1-33.アバターのレベルアップ


 千切れそうな痛みが右脚を走る。

 後背から土や小石の雨を受けながら身体が宙を舞う。

 視界が反転して、一瞬自分がどっちを向いているのかすら分からなくなった。

 分かっているのは右手に握ったナイフの感触。目の前に地面が見えた。瞬間全身に鈍い痛みと衝撃を覚える。

 腹から落ちた様で、顔も打った。いくら腐葉土の地面が柔らかいと言っても限度が有る、鼻の奥につんとした嫌な感覚を覚えながら幾度か転がった。

 ようやく止まって、痛みに呻く。

 頭に受けた衝撃に引きずられながらも気力を振り絞り、頭を上げて現状把握に務める。ナイフが無い。視線を巡らせると離れた所に落ちた太鼠ファットラットが起き上がり、足を引きずりながらこちらに狙いをつけていた。ふっざけんな。ナイフ、ナイフはどこだ。見つけた。左手に少しの辺りに転がったナイフを見つけたが、手を伸ばしても届か無い。

 立とうと脚に力を込めたが、右足に鋭い痛みを感じて立てやしない。腰も重かった。考える間もなく腕を動かし肘で地面を掻く。ボクが這っている間も太鼠は速度を増して向かって来ていた。早く、早く!先行する焦りに囃し立てられて必死に這い腕を伸ばしてナイフの柄を掴む。同時に上半身を捻って、振り向いて奴を目視――あっ。と思った時には、跳ねた太鼠はボクに覆い被さっていた。





「……っはぁ、はぁっ。はぁっ。」

――た、助かった……。


 太鼠は、反射的に胸の前に構えたナイフの上に覆い被さり、自重で刀身をその身に深く突き刺して、藻掻いて死んだ。

 ボクは暫くそのままの姿勢から動く事が出来ず、少し落ち着いた辺りで身体を捩ってナイフごと太鼠の死体を脇に落とす。その後再び四肢を放り出して暫く天を仰いでいた。

 そうやって何とか平静を取り戻し両の肘を突いて上半身を浮かす。「うっわ……。」上半身は太鼠の真っ赤な血で塗れていて、見るに無残だ。その奥には痛みを知らせ続ける右足が映っていた。膝から下が少し黒ずんでいて所々裂けて血に塗れていた。肉から骨が突き出ていないので、思いの外少ない被害で済んだ様だ。大分手加減してこれなので、本気でやってたら脚が消し飛んでたんじゃないかな……。

 しかしこれでは暫く歩けそうに無いな。力を抜いて再び地面に頭を付けた時、ナビィのアナウンスが入った。


《アバターのレベルアップを確認。現在はレベル15。》

「は?」


 アナウンスを聞いた瞬間、ボクの意識はブラックアウトした。



◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇



 ひやりとした空気を感じ、目が覚める。

 眼前上空の枝葉の隙間から陽の光が見えない。僅かに漏れ出たこの淡い光は、どうやら月の物だろう。ぶるりと身震いがする。どうやら陽が暮れている様だった。僅かに呻き声が漏れながらも身体を起こす。はっとして気づいたが脚の怪我が完全に治っている。痛みも無い。恐らくはレベルアップに拠る回復効果だろうが、まさかあれだけズタズタだった怪我も治るとは、ボクの限られたチート性は健在の様だ。こうなるとどの程度の怪我までカバー出来るのか気になってくる。まあ、わざと酷い怪我をするつもりも無いので、この件は保留せざるを得無いけども。

 そうだ、レベルアップだ。確か、気を失う前はナビィのアナウンスを聞いていた筈だ。つまり、ボクが気を失った原因はレベルアップに伴う副作用、”レベルアップ酔い”の所為なのだろう。一瞬で意識が落ちたので実感は無いが、それより今まで、どのくらい眠っていたかは分からないが、よく他の魔獣に襲われなかった物だ。想像だに恐ろしくなって別の意味でも身震いしてしまう。そう言えば、この身体だと喰らう間でも無く敵を倒すだけでレベルが上がるんだな。”喰魔”の影響範囲は本体だけと言う事なのだろう。


