第31話 戦争人形のちいさなねがい2

「……」

 一睡もできないうちに朝がきた。いや、もしかしたら明け方頃にうつらうつらしていたのかも知れない。

 けれども夢の中でも考えることは現実と同じで、怒りとも嘆きとも悲しみともつかない、どうにも言葉にできない感情にどっぷりと沈み込んでいた。境界がないのなら、夢も現実もたいして違いはない。

 作り物の空がうっすらと白んでいく。夜が明ける。ハルの心は寝る前と全く変わらず、顔色だけが睡眠不足の分だけ悪くなっている。

 どうしたらいいのか分からない。

少しでも頭の中をクリアにしようと思って、季節外れの冷たいシャワーを浴びてみたのだが、効果は全くなかった。

 何も考えがまとまらずにいるうちにムラクモが部屋から出てきて、

「おはよう」

 ハルとは対照的に、ムラクモは顔色もよく、いつも通りに見えた。だがそれは、見た目だけのことだろう。人間ではないから寝不足も体調不良もない、顔色に出ないだけで、その心の中までもがいつも通りのはずがない。

 近いうちに特攻作戦を命じられると知って、誰よりも衝撃を受けたのはムラクモ本人であるはずだ。

 そのムラクモに何と言葉をかけていいのか、ハルには全く分からなかった。

「……お、おう。おはよう」

「……」

 気まずい沈黙がリビングに漂う。それを打ち壊したのは、ネリーの甲高い声だった。

「……おにいちゃん、おは…………おねえちゃん!」

 寝ぼけ眼で出てきたネリーはリビングのソファに座るムラクモを見つけると一瞬でテンションを上げ、起きたばかりとは思えない身のこなしでムラクモに飛びついた。

「おはよう! おかえり! もしかして今帰ってきたの!?」

「おはよう。帰ってきたのは夜中。ネリーはもう寝てたから起こしたらかわいそうかなって」

「起こしてくれたらよかったのに……」

 ネリーが甘えて拗ねる。ムラクモの表情が一瞬、くしゃりと歪んだ。

「遊んでないで朝の支度。遅刻したらおにいちゃんに怒られるわよ?」

「はーい」

 ネリーが素直にバスルームに向かう。その後ろ姿をみながらハルは、(昨夜の話はネリーには聞かせられないな)と思った。



 慌ただしく朝の支度をして、いつも通りに家を出て、いつものカフェで朝食を摂って、ネリーを初等学校まで送って、それから軍学校に向かう。

 いつも通りの日常が、今日は全く違って見えた。

「ハル、どうしたの? 具合でも悪い?」

 ハルの様子がいつもと違うからだろう。レキが心配そうに声をかけてくる。

「ガロンが気になるですか?」と言ったのはアイリ。

「え? ガロン?」

 言われるまでハルは、ガロンの謹慎が明けて今日から登校してきていること、そしてこちらをじっと見ていたことに気づいていなかった。

 ハルと目が合うと、ガロンはつまらなそうに視線をそらした。以前とはなんだか様子が違う気がしたが、ムラクモのことで頭がいっぱいで、ガロンのことまで考えてはいられなかった。

 そのムラクモはというと、アナスタシアたちと何やら話している。

「ええっ! それ本当に?」

「本当。そのヴェルナーズとかいうお店だけじゃなくて、アイスクリーム自体、食べたことがない」

「信じられませんわ。人生を損してますわよ」

「今度一緒に行かない? そうよ。そうしよう」

 ちょっと前までが信じられないくらいの友好的な雰囲気だ。

(あいつ、もの食えないのに買い食いに誘われて困ってるだろうな)

 助けに行こうかと思い、けれどハルは動けない。いつも通りに振る舞える気がしない。

 そんなハルを見てレキたちが、

「もしかしてムラクモと喧嘩でもした?」

「あ、言われてみればいつもと様子が違う感じです」

「……そんなのじゃねえよ」

 とハルは否定したが、本当はどうなのかは説明できなかった。

 今日のハルは戦闘訓練でも精彩を欠いた。いつものような動きが全くできず、組み手の相手が誘いのつもりではなった大振りの蹴りをモロに食らって吹っ飛び、気絶。保健室に運ばれた。



「……何やってるんだろうなあ、俺は……」

 保健室でハルは一人自嘲する。

 目覚めたときに簡単な診察は受けている。頭を打ったが、それ自体は全く問題ない。気を失ったのは体調不良によるところが大きい。適当に休んで、具合がよくなったら授業に出るなり早退するなり好きにしろ、とのことだった。

