一刺し抜き

 妖怪が狂気より生まれたものならば、当然その狂気は人間より生まれたものだ。しかし、人間の感情は全てが全て例外無く、狂気と呼べるものかもしれず、それもある種当然のこと。ならば人間自体が狂気であり、むしろ人間すらも狂気より生まれたのかもしれぬ。そして人間も狂気より生まれたとするのならば、世の全てを生むものは狂気なのであろう。

 世の全ては狂気より生まれ、狂気に没す。

 世界は狂うまでもなく狂っているのであり、正常という概念こそがそもそも狂っている。

 のである。

 さて置き。

 目前の人間は間違えようもなく狂っていた。

 蝕は、面倒なことが始まりそうだと、朧げに、そして確かに、感じたのだった。



 *   *   *



 場所は日本の何処か。時間は戦国の何時か。

 一人の男が山の中の街道を、のらりくらりとのんびりと、何をするでもなく、目的地もなく、歩いていた。

 それは随分と、美しい男だった。女と見紛いそうな、美しさ。白い肌、黒い髪。長めの前髪に、通った鼻筋。そして、鋭い目つきに――深淵の如く漆暗の眼。ともすると、喰らいついてきそうな、少々恐ろしい目だった。

 名は、むしばみ

 神喰かみぐらいなどという罰当たりな姓も一応持っていたが、面倒なので名乗ることは少なかった。

 そしてこの男、実は人ではない。

 妖怪。アヤカシ。

 そういった類のものであった。

 しかし、普段はこのように人の形をして、当たり前のように人の世を生きていた。基本的に彼は人間に対して寛容であるし、むしろどちらかというと、可愛い女性は好みだった。

 と、蝕の足が止まる。

 目の前に、人の女が倒れていたのだった。

「…………」

 周囲を見渡しても、倒れている女以外には誰も居ない。何処か遠くで、鳥の鳴くような音が聞こえた。上を眺め、しばし考える。暖かな木漏れ日、枝葉の隙間から見える青空。世間の喧騒から離れた、平和な雰囲気。面倒なことは避けたかった。

 視線を戻し、女をよく眺めてみる。

 すす切れて薄汚れた服。草木で切ったのであろう、傷のある手足。腕に抱えているのは――漆黒の鞘に収まった、刀。痩せ気味で、しかし女らしい体。そして、顔。少しやつれ気味ではあるが、まだまだ若さの感じられる肌理。少々汚れてはいるものの、中々に整った顔立ち。瞼を閉じていた。

 さて。決まった。

 女に近づき、蝕は声をかける。

「……おーい、綺麗なお姉さん。気持ち良い陽気なのは分かるが、こんなところで眠っちゃ駄目だぜ? こんな美味しそうな顔と肉体してよ、どんな脅威が待ってるか分かったもんじゃない。刀抱えてたって勝手に身を守ってくれちゃーしねーよ。知ってたか? ほら起きなよ、目ぇ覚ましなよ。美しいお兄ちゃんが目の前にいるんだぜ。見なきゃ損だよ」

 軽い性格だった。

 蝕が揺さぶると、女は目を覚ます。

「ん…………」

「おはようさん。腹でも減ったのか? 飲み物と食い物なら運良く持ってるから、やっても良いぜ。御代はとらねーよ」

「…………。……!」

 はっと、目を見開く女。周囲を急いで見渡し、そしてやがて、安心したように、ほぅっと息を吐く。

「ん? どうしたどうした? ああ、もしかして誰かに追われてんのか? だとしたらその刀は盗品か? おいおい、女盗人さんかよ。これまたたまげたな。とんだ拾い物だぜ」

「……あの、ええと……」

 女は戸惑った様子だった。それを見て蝕は、落ち着かせるように言う。

「あー……とりあえず、歩けるか? さっき近くに人のいねぇ山小屋見つけたから、そこにでも行って話するか」

 優しげに語りかける。女を誘うには、第一印象が大事だ。頼れそうな雰囲気をかもし出し、人を惹きつける微笑を浮かべれば、困っている女など口説くのは簡単だ。求めてるものを目の前に差し出してやれば、人間はそれに飛びつくものだ。蝕は何とはなしに、そんなことを頭の片隅で考えていた。

 まぁ、そんな簡単なものではないか。

 そこまで単純では、全然美味くない。

 思考を切り止める。

「……はい」

 そして女は、静かに頷いた。


 移動。


 そこは、崩れたような小屋であった。

 とりあえず蝕は、持っていた水と握り飯を女にやった。彼は何も摂取しなくても、相当生きて行ける。そんなものは、うっかり貰ってしまっただけなのだから、女にあげたところで何も困るところはなかった。

