1-38.ルーリエの魔術講義



「わぁ!これがといれ・・・、ですか?」

「据え置きの厠なんて……こんな贅沢許されるのでしょうか……。」

「本当に、僕らも使っていいのですか……?」

「おまる、ないよ?」


 設置したトイレを皆にアバターの身体でお披露目した所、皆一様に困惑の表情をしていた。と言っても、それが負の感情からで無いのは瞳の輝く色を見れば一目瞭然だろう。

 今回ボクが作ったのは和式のぼっとんトイレで、一つの大岩から切り出した一体型の足場の土台と便器を木の板の壁で囲んだ個室を三つ連結して並べ、それぞれの間に壁と空間で層を作り防音性を上げた。雨の日の事も考えて、更に三方を壁で囲み屋根を斜めに統一する。個室の上部には明かり取りと臭いを逃がす縦格子状の窓も設けた。蝶番が用意出来なくて各個室の扉で一度断念しかけたが、木を直接切り出す加工法で蝶番を再現する事が出来た。その加工法を応用してスライド式の鍵も完備である。あまり頑丈では無いが、よほど荒い使い方をしなければ大丈夫だろうと思う。因みに、ここの住人は女子供しか居ないので便器の穴は若干狭めに作ってある。それでも一番小さいクロには難しいかも知れないと思い、一番入り口に近い個室はお子様サイズの便器になっている。

 排泄物の汲み取り方法は先日考えていた通り土台の岩をくり抜いて、背後からスライド式の木の入れ物で回収するつもりだったのだが、どうせ排泄物を処理するのはボクなのだからと出来るだけ手間を減らそうと思い直し、地面に埋める大容量の木製タンクを三部屋に渡っての単一設置する事にした。地面に一部だけでも出しておけば、そこから”無限収納インベントリ”へタンクを直接、一度にやり取りする事が出来るのだ。後は”無限収納”でタンクから汚物を分離してからそれぞれの処理に回せば良い。完璧だ。

 このトイレ施設の設置場所は広場の右側下流、川辺り程近くの位置にしてある。手洗い場は近くに有った方が良いだろう?

 始めは焚き火などのある拠点側に設置する事も考えたのだが、こちらの陸地は大して広くも無い。それに、既に住人の殆どは独力で川を飛び越える程度の力を身につけているし、音や臭いの放つ場所は遠くに有った方が精神衛生上も良いだろうとの判断からだ。アリーとルーデリアはまだ独力で川を飛び越える事は出来ないのだが、必要が有ればボクが抱えて渡れるし、今ならばルーリエに頼めば例の箒で送って貰えるだろう。


「また随分と立派な厠だ。ふむ、これが便器か。材質は石か?」

「これは……ああ、これを動かすと鍵が閉まるですね。」

「シロ様、こちらの、この……なんでしょう?やけに柔らかいです。」


 はしゃぐ一同の中ならユーライカが個室の壁に設置されたトイレットペーパーを触りながら問うて来る。


「それはトイレットペーパーって言って、尻を拭く為の紙やで。」

「か、紙でお尻を拭くのですか!?」

「それ以外何で拭くねん。」


 咄嗟にツッコんだが、トイレットペーパーなんて普通無いか。ユーライカが言うにはどうやらこの世界でポピュラーな尻紙は葉っぱかボロ布を使うそうだ。布は洗って使い回すと聞いて悲鳴が漏れた。ヤダー!改めて排泄が必要無いドラゴンの身体で、トイレットペーパーが容易く作れる能力が有って良かったと安堵した。本気で。

 この世界のトイレ事情を聞いた時はボクの方が卒倒物だった。厠と言うのは基本的におまるの様な木製の入れ物に用を足し、一杯になったら決められた場所に捨てに行くのだそうだ。場所に拠っては森や道端に捨てることも有るのだとか。貴族の館でも据え置きタイプのトイレは珍しく、超贅沢品なのだと言う。

 聞いた時はドン引きだったが、流石に窓から放り投げて街中汚物塗れなんて状態じゃないことに不思議な安堵感を覚えた。だがそれも一時の物で、どうやら一昔前までは都会でもそうだったらしく、なんなら未だそう言う処理の仕方をする場所も有るのだとか。もう止めてボクのSAN値は零よ。良い機会だ、ここできっちりトイレマナーを教え込む必要が有るだろう。

