1-31.喰らうと言う事
昼食後、静かな河原には奇妙な嗚咽音が響いていた。食道いっぱいの異物が逆流する異音。合間には目に涙を浮かべる程の息苦しさに漏れ出る悲鳴も交じる。ボクには酷く長く感じたが、30秒前後程のそれが終わった後、ボクはがっがっ、と二三咳き込んで息を整えた。
「はぁ……やっぱ慣れんなこれは……。」
ずるり、とボクの口内から滑り落ちた粘液塗れのこれは、”
傍に控えていたユーライカが直ぐにボクのアバターを余り大きく無い布で軽く包み、上半身を起こして支えている。別に指示した訳ではないが、これは彼女の気遣いだろうと思い、特に何も言う事は無い。視界の端に二人の冒険者があんぐりとしているのが映った。
「なんと、まあ……。」
「これが予備の身体、です……?」
事前に二人には”分身”スキルの事は話していたのだが、大蜥蜴が口から人間の子供を頭から吐き出すのだ、やはり実際見るとドン引きだろう。ボクだってドン引きしてる。
驚愕の視線を浴びつつ、ボクはその場に伏せ目の前のアバターに触れながら”インポート”と念じた。ずっ、と引っ張られる感覚と同時に視界が暗転したかと思うと、次の瞬間には瞼の先に光が見える。ゆっくりと瞼を上げると、ユーライカの瞳に見下されているのがわかった。
「シロ様。」
無事意識を移せたようだ。首を横に動かして、地面に首を垂らしている
「シロ様、どうぞお手を。」
「おう、サンキュ。」
人間の喉から出る高いようで低いような子供の声で礼を言って、腰で布を抑えつつユーライカに手を借りて立ち上がる。この身体の時は”腹話術”スキルで声を出さずに済むので楽だ。前回はそうでもなかったが、少しふらつくな。それも時間をかけずに収まり、ルーデリアを伴って子供達が寝泊まりしている荷馬車まで歩く。足の裏の砂利が痛いので、さっさと上がりたいが、この身体だと荷台の入り口がすごく高い位置に有る様に思える。これじゃあ上がれないなと思ったが、そう言えば本体と分身でスキルは共通だった事を思い出した。試しに”跳躍”スキルを意識して飛んで見る。次の瞬間、随分と高く飛び上がってしまって心構えに釣り合わ無い浮遊感に戸惑ったが、上手く
ボクの後にはルーデリアも荷台に上がって来た。何の事も無い、ボクにはこちらの服の着方がわからないので、聡くこのアバターと同性のルーデリアに教えて貰うのだ。と言ってもわからないのは下着だけで、後は普通に切れる。こちらのパンツはボクの知っている物とは少し違う形をしているので仕方ない。
このパンツは年長の女性陣のお手製だ。出会ったばかりの頃、奴隷に下着は無いとの主張を聞いてボクが言って作らせた物で、男女共にふんどしの様な形をしている。前後ろが下部で繋がった砂時計型で、紐を腰に回して結ぶ感じだ。一見してパンツには見えないが、ルーデリアの指導でようやく付け方がわかった。
まず後ろから腰に、パンツの短い部分から伸びる長い布の紐を回して前で結ぶ。次にだらんと垂れた布の窪みに沿う様に前に回し、腰に回した紐の内側から通して、その紐を挟み込む様に余り布を垂らす。後は腰紐の下部に来る様付けられたボタンで固定して完成だ。パンツを履くだけにしては結構工程が多い気がする。尻尾の有る種族の子、ユーライカとエト、そしてクロのパンツにはそれぞれ尻尾を通す穴が開いているのだそうだ。余談だが、すっげえ靴が歩きにくい。凄く分厚い靴下の様だが、そりゃあそうか。布を厚手にしただけだもんな。これでよく森の中で上手く立ち回れたもんだ。やはり、靴はちゃんとしたものを手に入れる必要が有るな。
ルーデリアに見守られつつ用意された服を着て、二人で荷馬車を降りる。するとクロがててて、と近づいてきた。