 やはり腹も空いていたのだろう、女は握り飯を軽く平らげ、水も綺麗に飲み干した。

 女は一息ついて、

「ありがとう御座いました」

 と、言った。

「あ? ああ、気にすることねーよ。それより、何であんなところにぶっ倒れてたんだ?」

 話を繋げるためと、少しの好奇心から、蝕は軽い調子で聞いてみる。

「それは……」

 言いづらいことがあるのだろうか、女は口篭もる。蝕は女が抱いていた刀――今は戸口のところに立てかけてある――を、指差して尋ねた。

「やっぱり、あの刀が関係あるのかな?」

 女はゆっくり頷き、そして、言葉を繋げる。

「はい。あの刀が……」

「あの刀が?」

「いけないのです」

「……は?」

 要領を得ない。さすがに説明不足だと思ったのか、女は言い直す。

「あの刀は、呪われているのです……」

「呪われてるってーと……俗にいう、妖刀の類か。ははぁ。で、何でお姉さんがそんなもん持って倒れてるのさ?」

 道理であの刀、おかしな雰囲気が漂ってるわけだ――と、心中納得しながら、蝕は話を促す。面倒事になり得るし、この場で女とおさらばする選択肢もあったのだが……。

 何故か、興味が、沸いた……のだった。

「……数年前……。十には及びませんが、それでも大分前。、私の夫があのかた……」

「おい、待った。夫がいるのかよ?」

 聞いておいて、言葉をすぐさま遮る蝕。

「え……? え、ええ、はい、まぁ……」

「…………えーっと、さらにもう少し待ってくれ……。どーすっかな……」

 下手すると、予想よりも面倒なことになりそうだ……。蝕の中で、このままさらっと去るか話を聞くかで、大きく天秤が揺れた。

 もう一度、女の容姿を眺める。

 上から――――下まで。

 舐めるように。

「……なんですか?」

 怪訝そうに首を傾げつつ、座りなおす女。

 ――飯喰ったら血色良くなって、さらに美味そうになったな……。

 そんなことを思う蝕だった。

「よし。ああ、良い。続けてくれよ」

「…………。ええと、数年前のある日、夫があの刀を持って帰って来たのです。どうしたのか、と尋ねると、山で死体に突き刺さっていたのだ、と答えるのです。私は、そんな不吉な刀捨ててしまえ、と言ったのですが……、夫はそれを決して聞き入れませんでした。はじめの内は、刀を抜いて眺めたりする程度でしたが、だんだんと、それで斬り試しをするようになり……そして、とうとう……」

 女の顔に、翳りが生まれる。

「ついに、人を斬っちまったか」

「……はい……。家で人と飲んでいる時、口論になったみたいで……気がついたら夫は、刀を抜いていて、相手は血塗れで倒れ伏してまして……。私達は、村を追われるようにして随分離れたところに暮らすことに、なりました」

「ふぅん……」

「それで終わればまだ良かったのですが……。夫の刀への執着は、どんどん増していきました。近づく者近づく者に対し、刀目当てではないかと疑いを掛け、刃を向ける始末。しかも、夜な夜な……人を斬りに外に出ているみたいなのです」

 夜中にうろつき、人を斬る。

 人を斬らずに、居られない。

 それはもう、人間ではなく。

 殆ど、妖怪だ。

 血に飢えた人間。

 血に餓えた妖刀。

「……尋常じゃねーな……」

「はい……。さらに、先日……、物売りに来たお爺様まで、斬り捨ててしまいました。私の、目の前で……」

 女は辛そうに、俯きながら話す。瞳は潤んでいるようにも見えた。しかし、人――蝕は妖怪だが――に話すことによって……幾分か、何分か、楽になっているような感じもあった。

「近頃は、私にまで刃を向けてくるのです。今にも斬りかからん勢いで……。その形相も、その刀も、とても恐ろしくて……私は……。……夫は、以前は優しかったのに。あんなに私に笑いかけてくれたのに。悲しくて、苦しくて…………」

 話はどんどん支離滅裂になっていく。女は、泣いていた。顔を伏せ、はらはらと涙を流していた。そして、呟くように、言った。

「……もう、止めて欲しかったのです……」

 その声は、搾り出すようだった。

「はん。それで……、刀を持って逃げた」

「はい」

 首肯する女を見て、蝕は溜息をついた。逃げて逃げて必死で逃げて、草木の鬱蒼とした山の中を掛け抜けて、服と肌を切って、そして力尽きて、あそこで倒れていたのだ。

 面倒な話だ。

 だが、特にしてやれることなど――。

 蝕が女に、してやれることといえば。

「なぁ……その刀よぉ……」

 貰ってやろうか? と口にしかけて、止まる。そんな行為は、面倒なことに首を突っ込む行為に他ならない。大体蝕がそれを保管しても、刀を紛失した女を放っておけば殺されるだろうし、そこをどうにかしたところで――蝕が今度は追われる羽目になる。人間程度に追われたところで、別段大したことはないが……それでも面倒だ。詰まらない。終わらない。

