第30話 戦争人形のちいさなねがい1
年に一度の大イベントの翌日でも、軍学校は臨時休みにはならない。
夜遅くまで歌い踊り、飲み食い騒いだ生徒たちは、寝不足のままに登校する。今日も学校はあるが、訓練の方はさすがに休みだ。といっても生徒の体を気遣ってのことではなく、訓練場が片付いていないから使えないというだけの話である。
「眠いなあ」
「だるいなあ」
文句を言いつつ手を動かし、集めたゴミを袋詰めしてトラックの荷台に放り込む。
地下居住区で出るゴミは中枢階層にあるリサイクルプラントに運ばれ、分別、焼却、幾度かの化学処理を経て原材料へと還元される。ゴミ処理だけを言えば燃やしたり埋めたりした方が速いしコストもかからないのだが、地下居住区ではあまり火を使えない事情がある。埋める場所は最初からない。地上で処理しようものならセンチネルに発見されて地下居住区の所在が割れてしまう。むしろ非効率なまでのリサイクルを徹底しているのは、そういった事情だ。
一週間かけて作られた祭の舞台を片づけるのに半日もかからなかった。
あれほど濃密だった祭の空気はどこかへと消え、校内はすっかり元の姿を取り戻した。
生徒たちは汗を流し、教官は罵声を飛ばす。
一見すると以前と全く変わらない日常に、けれど、以前とは決定的に変わったこともあった。
「おっと! おはようご両人。今日も仲いいねえ」
ハルとムラクモが揃って登校すると、教室の入り口でぶつかりそうになった男子生徒がそう言った。
「はあ? 寝ぼけてないでどいてくれる?」
「はいよ」
ムラクモのきつい言葉に、けれど男子生徒はへらへら笑いながら――ハルみたいだとムラクモは思った――道を空ける。そこには以前のような、ムラクモに対する反感、嫌悪感は全くない。むしろ馴れ馴れしいくらいだ。
軍学校祭の屋台での活躍や、ハルにおちょくられてはムキになって言い返す子供っぽい様子を何度も見ているうちに、クラスメイトたちはムラクモへの認識を大幅に改めたのだ。
――戦場育ちだかなんだか知らんが、あいつも俺たちと同じじゃないか。
ひとたびそう思ってしまえば、受け入れるのは早い。
もうひとつ象徴的だったのは、ムラクモがアナスタシアに謝ったことだ。
『あのときは、慣れないところに連れてこられてあたしもピリピリしてたし……悪かったわ』
ムラクモは事情があって訓練には参加できない、でもその事情は自分によって弱みだから知られたくなかった――だからアナスタシアの誘いを、あんなふうに断ってしまったのだと詫びた。
『戦場を離れ、訓練もできない事情……』アナスタシアは考え、『どこか怪我を? いえ、そんなふうには見えないわね。では何かの病気で?』
『そんなところ。詮索しないでもらえると助かるわ』
『分かりましたわ。私も子供でした。あなたにも事情があるでしょうに、そんなこと一切想像もせずに、自分の都合だけで誘ったんですもの』
アナスタシアは高慢ではあるが、性根は素直である。ムラクモの謝罪を受け入れ、
『あらためてお友達になりましょう』と手を差し伸べた。
ムラクモはその手をくすぐったそうに握った。
クラスの中心人物の一人であり、直接ムラクモと衝突したアナスタシアが受け入れたのだ。そうなってしまえば、他の生徒たちも強いてムラクモを避ける理由はない。
口は悪いが意外といい奴――ムラクモはそんなふうにして、クラスに受け入れられた。
「な、謝ってよかっただろ?」
ある日の放課後、一緒に校庭を歩きながら、ハルはムラクモにそう訊ねた。
「べ、別に友達欲しいなんて言った覚えないし。むしろ馴れ馴れしく話しかけられてウザい、みたいな?」
ムラクモは顔を背けて早口で言う。ハルにとっては見慣れた反応だ。
「ま、そういうことにしといてやるか」
「何よそういうことって。あたしは本当に――ん」
不意にムラクモが立ち止まった。瞬きを停めて数秒。どうやらどこかと通信しているらしい。
復帰するのを見計らってハルは訊ねる。
「どした?」
「ごめん。ちょっと統合開発局に行かなきゃいけなくなったから、先に帰ってて」
