第32話 戦争人形のちいさなねがい3
「うーーーーーーーーーーーーっ、みーーーーーーーーーーーーーっ! 海!」
ビーチにネリーの朗らかな声が響く。
ぎらつく日差し。焼けた白砂。寄せては返す波。どこまでもどこまでも続く青い水面。
「ネリー、そんなはしゃいでると転ぶわよ」
注意するムラクモの声を聞きながら、ハルはパラソルを砂にどっかりと突き立てた。レキがビーチベッドを設置し、アイリが拡げたレジャーシートの上に荷物を置いて設営完了。
「あっ」
とムラクモが声を上げる。
案の定、前を見ないで走っていたネリーが派手に転んだのだ。
「砂だから痛くない!」
転んでもネリーは上機嫌で笑っている。
その笑顔に釣られて、ハルもムラクモも笑った。
この週末、ハルたちはビーチに来ていた。
残念ながら本物のビーチではない。空は天穹と同じ発光パネル。景色は高精細ディスプレイの映像で、波も人工的に起こしている。アルバ地下居住区内に作られた、南国ビーチ風レジャー施設である。
「作り物でもなかなかのものでしょう?」
アイリが得意げに言う。
この人工ビーチの幅は二百メートルほど、「海」の奥行きは五十メートルある。空も景色も偽物だが、湛えられているのは本物の水だ。
地下居住区はどこでもそうだが、閉鎖環境でのストレスを緩和するために娯楽の充実には力を入れている。プールを備えた居住区も多い。
だが、アルバのような内陸部の居住区で、これほど大量の水を使ったレジャー施設があるところは滅多にない。居住区からさらに深いところに大きな地下水脈が流れていて、アルバ居住区ではこの水を引き込んで利用しているのだ。
「残念ながら貸し切りとは行かなかったけれど」
とハル。周囲にはカップルや家族連れが大勢いた。人工ビーチは年中無休。居住区が寒くなってくる今だからこそ、常夏の浜辺は大いに賑わっていた。
「おにーちゃんおねちゃーんはやくー!」
波打ち際でネリーが手を振っている。
「おう!」
ハルたちは手に浮き輪やビーチボールを持って海へと走った。そのまま不覚なるところまで行き、勢いに任せてダイブ。盛大に水しぶきを上げる。一旦完全に潜ってから、水面から顔を上げる。
「ぷはっ! 気持ちいい!」
髪をかき上げ水しぶきを払う。振り返ると、ムラクモが波打ち際で立ち止まっていた。
「ムラクモ? どうした?」
戻って行って訊ねる。先に水に入って遊んでいたレキたちも、異変に気づいて集まってきた。
「ハル」
ムラクモが困ったような顔をした。
「もしかして水はダメなの? 泳いだら浸水するのです?」
アイリがそう訊ねると、
「防水は完璧よ。水深五十メートルでも平気………………スペック上は」
「試したことは?」
「…………ない」
その答えを聞いて、ハルはレキと顔を見合わせた。同じ班で長いこと訓練を続けてきた仲間たちである。考えていることは言わなくても分かる。
「えっ? ちょ、何!?」
うなずきをかわした二人は即座に行動を開始、ムラクモを取り押さえて横倒しにすると、ハルが腕を、レキが足を掴んで「せーの」で持ち上げる。
「うわ、重い」
「何! 何するつもり!?」
「何って……耐水性テスト?」
「あるいは軍学校式水泳教室」
「ようするに――こうだっ!」
二人は力の限りムラクモを遠くにぶん投げた――つもりだったが、レプリカ・エクスマキナであるムラクモは、成人男性の三倍近い重さがある。二人がかりとは言えアサルトギア無しでは1メートルかそこら放るのが精一杯で、結果、ムラクモは二人のすぐ側の、ものすごく浅いところにぼちゃんと落ちた。砂にめり込む感じで。
「……」
「ムラクモ? ムラクモさん?」
返事がない。ムラクモの髪が海草のように揺れる。
「おーい」
センチネルとの戦闘を想定して作られた義体がこの程度で損傷するはずがない。けれどもムラクモは無反応で、ハルは不安になってきた。
「ムラクモ――ッ!」
水中に膝をついてムラクモの肩を揺すろうとしたそのとき、出し抜けにムラクモが起き上がった。
「ム、ムラクモ……? ごめん、怒ってる?」
「ううん。全然。この程度蚊に刺されたほどのダメージもないもの。怒る理由なんて何にもないわよ」
ムラクモはとてもいい笑顔で答えた。怖い。
「ねえ、あたしの秘密を一つ教えてあげる」
「な、何かな……?」
「プロテクトがあるからあたしは人間に直接攻撃できないけど、他人にやらせる分にはプロテクトは働かないのよ」
「と言いますと……」
「こういうこと! ネリー! アイリ!」
ムラクモが合図をした直後、ハルの顔面にすさまじい勢いの水流が叩き付けたられた。
「うわっ!」
「ぷっ!」
水流から逃れてそちらを見る。ネリーとアイリがやたらとでかい水鉄砲でハルたちを狙っていた。
「ネリーは回り込んでアイリと挟み撃ち。手加減無用よ! この馬鹿男子共を殲滅しなさい!」
「あいあいさー!」
「天誅です!」