「……はい?」

 濡れた顔を、女は上げる。

 蝕は、続く言葉を変えた。

「……ちょっと見せてくれねーか? どんな刀なんだよ?」

 一目見てから対処を考えても、遅くはないだろう。それは思案の時間稼ぎ。

 女がそれに答え、

「あ、ああ。……はい。その刀、刃が――」

 ようとしたところで。


 がらっ!


 扉が、開いた。

 凄まじい形相の男が、そこに立っていた。

 迂闊にも――蝕は。

 扉に背を向けていたのだった。

 思案に夢中で、気付くのに遅れた……?

 刀ごときに、気を取られた?

 一瞬の混乱。

 蝕が、振り向く、その前に――、

「はぁっ、はぁっ……ヤ、ヤミサキィィ!」

 男は叫び、そこに立てかけてあった刀を素早く手に取りつつ……さらに、叫ぶ。

「お前、お前、よくも……! そうか、そうだったのだな――お前! この男に、ヤミサキを渡そうと――!」

「――   !」

 声にならない女の悲鳴。そして。

 振り返りきった蝕が見たモノは。


 何かにとり憑かれている瞳。

 血走った尋常ではない目。

 怒りをぶち込んだ化物。

 人を超えた怒りの顔。

 壊れ尽くした表情。

 狂い切った形相。

 狂気に殺す男。

 柄を握る手。


「おぉぉのぉれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 そいつは叫びながら、刀を鞘から抜き放つ。