「えっと……確か、なんってたかな……。」


 一先ず自分のレベルを知りたくてステータス欄を開いた。




▼名前:アバター1 種族:人間族 性別:男 年齢:10


 レベル:15

 HP:197 MP:145

 スタミナ:173 SP:5239(+19/1500)

 満腹度:中 状態:異常なし


 物理攻撃力(STR):104 魔法攻撃力(MAT):110

 物理防御力(VIT):98 魔法防御力(MDE):105

 素早さ(AGI):132 命中力(DEX):115

 賢さ(INT):1600 精神力(MND):800

 運(LUK):☆☆☆ クリティカル(CRI):66


 属性:赤/青/黄/土/緑/白/黒/紫

 耐性:物理耐性 Lv2/精神汚染耐性 Lv2/苦痛耐性 Lv2/ストレス耐性 Lv2/雷耐性 Lv2/

     火炎耐性 Lv2/毒耐性 Lv2/魔力耐性 Lv2/--


 称号:白竜/異世界に生まれ落ちた者/喰らう者/瀕する者/悟る者/

     打ち勝つ者/保護者/拾う者/庇護者/求める者/

     殲滅者/敗北者/無知/諭す者/間抜け/

     正直者/献身者/ロールプレイヤー/--




 ……そうだ、レベル15だ。あの一瞬、耳を疑ったのを思い出した。え、太鼠二匹でこんなに上がるもんか?

 確か子供達のレベリングの始めに使ったのも太鼠だった気がするのだが、ここまで極端に上がった記憶が無い。頭を捻って思い出して見る。……確かにあの時使った個体より、今回遭遇した個体の方がレベルは高かった。でもそれ程の差は無いし、他に要因が有るのだろうか。ボクには経験値ブースト的なチートスキルは無いし……あ、もしかして。

 あの時は子供達に一撃入れさせた上で、トドメに握ったナイフに叩きつけて終わらせた。遭遇から退治までを自分一人で熟していれば、子供達でもこのくらいレベルを上げる事が出来たのかも知れない。それにこの身体は太鼠と戦うまでレベルが一だった。レベル差や経験の差が、今回の極端なレベルアップに繋がる経験値ブーストを引き起こしたと考えれば合点は行く。やはり”経験”と言う物は馬鹿に出来ないという事なのだろう。もしかしたら、あの急激なレベリングの所為で、子供達の貴重な、経験値を稼ぐ機会を奪ってしまっていたのかも知れない。これからは無闇なレベリングは控えて、実地で経験を積ませるべきだろうか。

 おっと、このまま行くとまた思考の海に溺れて沈み込んでしまう。頭を振って、ステータスチェックに戻ろう。

 SPの異常な多さに度肝を抜いたが、これは恐らくスキルポイントは本体と共有なのだろう。スキル自体が共通なのだから当然と言えば当然だ。前日に本体のレベルアップで得たスキルポイントも、なんだかんだ使うタイミングが無かったし、恐らく今回のレベルアップで獲得したSPも込み込みなのだろう。帰ったら割り振るのを忘れないようにしよう。

 諸々のステータスは、やはりと言うかなんと言うか、本体時に比べると鼻糞の様な値だな。人間と魔獣の地力の違いを再認識させられる。……ん?”賢さ”と”精神力”だけ異常に高い――ああ、これもSPと同様に本体と共有なのか。確かに身体を乗り換えている間、馬鹿になったり精神的に不安定になったりしたら困る。

 そう言えばこの身体、”運”の項目が数字表記では無い様だ。子供達やあの冒険者達の様に、ヒト種族のステータスでは運が星表示になっていたが、それはこのアバターでも例外では無いらしい。

 属性や耐性も共有だな。称号も色々と増えて入るようだが、”喰らう者”の様に効果の付与された物は無い様だ。それにしても増えた称号も酷い言い草の者がちらほら……”無知”とか”間抜け”とか、心にる物が有る。いや否定は出来ないけどさ。

