第35話 誰がための剣2

「どういうことだ! 何故ここまで接近されるまで気づかなかった!」

 人類解放軍、アルバ地下居住区駐屯地。防衛司令室は設置以来初めての緊張と混乱に包まれていた。

 居住区の東五十キロ付近に、突如としてセンチネルの反応が出現したのだ。一部の火砲なら居住区を射程に収めるような距離である。目と鼻の先と言ってもいい。

 アルバ地下居住区は敵勢力圏からも、味方の地上軍事施設からも離れている。戦略的な価値は非常に薄い。けれどもそれで敵への警戒や監視をおろそかにしていたわけではない。出入り口は巧妙に偽装し、周囲には広範囲に二重三重のセンサー網を敷設して備えていた。

 敵軍はその監視網をすり抜けて、突然目の前に出現したのだ。あり得ないことだった。

 基地司令はモニターの地図を見上げ、必死で考えを巡らせる。

(一体何故だ。器機の故障? あり得ん。先日の遭遇戦を受けて、監視体制は見直しを図った。器機も万全の状態になっていたはず。では敵が新型のステルス装置を投入したのか? しかしそれでも何かしらの反応はあるはず。まさか幽霊ではあるまいし、あらゆる種類のセンサーをくぐり抜けられるはずはないのだ。では――)

 ――結論を言ってしまえば、その監視体制の見直しがいけなかった。それまで何もないとされていた地域で急に電波が増える。それは、「ここに何かがありますよ」と教えたも同然の対応だった。センチネルはその通信を傍受し、解析し、ダミーのデータを送り込んで警戒システムを騙しながら進軍したのだ。

 地図上で、敵位置を示す光点が近付いてくる。司令は思考を切り替えた。今考えるべきは敵がどうやって近付いてきたかではなく、住民をどうやって守るかだ。

「第一種警報発令!」

「り、了解! 第一種警報、発令します!」

 オペレーターがうわずった声で繰り返す。

 アルバ地下居住区の最後の夜が、始まろうとしていた。


 真昼のように明るくなった地下居住区を大型戦闘車両が走り抜ける。何十年も前に閉鎖されたはずのシェルター通路が開かれ、地上に続くトンネルに、戦車隊と随伴する歩兵部隊が吸い込まれていく。その表情は様々だ。久しぶりの実戦に緊張する者。叩き起こされて不機嫌な者。どうせ誤報だと高をくくっている者。

 地上側の出口が見える地点で、部隊は停止した。地上からの観測データが送られてきて、彼らは表情を引き締めた。

「本当に敵が嫌がるぜ」

 連装砲を備えた多脚戦車が三台。その周囲に銃剣や機関砲を装備したドロイドが多数。総数は不明。後方には支援車両もいるはずだ。夜の森の中を近付いてくる。偽装されているはずの出入り口に向かって、一心不乱に。所在は完全にバレている。戦闘は避けられない。

 敵軍が進軍を停止した。多脚戦車が前に出て砲身を俯角――水平よりも下に――向ける。シェルター出入り口を、偽装している土砂諸共吹き飛ばして突入してくるつもりなのだろう。

『全車、射撃用意』戦車隊隊長が静かに告げる。

 敵多脚戦車が発砲。わずかに遅れて低い振動が戦車隊のところに伝わってきた。

 トンネルに砂塵が吹き込んでくる。トンネル内に設置されたセンサーが敵の侵入を捉える。

「てーっ!」

 隊長の号令一下、全車両が一斉に砲撃を開始した。敵の姿は目視できていないが、狭いトンネルのこと、照準などあってもなくても同じだった。撃ち出された無数の砲弾が、攻め込んできたドロイドの群れに直撃し、爆裂し、ねじ曲げ引き裂き粉々にして吹き飛ばす。吹き飛んだ残骸もまた砲弾の勢いでもって、後続のドロイドたちを多数破壊した。そこに次の砲撃が襲いかかる。砕け散った金属と特殊樹脂がトンネル出口から吹き出す様子は、遠くから見れば火山の噴火のようでもあったかもしれない。