 その刀は、その刀身は――、


 黒かった。


 夜のような暗さ、闇のような重さ。

 漆黒のように黒く、暗黒のように黒く――しかしそれでいて、確かに鋼の如くキラリと閃いた。闇色に、煌いた。

 男は抜き放った刀をすぐさま振りかぶり、そして――振り下ろす。蝕へ。その、一瞬を――彼は見ることが出来なかった。

「――――っ!」

 女が、男の妻が、間に割って入ったのだ。

 飛び込んだのだ。

 両腕を広げて、蝕を守るが如く……。

 だがそれは、蝕を守るためではなく、男をなだめるのが目的だったのだろう。諌めるのが願望だったのだろう。彼女の表情が全てを物語っていた。

 もう、止めて、欲しいと。

 だが、刃は、止まらない。

 裂かれる胸元。

 舞い散る鮮血。

 確実な致命傷。

 一瞬で、一つの命が散った。

「ちっ……」

 舌打ち、蝕は――後ろから女を蹴飛ばす。

 遠慮無く容赦無く躊躇無く未練無く。

 座った体制から足を突き出し、斬られ絶命しつつある女の身体を、刀を振り抜いた男の方へと、思いきり、蹴り飛ばした。

 男は戸惑う。

 女の行動にではなく、女の表情にでもなく、女を斬ってしまったことにでもなく――既にそんな正常は持ち合わせていなかった――女が自分の方へと飛んできたから、であった。

 防衛本能までは捨て切っていなかった。

「なぁっ!」

 驚き、反射的に、さらにもう一度刀を振るう男。既に死ぬことは確実であった女の身体が、再び切り裂かれる。さらに飛び散る赤い液体。

 それで、充分過ぎた。

 刀というのは重く、振りきった後には必ず隙が生まれる。ましてやそれを二度振るうだけの時間ともなれば……蝕にとって、懐の匕首を抜き放ち構えるのには、充分過ぎる。

 驚きの余韻からまだ覚めぬ男が、切先の下がりきった刀を持ちなおす前に。

 女の身体が崩れ落ち、それに遮られていた男の視界がその内に、蝕を捕らえた時には。

 男の首を、深深と、ずぶずぶと。

 匕首が、突き、貫き通していた。

 男は徐々に後ろへと、倒れ行く。

「――、―――― !   」

 喉を裂かれて、声はひゅぅひゅぅと空気が抜ける音にしかならない。

 ばたん。

 そうして男は事切れた。

 あっけなかった。

「…………おやすみさん。まぁ……喉笛裂かれちゃ生きていられないくらいには、まだ人間だったってことだな。ひひ……」

 蝕はそう呟いて、足元の男を眺める。見事に死んでいた。歪み果てた男の顔は、その手に握られた妖刀の方へ、向けられていた。

 刀。

 妖刀。

 真っ黒くどす黒いその刃は、斬り殺した女の血に塗れ、ぬらぬら、ぬらぬら、きらきらと、生きているかのように輝いている。

 まるで、血を吸っているかのようだった。

 蝕は男の喉から匕首を引き抜き――血がどぶどぶと流れ出てきた――紙で血を拭い取る。刃はほんの少し欠けてしまったが、後一回二回くらいは、使えそうだった。

 ちらり、と、妖刀をもう一度、見る。

 ……妖刀の黒過ぎる刃は、何処にも少しも欠けている部分など、見当たらなかった。



 *   *   *



「やみさき。ヤミサキつってたな、あの男……」

 あれから少し経った後、蝕はあの場を離れ、道を歩いていた。現場はそのまま。これ以上面倒臭いことに巻きこまれたくは、ない。

 のだが。

 何となく、あの刀を持ってきてしまっていたのだった。

 刀身が真っ黒い、刀。

 怨念を収斂したような、刀。

 血を吸いぬらぬらと輝いた、あの刀。

 今は鞘に収まっているが、その鞘の下に納まっている刃は、限りなく黒いだろう。

「闇裂き……闇咲き? ああ、いや……、そうか。『夜岬やみさき』、だな」

 思うところが、ないでもない。

 感慨深くは、ないけれど。

「ひひ……」

 一人、自嘲気味に笑う。皮肉的な笑みが、自然に口から漏れた。しかしすぐその笑みを消して、刀の柄を調べる。数字が、振ってあった。

「十七……か。十七振り目。これはどうにも割り切れねぇなぁ……。算術の問題じゃねーけど」

 そんなことをぼやきながら、何とはなしに鞘を少しずらしてみる。

 黒い――刃が。姿を、現す。

 黒い、黒い。暗い。

 それを、日に透かすようにして見てみる。微かに日の光を透き通す、その刃。あくまで暗く。黒く。しかし確かに透き通るその刃は、とても妖しい雰囲気をかもし出していた。

「あー、間違いねーな、こりゃ……」

 そう呟いた、

 と。その、瞬間。

 目の前に、突然、若い男が立っていた。

「……え?」

 突然? 人間が、突然? 何の前触れも無く――他の誰ならいざ知らず蝕の、目前に。

 突然。

 気を逸らしていたとはいえ、蝕が気づかない間に視界に入り込む。それだけでも、相当の手練であることがわかる。

 一体何者……。

 怪訝そうに、眉をひそめる蝕。

 おもむろに、その男は口を開く。

「お主が、通津作つづさく殿か。拙者は宵丸よいまると申す」

「は?」

 人違いである。蝕はそんな格好悪い名前を名乗ったことは断じてない。

 いや、格好悪いかそうでないかは、その人の感性によるものだから一概にはいえないことなのだが、少なくとも蝕は通津作よりも自分の名は格好良いと思ったのだった。

 違う、そんな話はどうでも良い。

 若い男――宵丸は続ける。

「その刀――『夜岬』を譲って頂きたい」

「……あ?」

 突然何なんだ手前、突然過ぎるにも程があるぜわけがわからねぇ、誰か理由を説明しやがれっていうかお前が理由を説明しやがれ、宵丸だが何だかしらねーけど拙者とかお主とか気取ってんじゃねー……とか文句を並べようと思った蝕だが、それは叶わなかった。

「などと言っても無駄であろうな。いざ、尋常に勝負!」

 問答無用にそう言い捨てた――、

 刹那。

 宵丸は目の前にいた。

 少なくとも十歩分は離れていたであろうその距離を、一足飛び――一瞬にして飛躍し、刀を抜き放ち、斬りかかる。

 それだけの行動を、刹那でこなした。

 何の、事前動作も無く。

「は、あぁぁっ?」

 わけがわからないわけがわからないすこしもわからないどうしようにもワカラナイ!

 分からない、が! このまま分断されるわけにもいかなかった。

 蝕は抜きかけていた『夜岬』を抜ききり、迫る刀を受ける!

 ガィンッ!

 凄まじい重量の衝撃が、蝕の腕に走る。腕が、痺れる。刀など折れてしまいそうだ。

 この男――手練どころではない!

 速さも、強さも……段違いだ!