「シロさま、おはなし。」
「うん?」
この後はリリアナの剣術訓練に混ぜて貰うつもりだ。話と言われても……あ。忘れてた、食前にクロに話すと約束していたんだった。
「あー。そうやな、話しとかんとな。」
クロとルーデリアを引き連れながら、既に訓練の準備を始めていた皆を呼んで、焚き火前に集まって貰う。
「えーっと、ボクの事で皆に話しとく事が有ります。」
それからボクが、自分が食べ無ければ強くなれない個体である事、これまで様々な物を喰らってきてその中にはヒトも含んでいる事、そしてこれからも必要に応じてヒトを喰うつもりだと言う事を伝えた。皆は様々な様相で話を聞いて居るが、堪らずと立ち上がり声を荒げたのが一人。ルーリエだ。彼女は腰に挿していた杖をボクに突き付けながら言う。
「あなたは……っ!やっぱり他の魔獣と変わらないじゃないですか!」
「止めろ、ルーリエ!」
リリアナも立ち上がり、ボクとルーリエの間に立ち塞がる。
「何故止めるです!?こいつはヒトを食べてるですよ!?」
「それは……っ。だが――。」
「ルーリエ。これ以上シロ様への無礼は許しません。今直ぐ杖を降ろしなさい。」
ボクを半分隠すようにユーライカが立ち、ルーリエに向かって長剣を構える。訓練の準備の為に帯剣していたのだろう。そんな彼女の顔にはボクへの悪感情は見られない。ただただ眼前のルーリエを警戒しているようだった。他の子は立ち上がらず、しかしアリーだけは近くに置いた短剣の柄と鞘に手を伸ばしている。後の三人は不安げに場を見守っていた。
「ユーライカ、ええから。そっちの二人もええから落ち着けよ。」
「どの口が言うですか!!」
ルーリエが一際激昂して、リリアナに物理的に止められている。そりゃそうだ。気持ちはわかる。同族を食ったなんて聞いて冷静で居られる者は少ないだろう。ボクも生前であれば相当の嫌悪感を持っただろう。けれど。
「あなたがどうしてヒトの言葉を話すのか、これで合点が行ったです。さっきの話が本当なら、ヒトを食べたから、話せるようになったですね……!」
「間違っては無いな。」
「この……!ぬけぬけと――。」
「でもさぁ。」
ボクは幼いヒトの人差し指をルーリエに向ける。正確には、その腹に。
「今日の兎と狼の魔獣の肉、お前も食ったやろ?」
「は、はぁ?それが何だって言うですか!?」
「罪悪感はあんの?。」
「……は?ざ、罪悪感……?何を言っているのですか?」
「ボクらは一角兎とアルヴィエール狼を殺して切り裂いて、あまつさえ美味しく調理までして腹に入れた。美味しかったよなぁ?で、罪悪感は?」
「相手は魔獣ですよ?」
「魔獣なら、ヒトに食われて当たり前なんか?」
「?と、当然、です。」
「魔獣は食われてもいいのに、ヒトは駄目?なんでヒトは別なん?どこがどう特別なん?」
「それは……わかるですよね?ヒトには、心が、感情が――。」
「魔獣には感情はないって?心の無い魔獣は怯えたり喜んだりせんって?お前の目の前に居るのはなんやねん。」
「そ、れは。」
「別にさあ。どんな命も平等で等しく尊いーなんて言いたい訳ちゃうねん。ヒトも魔獣も、お前も俺も、あいつもこいつもそいつもどいつも命に価値なんて無い。誰の命も世界にとっては等しく無価値。せやろ?」
「……。」
「シロ殿、流石にそれは――。」
「ヒトに。個々の
「……え?」
「ボクの場合、ここに居る子供達、あとはまあ、あんたらもおまけで入れたっても良い。ボクが心を寄せる価値が有るのは今ん所これだけ。後は知らん。ボクにとっては等しく価値のない奴らや。」
「シロ様……。」
ユーライカを初め、子供達の表情が喜色ばんで行く。二人の冒険者も唖然とボクを見つめていた。