 戦車隊は各個に砲撃しつつ前進、敵ドロイド部隊を粉砕して地上へと進出する。戦車の影から高機動装甲車が飛び出し、アサルトギアを装備した歩兵部隊を周囲に展開、戦車隊の死角をつこうとしていた敵ドロイドとの交戦を始める。随伴歩兵部隊に守られながら、戦車隊は敵後方に控える多脚戦車と支援車両に照準を合わせた。

「てーっ!」

 多脚戦車は六本足を器用に動かして、どんな地形でも踏破し、安定した姿勢で射撃が行える。命中率と火力の極めて高い兵器だが、機構が複雑なので防御力は低い。砲撃を集中され、片側の足を全て失った多脚戦車はその場に倒れた。

「ざまあみやがれ! 今夜は蟹鍋だ!」

 快哉を叫んだ戦車隊は次なる獲物へと主砲を向ける。が、

『パーティなの? 私も混ぜてもらえるかしら?』

 その声は突然、通信に割り込んできた。

 まだ幼さの感じられる、少女の声だった。

 指揮車の通信士が振り返って車長を見上げた。車長は首を振る。知っている声ではなかった。彼らの部隊にも女性兵士はいたが、その誰とも、通信の声は違っていた。

『返事がないから勝手に混ざっちゃう』

 クスクスと笑い声。次の瞬間、激しい衝突音のようなものが聞こえてきた。

『うわっ! 何だ!』同時に配下の戦車から通信が入る。

「おい、どうした?」

『我、正体不明の攻撃を……あーっ!』

 絶叫、続いて爆発。通信が完全に沈黙した。車長は立ち上がってハッチを開け、身を乗り出して周囲を見回す。左手で爆炎が上がっていた。友軍の戦車が燃えている。エンジン部分に、巨大な両刃の斧が突き刺さっていた。

 燃える戦車の上に人が立っていた。少女だった。兵士ではない。艶やかな黒いヒールを履いている。黒いドレスのようなものをまとっている。右腕にだけ中世の甲冑を装着していた。いや、違う。あれは甲冑ではない。彼女の腕だ。

「わたくし、炎って大好きなの。照り返しは女を美しく見せると思いませんこと?」

 真っ赤な舌を出して、少女は唇を舐めた。ぞっとするような美貌。メカニカルな装飾を施した眼帯を着けたその顔を、車長は知っていた。人類解放軍の兵士なら、誰もが知っていた。

 機械仕掛けの死神【デス・エクス・マキナ】。魔女の娘たち。忌むべき人類の敵。

 社交界の華のように可憐な――

「……オ、エクスマキナ……。まさか……なんでこんな辺境の居住区に……」

「お初にお目にかかりますわ。私、ナーゲルリンクと申します。本日はこの地に隠れ住んでる人間共を抹殺するために参りました。短い間ですけれど、よろしくお願いします」

 ――それは、敵の顔だった。

「さあ、パーティを始めましょう?」

 エクスマキナ、ナーゲルリンクは踏み台にしていた戦車に突き刺さった斧に手をかけた。

「一斉攻撃! 撃て! 撃てーっ!」

 車長が絶叫する。戦車隊は一斉にナーゲルリンクに主砲を向け、ためらうことなく発砲した。続けざまに撃ち込まれた十数発の砲弾が、そこにあった戦車をただの鉄くずに変える。だがナーゲルリンクにはただの一発も当たらなかった。巨大な斧を引きずりながら、ナーゲルリンクは踊るように砲弾を回避する。

「奴の足を止めろ!」

 呼応して歩兵隊が動き出す。四方八方から降り注ぐ数百発の高速ライフル弾は、さすがの彼女も回避しきれない。腕に、足に、無数の弾丸が着弾し――けれどもその白い肌には、かすり傷一つつかなかった。

 ソフトスキン装甲――エクスマキナの生みの親、ハリエット・シェリーが作り上げた、人格型人工知能と並ぶ世紀の発明である。見た目は人間の肌とそっくりでありながら熱にも衝撃にも強く、無類の防御力を実現している。汚すことのできない〝乙女の柔肌〟。