 ――しかし、その認識も、まだ甘かった。

「疾っ!」

 その衝撃がまだ生きている間に。受けた刃がまだ振動している内に――男の刀は、もう一閃したのだ。

 宵丸は。刹那の、さらに刹那の間に刀を引き抜き、逆側から斬りかかったのだ。

 正しく電光石火。 音すらも無い。

「ぅ、うぅあっっ!」

 蝕は必死に仰け反る。

 地と天がひっくり返る。

 かろうじて――本当に寸での所で、斬撃を避けきる蝕。目の前で斬られた髪の毛が宙を舞っているのが、良く見えた。艶やかな髪の毛してるなぁ、憎いぜ蝕さん……とか、自分で思ったりした。

 急いでそのまま二転三転し、後ろへ移動する。無様も何もいっていられない。

「ちょ、ちょ、ちょーっと待てよ! 待てよ待とうぜ宵丸殿よ! 待つことは美徳だぜ? 心の余裕は勇ましい男の象徴だ。男の心こそ、山のように雄大で空のように広大であるべきなんだぜ? おいおい、いきなり人違いで斬りかかんなよ。狭い男と、安い男と、見られちまうぜ? あんたの心は幼子のお遊びで作られた砂の山じゃねーんだろーが。ああ、俺は分かってるぜ。よーく知ってるぜ。宵丸殿はでっかい男だ。うんうん、誰を差し置いても俺が認めるよ。いやいや危ねぇ。死ぬところだったぜ。つーか、死ぬよ。何あんた、人間? 人間業じゃねーよ、何だその凄まじく激しい踏み込みと抜刀術に加えて斬り返し! 有り得ない有り得ない有り得ないって。あんたの存在こそが有り得ねー……。謝罪と説明を要求するぜ。御代はほら、あんたがたった今切り取った俺の美しーい髪の毛ってことで、どう? なぁ?」

 距離を取りつつ、手を振りつつ、宵丸の斬り込みよりも凄まじい速さでまくし立てる蝕。

 舌を全速力で回す。

「……む、人違い?」

「ああ、思いっきり人違いだ。加えてなんかの勘違いもしてんじゃねーの?」

「通津作殿ではないのか?」

「知らねーよそんな奴。何処のせこい男だ?」

「その刀は『夜岬』の十七振り目ではないのか?」

 真っ黒い刀身を見て、宵丸は聞く。確かに《それ》を知っている者にとっては、動きようがない『夜岬』の証拠であろう。

「あ? ……ん、ああ、成る程。そうゆうことかよ。ひひ……あー、あー」

 蝕は得心行ったように頷き、ちん、と、『夜岬』を鞘へとしまい込む。とりあえず、大体状況は呑み込めた。やっと落ち着き、いつもの飄々とした雰囲気を取り戻した蝕だった。

「?」

「ああ、これは確かに『夜岬』の十七振り目だろーよ」

「! ではやはり通津作ではないか! 覚悟!」

「いや! おい待て待てコラ! 刀を構えるなよ、物騒だろうがよ! 俺はほら、もう刀しまってるだろ! 刀納めろよ、それが礼儀だろ! なぁ? 宵丸さんはそんな礼儀もしらねぇのかよ! 良いから聞けよ、とりあえず聞けよ、納得しろよ理解しろよ。俺は通津作じゃねーっての! 通津作殿はさっき死んだんだよ!」

 迂闊にもったいぶることも出来ない。

「……何、死んだ?」

「ああ、死んだ。俺――蝕っていうんだけどな――が、殺してきたところだ」

「殺した、だと?」

「あーあー……説明するからさ、刀しまってくれ」

 しぶしぶと、宵丸は刀を納める。それは流れるような動作であった。隙が、無い。

 蝕は縷縷と話し始めた。

「まず……あんたは『夜岬』を――この刀を、どうゆー理由だかしらねーけど、欲してるんだろ? で、その持ち主の通津作殿を訪ねる所だった。しかし、通津作殿は近頃その刀への執着が激しくて、誰彼問わず近づいてくる人間は『夜岬』狙いだと思いこみ、斬りかかるありさまだという……。だからあんたは、問答無用の先手必勝に出ることにしていた。……まー、こんなところだろうよ」

「……ああ、そうだ。だが何故分かる?」

「頭と口は良く回るんだよ、蝕殿は」

「……ふむ。しかし、では何故その『夜岬』をお主が持っている? 通津作を殺したと先ほど抜かしたが、やはりお主も『夜岬』を狙う者なのか? ならば……」

 やはり斬るしかあるまいな、と。宵丸は再び刀の柄に手をかける。

「待てっつってんだろうが。仏の顔でさえ三度までだぜ? 俺は仏にゃほど遠いしな。あんな下膨れじゃねーし。見ろよ、この美しいお顔としなやかな肢体。えーっと。さっき面倒臭いことに巻きこまれてな。通津作殿は自分の妻を斬り殺して、うっかりその場に居合わせた俺も殺されそうだったから、その前に俺が隙を突いて通津作殿を屠ったわけだ。逆に殺して虐殺ってな。おっと、字が違うか」

