第34話 現れた宿敵

 

「フィネスと剣を重ねる前に、カルディエに打たれてしまってな」


 フユナ先輩とパーティを組んだジョリィがカルディエに早々に倒されてしまい、フィネスと打ち合おうと駆けていたフユナ先輩は背後からやられたのだという。


「だから今年こそ、と?」


 フユナ先輩が頷く。


「今年はフィネス、カルディエのほかにヴェネットも参戦してくるに違いない。第一国防学園にちょうど三人が揃うからな。そこで磨いてきた私の剣を見せてやるつもりさ」


 フユナ先輩は闇の中で手を伸ばし、拳をぐっと握った。


「日々鍛錬してきた剣を、ですね」


「そうだ。積み重ねた『努力の剣』こそが最強だ。そう教えてやるさ」


「同感ですね」


 先輩とはこのいちばん大事なところにおいて、考えが一致している。


「それにしても、私も子供っぽいだろう? これほどの年月が経っても、堕ちた自分を認められず、いまだにフィネスの期待に応えていると思いたいのだ」


 フユナ先輩がまた自嘲した。


「先輩はいずれ、最強の剣使いになりますよ。フィネスさんが驚くほどに」


「ありがとう。だが後輩に気を遣わせてしまうとはな。先輩失格だ」


「今日くらいいいじゃないですか。濡れた服も干してやったわけですし」


「そういうことにしておこうか」


 フユナ先輩はクスクスと笑った。

 だがその笑いも、次第に萎れていく。


「……済まないな。もうわかったと思うが、私が前のめりになっている理由はそういうことだ。実は謝らねばと思っていた。私情に付き合わせてしまって本当に――」


「いえ、すごく楽しいからいいですよ。それより話を聞けて良かったです」


 僕はフユナ先輩の言葉を遮った。


「……サクヤ……」


「僕も先輩と学園祭に出たかったんで。感謝こそすれど、謝ってもらうことはひとつもありません」


 全く嘘のない言葉だった。

 そう、チカラモチャーとして、これ以上の名誉はない。



 ◇◇◇




 普通誰かと寝ると、熟睡できないという話も聞く。

 けど、僕は普通に朝練できないほどの寝坊をしてしまった。


 チチチ、という小鳥が鳴く声がする。


「はっ!?」


「三回起こしても起きないから諦めた」


 がばっと起きた僕に、フユナ先輩は伏し目で自身の剣を研ぎながら言った。


「いつもは力ずくで起こされるのに」


「あんまりに心地良さそうに寝てるものだからな……布団で寝たのは久しぶりなのだろう?」


 そのうちに起こすのが忍びなくなった、と先輩は先輩らしくないことを言った。


「すみませんでした。夕はしっかりやります」


 水場を借り、身なりを整えた僕は窓から外の様子を見る。


 今は皆、食堂に向かう時間だ。

 もちろん寮の裏を歩いている人などいない。

 窓の外を覗いている人もいないことを祈ろう。


「出られそうか」


「はい。お邪魔しました」


 僕は窓枠に足をのせる。


「接待したんだから、頑張ってもらうぞ」


 フユナ先輩が後ろでニコッと笑った。


「なるほど、そういう意図でしたか」


「それ以外になにがある」


「それなら今晩もお願いし――まぶっ!?」


 窓から突き落とされた。



 ◇◇◇



 入学式から3ヶ月経ったある日のことだった。

 その日も普段と変わりばえのしない、学園での一日。


 授業が終わり、僕とフユナ先輩はいつものように木刀を突き合わせて稽古に励んでいた。


「もっと身軽に振るえ! 教えただろう」


「そこで正座するな! お前はなぜそんな暇がある!」


 今日は体育館が先生たちの行事で使えなかったので、体育館裏でやっていた。

 ここは防風林が植えられていて、案外人目につかないことに気づき、最近使うようになった。


 木刀を十二分に打ち合わせると、フユナ先輩がスカートをひらりと揺らし、距離をとった。

 木刀を下ろし、互いにふぅ、と息を吐く。


「まだまだだが、それなりの動きにはなってきたな。三年に混ざっても支障ないだろう」


 フユナ先輩が、落ち着かなくなったブロンドの髪に手櫛を入れる。


「ありがとうございます」


「一年の後期になれば、『討伐』タイプのクエスト依頼も受けられるようになる。今のお前でも【上等兵】くらいにはなれるだろう」


 ちなみにまだ三年生でありながら、フユナ先輩の階級は【准尉】だ。

 卒業目標の【兵長】の4段階上になり、学園で教師役も務めることができるだけでなく、王国騎兵隊や禁軍への加入も可能なランクである。


「水がなくなったな。汲んできてくれ。戻ったらもう少しみっちりやる」


 フユナ先輩が空っぽの水袋を渡してくる。


「わかりました」


 僕は言われた通りに汲みに行く。

 だが彼女に近づいてくる複数の気配に、気づいていないわけではなかった。




 ◇◇◇




 水を汲みに走っていく背中を見送りながら、フユナはため息をついた。

 一年生に期待し過ぎだろうかと考え、いつものようにその考えを頭の隅に追いやった。


 サクヤの剣の腕は、この二ヶ月ほどで明らかに上達している。

 一年生とは言え、ここの生徒のなかでは、今や間違いなく自分に次ぐ実力になっただろう。


 相変わらず希薄で迫力のない『存在感のない剣バックグラウンドソード』であることに変わりはなかったが。


「あのサクヤなら、きっとカルディエ相手でもいけるのだろうが……」


 フユナは空を見上げていた。

 あれを目にしてから、フユナはどうしてもサクヤに期待してしまうのだった。


 サクヤが秘めている、とんでもない力。

 自身すらも凌ぐかもしれない、底知れぬ力。


 しかしサクヤはあの「異常な動き」を自分で意識してできるわけではないようだった。


 鍛錬中に引き出そうとしても、それは一度も叶わなかった。

 だからフユナは、サクヤの力の底上げに全力を傾けることにした。


(それでも、このまま鍛練についてきてくれれば)


