1-32.ヒトの身体



「本当にお一人で行かれるのですか?」


 翌朝、考えていたように朝から森で身体に慣れる為の武者修行に行く事を伝えると、皆から危険だと止められた。前日に剣が重すぎて自滅した所為だろう、どうしても行くなら自分達を連れて行けと懇願されてしまったが、レベルアップに身体の試運転を兼ねているので、万が一の事故を防ぐには近くに居られては困るのだ。自分でも何がどう転ぶかわからないので断固として単独行動を、とボクが強く押し通すと流石に反対出来なくなったの様で、それでも不安を隠さずあれよこれよと世話を焼こうとしてくる。

 心配される事に悪い気はしないが、過保護過ぎるのもどうかと思う。もう何度も言っているのだが、この身体で死ぬ事が有ってもボクの意識は本体に戻る仕様らしい。だから安心して欲しいと伝えても、どうも半信半疑の様だ。未だ朝食前で、そっちの準備も有る為なんだかもうしっちゃかめっちゃかしている。


 ぐう、とどこかから音が鳴った。それはどうやらボクのお腹の音の様で、気づいた途端急激な空腹感を覚えた。


――んなアホな!?……あそうか、今身体が人間やから、そりゃあ腹も減るか……。


 むしろ気付くのが遅すぎるくらいだ。それこそ昨晩の夕食の時に気づいても良かった筈で、その時ボクがどうしていたかと言うと、意識を本体に戻して何時も通りの食卓を演じていたのだ。いつもの流れで魔獣の姿で初めの一口を食べる事に疑問を抱かなかったのだが、別にアバターでも良かった筈。

 しかし一度空腹を覚えてしまうと、どうにも止まらない。どんどんと空腹感が強くなり、堪らずその場に尻餅をついてしまった。痛い。既視感の有るユーライカの悲鳴を聞きつつ、声を掛ける。


「ユ、ユーライカ。ボクの分も朝飯作って貰える……?」

「……っ、勿論です!」

「シロ様がお食事を……!?」

「あ、そっか、今お身体が……。」

「えっ?えっ?」


 突然のオーダーに困惑した様子の子供達だったが、ユーライカの号令に拠り慌ただしく朝食の準備に戻って行った。ボクはエトに手を借りながら焚き火前の定位置に腰を下ろして息をつく。


――そっか……生まれ変わって、初めてちゃんとした食事が出来るんやな……。


 いつも味を感じない舌の所為で、空腹を感じない腹の所為で匂いだけの、有る種生殺し状態だった今世でも食事を楽しむ方法が有った事に感動を禁じ得ない。とっくに諦めていた事なだけに、一入ひとしおだ。


 程無くしていつもの様に食事が運ばれて来た。いつもと違うのは皿に乗った肉は細かく切り分けられていて、木の実や果物も添えて有る。そして傍らには銀のフォークが光っていた。これだけでちゃんとした食事に見えるのは、心躍っているせいだろうか。朝の食事にしては量が多く見えるが、他の子も分量の差異は有れどメニュー自体はいつもと同じである。獣が混ざっている種族の娘は肉が多めで、残りの二人は食物類が多めだ。

 準備を済ませた子供達が席に着く。冒険者二人が来ていたせいで右の丸太に席を移していたアリーとルーデリアも、元居た左の丸太に戻っていた。そんな子供達の、どこか期待した視線を左右から浴びながら、ボクは子供の小さな手でフォークを握った。ボク自身も緊張しつつフォークで肉を刺し、口へ運ぶ。

 本体の時とは違った熱を感じつつ歯を入れる。噛み締めた肉が汁を吹き、僅かにかけられた香辛料の味と共に肉の旨味が押し寄せてくる。癖と歯応えの有る肉だが悪く無い。前世では硬い肉が喰えずに難儀していたが、この身体では難なく食べる事が出来た。ユーライカが声を上げた。周囲がざわついているのが分かり、目を配ると皆が驚いたような、困惑している様な風でボクを見つめていた。

 そこで頬に伝う感触を意識する。どうやらボクは泣いているようだ。ぽろぽろとではなく、一筋だけがつう、と流れているのがわかる。


「は、はは……。余りの美味さに、涙が出ちゃったよ。」

「シロ様……。」

「久しぶりに味を感じたけど、やっぱ、ええもんやなって。はは。」


 無表情な顔から溢れる涙を拭って、二口、三口と肉を放り込んで行く。次は木の実。一つ摘んで頬張ると、ナッツの様な風味だとわかった。隣に有る乱切りの白い果物は林檎のような味と食感で、酸味が強め。ここ・・に来てから食事がこんなにも楽しい物だと言う事を忘れていた。ボクは夢中になって皿の上の食べ物を口に放り込んで行き、程無くし全てを食べ終えた。表情設定がオフになっているこの身体で無ければ、きっと満面の笑みを浮かべていただろうな。