「成る程……。それでお主が『夜岬』を持っていたのだな。道理で物珍しそうにそれを眺めていたわけだ」

 蝕の顔が、斜めに歪んだ。

「……いや、そう思ったなら斬りかかんなよ」

「はっはっは。拙者の早とちりであったな。すまなかった」

 地に手をつき、謝る宵丸。どうやら根は真面目な若者らしい。呆れたようにその様子を眺め、そして面倒くさそうに蝕は言った。

「ま……あー……生き残ったから良いけれどよ。本当、あんた末恐ろしい腕してるよな」

「そうか? 拙者は負けられぬからな……。だが世には、まだまだ拙者より強い者も居るであろう」

「居るっちゃ居るかもしれないけどな。そんな数はいねーだろ」

 実際。

 千よりも、何千よりも長い間世に存在してきた蝕でさえ、宵丸ほどの腕の者には、殆ど会ったことがなかった。

「ふむ……。しかし人違いで斬りかかってしまったのは事実。謝っただけで許してもらえるようなことではないであろう。茶屋ででも、何か奢らせて頂きたいと思う。お時間は在るか、蝕殿?」

「男と茶ぁ飲む趣味はあんまないが、奢ってもらえるもんは奢ってもらうか。っていうか、謝ってすまない問題が、団子や茶の一つで片付くってのもどうかと思うぜ?」

「それは……はは、一本取られたな」

 ばつが悪そうに、宵丸は頭を掻いた。まぁ、実質蝕は殆ど無傷であったわけだし、詫びとしては充分過ぎるだろう。なので、蝕は付け加えた。

「つっても勿論、これ以上所望するつもりもねーよ。安心しな」

「かたじけない」

 微笑む宵丸。

「茶の一杯でも儲けもんだ」

 にやつく蝕。

 そうして、二人は近くの茶屋へ歩いていった。



 *   *   *



 そういえばさっきの女に握り飯やったんだっけ、なのにあっという間に死んじまった上に結局あんまり楽しいことはなかったなぁ、しかもその後とんでもねーのに斬りかかられるし全くついてねぇ……などと考えながら、蝕は通算二十九本目になる団子を呑み込んだ。

 あれから大して時間は経ってない。

 凄まじいペースだった。

「ん……。おーい、おばちゃん、みたらしとあんこ五皿づつ追加してくれよ。あと、お茶も頼むわ」

 あいよ、と受ける声。三十本目を口に運び――喰い尽くし、手元の茶を飲み干し、やっと、蝕は一息ついた。

「蝕殿…………」

「……ん?」

「お主、よく食べるな……」

 宵丸は呆れ顔だった。因みに、彼はまだ二本目をぱくついているところだ。何でそんなに喰えるんだ、何でそんなに喰ってそんな細身なんだ、何でお前は微塵の遠慮も見せないんだ、という目つきで蝕を横目見る。

「あぁ? そうかぁ? まぁ、そうかもな。大丈夫だぜ。慣らしは今ので終わったからよ、そろそろ本気に入ってやるから」

「ぶっ」

 茶を吹いた。

 冗談ではない。

「あーあーあーあー、何だよ宵丸殿よー。きたねーなぁ、勿体ねーなぁ。何? なんか面白い洒落でも思いついちまったのか? わかるわかる。うっかりにやついちまうよな、そうゆうのって。ひひ。そうそう、俺がこの間思いついた面白い洒落といえばよ……」

「いや、そうでは御座らぬ……。蝕どの、申し訳ないのだが、そろそろ持ち合わせが……」

 口元を拭いつつ、困った様子でそう告げる宵丸。奢るとは言ったが、ここまで喰われるとは思わなかった。しかもこれからが本領発揮だとかとんでもないことを抜かしやがったのを聞いて、内心かなり焦っていたのだった。

