第33話 戦争人形のちいさなねがい4

 また週末がやってきて、ハルはムラクモと一緒に出かける準備をしていた。

 鏡に向かって身だしなみの確認。服装よし、髪型よし、顔……はいつも通りだ、良くも悪くもない。

「二人でお出かけいいなあ」

 ソファで足をぶらぶらさせながらネリーが拗ねる。

「遊びに行くんじゃないぞ。何十分も黙って座ってなきゃいけないんだから、ネリーは退屈で泣いちゃうぞ」

「泣かないもん。ネリーも結婚式見てみたい。花嫁さん綺麗だろうなあ」

 うっとりと、夢見るような口調でネリーは言う。

 今日はアイリの姉、マリアの結婚式の日である。

 ハルとレキ、そしてムラクモは、この結婚式に招待されていた。同じ班のアイリはともかくその姉となると何度か顔を合わせたことがある程度。要は知人程度の関係なので、普通は式には招待されない。でも呼ばれたのには、ちょっとした事情がある。新郎は統合開発局の技術者――ムラクモの開発とは無関係だ――で、親族にも地下居住区の要職に就いている人がいるため、新郎側は仕事がらみの列席者が大勢参加する。一方マリアの方は交友関係があまり広くない。で、招待客のバランスを整えるために、新婦の妹の友達まで駆り出されたというわけだ。

 そういう事情だから、招待されていないネリーを突然連れて行っても迷惑がられることはないだろう。けれどもネリーは今日、初等学校の社会科見学がある。おにいちゃんとしてはネリーには真面目に勉強をして、立派な大人になってもらいたい。だから連れて行かない。以上。

「ムラクモ、できたか?」

「とっくに終わってるわ」

「ネリーもそろそろ準備しないと遅刻するぞ」

「うー」

 不満を漏らしつつ、ネリーは身支度を始める。

 三人は一緒に家を出た。ネリーを初等学校まで送り、ハルたちはエレベーター駅へ。

 中枢階層でエレベーターから路面電車に乗り換える。席は空いていたが、ハルは座らなかった。軍には公共交通機関を利用する際は、安全上の問題がない限り座ってはいけないという決まりがあって、訓練生にも適用される。私服のときはどうとでも誤魔化せるが、今は制服なので立つしかない。

 路面電車は居住区の外周に沿って進む。途中、『地下居住区入口』という名前の駅があった。停車すると、二ブロックほど奥に巨大なハッチがあるのが見える。駅名の通りに地下居住区の入り口で、ハッチの向こうは百メートルほどのトンネルを経て地上につながっている――のだが、現在はここからの出入りはできない。センチネルに見つからないように、地上側出入り口を偽装した上で封鎖してあるのだ。現在、アルバ地下居住区から地上に出るには、本来の入り口とは逆方向へと掘られた――寄り見つかりにくい場所に通じる――別のトンネルを使う必要がある。

 出口、地上、外、戦場、と連想が進み、ハルはムラクモの残り時間のことを思った。

 ムラクモの転属予定が発覚してから二週間。まだ、正式な命令はない。けれども予定とされる月末まではほんの数日だ。機密保持のため、命令が下るのは本当に直前になるのだろう。

 もう、いつ、別れの時が来てもいいように心構えをしておかなくてはいけない。頭ではそう分かっているのだが、ハルは何となく現実感を感じられないでいた。ムラクモはどうなのだろう――横目で伺う。