「ごちそうさまでした。」


 自然と口に出たそれに苦笑しつつ周りを見回すと、子供達も既に食事を始めていていつもの様にお行儀良くカトラリーを動かしている。食事に夢中で食前のお祈りにも気づかなかった様で、なんだか恥ずかしくなった。


「お気に召しましたでしょうか?シロ様。」

「ん?あ、ああ。美味しかったよ、ありがとう。」

「勿体無いお言葉です。……今後も精一杯ご用意させてくださいませ。」


 ユーライカはそう言うとにこり、と微笑んだ。



◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇



 久しぶりのまともな食事の感動に浸りつつ、ボクは森へ入った。

 尚も心配そうにしているユーライカにどうしたものかと頭を悩ませていると、ルーデリアから自分の装備を付けていって欲しいと提案された。ズボンと半袖のシャツだけで森に入る気満々だったボクは目から鱗で、どうやらそういう点でもユーライカの不安を掻き立てていたらしい。なんかごめん。

 取り敢えず腰と肩に付けている毛皮と膝と肘のサポート用の布を巻く事でなんとかユーライカを宥め、ルーデリアに感謝しつつ単身、ナイフ一本で森へ突入した訳で有る。


 しかし、森へ入ってまだ10分と経っていないというのに、もう既に汗だくでスタミナゲージも半分を切っていた。この身体、体力無さ過ぎぃ!何も考えないでビジュアルちょっと弄って決定してしまったツケである。この状態でどうにかレベルを上げなければ、この仮初の身体の命は無いだろう。気合を入れて行こう。

 兎に角一旦休憩だ、近くの樹木の根本に座り込んで、川の水の入った水嚢を取り出した。これは最近”無限収納インベントリ”を漁っている時に見つけた便利道具だ。”無限収納”には物を雑多に詰め込み過ぎて未だに全部を把握しきれてない。荷馬車などは中身ごと収納されているので、メニュー内で中身を分離しないと一つ一つ調べる事が出来ない。箱や袋類なんかもそんな状態なので全部確認するのは大分手間だ。生来の面倒くさがりも手伝って、未だにちまちまやっている最中である。サルベージ出来た水嚢はまだ数がないので、もし揃ったら子供達にも配ろうと思う。

 冷たい水を二口程煽って一息吐いた。この辺りは少し拓けているし、もう少しして落ち着いたら色々と試して見よう。


「……うし。そろそろ動くか。」


 汗も乾き、スタミナゲージも満タンになった辺りで膝を手で掴んで体を持ち上げた。改めて思うが、この身体は軽い。体重という意味でもそうだが、動きが一々軽快な気がする。本体は魔獣だし、その前は歳を食ったおっさんの中年体だった事を考えれば無理も無い。身体を捻っても骨が鳴らないというのは、一周回って新感覚だな。

 ……さて、まずはどこから始めるか。体力が無いのは分かりきっているので持久走などは出来無いだろう。頭を捻って初めに思いついたのは着替えの時の光景。あの時は”跳躍”スキルの力加減が分からず飛び上がりすぎたが、あの感じだと本気でやればもっと行けた気がする。まずはジャンプ力を確かめて見よう。

 そうと決まれば、と上を見上げて有る程度上空にスペースが有る所を探す。この辺りは背の高い木々が乱立していて、上空では大きく枝葉を絡めて光を遮っている。僅かに漏れ溢れる陽の光が周囲の闇を拠り一層深めているが、”視界調節”スキルがこの身体でも効いているらしい、明度調節効果で薄暗い森の中でも難なく行動する事が出来ている。広角視野効果はこの身体ではしんどいので通常より少し広い程度に抑えているけど、地竜ボディでの見え方と結構違うので慣れるまでが大変だった。こっちの方が馴染みが深い筈なのに不思議な物である。