「だからどっかの広場に転がってた腐りかけの死体とか、他の魔獣に殺された奴隷商人とか、敵意を向けてきた相手くらいは口に放り込んでも構わんと思わへん?」
「あっ……。」
何か言いかけたアリーが口に手を当てて押し黙る。他の子供達の中でもちらほら、ボクの言いたい事を理解出来たらしい顔が見えた。それは二人の冒険者も同様だった様だ。
「……ひとつ、聞きたいのだが、今までシロ殿はヒトを殺した事はあるのだろうか?」
「残念ながら。ボクが出会った生きたヒトはこの子らとあんたら二人だけやから。」
「そうか……。シロ殿の言い分は理解出来た。」
そう言うとリリアナは振り向いてルーリエの肩に手を当てた。
「どうやらまた、私たちは勘違いをした様だ。……それでもヒトを喰う、と言うのは気持ちの良い事とは思えないが、本来このアルヴィエールの森に住む地竜たるシロ殿には私達の都合や倫理観は関係ない。シロ殿が余りにもヒト地味て居てすっかり忘れてしまうよ。今のお姿では尚更だ。」
リリアナの、ルーリエが飲み込みやすいように、しっかりと噛み砕いて諭しているその様は、まるで母親の様だと思った。
暫しの沈黙の後、ルーリエが口を開いた。その表情は前に垂れた帽子の鍔に隠れていて窺い知る事は出来ない。
「……ひとつ、聞いておきたい事があるです。」
「なんや?」
「これから先、あなたにはヒトに害を成すつもりはあるですか?」
「……先の事はわからんし、知らん。でも、さっきも言ったけど、今までもこれからもボクに、ボクらに敵意を向ける奴らに容赦するつもりは無いから。」
「……わかったです。今は、それでいい、です。」
ルーリエは一度くっと頭を上げこちらを持ち前の三白眼で一瞥すると、今度はさっきより深く頭を下げた。
「悪しざまに言って、悪かったです。ここに居る間は、あなたのやり方に従うです。」
「……おう。」
◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇
話を済ませてからは、予定通りリリアナに拠る剣術訓練の時間だ。
ルーリエ以外は一同揃って広い方の河原へ来ている。子供達は揃って腰に下げた付属の鞘から短剣を引き抜いて準備をして居て、ボクも早速装備しようと”無限収納”から余っていた長剣を手中に取り出し「うわっ!?」。途端長剣は重力に従って、ボクの手ごと地面へと落ちてしまった。
咄嗟の事に身構えられず、砂利の地面にごろりと転がってしまい、仰向けに倒れ無様な悲鳴を上げてしまう。
「シロ様!?」
痛い。あちこちが痛い。それは当然で、魔獣の強靭な皮膚と今のひ弱な人間の肌では受けるダメージは段違いになってしまう。おまけにこの身体はレベル1だ。甘く考えすぎていた、この身体はちょっとの怪我でも致命的な傷になってしまうのでは?一転びしただけでHPバーが僅かに減少していた。転びまくってたら死ぬかも知れない。
身体の後ろ側に痛みを感じているとユーライカが、ついでリリアナや他の子も飛んできて気遣ってくれる。つらい。ボクは心配気に伸びてきたユーライカの手を掴んだ。
「大丈夫ですか?」
「一体どうしたんだ、シロ殿。」
「いてて……。」
「シロ様、しなないでぇ……。」
「シロさましんじゃうの?」
「二人共、縁起のない事を言わないのっ。」
「多分転んだだけだと思うよ?」
「大丈夫、大丈夫やから。死なへんから。」
ユーライカに手伝って貰いながら身体を起こすが、右腕が引っかかった。どうやら握ったまま剣が落ちた為に挟まってしまったようだ。動かすと痛いので、何とか立ち上がってから、左手も地面と柄の隙間に滑り込ませて持ち上げようと踏ん張ってみるがびくともしない。まるで鉄の塊のようだ。いや鉄の塊か。剣だもんな。