 レールカーテンに囲まれた狭い空間で考えていたのは、ムラクモのことだった。

 センチネルとの遭遇戦で死を覚悟したハルの前に、稲妻のように現れたムラクモ。あの鮮烈な姿は今も脳裏にくっきりと刻み込まれている。軍学校で再会したときは本当に驚いた。

 ずいぶん昔のことのように思えたが、数えてみると一ヶ月ほど前でしかなかった。

 その短い期間に、色々なことがあったものだ。

 訓練中のガロンとの騒動。突然の来訪。ネリーの家出。軍学校祭。

 ムラクモが来る前はどうだったのか、ハルはうまく思い出せない。それくらい、何もかもが変わってしまった。ムラクモはもはや、いて当たり前の存在になっていた。

 なんとかできないだろうか。

 議長に掛け合ってみるか。ムラクモを軍に返さないで下さいと。効果は期待できない。軍に強い影響力があるとはいっても、議長はもう軍人ではない。軍の決定を覆すことは不可能だろう。

 ムラクモの手を取って二人で逃げる――そんな思いつきが脳裏をよぎった。アホか。どうやって逃げるというのだ。

(……できなくは……ない? 軍に気づかれずに地下居住区を出る方法がないわけじゃないし……いやいやいや)

 馬鹿馬鹿しい思いつきを頭を振って追い出す。そんなことをしたらネリーはどうなる。一人置いていくのか。

 チャイムが鳴った。昼休みが終わり、午後の授業が始まる。

 もう動ける程度には回復しているのだが、気力がついてこない。授業に出る気がまったく沸かない。早退するなら教官の許可を得なくてはいけないのだが、それも面倒で、ハルはこのまま午後の授業をサボることに決めた。