 一度皆を集めて使い方をレクチャーする。一々完成が上がるのは良いんだが、トイレの仕方に感心されるとなんだか恥ずかしくなる。トイレットペーパーは使い捨てだと言った所で阿鼻叫喚になった。


「尻を拭くのに紙を使うってだけでも驚きなのに、今度はそれを使い捨てるだと……!?」

「使いまわしては駄目だなんて……わたし、怖いですっ。」

「シ、シロ様。私達はボロ布でも――。」

「だめ。トイレットペーパーはいくらでも作れるからそんな気にすんなよ。」

「こんなに精工で良質な紙を、つ、作る……ですか?一体どうやってそんな事が、いやそれ以前に、この建物はどうやって作ったです……?」


 そういやクリエイトの事を説明してなかったな。面倒くさくて後回しにしていたが、逃げられそうもないので一通掻い摘んで話した。冒険者二人には案の定質問攻めにされたが、トイレットペーパーの実物を目の前に山と積んで見せたら信じざるを得なくなった様だ。

 二人を丸め込んだボクは説明を続けた。突然のラッキースケベを防ぐ内扉や、トイレットペーパーの在庫を積んで置く簡易台、しゃがみ姿勢からの立ち上がりに役立つ支持バー、上方に持ち上げて取り替えるタイプのトイレットペーパーホルダーの使い方などの説明を終えて、一先ず終了だ。

 この後昼までは剣術訓練を続け、昼食後は初のルーリエの魔術講座が始まる予定だ。実に楽しみである。



◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇



 昼食後、ボクら一同は岩壁から伸びて曲がりくねったいつもの樹の下に集合していた。待ちに待った魔術の講義の時間だ。

 講師役のルーリエが大樹の前に陣取り、ボクや子供達がその周りを半円状に取り囲む形だ。リリアナは参加しない筈だったが、ルーリエの監視も兼ねて側で見守るとの事だった。因みにボクは本体のままだ。

 流石に砂利の地面にそのまま座るのは酷なので、クリエイト機能を駆使して簡易な足場を設けた。陸地の傾斜を考慮しつつたたみ八~九畳分くらいの木床の土台を作ったのだ。お陰で尻を傷めずに座す事が出来るのだ。重さは有るが地面に固定しない、ただ乗せるだけなので回収も楽だ。しかし、毎度その場所に合った床を貼るのも面倒だし、その内持ち運びが出来る簡易の椅子とかも作った方が良いかもな。

 無い胸を張ったルーリエは腰に両の手を当てて話し始めた。


「まずあなたたちに聞きたいです。魔術と聞いてどういう物を想像するですか?魔術とはなんでしょう?」


 そう言うとルーリエは年少から、と言う理由でクロを指名した。始めはされた質問の意味を理解出来ていないのでは、と思われたクロは不思議そうに無表情を讃えて首を捻っていたが、やがてぽつりと言葉を零す。


「つよい……?」

「ふむ、そうですか。では、次はエト。あなたはどう思うです?」


 年少順なら次はルーデリアの筈だが、いつもおどおどしているエトを年下だと間違えるのは仕方がないかも知れない。おまけにルーデリアはやたら大人びて見える時が有るから余計そう思えてしまう。

 指摘されて身体が跳ねたエトがあわあわしながら「……すごい事、だと思います。」と言った。次に指名されたルーデリアは少し考えた後「算術や薬学などと同じ、学問、だと思います。」と答えた。

 次いでアリーが答える。


「わたしもルーデリアと同じく学問だと思います。自然の法則に触れる為の手段、と言うか……。」


 ルーリエは何度か頷きながらユーライカに次を振った。


「そうですね……、不思議だけど便利なもの、でしょうか?何もない所から火を起こしたり、水を呼んだりされるのですから、普通の者には出来ない事でしょう。」

「ふむふむ、なるほど。そうですね、皆の思っている事はどれも間違いでは無いです。」


 おーい、一人忘れてませんかー?おーい。


「魔術とは、強くて、凄くて、学問であり、不思議で便利なもので普通は出来ない……。ではその不思議な魔術とは一体どうやって起こすものなのでしょう?誰か分かりますか?」

