1-37.戦熊


 翌日は割と早い時間に本体に乗り換えてからトイレに使う材料を調達に向かった。

 起きて諸々を済ませてからトイレの設計に勤しんでいたのだが、割と直ぐに行き詰まってしまった。と言うのも、始めは洋式のトイレを作ろうと思っていたのだがデフォルトの主材料が陶器かプラスチックで、それは流石に用意出来ない。ならばと木材を削るなり組み立てるなりで何とか形には成った物の、木材だと掃除面や耐久性、腐食性などの観点から適さ無いのでは無いかと気付いてしまった。それに洋式便器は水洗がメインの形だと個人的には思う。アナログなやり方で水洗式を実現出来はする物の、細かいメンテナンスが必要になってくる。出来るだけ簡素な造りにしようと思えば洋式は悪手だろう。

 そこで形を和式のぼっとんタイプに変えたのだが、先述の通り木材だと不安が残る為土台から便器まで石材を使う事を考えた。石材なら腐る事はないだろうし、予め表面を磨いていれば掃除も楽だろう。石材でなら洋式でも良い気はしたが、水洗システムで手間を食うのは避けたいし、設置予定の汚物入れを余計な水分で一杯にはしたくなかった。

 と言う訳で以前見つけた小規模の滝に向かって川を遡っている所なのだ。滝に用は無いのだが、確かその近くに大きな岩が幾つも転がっていた記憶が有る。記憶は確かだった様で、到着した川辺にはあちらこちらにボクより大きな岩が有った。この辺りは川と交わった岩場で、苔があちらこちらに張り付いていて陽の光を反射して煌めいている。岩のひしめく小さな段差の合間から流れる流水が神秘性をより高めていた。

 近くに有った手頃な岩を軽く小突いて見たが、何と言うか、詰まっていそうな音がして中々良さそうな岩だ。早速持って帰ろうと良さ気な岩を物色していると、背後に大きな気配を感じた。同時に”聞き耳”スキルが草葉を掻き分ける様な音も拾って来る。振り返って軽く膝を落として居ると、森の仄暗い先から黒く大きな物体がゆっくりと近づいて居るのが分かった。

 ミニマップを見ると赤い光点、詳細が表示されない所を見ると未遭遇の種族で有る事は明白だ。この辺りは比較的ベースからも近く、大体の魔獣には遭遇済みの筈で、で有れば例外、脳裏にはダンジョン由来の魔獣や茸少女の姿が過る。警戒を最大限に、しっかり距離を取って待ち構えよう。

 陽の光に近付く度に、黒く大きなそれはその全貌を晒して行く。


――熊……?


 四つん這いで森を出て、その姿をはっきり表したそれは、見る限り熊だった。ボクの前に姿を表したその熊は、それと同時に上半身を持ち上げて後ろの二本脚で立ち上がる。でかい。四つん這い時でも大きく見えたが、立ち上がって見れば優に三メートルは有ろうかと言う巨体だった。一瞬エリンギマンを思い出す。

 毛の色は漆黒の様に黒く、その両前足はボクの記憶に有るそれよりも大きく、鋭い爪を持っている様に見えた。胸や顔の一部には特徴的な形の模様が白く走っていて、そこだけ毛の色が違うのだろうと分かる。

 姿を目視したと同時に行った”鑑定”で、こいつのステータスが見えていた。種族名は”アルヴィエールの戦熊アルヴィエールウォーベア”。どうやらこの森の固有種らしい。個体名、つまり名前も有った。”堅牢”と言うだそうだ。誰のセンスだろう。レベルは驚きの61で、スキルも色々と持っているらしかった。レベルの高さは恐らくこれまでで一番高い。一瞬そのレベルの高さに慄いてしまったが、それでもきっと茸少女はこれ以上だろうな、と判断出来るのはそのステータス値からだ。レベルは非常に高いが、ステータス値を見る限り防御力以外はボクの方が上回っている。だがそれでも、ここまで強い相手は珍しい。無意識に喉が鳴った。

 「がぅふっ。」と熊が小さく吠える。何か言いた気にこちらを見ている気がしたが、きっと気の所為だと思う。ボクは更に身を屈めて、いつでも動ける様に構えた。緊張感漂う中で、先に動いたのは奴だった。”危機感知”を感覚的に感じる。


「グオオオオオオッ!!!」

「ぐっ!?」


 後ろ足を一歩前に出して腹から目一杯の咆哮。その一瞬身体が動かない。


――威圧系スキルか!