 その途端、保健室のドアが開け閉めされる音が聞こえた。保険医が戻ってきたのだろうか。

 違った。

「ハル? いるのよね?」

 ムラクモだった。

 このまま息を潜めていないふりをしようかと思ったが、ムラクモが搭載する高性能センサーの前では薄いカーテン一枚などないも同然だと気づいて観念する。

「こっち」

 ハルは身を起こす。ベッドに座ったままでいると、ムラクモはカーテンを開けず、隙間から中に入り込んできた。ハルの隣に体半分開けて腰掛ける。

「……ムラクモ?」

「授業、サボってきた」

 ムラクモはうつむき、膝の上で手を組み合わせていた。両手の指がためらうように動く。

「頭、大丈夫?」

「は? お前ケンカ売りに来たのか?」

「違うわよ! ぶつけたでしょ」

「あ、ああ。悪い」ハルは早とちりを詫びた。「大丈夫大丈夫。いや、こんな間抜けな対応をする程度には大丈夫じゃないのかも」

 ムラクモがクスッと笑う。

「心配してきてくれたのか?」

 そう言ってハルは、レキとアイリが見舞いに来てくれなかったことに気づいた。あいつら意外に薄情だな、と思ったのだが、それもハルの早とちりであった。

「邪魔しないから仲直りして来いって、委員長とレキが」

 余計なお節介だと言わんばかりのムラクモの口調。それでハルにも事情が推察できた。

 レキとアイリは、ハルとムラクモが喧嘩をしたと思い込んでいるのだ。それで、ハルが保健室に運ばれたので、これは二人っきりで話をさせるチャンス、と気を回したのだろう。

「別に喧嘩してるわけじゃないよなあ」

「そうね」

 喧嘩だったらある意味話は簡単だった。仲直りすれば済むのだから。

 遠からずムラクモは戦場に行く。

 帰らぬ人となる。

 ハルにはそれが耐えがたい。許せない。そんな話があっていいのかと思う。

 でもどうしたらいいのか。

 それは軍の決定で、一訓練生に過ぎないハルにはどうしようもないことだった。

 背中を丸めて膝の上で指を動かすムラクモは、なんだかとても小さく見えた。

「ムラクモ……」

 ハルが声をかけたそのとき、ムラクモが顔を上げた。

「ねえ、あたしの話、聞いてくれる?」



 タイムスタンプによるとあたしが起動したのは三年前の三月一日の〇三〇八【マルサンマルハチ】。開発スタッフはみんな帰ってたからその瞬間は誰も見てなくて、朝出勤してきたら義体から信号が出てたから飛び上がるほどびっくりしたんだって。あたしは自分が目覚めた日を覚えてない。人格型人工知能ってそういうものなのよ。起動後の情報入力によって学習していく。逆に言うと起動直後は並のコンピューター以下ってこと。最初はでたらめな信号を発するしかできないんだけど、それに対する周囲の反応を受けてどんどん自己改変していく。ある信号をある強さで打ったら、入ってくる情報が変わる――信号を放って手足を動かすと、カメラの向きが変わって違うものが見える。でたらめに喉から音を出す、これに研究者が答える。言葉を覚える。そうね、赤ちゃんみたいな感じね。右も左も分からない。ただし人間の赤ちゃんとは文字通りに桁違いの速度で成長する。

 起動時のボディは本当に簡単な、案山子みたいな奴。一応立って歩けてカメラとマイクとスピーカーがついてて、触覚があるのは指の先だけ。最初はね、おもちゃのマジックハンドみたいだったの。そんな状態が一週間くらいで、ものをつかめる手に換装されて。足もゴム底じゃなくて、自分でバランス取らなきゃいけない奴になって。だんだんと複雑で人間以上の動きができるボディに変わっていくの。感情を表すのは今でもちょっと苦手。細かい表情筋が入った顔パーツに換装したのはずっと後だから。笑顔が不自然でしょ? ……馬鹿。こういうときにふざけないでよ。

 で、換装も一通り終わって今の外見になって。十分に動けるようになって。そしたら次は実戦テスト。正体はまだ秘密ってことになってたから、アサルトギアに見える黒いタイツみたいなものを作って、顔はマスクで隠して、特殊作戦群【タスクフォース】の工作員ってことにして、作戦に加わることになった。当然勝ったわよ。連戦連勝。ドロイドなんか貧弱すぎるし、多脚戦車なんて止まって見える。勝って勝って勝ちまくって、……、……これ言うの恥ずかしいんだけど、あの頃のあたし「黒い救世主」とか「戦場の女神」とか呼ばれて――笑うな! 自分で名乗ったわけじゃないわよ。兵士が勝手にそう呼んだの。正体不明の最強の女戦士。彼女が現れたら勝利間違いなし。そんな噂が前線に広まって。

 軍が士気高揚に利用するために、積極的に広めたって側面もあると思う。そんな戦力があるなら是非とも応援に欲しい、って誰でも思うじゃない? 実戦テスト、試験運用のはずだったのに、気が付けばあたしは普通に戦力として数えられてた。開発スタッフは、反対している人もいたけど少数派で、ほとんどの人は大歓迎であたしを送り出した。まあね、自分たちが作ったものが実戦で通用するって分かって、舞い上がっちゃったんでしょうね。レプリカ計画はずっと無駄飯ぐらいだって批判されてたらしいから、その反動?

 軍もスタッフも、大事なことを忘れてた。一機の兵器にできることは、一機の兵器分の働きでしかない、ってこと。戦場はいくつもある。戦線だって数キロ、数十キロある。あたし一人でどうなるっていうのよ。物理的に無理なものは無理。現着した時点でもう勝敗が決してたらもうどうしようもないじゃない! それでもがんばったとは思う。がんばったけど、

 ……。

 ごめん。

 よし。

 あたしはやるだけのことはやった――と思う。でもやっぱり負けることはあったし、勝っても死人は大勢出た。死人が出ると生き残りの兵士はあたしをなじった。

「話が違うじゃないか」って。

「どうして俺の仲間を、家族を助けてくれなかったんだ」って。

 うん。八つ当たりなのは分かってる。でもそんなの言えないじゃない? 大事な人をなくしたばかりの相手に、「避けようのない損耗ってあるでしょ?」なんてさ。

 それでも兵士たちはまだマシなのよ。あたしにもあの人たちの気持ちは分かる。酷いのは上層部。一部の指揮官は、あたしを言い訳に使うようになった。ミスをしたら救援要請して「戦場の女神の援護を受けてもダメだったのだ。誰が指揮したところで結果は同じだった」ってやるの。そしたら自分は責任を問われない。現場では大勢死んで、あたしは八つ当たりをされる。軍でもある程度以上の階級なら、あたしの正体は知ってるわけよ。で、普段はただの兵器、道具扱いするくせに、そういうときだけは人間の士官みたいに扱うわけ。責任問題になってるときだけ。

 そんなことがずーっと続いて、あたしは、何のために戦うのか分からなくなった。

 人類の解放? あたしは人間じゃないのに?