 サクヤに叩き込まれていた基礎は、自分から見ても決して悪くなかった。

 なかでも剣の流れは今までに見たことのないほどに無駄がなく、美しいものだ。


 それにサクヤはああ見えて、意外に芯は強いのが好ましい。

 厳しい修練にもついてきてくれるから(ただし泣き言は言う)、だんだん手放したくないと思うようになった。


 ユラル亜流剣術道場での後輩指導を思い出す。

 フユナにとっては、自分と同じ鍛錬を課しても逃げていかない後輩は久しぶりだった。


(あと3ヶ月ある)


 それを土台にして鍛練を重ねていけば、あの秘めた力がなくともきっと……。


 そんな事を考えていたフユナは、気づかなかった。

 この学園にいるはずのない人物が、自分に歩み寄ってきていることに。




 ◇◇◇




「あーら、お久しぶりじゃない、『泣き虫劣等生』様」


「………!」


 フユナは、はっとした。


 顔を上げると、ぴったりとした茶色のつなぎの革服に身を包んだ、黄色の髪を三つ編みにした女と、その女を守るように黒い燕尾服に身を包んだ3人の大男が立っていた。


「庶民の第三学園へ入学されていたなんて、劣等な先輩には実にお似合いねぇ」


 フユナの目が見開く。


 細く、吊り上がった目は人を侮蔑するのに慣れているかのよう。

 フユナは片時もこの女の顔を忘れたことなどなかった。


「……ヴェネット……どうしてお前がここに」


 ヴェネットが右の口角だけを上げるようにして笑った。


「なにそれ、冷たいわねぇ。あれだけお世話になったフユナ先輩が第一学園に居ないと言うじゃない。だからわざわざ挨拶に来てあげたのに」


 言葉通りなら大層礼儀正しい人物ということになろうが、相対しているフユナはニコリともせず、ただ目を細めた。


「……お前は昔からそんな柄じゃないだろう」


「いーえそんな。わたしねぇ、誰かと違って大人になったの。上流貴族の娘として、『泣き虫劣等生』のお姉様にもきちんと挨拶できるくらいにね」


 ヴェネットは『泣き虫劣等生』という言葉だけをやけに強調してみせた。


「……お前の言っていることはすでに挨拶と言わない」


「あら、やっぱわかったぁ?」


 ヴェネットが手で口元を隠し、含み笑いをする。


「ところでフユナ先輩こそ、こんなところで木刀を持ってなんのお遊び? いや、まさかとは思うけどぉ、『連合学園祭』に向けて、こんなに早くから頑張っちゃってるとか? とかとか?」


「………」


「えーホントに? ちょっと涙ぐましいじゃないの! まぁ確かに、二つも年下のわたしに惨敗して追い出された『泣き虫劣等生』ですもんね。劣等生だから、今からそれぐらいしなきゃね!」


「………」


 フユナが唇を噛んだ。

 その手にある木剣が、小刻みに震え始める。


「……私を以前のままだと思うなよ」


 フユナがヴェネットを鋭く睨みつける。


「あらぁ。おもしろいことをおっしゃるわねぇ。『真髄』を授けられたわたしのセリフならまだしも」


「『真髄』などそもそも不要。日々の泥臭い努力こそ力の全て。お前のように面白いことしかしない奴など、努力次第でたやすく追い抜けるのだ」


 フユナは揺るぎない態度で告げた。


 この世に、才能を持つ者と持たざる者の二者がいることは、フユナも理解している。

 ヴェネットが前者であり、自分が後者であることも。


 ――だが『持たざる者』は、本当に『持つ者』には勝てないのだろうか。

 フユナは継承者になれずに道場を追い出されてから、来る日も来る日もそれを考え続けてきた。


 そして、考え抜いたフユナの出した結論は、『否』だった。


 努力を続けていれば、持たざる者の『努力の剣』が持つ者の『天才の剣』を上回ることは決してあり得ない話ではないはずだ。


 なぜなら『努力の剣』は、日々絶え間なく磨き続けられるのだから。


 ヴェネットに負けたのは、偏に自分の努力が足りなかったのだ。

 『努力の剣』が『天才の剣』を超えるには、それを上回るだけの惜しみない努力しかない。


 奴を超えられるほどに、磨き上げるしかないのだ。


 フユナはそう信じて、今までの日々を歩んできた。

 次こそは絶対に勝つ、という、確固たる信念を持って。


「アハハ笑っちゃうー! 『ユラル亜流剣術』の真髄を授けられなかった実力の無さを、この期に及んでまだ認められていないのね」


 手の甲を顎に当て、上品なしぐさで嘲笑うと、ヴェネットが近くに置かれていた木刀を指先だけで拾った。


「ひとつ教えてあげるわ。今年、『連合学園祭』でフィネスお姉様と組むのは一年生のわたしよ。カルディエお姉様を追い抜いちゃったから」


 わたし、努力なんてめんどくさいことは一切してないんだけど、とヴェネットは付け加えた。


「………」


 フユナは特に驚かなかった。


 ヴェネットの類まれな才能に驚愕していたのは、カルディエとて同じだった。

「いずれ自分も抜かれますわね」とヴェネットの入門当時にカルディエがつぶやいていたのをフユナは思い出していた。


「でも学園祭まで待つ気はない。無能な人間がいくら努力しても無駄だということ、わたしが今ここで教えてあげる」


 ヴェネットが木刀を突き出すようにして、半身に構えた。

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