「何か緊張してきた。大丈夫かな?」

 ムラクモが真面目な顔でそう言うので、ハルは笑ってしまった。

「お前が結婚するわけじゃないだろ」

「でも、ほら、あたし礼儀とか全然知らないし。とんでもないやらかしとかしちゃったらどうしよう」

「確かに心配だな」

「いやそこは否定しなさいよあんた。『大丈夫だよムラクモならちゃんとやれるよ』とか言いなさいよ」

 面倒くさい奴だなあ、と思いつつ、ハルは真面目な顔になって、

「大丈夫だよ。ムラクモならちゃんとやれる。俺が保証する」

「……っ」

「言わせておいて照れるなよ」

「だ、だって、顔近いし……、急にきりっとするし……バカ、死ね!」

 理不尽な――と思わずにはいられないハルであった。



 式場へ到着すると、レキはもう来ていた。レキが電子端末を使って、ハルたちの到着をアイリに伝える。そのまましばらく会話を続けてから、

「ついてきて」

 そう言ってレキは結婚式が行われる建物に入る。ハルとムラクモはその後に続いた。

 式場は左右の壁にステンドグラスをはめ込んだ、荘厳で静謐な空間だった。大戦争以前の人々なら、ある宗教の教会を連想したことだろう。タイルの上にカーペットを敷いた廊下を奥へと進み、レキは新婦控え室のドアをノックした。

 すぐにアイリが顔を出す。ハルたちは軍学校の礼服だが、アイリは一般的なスーツを着ていた。ぺたんこ体型のアイリがそんな格好をしていると、なんだかコスプレのように見える。

「何かセクハラ的なこと考えましたね」

「いやいやそんなことは。えーっと、本日はお日柄もよく……」

「あいさつはいいから入ってください」

「いいのか? 親族でもないのに」

「男手がいるんです。手伝ってください」

 何だよ座ってるだけでいいって聞いたのになあ――心中でぼやきつつも控え室に入る。と、窓際の椅子に座っていた、ウェディングドレス姿の女性が顔を上げた。アイリの姉のマリア、本日の花嫁である。

「うわぁ」

 マリアの姿を見た途端、ムラクモはうっとりしたような声を上げた。吸い寄せられるようにマリアに近付いていき、ドレスに見とれる。

「すごい、素敵。あたしもこんなの着てみたい」

「似たような服持ってるじゃないか。あれ似合ってたぞ」

「っ!」

 ムラクモがハルを睨む。ハルは首をすくめた。

「ふふ、ありがとう」とマリアは微笑んだ。「ハル君とは前に会ってるわね。そちらの綺麗なあなた。あなたがムラクモさん? 最近転入してきたっていう」

「は、はい」

 綺麗と言われてムラクモはちょっと照れる。

「アイリの姉のマリアよ。いつも妹がお世話になっています」

「いえ、こちらこそ委員長にはいつも迷惑をかけてしまって……」

「そうかなあ。アイリの方が迷惑かけてるんじゃないかしら。私、信じられないのよ、アイリが班長だとかクラス委員長だとか、人をまとめる立場についてるなんて。うちではあの子、脱いだ靴下もその辺に放りっぱなしにするようなだらしのない、」

「姉さん!」

 アイリが顔を真っ赤にしてさえぎった。

 控え室で歓談していると、奥の扉が開いてアイリの母親が顔を出した。

 ハルたちは式の準備を手伝うために控え室を出る。やらされたのは、式の後で行われる立食会の設営だった。それを済ませると、アイリは受け付けに座り、残る三人は式場に入った。

 ふと、いくつもの視線を感じた。新郎側の席からだ。新郎は軍の技術者だ。招待客は軍関係者が多い。ムラクモのことを知っている人間が混じっていても不思議ではない。

「ムラクモ、そっちの方がいいだろ」

「え? あたしは別にどの席でも」

「いいからいいから」

 ハルは強引に、ムラクモを奥側の席に押し込んだ。軍関係者の目に触れないように。そんなことをしても何の意味もないとは分かっていたが、やらずにはいられなかった。

 間もなく式場は招待客で埋まった。前方の演壇の隅に式場の係員が立つと、場内のざわめきが潮が引くように静まっていく。場内が暗くなり、聖歌が響く。新郎が演壇に姿を現し、新婦がヴァージンロードをゆっくりと進んでくる。