「これからか?」
えらく急な呼び出しだ。何かトラブルか、とハルは思ったのだが、
「定期報告しろって言われてたんだけど、面倒くさいから全部無視してたら、担当者が」
「怒った」
「ううん。泣いてた」
「泣くほどって……お前どんだけ報告無視してたんだよ」
ハルは呆れる。
「さすがに気の毒だから、ちょっと怒られてくるわ」
「ん。帰りは?」
「分からない。帰る前に連絡する。それじゃ」
校門を出たムラクモは手を振り、けれど急ぐ様子もなくハルとは反対の、基地に向かって歩き始めた。
ムラクモの足取りは至って軽やかで、後ろから見ると浮かれているかのようにさえ見えた。
天穹は今日も変わらず青い。
ハルは何の心配もせずに家路についた。
帰宅するとネリーが部屋中の物をひっくり返していた。
「……何やってるんだ?」
「あ、おにいちゃんおかえり。模様替えしてるの。……おねえちゃんは?」
「レポート出してなかったから叱られに行った。今日は遅くなるっぽい」
「おにいちゃんみたい」
ほっとけ、とハルは思った。
「ベッド動かしたいから手伝って」
「おう。ちょっと待ってろ」
ハルは自室に入って制服から部屋着に着替える。ネリーの部屋に行き、模様替えを手伝った――手伝ったというか、家具はほとんどハルが動かした。十歳の女子にタンス運びは無理だ。模様替えが終わる前に日が暮れてしまった。夜になってもがたごとやっていると近隣住民の迷惑になるので、きりのいいところで作業を打ち切る。
だいぶ汗をかいてしまったので、先にシャワーを浴びてから夕食にする。今日のメニューは鍋。カット済みの材料を一人前単位でパックしたものが売っている。使い捨ての容器をそのまま温めれば手間いらずでほかほかの鍋が味わえる仕組みだ。
「ネリー、お鍋大好き」
「いただきます」
二人は手を合わせ、箸を取る。
「もうちょっと煮込んだ方がよかったかな」
「おいしいよ。野菜の味がして」
静かな食卓だった。いや、ハルもネリーもいつもと同じ程度には喋っている。けれども妙に寒々しく、静かで物足りなく感じる。
いつも通りなのが変なのだ。夕食が好物だと、ネリーはもっとはしゃぐ。静かに食べろと注しなければいけないくらい。それに比べるとずいぶんとおとなしい。心なしかつまらなそうにさえ食べているネリーの視線は、ちらちらと玄関の方に向けられる。ムラクモが帰ってこないかな、と思っているのだ。
機械であるムラクモは食事ができない。けれど夕食のときは、いつも一緒にテーブルに着く。ネリーの話を聞いたり、ハルに文句を言ったり、あれこれと喋っている。今日はそれがない。だから何となく静かに、物足りなく感じるのだろう。
ムラクモの存在がそんなにも深くネリーの、いや、自分たちの生活の一部になっていることにハルは驚いた。
「ネリー。今日は早めに風呂済ませておけよ」
「何かあるの?」
「そしたら寝る前にムラクモと遊ぶ時間ができる」
「…………うん!」
目を見開いてうなずくが早いか、ネリーは猛烈な勢いで食べ始めた。ムラクモが帰ってくる前に何もかも片づけてしまうつもりになったのだろう。
「いやいや、急いでも帰ってくるの早くなったりしないから。ゆっくり食べろ」
ハルがそう言ってもネリーは聞かない。
「ごちそうさま!」
あっという間に食べ終えると自室へダッシュ。着替えを持ってバスルームにダッシュ。速攻でシャワーを済ませて戻ってくると、リビングのテーブルに電子端末を置いて宿題を始めた。自室でやらないのはもちろん、ムラクモが帰宅したらすぐに分かるようにだ。リビングからなら玄関が見える。
「ネリーが真面目に宿題するなら、これから毎日ムラクモには遅く帰ってきてもらおう」
「そんなこと言うおにいちゃん嫌い!」
とネリーはタッチペンを放り投げる。
ハルは苦笑しながらバスルームに向かった。
ところがハルがシャワーを済ませ、ネリーが宿題を終わらせても、ムラクモは帰ってこなかった。
「……」
