第33話 フユナの過去

 


「にしても、広いですね……みんな同じ部屋なんですか」


「二人で共用する部屋もある。幸い私は一人部屋をもらっているが」


 部屋は1LKといったところか。

 8畳くらいのリビングに、6畳くらいの部屋がひとつ。

 キッチンらしき場所が用意されており、そこは水も出るらしかった。


 今の僕から見ると、極上の部屋だな。


「ほかに濡れた服は」


「幸い大丈夫です」


 肌着や靴下もびしょびしょだったけど、さすがに懐に入れた。


「……まあいいか。体を拭いたら、これでも読んでろ」


 そう言って僕の目の前にぽん、と置かれたのは、『ユラル亜流剣術』の教本だった。


「おぉ」


 目次を見ると、敵と相対した際の構え、足の運び、体重の移し方などが書かれている。


「フユナ先輩、やっぱり『ユラル亜流剣術』だったんですね」


「知っていたか」


「友達から聞きまして。これ、僕が読んでもいいんですか」


「継承者は3人に絞られるが、門徒は広く募っているし、全員が女である必要もないのさ」


 フユナ先輩が僕の脱いだズボンを両手で絞りながら言う。


「では遠慮なく」


 僕は無我夢中でその教本を読み耽った。

 剣に関しては完全に独学だったので、ページをめくるたびに好奇心がそそられる内容が目白押しだ。


「案外に熱心に読むじゃないか」


「いつも熱心ですよ」


「本当かな。ならもっと腕が磨かれていてもいい気がするが」


 フユナ先輩がくすくす笑った。

 そんなフユナ先輩は僕に背を向け、濡れた服を干してくれている。


 白いフレアスカートから見えていたふくらはぎが、背伸びしたせいで下太ももまで覗かせた。


 まあ、今はそれに見とれている場合ではない。


「サクヤ、まだ髪から滴ってるぞ」


「あ、すみません」


 言われて気づいた。

 触ってみると、後ろ髪から背中へとぽたぽた滴っていた。


「つい夢中になっちゃって」


「しょうがない奴だな。いい、読んでろ」


 小さく笑ったフユナ先輩は僕の真ん前に両膝を揃えて座った。


「……えーと?」


「じっとしてろ」


 何をされるのかと思えば、僕の後ろ髪をタオルで拭いてくれているのだった。


 だが、ことはそう簡単ではない。


 接してはいないものの、フユナ先輩に、前から抱かれているような形だ。


 目の前に迫る白い谷間。

 フレアスカートから出る、並んだ太もも。


 すっきりとした香りに、つつまれる。


「目のやり場に困ります」


「教本を読んでるんじゃなかったのか」


「今や発情期の若者ですから」


 フユナ先輩がゴシゴシと僕の髪を拭きながら、僕の耳元でくすくすと笑った。


「集中力が足りないな」


「くっ……」


 試されているのか、僕は。




 ◇◇◇




「お前には床で寝てもらうぞ」


「敷布団までもらっていいんですか」


「当たり前だ。いつもないのか」


「いつもは毛布だけです」


 毛布でちょっと寒いくらいだけど、ソレ以上は暑すぎる気がして買っていない。

 魔界でもずっとこの毛布で寝てきたしね。


 というわけで、フユナ先輩はベッドで、僕は下の床に転がった。


 それからは案外、誰かと同じ部屋で寝るのも悪くないなって思うほど、楽しい会話になっていた気がする。


 フユナ先輩も僕も、剣を追い求めている似た者同士。

 話も合う上に、お互い天井に向かって喋っているから、さっきからなんだか言いづらいことまで言えてしまっている気がする。


「フユナ先輩はいつから『ユラル亜流剣術』を?」


「4歳からだな。最初は父や母に『自分が一番出来がいい』と言われ、本当にそうだと思っていたよ」


 フユナ先輩が天井に向かって笑った。


「そうじゃなかったんですか」


「8歳ころかな。現実を思い知らされた。どう足掻いても、一本も取れなくなった相手がいてな」


「きっとあのお方ですね」


「そう。フィネスさ」


『ユラル亜流剣術』一番の使い手、【剣姫】たるフィネス第二王女だ。


「同じ歳と思えないほどに、フィネスは人格者だ。私は今でも彼女を尊敬している」


 負けて悔し泣きするフユナ先輩の肩を抱き、至らなかったところを丁寧に説明し、こうされると嫌だったとまで毎回教えてくれたという。


 そして、その話の最後には「あなたは強い。あなたが私のライバルよ」と必ず付け加えてくれたそうだ。


「私はそれが心底嬉しくてな。ずっと彼女のライバルでいられるように強く在ろうと、日々鍛練していた」


 暗闇の中で、フユナ先輩の声が言葉通りに弾んだ。


「だが……そんな生活を送っている間に、私は逆に怖くなっていたのだ。……いつかフィネスから見放される日が来てしまうのではと」


 その恐怖が刺激される日々が始まる。


 間もなくして、フユナ先輩は負けが込んでしまうようになる。

 次に勝てなくなったのは、彼女のひとつ年下のカルディエという女。


「そこで私は2年以上務めたフィネスの相手役から外された」


「厳しい世界ですね」


「当たり前だ。盾無しでは最強と名高い道場だぞ」


