
「お父様、仰ったの。せっかく来たのだから、格下の学園の生徒に稽古をつけてやるくらいはしてあげなさいと」
「……それは嘘にしか聞こえない。お父上殿はお前と違って、もう少しまともな人間だろう?」
「お黙りなさい」
ヴェネットの顔から、笑みが消えた。
「……フユナ、あなたは自分が強くなっていると思っているようだけど、所詮、第三学園という井の中の蛙。この場でもう一度、劣等生の意味を教えてあげる」
刹那、ヴェネットが跳んだ。
「―――!」
初撃は左こめかみを狙った袈裟の一撃。
とっさにフユナが木刀を持ち上げ、受けに行く。
――カアァン!
それは異様に軽い一撃だった。
ヴェネットの口元がにっ、と吊り上がる。
まずい、とフユナが理解した時には、すでに左からの弧を描く2撃目がやってきていた。
しかし、重ねられた訓練の賜物と言うべきだろう。
フユナの反射的な防御は、ギリギリその間に割り込んだ。
「っつぅ!」
しかしその痛烈な打ち込みに、フユナの手が痺れ上がる。
「………!」
フユナの背筋を、戦慄が走っていた。
今の一撃の威力、完全に手合いのレベルを超えている。
躱せなければ致命傷を負っていたかもしれないほどの、ルール外の一撃であった。
「攻めてこない、のっ!」
続けて、ヴェネットが鋭い突きの連撃を放つ。
『ユラル亜流剣術』の教書にある、『連続剣其の壱』である。
「くっ!」
フユナは思わず舌打ちする。
かつて、彼女が苦手としていた攻撃だった。
だがフユナとて、なんの準備もしていなかったわけではない。
千回ではきかない。
まさに数え切れないほどにこの攻撃を思い返しては、躱し、返り討ちにする鍛錬を重ねてきたのだ。
フユナは仰け反り、顔に風穴を開けようと飛んでくる木刀の先をさばく。
鍛錬してきた通りに躱し、ヴェネットに生じる隙を窺う。
「遅い遅い!」
「くっ」
しかしフユナのさばきは、繰り返すごとに遅れ、段々と隙があらわになっていく。
ヴェネットの突きは以前と比べて、嫌になるほどに洗練されていた。
自分が鍛錬を重ねた以上に。
「……ぐっ……」
これが持つ者の『天才の剣』――。
唇を噛む。
フユナの胸に悔しさが燃え上がっていた。
道場を出てから3年。
雨の日も風の日も泥臭く努力し、たゆまず剣を磨いてきた。
なのに早くも、優劣は明らか。
ヴェネットとの間には歴然とした差が存在していた。
「うっ」
やがてバランスを崩したフユナに大きな隙が生じたが、ヴェネットは追わずに距離をとり、その顔に嫌味な笑いを浮かべた。
「あーあ……つまらないことこの上ないわ。まだ真髄のかけらも見せてないのに。……ホントに努力したの? 『泣き虫劣等生』さん」
「――うるさい!」
フユナは声を荒げながら、剣を上段に構える。
あまりの悔しさに、フユナの目頭が無意識に熱くなりかけた。
だが、頭を振って必死にこらえる。
(絶対に泣くな……こんな奴の前で……)
自分は決めたのだ。
道場を追い出された、あの時に。
(フィネス……)
自分は第三学園に入り、きたる『連合学園祭』でフィネスと剣を交える。
日々休むことなく磨き続けてきたこの腕前を、じかに見てもらう。
そして、戦い終えた後にフィネスに訊ねるのだ。
ずっと訊ねたくても、訊ねられなかったことを。
――自分は劣等生と呼ばれるべきかどうかを。
――今もライバルとして、自分を見てくれているかどうかを。
フユナの目が、力強く生き返る。
「お前などに負けている場合ではない!」
自分はあのフィネスが認めてくれたライバル。
そのために、そうあり続けるためにずっと努力してきたのだ!