時計を見上げるネリーの目は、始めは「まだかまだか」という感じだったのが、今は「おねえちゃんに何かあったのかも」と不安そうだ。
ハルも不安になった。
ムラクモは強い。この世界でも有数の戦闘力を持っている。だがその力は人間相手には発揮できないようにプロテクトがかけられている。もしも夜道で襲われたら、ムラクモはその辺の子供が相手でも抵抗できないのだ。傍目にはただの美少女にしか見えないムラクモを、一人夜道を歩かせるのは迂闊だったかもしれない、とハルは思った。
(いや待て、まだ何かあったとは限らないだろ)
ハルは落ち着いて自分の端末を出し、ムラクモに電話をかけた。電波状況が悪いか相手が電源を切っているかでつながらない、というメッセージが流れた。地下居住区で、電波のつながらない場所というのは、基本的にない。例外はネリーが嵌まったような坑道か、あるいは意図的に電波を遮断した施設の内部だ。電話が通じない、ということはムラクモはまだ軍施設のどこかにいるのだろう。
「まだ向こうを出てないのかな?」呟き、「ネリー、ムラクモは遅くなるみたいだから今日はもう寝なさい」
既に九時を過ぎている。ネリーは寝る時間だ。
「やだ」
「って言ってもしょうがないだろ」
「やだっ!」
「アイスクリーム食べていいから」
「やーだーっ!」
「今日は我慢、な? 言うこと聞かないとムラクモと一緒に寝るのも禁止にするぞ? 後で何でも言うこと聞いてやるから」
なだめて脅して懇願して。それでもネリーは聞かなかった。半分意地になっていたのだろう。ハルはネリーを説得できなかったが、ネリーの方も眠気には勝てなかった。十時半頃になるとネリーはこっくりこっくりと頭を揺らし始め、ついにソファに倒れ込んだ。寝落ちである。
「おねえ、ちゃ……」
寝言でもまだムラクモを呼ぶ。
「やれやれ」
ハルは義妹を抱きかかえて部屋まで運ぶと、ベッドに寝かせて毛布を掛けた。部屋を出て静かにドアを閉める。
カーテンを閉め忘れていたリビングの窓から、真っ暗な天穹が見えた。
不意に背筋がぞくっとした。
この空と同じように、いまのムラクモの立場も、偽りのものに過ぎない。
もしかしたらムラクモは戻ってこないのではないか――突然に、そんなことを思った。
夜半過ぎ――ハルは自分のベッドの中で目を開いた。
リビングから微かな足音が聞こえる。足音の主は完全に音を消しているつもりだろう。細心の足運びと体重移動。幽霊よりも静かに動いているつもりでも、床の軋みを完全に消すことはできない。何しろ足音の主は体重二百キロ以上あるのだから。
「ムラクモ」
ハルは部屋のドアを開けて声をかけた。
リビングを横断したムラクモは、掃き出し窓に手の平を当てて、暗い天穹を見上げていた。
ムラクモがちゃんと帰ってきたことにほっとしていたハルは、振り返った彼女の顔を見てぎょっとした。
ムラクモの顔には、一切の表情がなかった。元々人間離れした美貌が、魔性を宿した呪いの人形のようにさえ見える。
「お、遅かったな。どうしたんだ? 何かあったのか?」
「何も」
とムラクモは機械的に答えた。
「じゃあどうしてそんな顔してるんだ」
ハルが強い声で訊ねると、ムラクモは不意に瞬きをした。ふうっと息をつく。たちまちその顔に表情が戻ってきた。抜けていた魂が戻ってきたかのような、そんな感じだった。
「ああもう、糞」とムラクモは久しぶりに汚い言葉を発した。「気持ちを読まれたくないから表情消してたのに、そのせいで読まれるとはね」
「俺は今ほっとしたよ。さっきのお前……別人みたいに見えた」
軍に呼び出されたムラクモが、まるで別人のような顔で戻ってきた。メンテナンスと称して中身を入れ替えられてしまったのでは……自分たちの知っているムラクモは消されてしまったのでは……ハルはそう感じたのだ。
それは、明確な恐怖だった。ムラクモが消えることが。
「そういう心配はしなくていいわよ」
とムラクモは答えた。人格型人工知能は、その辺の安いコンピューターみたいに、リセットして初期化できるような仕組みにはなっていない。一度起動したら壊れるか電源が切れるかするまでそのままだし、リセットして再利用することもできない。