「優しい愛撫ですわね。女の扱いが分かってる人って、好きよ」

 ナーゲルリンクは妖艶に微笑んだ。対照的に、兵士たちは恐怖に青ざめる。

「全軍後退! トンネル内で陣形を整える!」

 狭いトンネル内ならエクスマキナの機動性は封じられる。戦車砲で仕留められる――隊長はそう考えたのだが、

「ダンスは広いところでするものよ?」

 ナーゲルリンクが斧を振るった。一回目で群がる兵士が薙ぎ払われ、二回目で戦車の砲塔が中の人間ごと輪切りにされた。とどめの一撃を叩き込まれたエンジンが火を噴き、人ならざるものの美貌を闇夜に赤々と浮かび上がらせる。

 残る戦車隊と兵士たちも、すぐに同じ運命をたどった。

 白い骸骨のようなドロイドたちを引き連れて、機械仕掛けの死神は地下居住区へと進軍する。


 ノイ・アムシェル議長は第一種警報で叩き起こされた。不安そうな妻をなだめながら手早く身支度を調える。家を出ようとすると、そこに息子のレキがいた。軍学校の生徒は軍の一員であり、非常時には招集に応じる義務がある。

「行くの?」

「ああ。……レキ、死ぬんじゃないぞ。お前は母さんを守らなくちゃいけないんだ」

 息子は眉をひそめた。

「それは父さんの仕事でしょ? まあ僕も死なないよ。死なないようにがんばる」

 うむ、と父はうなずいた。

 靴を履いて玄関を出る。レキは自分の足で、アムシェルは自家用車で、それぞれの持ち場へと走った。

 自動運転の車中でアムシェルは基地への通信を開いた。担当者が手早く状況を伝えてくる。敵は標準型のドロイドが二百以上、大型が五十以上、多脚戦車が少なくとも三機、他支援車両多数。アルバ地下居住区を十回滅ぼしてもおつりが来るぐらいの大戦力だ。

 軍は既にザイデル要塞に救援を要請したという。だが間に合いはしないだろう。アムシェルは避難計画の修正を考える。迎撃部隊は間違いなく突破される――敵が地下居住区に入り込む前にどれだけの住民を避難させられるか。全員は無理だ。半数でも厳しい。非常な判断を迫られることになるだろう。その結果として自分も……。

「……すまんな、息子よ」

 呟くアムシェルの前方に、議事堂の堂々たる偉容が現れる。

 そのとき、信じがたい報告が飛び込んできた。

『迎撃部隊壊滅! 敵は通常兵器だけにあらず! エクスマキナ・ナーゲルリンクを確認! 繰り返す、敵は通常兵器だけにあらず!』

「っ! 早過ぎる!」

 遠く、爆発音が聞こえてきた。彼方に灰色の煙が立ち上る。シェルター入り口の隔壁を爆破した敵が、地下居住区に突入してきた瞬間であった。


「エクスマキナ! エクスマキナだと!?」

「間違いありません。十三号機、ナーゲルリンクです!」

 天才科学者ハリエット・シェリーが生み出した究極兵器。あらゆる戦いを終わらせるために生み出された自動人形にして平和の使徒。だが暴走して本来の役目を見失い、人類の仇敵と化した機械仕掛けの死神。

 アルバ防衛隊の目標は敵の撃滅にはなかった。待ち伏せで敵を叩けるだけ叩いた後は出入り口で防衛に徹し、ザイデル要塞から援軍がやってくるまで時間を稼ぐ――その計画が根底から崩された。たった一機のエクスマキナの出現によって。

 現在の戦力ではエクスマキナに傷一つ着けられない。一方的に蹂躙されて終わりだ。

「……いや、待て」

 基地司令は自分たちがエクスマキナに対抗する手段を持っていることを思いだした。エクスマキナに対抗するためのエクスマキナ――レプリカ・エクスマキナが今、このアルバで調整を受けている。あれを今使わないでいつ使うのだ。研究者たちは実戦投入できる状態ではないと言っていたが知ったことか。最悪、時間稼ぎになればいいのだ。