 そう言えば名前欄は”アバター1”と言う何とも味気無い物になっている。シロじゃないのか、と何となく名前欄をタップすると、どうやら名前の変更が出来る様だった。……シロ、にしても良いのだが、今は別に変えなくてもいいかとものぐさ心が湧いてきたので、今回はスルーしておこう。


 一通り確認し終えてちらりとARの時刻表示を見やると、なんともう20時を回っていた。日は跨いでいないようだが、子供達が心配しているかも知れない。マップを見ると森の直ぐ手前で二人、ユーライカとアリーを示す光点が確認出来た。まずい。今はまだ大丈夫の様だが、万が一ボクを探しに森に入れば危険だ。今のボクでは直ぐに駆け付ける事が出来ない。ここからベースまでは本体ならば一時間足らずで着けるが、この身体ではどれだけかかるか……。

 跳ねる様に身体を起こし、脚に力を込める。駆け出した瞬間、息を呑んだ。

 ベースを出た時とは比べ物にならない程身体が軽い。驚く程のスピードで風を切っている。余りの速さにあわや木々にぶつかりそうになったがこれもひらりと躱す事が出来た。これが急激なレベルアップの恩恵か!そう言えばあの時、レベルアップ酔いの冷めた子供達も、今のボクのような反応をしていたっけ。何にせよ、スタミナがどれだけ保つか分からないが、思うより早くベースに戻れそうだ。頼むから、ボクが戻るまで早まってくれるなよと願いながら、ボクは脚を動かした。



◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇



 途中何度か休憩を挟みながらも、日を跨ぐ前にはベースへ到着する事が出来た。

 それまでずっと森の手前で待っていたのだろう。泣き付かれたりお説教される様な事も無く、ユーライカはただ心底と言った風に「おかえりなさいませ。」と安堵した表情で出迎えてくれた。そんな彼女を見たせいだろうか、張り詰めていた緊張の糸が切れてその場で崩れるように倒れてしまった。背中が痛い。見上げた黒い空は森の中でとは違って幾重もの星が輝き、地球の物とは比べ物にならない程大きな月が僕らを見下ろしている。


「きゃあ!?シ、シロ様!」

「ああ、大丈夫、大丈夫。力が抜けただけやから。」

「安心できません!ど、どこかお怪我などは……?」

「無いってば。ほんま大丈夫やから。……あー、起こして。」

「シロ様……。」


 起き上がろうとしたが上手く力が入らず、止む無く手を伸ばしてユーライカに引き起こして貰った。まだ疲れは残っているが何とか動けるな。……なんか毎度こんな事を繰り返している気がする。一人で森に入って、不意に遅くなって、子供達が心配で焦ると言う一連の流れ、これで何度目だろう。これが子育ての苦労なのだろうか。いやしかし、子供達が十分に強くなるまでは仕方の無い事だ。一度面倒を見ると決めたのだから、心配せずに済む様になるまでは何度でも心配して家に飛び帰る位の覚悟はしなければ。

 水際まで歩いて、”跳躍”スキルを効かせて一飛ひとっとびに川を超える。着地して直ぐ、そう言えばユーライカはどうやって渡るのだろうかと焦ったが、彼女も同じ様に跳躍して渡る事が出来るようになっていた。彼女の身体能力なら当然か。普段はクロしかこう言う渡り方をせず、ボクが手ずから渡しているので気づかなかった。他の子も皆出来るんだろうか?エトは出来そうだけど、後の二人は難しいかも知れないな。

 無事に帰って来た安堵感で急激に身体が重くなる。スタミナも回復してないし暫く休憩がしたい。お誂え向きに焚き火の近くにボクの本体が転がっていて、横っ腹の辺りがいい感じにもたれ掛かれる塩梅に見えたので、四つ折り状態で”無限収納”から取り出した幅広の布をそのまま落として即席のソファーにして見た。そのままだと硬そうだしね。

 ルーデリアに借りた装備を外して脇に置いて、即席ソファーの上にぼふんと身を投げてもたれ掛かった。中々良いじゃないか……。こうして見て初めて気づいたけれど、ボクの本体腹部が僅かに上下している。どうやら意識が入っていなくても息はしている様だった。そりゃあそうか。本体を放ったらかして腐りでもしたら目も当てられ無い。