 指輪の交換、誓いの口づけ――式はつつがなく終わり、新郎新婦が揃って退場する。

 ハルたちは他の招待客と一緒に式場の外に出た。

「これで終わり?」とムラクモ。

「この後はさっき準備を手伝わされたパーティー……だけどその前に、」

 ハルはポケットから出した包みをムラクモに渡した。

「なにこれ?」

「紙吹雪。もうちょっとしたら新郎新婦が出てくるから、そこにこれを投げて、『おめでとう』とか、『お幸せに』とか祝福の言葉をかける」

「昔はお米を投げてたらしいよ。その後新婦がブーケを投げる。ブーケを受け取った人が次に結婚できると言われている」

 レキが豆知識を披露した。

「まあ他の人がやってるように真似すればいいよ」

 招待客は式場の出入り口を半円形に取り囲んだ。ドアが開き、新郎新婦が姿を現す。

「おめでとう!」

「元気な赤ちゃん産むんだぞ!」

「離れても友達だからね!」

「お幸せに!」

 招待客が口々に叫びながら紙吹雪を投げつける。新郎新婦は泣き笑いで、ありがとう、ありがとうと繰り返し手を振る。やがて紙吹雪がやむと、新婦は持っていたブーケを掲げた。女性たちが期待に満ちた眼差しで前に出る。

 ブーケトスのその前に、新婦がこちらを見た、ような気がした。気のせいではなかった。

「そーれっ!」

 新婦が後ろを向いて投げたブーケは高い放物線を描いて女性たちの頭上を通り過ぎ、ハルたちの――ムラクモの目の前に落ちてきたではないか。ムラクモはほとんど反射的に手を伸ばしてそれをキャッチする。「あーあ」「取られた」と数名の女性。

 新婦は招待客をかき分けてハルたちのところにやってきた。

「これ……」

 戸惑うムラクモ。

「おめでとう」新婦はニッコリと微笑んで。「ドレスが着てみたいって言ってたでしょ? 次はあなたが幸せになる番。お相手は……」

 新婦は思わせぶりな視線でハルを見て、「がんばってね」

「は、はあ……」

「それじゃ!」

 新婦は笑顔で新郎のところに戻っていった。

 ハルは無性に恥ずかしくなって、頬をかいた。そうか、自分たちは他人から見るとそんな感じなのか。同棲めいたことまでしていて今更なことを思う。

「はは、参ったな。アイリのお姉さんってば完全に誤解して、」

 ごまかすように言いながら隣を見て、ハルはぎょっとした。

「ム、ムラクモ!?」

 ブーケを両手で抱えたムラクモはまっすぐに前を見ていた。

 その整った顔はいつも通りの表情で、けれど両の目から、すうーっと涙が筋を引いていた。

「ど、どうした? どこかおかしいのか?」

「え? あれ? あたし……泣いて? え? え?」

 ムラクモは涙を自覚するとみっともなくうろたえ、さらに激しく泣き始めた。

 ムラクモにそんな機能があったことに驚いたし、ムラクモが突然泣き出したことにはもっと驚いた。今のやりとりの何がムラクモを泣かせたのだ。

 いや、考えるのはひとまず後だ。ここは人目が多すぎる。

「レキ、悪い。俺たちは先に帰る」

「ん。委員長には適当に言っておく」

「助かる」

 ハルはムラクモの肩を抱いて式場を後にした。

 ムラクモはされるがままだった。俯いて、ひっくひっくとしゃくり上げるように泣いていた。



 路面電車に乗る前にはムラクモは落ち着きを取り戻していた。

 どうしたんだと聞きたかったが、そんな雰囲気でもなく、帰り道は二人ともずっと黙ったままだった。

 エレベーターに乗り換えて、居住階層に降りる。

「ちょっと歩こうか」

 ハルは言った。ムラクモは黙ってついてきた。

 当てもなくふらふらと、けれどなるべく知人に会わないように、普段は行かない方向へと進む。生活雑貨を売る店があり、公園があり、子供たちがあちこちで遊んでいる。屈託のない笑顔だ。今朝まではムラクモもあんなふうに笑っていた。