「……魔力を使うのだと思います。」


 一瞬の静寂を割って答えたのはルーデリアだ。ルーリエは頷いて続ける。


「その通り、魔術とは魔力を消費して生じるものですね。では、魔力をどうやって使えば、魔術は発動するのでしょう?」

「それは呪文とか、杖を使うのでは無いのですか?」


 次の問に答えたのはアリーだ。ルーリエはそれも頷いて、尚も続けた。


「そうですね。呪文を唱え杖を振る。では、呪文とは何ですか?杖を振る意味とは何です?」

「えっ……、それは……。」

「ルーリエ、私達はその答えを知りません。わからないものは答え様が無いと思うのですが。」


 言葉を詰まらせた先の二人を庇う様に言葉を発したのはユーライカだ。少し険の有る彼女の言葉にも、ルーリエは表情を崩さず首肯していた。


「その通りですユーライカ。答えを知らなければ答えられない、それこそが魔術なのです。」

「……?わかりません、どういう意味なのですか?」

「この世界における魔術と言うものは、一から十まで、その魔術について知っていなくては起こせない物、と言う意味ですよ。」

「一から十まで……?」

「一から十まで、何が欠けても生み出せない奇跡。それが魔術なのです。」


 ……言っている事は理解出来るが、それって可能なのか?


「でもルーリエさん。それが本当なら、魔術を初めて発見した人たちはどうやってそれを知ったんですか?」


 そうだ。知らねば使えないと言うなら、魔術がこの世に有るという事自体可笑しな話しだろう。


「それについては諸説あるですが、一番有力なのは古の民に神々が与えたと言う説ですね。その節では神々は全てを与えず、小さなきっかけだけを伝えたとされているです。その小さなきっかけから、今日こんにちに至るまでの数多の魔術師たちの研鑽。それこそが魔術が崇高な学問である証なのです!」

「その小さなきっかけって?」

「魔術文字です。」


 ルーリエいわく、人語とは違った魔術の呪文を表す文字の事だそうで、数十数個有る文字の組み合わせが呪文になるらしい。


「魔術の発動を成功させるのに必要な条件は幾つか有るです。まずは魔術文字、正確な発音、適量の魔力、そしてイメージ。この四つのどれを取っても魔術は成功しないのです。……しかし、世に知られた魔術の修得はそれほど難しい事ではないのです。」


 彼女がちらりとリリアナを睨む。リリアナは頭をかいて白を切っているが、特に何か言うつもりはないらしい。


「正確な呪文、正確な発音、使用する魔術量、発動する魔術のイメージ。詰まる所、これさえ頭に叩き込んで明確なイメージを作れれば、理屈の上では誰でも扱える様になる、なってしまうのです。……実際そうやって幾つかの魔術を修得する者も居るのです。そこにいるリリアナもこのクチですね。はっきり言ってこれはズルです。ズルズルです。」

「おいおい、勘弁してくれ。」


 そう言えば過去、リリアナも魔術を使えると言う話になった事が有ったな。どうやら彼女もルーリエの言うズル・・を使って魔術を修得したのだろう。

 まあ確かに、そのやり方を伝えれば比較的容易く修得出来るだろう。正直、何が駄目なんだろうと思う。楽に修得出来るならそれに越した事は無いだろうに。


「けれど、もちろんこれにも不利益を被る点はあります。大前提ですが、そもそも誰もが魔術を使える訳ではないのです。先天的な魔力的才能がなければ最悪命を落とす事になるです。」

「えっ!?」


 子供達の中にざわめきが生まれる。


「当たり前です。正しい呪文や発音、イメージが出来ている、出来てしまっている・・・・・・場合、残存魔力量が足りなくても、呪文は魔力を吸い出そうとするのです。魔力がない状態でこうなれば、魔力枯渇の状態に陥る。つまり待っているのは死、です。その危険性は、皆なら理解していると思うです。だからこそ、魔力的才能があってなお、魔術学院で適切な環境で師事を受けなければならないのです。素人が勝手な判断で手を出しては行けないのです。」


 暫しの静寂が流れる。皆、その恐ろしさを噛み締めているのだろうか。

 ふと疑問に思って、質問して見る。


「リリアナはなんで無事やったん?魔力がそこそこ有ったから?」

「それも有るですが、この場合別の要素が重要になってくるです。それが”魔力操作”、です。」


 魔力操作、とな。心躍るワードじゃないか。


「魔力操作と言うのは、体内の魔力を感じ、感覚的に自身の魔力量や動きを掴む技能の事です。これがなければ、自分が使いたい魔術の魔力消費量を掴みきれずに枯渇に陥ったりするのです。体内の魔力を自在に動かせるようになれば、そうそうそんな事は起こりえないですけどね。」