 この男、三百本とか喰いかねない。

 本気でそこまで思わせる勢いだった。

「ちっちっち。その見立ては餡団子のように甘いぜ? 少なくとも四百本は余裕だな」

「勘弁してくだされ……」

 泣きそうだった。

 よもや団子相手に泣きそうになるとは……予想もしない、想像もしたくない、ある意味一生の不覚であった。

 拙者以上の強者は、ここに居たのか……。

 追加の皿が運ばれてくる。

「……わぁったよ。これで終わりにしといてやるよ。ほら顔上げろよ。しゃきっとしねーと、後百皿追加するぜ? ひひ」

「あ、ああ」

 助かった……とはいっても、既に予定以上の額になるのは確実なのだが。つくづく予想外の展開だった。……お互いに。

 さて。新しい団子もさっさと片付け、蝕は再び茶を口に運ぶ。宵丸も自分の分の皿――団子三本をやっと食べ終わり、茶を飲んだ。

 一息ついて、宵丸は話を切り出した。

 そう……蝕を茶屋に誘ったのは、なにも謝罪のためだけではなかった。この男とあのまま別れるわけには、いかなかったのだ。

『夜岬』を、手に入れなくては、ならない。

 その目的は、果たされていないのだから。

「……ところで蝕殿。その刀に執着がないというのならば、拙者に下さらぬか?」

「あ?」

 蝕は顔を上げ、眉をひそめる。そして、ああそうゆうことかよ、と茶を置いた。

 彼も勿論、何の下心もないのにたったあれだけのことで、奢ってもらえるとは思っていなかった。なので特に驚く様子もなく、問いかけに返答する。

「まぁ、確かに執着はねーが……ロハもないだろうがよ。無論この団子代はさっきのお詫びだろ? だったらこっちには、あんたにこれをくれてやる義理なんか、小指の先の爪の欠片ほども持ってないんだぜ?」

「ぬぅ……それもそう……で、あるな。しかし、拙者には今殆ど持ち合わせもない……」

 というか、今食い潰された。

 文字通り。

「どうしたものか……」

 唸る宵丸。そこでふと気付いたように、蝕は尋ねた。

「宵丸殿よ、何でそんなにこの刀を欲してんだ? 理由をとりあえず教えてくれよ。そしたらちょっとは義理が生まれるかも知れねーしさ」

「話したら下さるのか?」

「話の内容によっては気が変わるかもよ。まぁ、少なくとも最低条件ってやつだ。話も聞いていねーのに、判断は出来ないぜ」

「ふむ。仕方がない……。拙者はなにぶん口下手であるから、荒い話にはなるが、そこはお許し頂きたい」

「あいよ」

 宵丸は茶を一口飲み、そして、話し始める。



*   *   *



 彩為あやなし家。

 それが宵丸の仕えている家だった。

 特に大きくもなく、どうにかこうにかこの物騒な世の中を生き延びている……身も蓋もなく単純にいってしまえば、弱小国だ。幸いそこまで重要な位置にないので、とりあえず今の所は戦に巻きこまれていない。かといって、勢力を伸ばそうと周辺国に戦をしかけるなどとんでもなく、精々現状を維持しようと、ささやかな威嚇を続けている状態であった。

 そんな国にも、当然姫君が居る。

 名を、黎姫れいひめ

 病弱な姫だった。外にはろくに出られず、治らない病気も持っていた。大抵は自分の部屋で、静かにひっそりと過ごしているのであった。直接には誰もいわないし、露骨には誰も示さないが……人からは気味悪がられ、避けられていた。忌避されていた。しかし。

 しかし。それを踏まえた上でもなお。

 とても、とても美しい姫だった。

 儚げな雰囲気。触れれば壊れてしまいそうな芸術。透き通るような肌に、長く綺麗としかいいようのない髪、くるりと大きな瞳、可愛い鼻、小さく赤く染まった唇、たおやかな肢体。薄く、上品に、微笑む、表情。

 そして……彼女は。

 闇に魅入られていた。

 彼女の唯一の楽しみは。

『夜岬』を眺める事だった。

 最初の一本目は、幼い頃に死んだ祖父が彼女にやったものだった。その『夜岬』を鞘から取り出し、中の刃を見、夜に見入り夜に魅入られ、闇を、愛してしまったのだろう。黎姫は、他の『夜岬』も欲しくなってしまったのだった。二十四振り全てを、集めたくなってしまったのだった。

 数本は、祖父の蔵の中に在った。

 祖父もまた、集めていたのだ。

 そう確信して、ますます『夜岬』を欲した黎姫。しかし彼女は身体が弱く、外に出ることが出来ない。ならば、どうするか? 方法は一つしかなく、そしてそれを実行し得る人物も、一人しか居なかった。

 宵丸。

 幼い頃から、唯一彼女を気にかけていた、彼女に近づくことを厭わなかった、兄のような存在。そして、誰を前にしても退かぬ心と、誰にも引けを取らぬ腕。何より、彼女に忠誠を誓った、たった一人の、力強く心強い男。