 程良く上に抜けた辺りを見つけて、早速ジャンプして見る事にする。少しわくわくしつつ、膝を曲げて力一杯飛び上がった。身体にかかる圧力を確かに感じながら身体が宙を進む。思わず笑い声を発した瞬間「おわっ!?」、余りに高く飛び過ぎた様で頭を頭上の枝葉に突っ込んでしまった。一瞬の羞恥心を感じたと同時に下方へ重力が働く感覚に襲われる。やばい。そう思った瞬間腕が動いて近くの枝を掴む。重力に従って急激に落下する気持ち悪さを感じながら咄嗟に掴んだ枝を握りしめるが、思ったよりも細かった枝はボクの身体の落ちるに従って簡単に折れてしまった。

 ひゅっ、と喉が鳴って、命綱を失った身体は完成に逆らわず落ち続ける。具体的には分からないが相当な高さだという事はわかる。このまま落ちれば間違い無く死ぬ。この身体が死んでも本体に戻るだけ、とあれだけ言ったのにいざ死が目前になると恐怖心で一杯になる。


「ぐぶっ!?」


 途端腹部に強烈な痛みと圧迫感を感じ、思考が飛んだ。腹に何か当たったらしい事を悟った時には既に身体は跳ねていて、程無く今度は背中側に衝撃を受けた。頭も打ったようで、視界がちかちかと見えずらい。肺から空気が全て抜けたようで息が出来ない。どうにかしたくて腕を動かしたいのに動かない。あたまにさんそがまわらない。し、ぬ――。


「ぶはっ!はっ、はぁっ、はーっ!はーーっ!」


 あわや、と言う所で肺への酸素供給が復旧した様で、酸素と一緒に苦痛がやって来る。肺に酸素が溜まるに連れ苦痛は和らぎ、同時に冷や汗が全身から吹き出した。身を捩って横向きになって上手く動かない身体を曲げる。落ち葉や木くずの地面を溢れた涙で濡らし、その感触を頬で感じながら何度と無く息を吐く。ようやく頭に酸素が回って来た。身体の痛みは有る物の、一先ず危機は脱した様だった。


「うぅ、う……。」

――な、なにが……?


 そう思って再び仰向けになって上空を見る。かなり高い所で枝が折れ、垂れ下がっているのが見える。正確な所は分からないが、多分10メートル以上は有るだろうか。少し視線を下げると、地面から五メートル辺りの所にも太めの枝が伸びていた。見ている内に頭が冴えてきて、何と無くの顛末が思い浮かんだ。

 高く飛び過ぎたボクは咄嗟に側の枝を掴んだがボクを支えるには足りなかった。しかし折れた枝を掴んでいたお陰で落下の軌道が少しずれ、この太めの枝に腹から落ち、跳ねて地面へと言う具合だろう。図らずも九死に一生。視線を動かしてAR表示のステータスバーに目をやると、HPバーが半分を下回っていた。……次からは命に関わらない検証をしよう……。HPが八割方回復した辺りで身体を起こし汚れを払う。色んな汁で濡れた顔も拭って、近くの樹木にもたれかかった。この状態で出来る事をするのだ。

 その後スキルメニューとにらめっこしつつ、粗方の検証を終えた。

 まず”射出”系のスキルだが、腕に射出口も無いので実行不可能だった。他の形で効力を発揮するかも知れないが、今の時点ではこれ以上検証は出来ないだろう。同じ理由で”アサシンブレイド”も使用不可だ。身体資本のパッシブ的なスキルの大半は問題無く使えたが、”瞬歩”はこの身体ではブレーキが上手く出来ないのでかなり抑えめでないと使い物にならなかった。攻撃魔術系は自爆時のダメージを耐えられないと判断して試していない。”操土クレイ”だけは本体時と同じ感覚で使えた。最後に、地竜の持ち前の武器を使う威力アップ系のスキルだが、そもそも尻尾は無いので”尾撃”は使えない。”爪撃”も爪が剥がれそうになったので使えない。”殴打””蹴撃””牙撃”は確かに効力は有ったのだが、どれも身体の方が耐えられない始末だ。この三つはレベルが上って身体が出来上がってくれば使えるようになるだろうけど、今はどれもまともに使えない状態だった。

 そういう訳で今ボクが使えるまともな武器はこのちっぽけなナイフ一本という事になる。……これはひどい。


「ユーライカの言う通り止めとけば良かった……いやでも、レベルが低いままやと問題やし、本体のレベルをこれ以上分割するのもなぁ……。」


 幸い動きだけは早いので、なるべく相手の攻撃を受けないで魔獣を倒すしか無いだろう。この分じゃ一撃貰っただけで死ねる。それだけは避けなければ。まずは初心に帰って比較的弱い一角兎ワンホーンラビット太鼠ファットラット辺りを狙おう。幸いマップから目的の相手を見つけられるので相手には事欠きそうにない。