「そういうことができたら、軍はとっくの昔にあたしを消して、別の人格を入れ直してたでしょうね。こんな、文句ばっかりで命令を聞かない兵器なんて、使いづらくてしょうがないもの」
とムラクモは自嘲した。ハルは笑えなかった。
ムラクモは別人にはなっていなかった。けれども、昨日までのムラクモ――ネリーのおねえちゃんであり、クラスメイトたちに悪態をつきつつも受け入れられている――でもなかった。その捨て鉢な態度は、軍学校に転入した頃を思い出させた。
「……何でこんなに遅くなった? 統合開発局で何があった?」
「もう遅いわ。明日にしましょう。あたしと違って人間は寝ないと明日に響くし」
そう言ってムラクモは自分の部屋に引っ込もうとする。ハルは逃がさなかった。明日になったらまた何やかんや言って逃げるだろうと予想がついた。細い腕を掴んで引き留める。
「離して」
ハルは逆に力を込めた。
「ムラクモ」
説明するまでハルが離さないことを理解したのだろう。ムラクモは小さくため息をつく。
「……口頭で報告した後、新装備のテストがあった」
「それから?」
装備のテストで遅くなったわけではないだろう。突発的な仕事をしてきただけなら、気配を殺して帰ってくる必要も、表情を消す必要もない。
ムラクモには何かがあったのだ。ハルに内心を悟らせたくないと思わせる――動揺するようなことが。
「……移送の、内示があった」
「移送?」
「現任務を放棄してウィレム要塞へ向かうべし。追って作戦内容を通達」
「いつ?」
「まだ未定。でも、今月中には正式な命令になるみたい」
ハルは天井を仰いで目をつぶった。
軍学校の生徒というムラクモの立場は、仮初めのものでしかない。
その本質が秘密兵器――エクスマキナに対する切り札である以上、いつかはこういう日が来る。
分かっていたつもりだったが、訪れはあまりにも急だった。
驚き、やるせない思いに駆られるハルに、しかしムラクモはさらに厳しい事実を告げる。
「……次の作戦は多分、特攻になる」
「っ!」
特攻――軍はムラクモを喪失することを前提にした作戦を立てているというのか。
「だって、そんな、なんで。お前秘密兵器だろ? 人類の切り札だろ? 何でそんな使い捨てみたいな真似ができるんだ。おかしいじゃないか」
「切り札って言っても、それはレプリカ・エクスマキナ開発計画のことで、あたしという個体のことじゃないわ。あたしのスペックじゃエクスマキナにはまだ勝てない――統合開発局はそう判断してるし、あたしとしても厳しいと思う」
それでもムラクモは現時点では唯一の成功例ではなかったのか――そう訊ねようとして、ハルは気づいた。
機械は数が作れる。どんなに製造に困難があろうと、どれだけ歩留まりが悪かろうと、作ろうと思えばいくつも作れるのだ。
ハルが気づいたことにムラクモは気づいた。
「……あたしを開発したデータを元にして、次はもっと高性能で、従順な機体が作れる。その計画が軌道に乗ったから、あたしはもう用済み。言うこと聞かない失敗作は、最後にせめて役に立って見せろってことでしょ」
「お、お前はそれでいいのかよ!?」
「いいも悪いも」
ムラクモの声は、あくまでも淡々としていた。
「あたしは人間じゃない。兵器、道具なの。命令されたら従うしかない。自由なんて最初からない」
当たり前のことを当たり前のこととして答える声だった。
「そんな……」
ムラクモを掴まえていたハルの手から力が抜けた。
解放されたムラクモは、ゆっくりと歩いて自分の部屋に向かう。
ムラクモが音もなく引き戸を開け閉めするのを、ハルは呆然と見ているしかなかった。
分かっていたつもりだった。
ムラクモは軍の秘密兵器で、今の暮らしは仮初めのもので――
「そんなことって……」
――分かっていたつもりで、ハルは何も分かっていなかったのだ。
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