 日中は人が溢れてしまい、道場の中で練習できない者もいるという。


「だが、そうとわかっていても、堕ちた現実はなかなか受け入れられなかった。フィネスと打ち合うカルディエを見て、毎日胸が千切れてしまうのでは思うほどに苦しかった」


 それでもフィネス第二王女は先輩のところにわざわざ来てくれて「戻ってくるのを待っている」と何度も言ってくれたそうだ。


「先輩に期待してくれていたんですね」


 僕の言葉に、フユナ先輩が小さく笑ったのが聞こえた。


「……見合う努力はしていたつもりだった。それでフィネスの相手役に戻れたらよかったんだが」


「だが……?」


「カルディエに敵わないまま10歳になった頃、2つ年下が鳴り物入りで入門してきてな」


 現、第一国防学園学園長の愛娘ヴェネット。

 才能に満ちた少女の入門に、ユラル亜流剣術の道場がかつてなく沸いた。


「そんなヴェネットにも入門早々打ち負かされた。偶然だと思いたかったが、翌日、翌々日も滅多打ちにされてしまってな……さすがにあれは堪えた」


 何度やっても、フユナ先輩はヴェネットには勝てなかった。


 毎晩ベッドに潜り込むと、自分を打ち負かしたヴェネットの歓喜した顔が脳裏に浮かんで、涙があふれたという。


「才能の差を感じたよ。天才とは、ああいうのを言うのだろうな」


 フユナ先輩の声からは、今でもその口惜しさが伝わってくるようだった。


 聞けば、ヴェネットは毎日積み重ねるような努力は一切しない人物だったらしい。


 実戦で打ち負かしたり、魔物を狩るなどは楽しいので必ず参加するが、地味な練習の類は木刀を握ろうともしないし、今日は手合い無しとわかれば平気で休むような女だったという。


 なのに、フユナ先輩は勝てなかった。

 フユナ先輩が日々地道に努力し続けているのに、遊んで歩く女に負ける悔しさは如何ばかりだったか。


 才能の差と言うのは易いが、これほど理解したくないことなど、ほかにないだろう。


「その2つ年下のヴェネットが私につけたあだ名は、『泣き虫劣等生』だ」


「泣き虫……?」


「笑っていいぞ。私は泣き虫だったのだ」


 フユナ先輩が自嘲した。


「別に面白くありませんよ。というか僕もむしろそっちの人間ですから」


 負けず嫌いだからわかる。

 剣技を磨くために強者たちに挑み、這々の体で逃げたことも数え切れない。


 喉が熱くなって悔し涙が上がってくる感じは、もちろん僕も慣れ親しんだものだ。


「『劣等生』とは、『ユラル亜流剣術』を引き継ぐ3人に選ばれないだろうことを嘲笑ったものだ。……だが私はそれが悔しかったわけではない。『劣等生』の烙印を押されることによって、フィネスの気持ちが変わることの方が怖かった」


 フユナ先輩は苦しげに言った。


 その頃になると、フィネス第二王女は雲の上の存在となり、剣も合わせなくなったせいで、会話もなくなった。


 偶然顔を合わせても、恐怖心からフィネスにその心の内を聞くことなど、到底できなかったそうだ。


「努力はしていた。そんな望まぬ名を頂戴して、悔しくないはずがなかったからな」


 親に土下座して頼んで、料理や作法など習っていた他の稽古ごとをすべてやめて、持ち合わせた時間を全て剣の稽古につぎ込んだ。


 しかしそれでもヴェネットからたまに一本奪えるくらいで、序列は変わらなかったという。


「その年の夏に、フィネスが『一番目の継承者』と認められた」


 友人として彼女の栄光を喜びながらも、フユナ先輩は一向に成長しない自分に苛立ちを抑えきれなかった。


 その数ヶ月後、カルディエが二番目の継承者となると、残りの枠を懸けて、フユナ先輩とヴェネットの争いが熾烈になった。

 目の色を変えて、フユナ先輩は日々、剣に打ち込んだ。


 そして、フユナ先輩は泣いた。

 その数ヶ月後の、最後の継承者が決まった日。


 フユナ先輩の『努力の剣』は、ヴェネットの『天才の剣』に敗れたのだ。


 三日三晩泣き続けた先輩は、師匠へ最後の挨拶にも行かなかった。

 入学が決まっていた第一国防学園に入らず、第三国防学園を選んだのも、先輩なりの反発だったらしい。


 そのため、親友だったフィネス第二王女ともそれきりになった。


 しかしフユナ先輩は剣を捨てることはせず、むしろ学園に入ってから、今まで以上に泥臭く剣に打ち込んだそうだ。

『ユラル亜流剣術』の真髄などなくとも勝てるほどに、自身を鍛錬しようと心に決めて。


「その時に、私は二度と泣かないと固く自分の心に誓ったのだ。過去の自分と決別するために」

 

「……それでなんですね」


 昨年の『連合学園祭』では、とうとう第二国防学園を打ち破った。

 だが第一国防学園との戦いでは、フィネス第二王女とカルディエのペアに遭遇し、敗北したという。

 

「フィネスと剣を重ねる前に、カルディエに打たれてしまってな」


 フユナ先輩とパーティを組んだジョリィがカルディエに早々に倒されてしまい、フィネスと打ち合おうと駆けていたフユナ先輩は背後からやられたのだという。


 

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