「まあ、シロ様ったら……。」


 焚き火から放たれる仄かな熱とユーライカの優し気な声を聞いている内に、驚くほど早くボクの意識は落ちて行った。


 翌朝ボクはそのままの体勢で目が覚めた。どうやらあのまま眠ってしまったらしい。視線を下げると全身を包むように布が掛けてあった。ユーライカだろうか。夜は冷えるし、あのままだと風邪をひいていたかも知れない。誰にしろ感謝せねば。

 見ると未だ焚き火は煌々と輝いていて、その奥、川辺りには子供達が居るのが分かった。顔でも洗っているのだろう。上半身を起こすと欠伸が出た。そう言えば、欠伸が出るのもこの世界では初の事かも知れない。僅かな感動を覚えつつ、ボクも顔を洗いに子供達の下へ向かった。


「シロさま。」

「おはよ。」

「シロ様、おはようございます。」


 挨拶を投げると皆も返してくれる。


「タオル貸してくれる?顔洗いたいから。」

「かしこまりました。今新しい物を……。」

「ん?それでええよ。」

「え?い、いえ、私達の使った物などお使い頂けませんっ。」

「いやでも、そんなに布も余裕ないやろ?それでええから貸してや。」

「し、しかし……。」


 何やら顔を赤くしてわたわたしている。これはあれか、お父さんの下着と一緒に洗濯しないで!と言う思春期的な奴か。泣くぞ。

 なにくそっ、と尚も渋っている彼女の手から半ば強引にタオルを引ったくる。「ああっ!?」と言う悲鳴を無視して引ったくったタオルを首にかけ、そのままの流れで顔をばしゃばしゃと洗い、既に幾分も湿ったタオルで顔を拭った。使い終わったタオルをユーライカに返すと、顔を青くしたり赤くしたりしながらタオルを見つめだした。どういう心境なのそれ。側に居たルーデリアに借りた装備のお礼を言ってその場を離れる。

 顔もすっきりして気分が良い。眠気も飛んだし、こうなってくると身体のべたつきが気になってくる。本体の時はそれ程気にならなかったし、その気になれば汚れを”無限収納”に仕舞う事で綺麗な状態を維持出来た。それでも気分的な問題で時々川に身を浸す事は有ったが。気温の上がる昼頃にでも水浴びしてみようかな。

 そんな事を考えつつ、再び本体ソファーに戻って腰まで布を被る。倒木のベンチも悪くはないのだが、尻も痛くなるし、何よりリラックス出来無いからね。

 小さな背を本体に預ける。うん、良い感じ。このまま朝食の準備までただぼけっとしているのも何だ、時間も有るので溜まりに溜まったスキルポイントの振り方でも考えるか、と思っていると、とてとて、とクロがやって来た。


「どしたん。」

「シロさま、クロもすわりたい、です。……だめ?」


 上目遣いのクロようじょに頼まれては断れまい。ボクは膝に掛けた布を端から捲ってクロを招き入れた。その瞬間滑り込んできて、ぴとり、と抱きつかれてしまった。柔い。


「……えへへ。」

「っこら、クロ!不敬ですよ!」


 それを見つけたユーライカがすっ飛んで来て目尻を釣り上げている。「まあまあ。」と宥めるが、「……朝食の準備を始めるまでですからねっ。」とまだ何か言いた気に睨まれた。そんなに怒らんでも。離れた所で羨ましそうにこちらを見ていたエトも、ユーライカの気迫に圧されて肩を落とし、ルーデリアに慰められていた。ルーデリアが落ち込んだエトを慰めるのはよく見る光景で、もはや彼の役目になっている様だ。二人には悪いが、微笑ましく思ってしまう。

 幼女が左側にくっついていると腕が窮屈なので、クロの背中に腕を回す。うん、大分楽になった。


「さて……。」


 何も無い空中の一点を見つめ出したボクに、何事かとでも言いた気な、また興味津々な視線を向けるクロを一先ず無視して、ボクは改めてスキルメニューを開いた。

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