「あら、もう本気ですの?」
ヴェネットがくすっと笑った。
フユナは本気の時しか上段に構えないことを、長年の対戦で知っているのである。
「そうやって挑発しているがいい」
フユナが動じずに、乱れた呼吸を丁寧に戻す。
刹那、一足飛びでヴェネットへと肉薄した。
「やぁぁー!」
今度はフユナの、息もつかせないような突き。
しかしヴェネットは涼しげな顔のまま、それを皮一枚で躱していく。
「かすりもしないわよぉ?」
ヴェネットは避けながらも、自身の三つ編みをもてあそぶ余裕っぷりである。
それでもフユナは黙々と剣を振るい続ける。
袈裟斬りから足払い、下からの真一文字の斬り上げ。
教書にはない、自分独自の連擊も混ぜる。
大振りにならないよう、努めて集中を乱さず、静かな剣を振るう。
そして連撃が20を超えたところで、ヴェネットの回避に小さなミスが生じた。
跳躍がわずかに高すぎたのだ。
それを見逃さず、フユナは大技に接続する。
「【
【蝶舞斬り】は三つの方向から敵に一瞬で連擊を浴びせる『ユラル亜流剣術』の技である。
フユナが最も得意とし、かつてヴェネットを倒さんとする時に必ず使ってきた技でもある。
一撃一撃は軽く、骨を断つほどの威力はないが、体表を走る太い血管を狙って斬り裂き、相手を殺傷する。
もちろんこれは『ユラル亜流剣術』の武技であるため、フユナだけでなくヴェネット自身も使いこなすほどに知り尽くしている。
だからフユナは道場を出た後、この技を自身なりに改良していた。
こんな場で見せるべきか迷ったものの、今だに自分を『劣等生』と呼び続ける彼女を、断じて許すわけにはいかなかった。
「劣等生の剣かどうか、とくと知れ――!」
フユナの剣が唸る。
しかし。
「――いいわ。こちらも見せてあげる」
ヴェネットは臆せず、逆に踏み込んだ。
「――【真髄・蝶舞斬り返し】」
ヴェネットが低い姿勢から、剣撃を放った。
そしてフユナの変則的な一撃目を見抜き、真っ向から強く打ち返す。
カァァン、という木刀同士が鳴らす音。
「なに!?」
木刀を吹き飛ばされかねないほどの強打に、フユナが目を瞠った。
その両手は弾き返されたせいで、頭上でバンザイをするような形になってしまっている。
そう、『ユラル亜流剣術』の【真髄】とは、最強の剣たる『ユラル亜流剣術』を打ち破るすべのことであった。
「劣等生の【蝶舞切り】、恐るるに足らず!」
そんな隙だらけのフユナを、ヴェネットの2連撃が襲いかかる。
ドスッ、ドス!
「――うあっ!?」
鋭い木刀の連撃が、フユナの腹を深く突いた。
フユナは呻き、うずくまるようにして地に倒れこむ。
「うぅっ……!」
しかし、木刀だけは離さない。
「ヴェネット様! お見事!」
「お見事です!」
ヴェネットのボディーガードらしい3人の黒服の男たちが歓声を上げ、一斉に拍手を送る。
「こ……こんな奴に……!」
フユナはなんとか立ち上がろうと膝を立てるが、足腰に力が入らず、再び崩れ落ちる。
そんなフユナの前に、ニタニタしたヴェネットがやってきて仁王立ちし、見下ろした。
「あー、思ったよりはおもしろかった。でもそんなお遊びの域の武技で、【真髄】を学んだこの私が倒せると思っていたのが滑稽だったわ」
「……うぅ……」
「ねぇ、滑稽よね。一緒に笑いなさいよ」
「うあぁっ」
ヴェネットの靴が、フユナの右手を踏みつけた。
フユナの手から、ずっと握り続けてきた木刀が離れた。
「……くっ!」
その頬に乾いた土をつけたまま、フユナが下からヴェネットを睨む。
それを見たヴェネットの顔が歓喜に歪む。
「全部無駄なのよ。わかった? 『泣き虫劣等生』さん」
口に手を当てて、くすくすと笑うヴェネット。
「うるさい……!」
フユナはヴェネットの足を払いのけ、木刀を掴み直し、気合だけで立ち上がろうとする。
だが膝に力が入らず、やはり震えるばかりで座りこんだ。
ヴェネットの攻撃が、的確に自分の急所を捉え、ダメージを蓄積させていたのだった。
「くそ……くそっくそっ!」
フユナは立たない両膝を血が出るほどに握りしめる。
だがもし彼女が立てたところで、事態は何も変わらなかっただろう。
すでにフユナの心は、完全に打ちひしがれていた。
認めずにはいられなかった。
――『努力の剣』と『天才の剣』の間の絶望的なまでの差を。
今のフユナには、ヴェネットは圧倒的な高みにいるように感じられていた。
(だめなのか……)
いくら血の滲むような努力を何年も重ねても、自分のような『努力の剣』では――。
「そういえばフィネスお姉様は以前、あなたのことをライバルと呼んでいたそうね」
ふと、ヴェネットがフユナの頭の上から言った。
「………!」
フユナがはっとする。
「ねぇ。フィネスお姉様が今、わたしをなんと呼んでいるか、知りたい?」
「………」
「ねぇ、知りたいでしょ? わたしは今、フィネスお姉様のお相手を命じられているの」
「……やめて」
フユナは俯き、首を横にふった。
彼女の胸で心臓が急に早鐘のように打ち始め、言葉が発せられなくなる。
「やめてと言われると、教えて差し上げたくなるものよ」
ヴェネットが狡猾な笑みを浮かべた。
「……やめて……お願い」
フユナの息が、あえぎに変わる。
同時に、ヴェネットの悪魔の口が開いた。
「フィネスお姉様はこう言ったわ。『ヴェネット、あなたが私のライバルよ』」
ヴェネットが右の口角を吊り上げ、声音を真似するように言った。
フユナの目から、大粒の雫がこぼれ落ちた。
「アハハハハハハハ! 泣いたわ!」
それを目にしたヴェネットが高笑いした。
「もっと泣きなさいよ、この『泣き虫劣等生』!」
ヴェネットが歓喜に震えた、その時。
「――なかなか笑わせてくれる」
ふいに男の声がした。
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