 彼しか居なかった。

 だから、彼は集める。

『夜岬』を。

 既に、二十一本集まっているのだ。後、三本なのだ。蝕の十七振り目で、残り二本となるのだ。――そう、あと、三本、だけだ。

 だが、時間が無い。

 黎姫が死ぬのが早いか、『夜岬』二十四振りが揃うのが早いか。宵丸は、何としても、二十四本全てを彼女に見せたかった。

 願いを叶えてやりたい。

 だから――焦るのだ。

 人を、斬ってでも。

 ――集めるのだ。

 ………………。



 *   *   *



「……と、いうわけだ」

「ふぅん、ご苦労なこったな」

 蝕は顎を上げて相槌を打った。

「で、どうだ?」

「ん、何が?」

「夜岬を下さらぬか、と、問うているのだ」

「んー……」

 煮え切らない様子の蝕。なにか気になることがあるようだ。宵丸から視線を外して、空を睨みながら思案している。

「下さらぬのならば、仕方がない。話を知られてしまったし……」

 刀に手を掛ける宵丸。

 迅速に止めへ入る蝕。

 さすがに四度目ともなると、蝕も大分冷静に対処出来るようになってきた。

「おい、待て待て。落ち着け。手前は猿か猪か? すぐ強硬手段に出るなっつーの。そんなんだからこんな世の中なんだぜ? わかってんのかよ。一人ずつ和平交渉を覚えていかないと駄目だ。まず人の話をよく聞くところから、だぜ。ほら、俺はまだやらないとも言ってないだろ?」

 しかもここは茶屋だ。こんなところで斬り合いになっては、大事になってしまう。

「……」

「やるよ、やるやる。だが、条件がある」

「金か?」

「いらねーよ、そんなもん」

「ならば食い物か?」

「いや、それもとりあえず要らないな」

「む?」

 いぶかしむ宵丸に対して蝕は、ひひ、と嫌らしく笑った。

「なぁ、その姫様に会わせてくれないか?」

「……ならぬ」

「会わせてくれるだけで良いって。滅茶苦茶お買い得だと思うけれどなぁ? なぁ、美人なんだろ? ちょっと興味沸いちゃったんだよ、蝕殿は」

「ならぬ」

「何でだよ」

「ならぬ……」

 やけに頑なに断る。

 何か理由でも在るのだろうか。

「…………ち」

 蝕は詰まらなそうに舌打ちした。

 すると――

 ぱっと、『夜岬』が消え失せる。

「! 貴様、夜岬を何処へやった!」

「あー? うん、何処行ったんだろうな。俺を殺しても出てこねーだろうが、お姫様に会うと出てくるような気がするな」

「ぬ……ぬぅ」

「ん、んー?」

 にやにやと、宵丸を測るように見る蝕。

 刀に手をかけ、蝕を悩み顔で睨む宵丸。

 そもそも蝕のような怪しい男を一国の姫君と会わせることなど、出来るはずがないのだ。しかし、なるべくなら、刀一本のために人を斬ったりもしたくない。それに蝕を斬り捨てたところで、『夜岬』が出てくるとは限らない。だが『夜岬』は手に入れなければならない……。会わせるだけで『夜岬』が手に入れられるのならば――だが、だが、だが……、やはり会わせるわけには…………。

 沈黙……。膠着…………。

 やがて、宵丸は刀から手を――離した。

「……わかった。黎姫様に会わせよう」

「ひひ、そうこねーとな」

「会うだけで良いのだな? それ以上のことを要求したら、即刻叩っ切るぞ」

「あいあい。ほら」

 ぱっ……と、夜岬が蝕の手の中に、現れる。

「ぬ……」

 そしてそれを、宵丸に渡す。

「な、どういうつもりだ?」

「約束してくれたじゃねーか? 会わせてくれるんだろ、お姫様によ。だから、やるよ」

「…………」

「宵丸殿を信用しちゃってるんだよ、俺は。よもや一度自分で口にした言葉を撤回するような、腐った菜っ葉みたいな男じゃねーと、宵丸殿を買ってるんだ。そんな男が俺の言い分を受け入れてくれたんだぜ? こちらも誠意を露わにして、先に刀を渡そうと思ったのさ」

「…………成る程。お主も中々、立派な男のようだ。……約束、必ず守ろう。着いて来るが良い」

 すっとたち上がり、勘定をすませて歩き出す宵丸。蝕は心の中で舌を出した。

 宵丸のように実直で誠実な男に対して、しかも腕が立つような男に対して、弱みを握ったり敵対するような行為は返って逆効果である。それよりも、信頼を見せ誠意を向けてやった方が、有効だ。このような性格は、真面目な様子を示されると断れなく……もはや自ら言ったことを破るわけにはいかなくなる。自分で自分に縛られる。

 蝕はそのことを、良く知っていた。

「ひひ、どーも」

 腹の内はおくびにも出さず、親しげに微笑んで、蝕は宵丸と街道を歩いていった。

 黎姫と、出会うために。




(起、終)

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