「ほう。じゃあ、リリアナが無事やったのはその魔力操作が出来てたからって事か?」

「当たらずも遠からず、ですね。彼女の場合は少し特殊で、”闘気”と言う特殊技能を身に着けていたです。これは魔力操作に良く似た技なのですが……。」


 ルーリエがリリアナを一瞥する。上手く説明出来ないのだろうか、それを感じ取ってかリリアナが説明を変わる様だ。


「”闘気”というのは、一部の冒険者や騎士などが後天的に魔力的な才能を開花させた際、魔術師とは違ったやり方で魔力を発散させる為に産み出されたという技能の事だ。魔術を主としない私の様な冒険者、主に高位の者たちは大抵扱えるのだが、あー、詰まる所これは魔力を消費して行う身体能力の強化術だな。すまないな、上手く説明出来なくて……。」


 その後のリリアナに拠る若干しどろもどろな説明とルーリエの補足に拠ると、その闘気とやらを使って普段から魔術を扱う術に精通していたリリアナは、魔術を教えて貰う際も自身のキャパシティを超え無いやり方を無自覚で行い、結果命を危険に晒す事態には至らなかったのだと言う。リリアナは恥ずかし気に頭を掻きつつも、他にも闘気の利便性について懇々と説かれた結果、その内に教えて貰う事になった。ルーリエが渋い顔をしていたが、止めはしなかったので悪い事では無いのだろう。


「あ、あの。すみません。先程の話しで少しわからない所が……。」


 そう口を開いたのはアリーだ。一同の視線がアリーに集まって、少し居心地が悪そうだ。ルーリエが続きを促す。


「魔術に必要な四つの内、始めの三つは理解できるんです。でも最後の、いめーじ、ってどう言う事か分からなくて。」

「ああ、そうですね。説明しておくです。イメージとは言わば、頭の中で思い描く事、です。」

「思い描くの……ですか?」

「そうです。使いたい魔術、その呪文が生み出す現象を正確に頭の中で思い描くのです。それが出来なければ魔術は発動しません。ですので、魔術学院では生徒に教える際、必ず魔術の実演が行われるのです。……魔力操作についても、自らの魔力をどう捉えイメージするか、それが肝となるです。」

「イメージ、ですか……。ありがとうございます。理解出来たと思います。」

「結構、です。ではそういう訳で、あなたたちにはまず魔術操作の感覚を掴む練習から始めて貰うです。」


 ルーリエはそう言うと皆に目を瞑る用に促した。ボクらは従って瞼を下ろす。


「意識を集中するです。息を深く吸って……頭の中を空っぽに、お腹の奥にある熱を感じるのです。では、始めるです。」


 子供達は皆その場に座りながら目を閉じて、眉根を寄せ始めている。エトなどはまるで理解出来ていない風にうんうんと唸りだした。

 ルーリエが言うには、この精神集中の先、件の熱とやらを感じる事が呼び水と成って、やがて全身の魔力の流れを感じる事が出来るのだそうだ。

 正直ボクもよく分かっていない。腹の奥にある熱、と言われても全くぴんと来ていなかったのだ。言っている事は所謂の修行で良く有る感じにしか思えなかった。ほら、あれ。丹田がどうとか、座禅で精神統一、見たいなの。だけれど結局は魔術師の高位に居ると言うルーリエの教えなのだから、これはきっと正しい方法なのだろう。

 だがそんな半信半疑で集中が長く続く理由わけも無く、集中が途切れると即座、ルーリエに鋭く指摘され再び再集中を課せられる。他の子達も多少の差は有れどボクと似た様な感じで、結局その日は夕食の準備時間になるまで延々と精神集中を続ける羽目になった。皆精神的に疲れてしまって肩で息をしている。む、無駄に疲れる……。魔術の修得は存外簡単には行か無さそうだ。トホホ。


「今後は空いた時間は各自この精神集中を行う事です。魔力操作は一朝一夕にこなせるものではないですからね。」

「ち、ちなみに、普通はどのくらいで修得される物なのですか?」

「んー、そうですね。ヒトにもよりますが多くは――。」


 多分に漏れずぐったりしているユーライカが、堪らずと言った風に問うた。気持ちは分かるよ。他の子達も固唾を飲んで返答を待っている様子だ。


「――ひと月程度掛かってるですね。」


 ルーリエの「ちなみにわたしは五日で修得したです。」と自慢げな声を聞き流しながら、ボクはそっと頭を抱えた。

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