ネリーとアイリが水鉄砲を乱射する。ハルとレキはビーチボールや浮き輪を盾にして逃げ回る。
作り物のビーチに本物の笑い声が響き渡る。
追いかけっこの次はビーチバレー。泳ぎ比べではアイリがぶっちぎった。ムラクモは水に浮かないので最下位。潜水勝負では呼吸不要のムラクモが圧勝……はルール違反と見なされてレキが勝利。
思い切り遊んだ後は一旦ビーチを出て、隣接するレストランで昼食。
お腹が一杯になったネリーがムラクモの膝枕で寝てしまうと、ハルはレキに誘われて売店を見に行った。Tシャツやタオル、ビーチサンダルなど、浜辺で使うものが並んでいる。レキはやたらとダサいTシャツを買った。
「お前、それ着るのか……」
「ハルも記念にどう?」
「遠慮しとく」
こいつのセンスはときどき本気で分からん、とハルは首をひねる。
「で、何かあったの?」
「何が」
「急に海に行こうだなんてさ。別に泳ぎが得意とか運動好きとかじゃないでしょ、ハルは」
やっぱりちょっと不自然だったか、とハルは苦笑した。
「いやまあ、思い出作り、って言ったらみんなでわいわいかな、ってさ」
レキが首を傾げる。それから顔を強ばらせて、
「ハル、もしかしてどこか別の居住区に」
「ああ、違う。俺じゃない。ムラクモだ」
ハルは誰もいないのが分かっているのに周囲を見回した。土産のぬいぐるみの並ぶ商品棚に隠れるようにしてレキに顔を寄せ、
「ムラクモが近いうちに軍に戻るらしいんだ」
「……っ」レキが顔を強ばらせた。「それ、本当なの?」
「間違いない。本人が言ってる」
「いつ?」
「未定。近いうちではあるらしい」
「せっかく仲良くなってきたところなのに……」
そう言ってレキはため息をつく。
そんな親友を見てハルは、(悪い)と心中で詫びた。
レキが相手でも本当のことは言えない。ムラクモの生還は絶望的だなどとは。
「それでな、あいつがここにいるうちに、目一杯楽しい思いをさせてやろうと思ったわけ」
ムラクモが知らなかった、「楽しいこと」を、ありったけ体験させてやろうと。
「そっか」
と、レキはどういうわけか沈んだ声で言った。ムラクモがいなくなることが寂しい……というのとは何か違う感じがしたが、ハルがそれを質す前に女子三人が売店に現れたので、この話は立ち消えになってしまった。
ハルは今日の記念として、ムラクモに小さなヤドカリのぬいぐるみを買ってやった。
「微妙だけど突っ返すのもかわいそうだからもらっといてあげるわ」
憎まれ口を叩きつつ、口元はちょろっと緩んでいるムラクモである。
「でも、なんでヤドカリ?」
「何となく」
「おにいちゃん、ネリーには何もくれないの?」
「ネリーはこの前でっかい熊もらったろ」
「あれはおねえちゃんがくれたんだもーん」
結局、ネリーにも同じものを買ってやる羽目になった。
ビーチに行った翌日は映画を見に行った。
その次の日はコンサート。
別の日にはカラオケ。
植物園にも行ったし、美術館にも行った。
VR技術を使ったゲーム大会にも参加したし、アマチュアバンドのステージに飛び入りして一緒に歌ったり。野菜工場の見学にも行った。
ムラクモが経験したことのないことがあれば、片っ端からやった。
「次はどこ行く? 何がしたい?」
電子端末を手に直近のイベントを検索しながらハルは訊ねる。今のところまだ、軍から正式な命令は下ってきていない。けれど時間は有限だ。ムラクモに残された時間の全てを、「楽しいこと」で埋め尽くそうとハルは精を出していた――のだが、
「何もしないで家でのんびりしたい」
「……もしかして、連れ回されるの嫌だった?」
「違うわよ。まあちょっと疲れたけど、楽しかったわよ」ムラクモはそう答えて、「あちこち行って、楽しいは確かに楽しかったんだけど、それで分かったのよ。あたしが一番したいこと。それが、のんびりすること。リラックスしてゆったりした時間を過ごすこと。ネリーと、…………あんたも一緒にね」
頬を染めてそっぽを向き、つけ足すように言ったその仕草。思わず抱きしめたくなる。
そんなわけでその日は、学校が終わるとまっすぐ家に帰った。
ジャージに着替えたムラクモがリビングのソファに座ると、ててっと走ってきたネリーがすぐにムラクモにくっつく。
ハルはネリーの隣に座って、電子端末で読書を始めた。と、ネリーが脇腹やふくらはぎをくすぐって邪魔してくる。
「やめなさい」
「やだもーん」
「ムラクモに怒られるぞ」
ハルがそう言うとネリーはびくっと手を引っ込めたが、
「もっとやっていいわよ」
ムラクモは注意するどころか、意地の悪い笑みを浮かべて煽る。
「あ、裏切ったな!」
「おにいちゃん覚悟!」
「まて、こら、やめろ。あははは!」
くすぐられてハルは笑う。それを見てムラクモも笑う。
それは本当に満ち足りた、幸せそうな笑顔だった。
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