何度か踏ん張ってみたが一向に無理、こりゃあかんな。
「……持ち上がらん。」
「シロ様、お手伝い致します。」
「いや、ええわ。」
そう言って、持ち上がらない剣を”無限収納”に収めた。負荷の無くなった身体をぐぐっと伸ばして束の間の開放感に浸る。下敷きだった右手を見ると、拳部分が切り傷だらけで痛々しい。実際痛い。ボクの耐性スキルが仕事をしないのはいつもの事なので諦めたが、如何せんこの身体はひ弱すぎるな。これじゃあ密かに憧れだった”小さな身体で巨大な武器”状態はお預けだ。
「シロ様、お怪我が!今お手当を致します。」
青冷めた顔のユーライカに水際まで連れられて手頃な濡れ布で傷を拭われる。ボクは屈んで流水に右手を漬けて成されるがままだ。川の向こうの焚き火からルーリエが馬鹿にしたような顔でこちらを見ている。おのれ。
一通り傷を拭われた後は、右手の傷も一緒に効力の高い軟膏を塗られた。それでも心配そうにしているユーライカに「シロさまは本日はもうお休みください。」と帰されそうになったがそんな訳には行かない。この程度の傷で退場なんて面目丸潰れだ。まだまだ全然やれるし、頑張っている子供達に示しがつかない。
過保護過ぎるユーライカを宥めて、心配そうにしている皆の下へ戻った。
「悪いな。」
「構わないが、続けるのか?」
「まだ何も初めてへんやろ……こけただけで辞めれるか。」
「シロさま、だいじょうぶ?しなない?」
「死なへんて。それにこの身体が死んでも本体に戻るだけやからな?」
「よ、よかったぁ。」
「安心しました。」
なんだかむず痒い。
気を取り直して今度は短剣を取り出してみたが持ち上げるだけで精一杯、初めの子供達と同じような状態だった。結局今のボクがまともに振れるのはナイフだけの様だ。ちくせう。
仕方がないので、リリアナに相談してボクだけその辺りに落ちていた手頃な長さの木の枝を使う事になった。リリアナに手合わせしたいと言われたが、まだこの身体に慣れていないのでまたの機会にして貰う。レベルはこの中で圧倒的に低いのだが、スキルは本体と共通何だし、何がどう作用するかわからないので、今暫くは無茶出来ないだろう。
その後は剣の握り方や素振りの仕方、脚捌きなどを教えて貰った。足場が悪いので思うように動けないが、そこは子供達の方が経験が有る。まずはこの身体で子供達に追いつく事が大事だろう。
そうして各々反復練習をしながら時々リリアナの指導を受けている内に時間が来たようで、訓練は終了となった。まだ15時半だが、今日は日没前に冒険者の二人が購入した馬の引き渡しの為に森を出るので、少し早めに夕食を取るのだ。
初めは二人共、時間が合わないのだから自分達の分は良いと固辞していたのだが、ユーライカがボクの許可を取ってまで時間をずらしたので二人共諦めて食べて行く事になった。ボクもユーライカの行動に目を剥いた物だが、それほど二人の事を心配しているのだろう。
そんな訳で16時を過ぎた辺りで少し早い夕食となり、腹を満たした冒険者達は連れ立って空飛ぶ箒でベースを飛び立った。座るスペースが無いらしく、布を括り付けて作った即席に座席で運ばれていくリリアナの姿はとてもシュールである。
夕食の席で二三追加のお使いを頼んだ事も有って、今から帰りが待ち遠しい。二人が戻ってくるのは明後日の朝になるそうだ。その間ボク達はリリアナに教えられた事の反復練習を続けるようにと言われているけれど、まずこの身体に慣れる為、単身森へ入ろうかと考えていた。
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