「ごめん。驚かせて」

「いや、別に。……泣けるんだな」

 言葉が見つからなかったとはいえ、間抜けなことを聞いてしまったとハルは思った。

「あたしも驚いた。初めて泣いたかも」

「そうか」

 ムラクモは迷子のような足取りで公園に入っていった。ハルは後を追いかける。二人のただならぬ雰囲気を察したのだろう、公園で遊んでいた子供たちが逃げるように去って行った。ムラクモはブランコに座る。途端、ブランコの上部のバーで赤いランプが点滅した。『重量オーバーです。このブランコは一人乗りです。使い方を正しく守って遊んでください。重量オーバーです……』。地下居住区の遊具にはこの手の安全装置が必ず組み込まれている。ムラクモは無表情に立ち上がり、立ちつくした。

「……次はあたしの番、だってさ」

 何の話かはすぐに分かった。ブーケトスの後、新婦のマリアが言ったのだ。「次はあなたが幸せになる番」だと。

 ムラクモの「幸せ」とは何だろう。戦うために作られた少女の、心ある兵器の幸せとは。

「……覚悟はしてたつもり、だったんだけどなあ……」

 囁くような声だった。

 それきりムラクモは黙り込み、うつむき、その肩が震え始めた。

「ムラクモ」

 ハルが声をかけたその途端、

「やだよ。やっぱりまだ死にたくない。世の中にはこんなに楽しいことがいっぱいあるって、生まれてきてよかったってやっと思えたのに、これで終わりなんてやだよ! 戦場になんて行きたくない。使い捨てになんてされたくない。もっと……生きていたい!」

 絶叫。号泣。

「助けて、ハル……」

 戦争のために作られた魂なき人形【エクスマキナ】の、けれどそれは、紛れもない心の叫びだった。

 次はあなたが幸せになる番――そう言われてムラクモは、自分に次などないことを突きつけられてしまったのだ。「人間」なら当たり前に手に入ることが、自分には最初から許されていなかったのだと。

「ムラクモ……」

 ハルは打ちのめされていた。

 自分はなんてことをしてしまったのだろうと思った。

 よかれと思ってのことだった。ムラクモは軍によって、ずっと辛い目にばかり遭わされてきた。そのまま破壊されるなんてあんまりだと思った。辛い目に遭った分だけ、楽しいことがなければ釣り合わないとハルは思って、だからムラクモが笑って過ごせるようにしてきたのだ。

 その無邪気な善意が、どれほど残酷なことだったのか、ハルは理解した。

「俺は……」

 ハルはムラクモに生きる喜びを与えた。夢を見せてしまった。兵器として生み出されたムラクモを、一人の女の子にしてしまったのだ。戦場に戻る、その直前に。絶対に手に入れられない夢を、見せてしまったのだ。

 ムラクモは両手を握りしめて泣いている。

 すがるような目が、けれどすぐにいつもの生意気そうな表情に戻っていく。わがままを言ってハルを困らせてはいけないと、理性で感情を殺そうとしている。

「ごめん、今言ったことは忘れ――」

 ムラクモは今、本当の機械になろうとしている。そんなことをさせてはいけない――そう思ったら、体が勝手に動いていた。

「――ハル!?」

 ハルに抱きすくめられ、ムラクモが戸惑いの声を上げる。

 ごめんよ――言葉にできずに思いながら、強くムラクモを抱きしめる。

 最強の戦闘機械の体は、柔らかくて、温かだった。人間と同じように。その感触が、ハルに決断する勇気をくれた。

「死なせない」

「ハル……」

「助けてやる。いや、違う。俺はお前を助けたいんだ。助けさせてくれ。頼む!」

 ムラクモが涙に濡れた頬を、そっとハルの胸に当てた。

「……馬鹿」

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