 身体に力を込め、そのまま威圧の効果を打ち消した。だが奴は既に目の前。「ぎぅ!」。咄嗟に腕を交差させ防御姿勢を取ったが、力一杯の体当たりに防御ごと吹き飛ばされてしまった。

 後ろに跳ね飛ばされて川の中に転がる。水中から見る荒れた景色越しに、迫る熊が腕を振り上げているのが分かった。


――あっぶねっ!


 頭を潰しに水中に突き込まれた凶悪な爪を、無理に身体を起こす事で回避した。息を吸いつつそのまま向こう岸まで後退するが、戦熊は逃すまいと水中から跳ねる。撒き散らされる水飛沫ごと再び爪が迫るが更に後退して躱す。勢いが付き過ぎて足が滑り、背後の岩壁に身を打ち付けてしまった。熊の凶刃が迫る。寸出で躱しつつ側面へ駆けた。


――速いしこいつ、攻撃の暇が無え!


 そう思いながら両手に”火球ファイアボール”を装填する。地面を蹴り岩壁を蹴り跳ねて身体の向きを変えた。眼前には黒い毛皮。地面に着くにはもう少しかかる。

 このままではまた直ぐに体当たりだ。右腕を前に出し射出口を頭に向ける。”火球射ファイアボールショ――――スキルを発動し終える前に突き出した右腕が叩き落とされた。未だ中空に有る身体は前に傾き、奴の頭がボクの鼻っ柱に突き刺さった。


「ぎがっ……!!」


 僅かな体腔の末、身体に鈍い痛みが纏わり付く。これまで何度も経験した激しい衝撃が、自身の身体の状態を理解させた。無数の小石の上を幾度も転がり、別の大岩に打ち付けて止まる。頭がちかちかした。即座に肘を突いて状態を起こすと眼下には赤い血が散乱している。どうやらこれはボクの鼻から出た血液らしい。

 少し遠くからあいつが悠然と二足歩行しているのが見えた。鼻で息を吹いて血を飛ばし、勢いで立ち上がった。HPは一割削れたくらいか。まだ大丈夫だが、このままのペースで削られたら直ぐにお陀仏だろう。かなりのダメージを受けた気がするが、そこまでじゃないのはようやく耐性スキルが仕事をし出したからだろうか。それとも脳内麻薬のお陰?どちらにせよありがたい。でなければ既に心が折れていただろうから。

 熊ががふがふ言いながら確実に近づいてくる。今のままじゃ駄目だ、まだこちらは攻撃すら許されていない状態だ。有効かどうかもわからない。だが、奴が余裕を見せている今がチャンスなのだ。必死で頭を巡らせ戦術を捻る。


 熊が近づいてくる。ボクも足を動かし始めた。始めは緩く、徐々に速度を強めて自分の爪を叩き込んだ。軽く躱されたが直ぐにもう一撃。それも避けられ、逆に熊の一撃が迫ったが、喰らってやる義理も無い。それを躱しながら身体を捻り、回転して尻尾を叩き込んだ。

 流石にこれは躱せず、熊は左腕を曲げて構えて受け止めた。短く悲鳴を上げたが大したダメージでは無いのだろう。伊達に”堅牢”を名乗って居ない。

 奴が怯んだ一瞬に右の射出口を向けた。今だ。


――”胞子噴射スポアジェット”!