「統合開発局につなげ! 大至急だ!」


 ある程度潜ったところで、メンテナンスピットは伝統的な黒と黄色の立ち入り禁止ロープで封鎖されていた。ムラクモはためらうことなくまたぎ越える。その先は本当にただ掘っただけの横穴で、天然の洞窟と大差ない雰囲気だった。固い岩盤を避けたからだろう、道は左右に幾度も曲がっている。勾配もある。これなら掘り進む方向を間違うのも無理はない。

 暗視装置も機能しないような暗闇だが、ムラクモは苦もなく進む。見えなくても音響測位で地形が分かるのだ。足音が周囲の壁にぶつかって返ってくる。行く手に不自然な平面があるのが分かった。近づく。

「これが出口ね」

 開け方を聞き忘れていたが、スイッチらしきものを適当に押したら、隠し扉は作動してくれた。扉の先は、居住区に入るときにも使った、地下居住区と地上を繋ぐトンネルだ。ここまで来ればもう大丈夫だ。これで自由になれる。もう二度と戦わなくていい。誰かに恨まれることも、罵られることもない。願うことすら忘れていた平穏が手に入るのだ。

 ムラクモはふと、居住区の方を見やった。

「ハル……ありがとう」

 ガロンの登場で言いそびれてしまった言葉を呟き、ムラクモは出口に向かって駆け出そうとした。

「……っ」

 自分に呼びかける通信があった。統合開発局からだ。脱走に気づかれたか。戻ってこいと説得でもするつもりか。応答するだけ無駄だ。無視して逃げた方がいい――人工知能は合理的にそう判断したが、ムラクモは何故か、本当に何故なのか自分でも分からないのだが、その通信に応じた。

『ムラクモか!? やっとつながった!』

 研究員の声は、異様なまでに切羽詰まっていた。ムラクモの脱走は確かに大事だが、それとは違う何か、もっと差し迫った重大事――そう、身の危険を感じているような声だった。

『よかった。全然応答がないから……貴様どこで何をしておるか!』

 研究員の声が、いきなり聞き覚えのないだみ声に切り替わった。『困ります司令』という研究員の声が遠くに聞こえる。司令……基地司令か。アルバ地下居住区に到着した翌日に一度会った男の傲慢そうな顔を思い出して、ムラクモは眉間に皺を寄せた。

『あたしがどこで何してようがあんたに関係ないでしょ』

『兵器のごときが口答えをするな!』

 その偉そうな物言い。上から目線。何であたしはこんな連中を守ってこれまで戦ってきたのだろう。死ね。心の底からそう思う。だが、

『敵襲だ。センチネルが侵攻してきた。既に防衛線は突破され、敵は地下居住区内に侵入している』

「っ!」

 予想外の事態にムラクモは息を呑んだ。

 敵襲。アルバにセンチネルが攻め込んだ。

『敵軍にはエクスマキナの姿も確認されている。貴様は直ちに出撃してこれを撃滅せよ! 聞いているのか!? こんなときのための秘密兵器だろうが! 高い開発費の分ぐらいは働け!』

 基地司令の酷い言いぐさを、けれどムラクモは全然聞いていなかった。こいつらがどうなろうと知ったことか。もううんざりなのだ。戦うのも、理不尽な命令に従うのも。こんな傲慢な連中を助ける理由も意義も、ムラクモには見いだせない。

 右を見る。延々と続くトンネルの先には地上がある。自由がある。

 このまま逃げてしまえば、もう二度と嫌な目には遭わずにすむ。

 けれど、

「……」

 その名前を呟くと、心の中が暖かくなる。切ないほどに苦しくなる。

 ムラクモを兵器扱いしなかった少年。いつも適当でシスコン気味で、でもまっすぐな心を持った少年。ムラクモを兵器ではなく、自分と同じ心ある「ひと」として接してくれた少年。

 ――生きる楽しさを、教えてくれた人。

「……行かなきゃ」

 ムラクモは走り出した。地下居住区に向かって。

 このまま逃げてしまったら、自由よりも、自分自身よりも大切なものを失ってしまう。

「……ハル!」

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