 ボクは早速見つけた太鼠目掛けて歩みを進めた。


「ひぃ、ひぃ。」


 スタミナも本体と共通だったら良いのに……歩くだけで一苦労である。しかし目標まで今少し、と言う所で目標の光点が赤に変わりこちらへ向かい始めた。どうやらあちらもこちらに気づいたようだ。数は二、どちらも太鼠だ。あっちから来るなら好都合だ、向かい討とう。

 腰を曲げ両膝を掴んで息を整える。ぐっと身体を伸ばし”無限収納”からナイフを取り出して握り込んでいる間も二つの赤い光点は一直線に進んでいた。

 半身をずらして軽く膝を曲げ、腰を落としてナイフを構えた。見えた。その瞬間反射的に”鑑定”すると、前に居る子豚の様な大きさの鼠はレベル28、斜め後ろを走っている奴はレベル27だ。突進されればそれだけで死にそうな身体は奴らにとっては格好の餌食だろう。普段は雑魚だが、今ボクはオワタ式ゲームをやっているに等しいのだ。油断せずに行こう。

 目の前の敵にぐっと構えた時、目前で二匹が左右に分かれた。これは奴らの常套手段で、その太ましい身体に似合わない持ち前の素早さで敵を撹乱するのだ。左に回った太鼠が斜め後ろの樹木の影から飛びかかってくる。ボクが額面通りのレベル一なら瞬殺されていただろうが、ボクには経験からくる度胸と身体に不釣り合いなスキルが有る。簡単にやられてはやらないのだ。

 軸足をそのままに身体を回転させて、半身を外にずらして飛びかかってきた太鼠をすんでの所で躱し、その勢いのまま下から振り上げたナイフを奴の横っ腹に叩きつける。切りつけた肉の感触は鈍くて思ったように刃が入らなかったが、それでも太ももから背中までを切り裂かれた太鼠は悲鳴を上げて地面を転がった。

 肉の抵抗感に危うくナイフを取り零す所だったがなんとか持ち直し、そうしている間に切りつけた太鼠が転がった辺りからもう一匹が突進して来た。少し崩れた身体を踏ん張った勢いで後ろへ跳ねさせて太鼠を躱す。危うく奴の爪が身体を抉る所だった。冷や汗が吹き出すが構っていられない。手を付いて地面を蹴って、ボクは倒れた太鼠を狙う。一気に奴を殺して数の不利を無くしたいのだ。余り長引かせると体力の無いボクは呆気無く殺されてしまうだろう。限界が来る前に決着をつける。

 ボクは体勢低く駆け、地面を藻掻いて居た太鼠を逃すまいとかなり手前で飛び上がった。勿論抑えては居るがそれでも少し飛び過ぎてしまい、止む無く両手でナイフの柄を握り込み、身体を縮める事で高度を下げて地を這う太鼠の上に落ちた。勢いも有ってそのままの姿勢で地面を滑ったが、逆手で握り込んだナイフは見事奴の首を深々と抉っていた。尚もじたばたと蠢いて生きようと藻掻いていた太鼠だが、放って置いてもこのまま死ぬだろうと判断して直ぐ様ナイフを抜き顔を上げて次を探す。「うっ!?」と息を飲んだ。視界の端、ボクの背後には今にも組みかからんとする太鼠が映っていたのだ。咄嗟に身体を捻り避けようとしたが当然間に合わず組み付かれ、吹き飛んで地面を転がった。

 幾度か揉み合いながら転がって、仰向けで止まったが太鼠を引き剥がせない。胸から腹にかけて奴の重みを感じながら睨み合う。奴の右での爪が肩に食い込んでいるが、ルーデリアから借りた肩がけの毛皮のお陰で肉は抉れていない。これ以上食い込ませない為に棒の左手は奴の脇を掴み上げているが凄い力だ。逆の腕を右の下腕で持ち上げるようにして抑えている為ナイフで攻撃出来ず硬直状態だ。このままじゃまずい、どうにかしないと……!


――こういう時は、えっと、火球ファイアボール!……はあかん死ぬ!水球ウォーターボールもどうなるかわからんし、何か、何か……ええい!一か八かや!


 ボクは右足を振り上げ、足の裏を地面へ叩きつけた。

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