 射出口から吹き出した白い粉が熊の全身に浴びせられる。一瞬身構えた様子の熊だったが、即座に害が無い事を見出すと、尻尾を受け止めた腕を翻して掴み、ボクを一息で投げ飛ばした。同時に別のスキルを発動させる。

 再び川を転がったボクは直ぐ様身体を起こして身構える。奴を見ると未だに霧散しない白い胞子を払おうと両の前足を振り回していた。

 程無く視界が晴れ、ボクの姿を認めた熊は即座に追撃をと身を翻そうとした。だが、出来無い。アルヴィエールの戦熊は戸惑いの悲鳴を上げる。奴が自身を見れば、自分の状態に気付くだろう。

 その巨躯には無数の茸が生え、触手の様に纏わり付て絡み合い、その身の動きを完全に止めていた。


――ぶっつけでも何とかなるもんやな。


 ”胞子噴射”で撒いた白い粉、それは言わずもがな茸の胞子だ。この胞子は散布してから任意のタイミングで実を付ける事が出来る。種類は分からないが、それは無数に繁殖して数を増やす。だがそれだけではただ鬱陶しいだけのスキルだが、そこに”胞子侵食スポアイロウション”のスキルで熊自身の体内へ菌を侵入、汚染する事が出来るのだ。これで奴の身体機能を大幅に阻害出来る。極め付けに、生み出した茸で”拘束バインド”を掛ける。茸自身を成長させ、より強固な拘束を実現した。如何に強靭な肉体を保つこの熊だろうと、この拘束を解く術は持ち得ていないだろう。それは奴のスキルを見ても明らかだ。

 ”胞子侵食”に拠る肉体汚染が効いているのか、奴のHPは徐々に、だが見る見る減り始めている。このまま放っておいても死にそうだが、無駄に苦しみを長引かせる事も無いだろう。防御力が高いのでそれでも簡単には死なないだろうけれど。


 川から上がり奴の前まで進む。奴もまだ諦めていない様で、動かない腕を動かそうと力を込めている。ボクは直立で拘束されている熊に”火球射出ファイアボールショット”を放った。

 放たれた野球ボール大の火球は奴の右胸に辺り爆散する。熊の悲鳴が響く。

 当たった箇所が焼け焦げて、胞子も一緒に吹き飛んだが、周りの健在な茸らから修復して行き、あっという間に再び茸が覆った。HPは二三割は削っただろうか。まだ足りないと判断してもう一発”火球射出”を放つ。

 火球が当たったその衝撃で熊が後ろに倒れ込んだ。一瞬焦ったが拘束はまだ解けていない様だ。HPは後三割足らずと言った所。まだ足りないか。

 そう言えば、と熊の急所は心臓だと言うのを思い出した。何でも頭は丈夫な頭蓋骨でまず貫通出来ないから、狙うなら心臓なんだそうな。心臓を撃ち抜けば直ぐに死なす事が出来るだろうか。ボクはアルヴィエールの戦熊の心臓に装填した”角射出”を放った。


「ブモォオオオアアアア!!」


 角が奴の胸に突き刺さった瞬間、熊は咆哮と共に拘束を引き千切り跳ね起きた。そのままボクに覆い被さろうと迫ってくる。


――こいつ、どこにそんな力が……!!


 このままじゃ――と思った時、奴の胸に刺さった角が目に入り、ボクは即座に肘を引いて”殴打”を込めて力一杯を殴った。

 ばんっ、と熊の背後で何かが弾ける音がしたかと思うと、熊は膝を付いてボクに伸し掛かって来る。あわや押しつぶされそうに成りながらも何とか体勢を変えて熊を脇に下ろす。アルヴィエールの戦熊は絶命していた。





 アルヴィエールの戦熊の背中は肉が爆ぜている様だった。幾つかの塊が皮に引っ付いて垂れ下がっているのが見える。ともかく、これで終わりだ。一応ミニマップで周囲を確認したが、これ以上の驚異は見当たらなかった。

 正攻法じゃまず勝てない程の強敵だったのは間違いない。ステータスは平均してボクの方が上だったのに、序盤は終始押され気味だったのは、恐らく一重に経験の差だったのだろう。奴とボクのレベル差を見れば、奴がボク以上の経験を積んだ歴戦の獣で有った事は想像に難く無い。もしかしたら、どこかの縄張りのボスだったのかも。こいつもボクと対峙しなければ、今も悠然と森を闊歩していたに違いないのだ。不思議と罪悪感を覚えるが、直ぐに頭を振ってそれを追い出した。獣の世界で、そんな妄執に捕らわれていても良い事は無いだろうから。それでも頭の中には奴の咆哮が鳴り響いている。どこか懐かしい様な気がした。



◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇



 アルヴィエールの戦熊に奪われた体力と傷を癒やしつつ、奴の死体と当初の目的の岩を幾つか回収した。このまま帰ろうかと思ったがまだ時間も有るし、ここで熊を食べてしまおう。後回しにしているといつまでも手を付けないで居てしまうからな。

 アイテム欄からアルヴィエールの戦熊の血と排泄物を分離する。食べやすいように部位ごとにバラして目の前に取り出した。結構な量だが、量だけならこれより多い量を一度に食べた事も有るので、時間は掛かるだろうが問題は無いだろう。頭の様な分解出来ない大きな部位は四分割にしているが流石にグロい。内臓なんかもとにかく触感が気持ち悪いので無心で口に放り込む。味を感じないのだけが救いだけれど、触感は誤魔化せないのだ。それも最近は慣れつつ有る。慣れって大事。

 一通り食べ終えて、最後に口の中に直接抜き取った血液を少量ずつ取り出して飲み干した所で、どうやらレベルアップした様だ。ナビィのアナウンスが響く。


《レベルアップを確認。現在はレベル17。消費したHP、MP、スタミナ、状態異常は即座に回復される。》

《”豪腕”スキルを獲得。》

《”健脚”スキルを獲得。》

《”頑強”スキルを獲得。》

《”防刃”スキルを獲得。》

《”威圧”スキルを獲得。》

《”咆哮”スキルを獲得。》

《”鋭敏”スキルを獲得。》

《”フリークライミング”スキルを獲得。》

《”鉄の爪アイアンクロー”スキルを獲得。》

《”ムル・エル”スキルを獲得。》

《”慈悲者”の称号を獲得。》

《”無慈悲者”の称号を獲得。》

《”戦熊を打ち倒せし者”の称号を獲得。》


 やっとレベル17か。20までは程遠いな。いつになったら子供達に追いつける事やら。

 色々と獲得出来た様だが、大体がフィジカル強化系のスキルらしかった。簡単に言えば”豪腕”は腕力アップ、”健脚”は脚力アップ、”頑強”は防御力アップと言った具合だ。”防刃”は鋭い武器が身体に通り難くなるスキルで、”威圧”と”咆哮”は既に持っている”威嚇”スキルの上位互換版見たいで、さっきボクが掛けられたのが”威圧”。一瞬だけで無く、振り解くまで動けなくなる。”咆哮”はそれプラス継続ダメージを与えるのだそうだ。どちらもMPを消費するらしいのだが、魔術の一種なのだろうか。”鋭敏”は様々感覚が鋭くなるらしい。

 新規取得スキルを眺めていると、一際気になるスキルが有った。


――”ムル・エル”……?


 詳細を確認するとどうやらこれは言語スキルの様で、同スキルを持っている者同士での会話が可能になるらしい。

 そう言えば、と思い返すとあの熊もがふがふと何か喋っている風だった。もしかしたらボクとコミュニケーションを取ろうとしていたのかも知れない。残念ながらボクはこのスキルを持っていなかったので応じられなかったのだが、結果的に向かって来たのだから戦闘は避けられなかっただろう。お陰でより強く成れたのだから、素直に感謝して置かなければならないと思う。既に腹に収まっている熊に向かって、合掌。

 称号も幾つか手に入れていたが、その中の一つ、”戦熊を打ち倒せし者”と言う称号には『守護樹の結界を通り抜ける事が出来る。』と言う効果が付いていた。”守護樹の結界”とは何ぞや。称号”喰らう者”以来の効果付き称号だが、今の所縁は無さそうだな。アルヴィエールの戦熊アルヴィエールウォーベアがこの森の固有種なのだとしたら、森を探索している内にその”守護樹の結界”とやらに出くわす機会も有るだろう。何時になる事やら分かりはしないけれど。


 一頻りステータスとスキルを眺め、スキル欄を開いているついでに、と増えたスキルポイントを振り分ける。

 ……そろそろ帰ろうかな。もうここにも用は無い。脚に力を込めて腰を持ち上げ、ボクは歩みを進めて帰路についた。

 

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