 センチネルの暴威? 知らないわよそんなの。

 親兄弟もいないしね。復讐とか家族を守るとか、そういう理由もない。

 あたしには戦う理由が何もないんだって気づいちゃった。

 そんなときにまた救援要請がきて。エムス砦。……ハル、知ってるの? ああ、そっか。

 先行した偵察隊が、状況は絶望的だって告げてきた。砦は陥落寸前で、敵はさらに後詰めの大軍を向かわせてた。行っても被害が増えるだけ、数の差ですり潰されるだけ――でも命令だから救援に行かなきゃいけない。救援隊は無駄死にしに行かなきゃいけない。作戦ミスの言い訳になるために。そんなのっておかしいじゃない。

 だからあたしは言ったの。「もう嫌だ。行きたくない」って。

 エムス砦を見殺しにしたって言うなら確かにその通りよ。でも他にどうしたらよかったのか、あたしには分からない。部隊は「装備の不調」により進軍停止。で、砦が陥落したところで引き返して、あたしはその後も出撃拒否するようになった。もう何もかもうんざりだった。昼も夜もなく戦わされて、いつも一番危険な場所に放り込まれて、助けた相手に罵られて、負けたらあたしの働きが足りなかったせいにされて。同じ部隊の人にまで死神扱いされて。そこまでして何でこいつらを助けなきゃいけないの? 何で戦わなくちゃいけないの? プロテクトがなかったら、あたし、センチネルの側に走ってたかもしれない。レプリカとはいえエクスマキナだもの。受け入れてくれる可能性はあると思わない? 仮にそうじゃなくても、もう人類解放軍のためになんか戦いたくなかった。

 人間なんかみんな死ねばいいのにって、本気で思った。

 で、研究所に戻されて、そのうち解体されるだろう思ってたら、次の任務が、「軍学校生をやれ」――それであたしはここに来た。アラド居住区軍学校に。後はまあ、ハルも知っての通りよ。

 色々迷惑かけて悪かったわね。いきなり家に来られて嫌だったでしょ?

 ああ、それは……秘密ってことには……分かったわよ。言うわよ。

 ……あのさ、あんた、あたしのこと助けくれたじゃない。そう、訓練中にガロンが襲ってきたとき。あたしが人間じゃないって知ってて、それでも、あたしを守ってくれた。こういう人間もいるんだ、って思った。あんたのこと知りたいって思ったの。それで、その……恥ずかしいわね。

 あー、うん。

 よし。

 正直に言う。で、一度しか言わない。

 あんたの家での暮らしは楽しかった。

 世界にはこんな楽しいことってあるんだって思った。

 あたしは研究所で作られて、動けるようになったら戦場に送られて、戦うしか知らなかったから。綺麗な服とか。お祭りとか。何にも知らなかった。ものすごく幸せだった。楽しかった。

 ……ありがとう、ハル。私に喜びを教えてくれて。



 保健室にはほどよくエアコンが効いている。その風がレールカーテンを揺らし、二人の影を水面のように揺らめかせた。

「ありがとう」

 ムラクモはもう一度言った。

「ここでの生活は、ハルと、ネリーと、レキやアイリも。みんなと過ごした日々は、短いけれどあたしの大切な宝物」

「……」

「あたしはね、笑ってここを離れたい。最後の日まで、笑って過ごしたい」

「ムラクモ……っ」

 ハルがムラクモのために何かできないかと考えていることを、ムラクモは察していたのだった。ハルの気持ちはうれしい。でもおかしなことはしてくれるな。その気持ちだけで十分だから、あたしのために問題を起こすことはないのだ、と。

 ――お前はそれでいいのか。

 喉まで出かかった思いを、ハルは奥歯を噛みしめて留める。

 ムラクモは透き通った微笑みを浮かべていた。それが彼女の答え、彼女の選択なのだ。

 ならば、

「馬鹿かお前」

「ば、馬鹿って何よ!? あたしは真面目な話を、」

「馬鹿じゃなきゃ世間知らずだ。お前な、世の中にはもっと楽しいことがいっぱいあるんだぜ? あの程度で満足されちゃ困るんだよ」

 ならばせめて、その手に持ちきれないくらいの宝物を持たせてやろうと、ハルは思った。

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