第29話 ファンタスマゴリア8

 焼きそばもお好み焼きも飛ぶように売れた。売れすぎて予定よりも早く材料がなくなってしまったので、店じまいをすることになった。

「ふう」

 ようやく解放されたとばかりに、ムラクモはエプロンを外して忌々しげに椅子に投げつけた。

「ちゃんと言われたとおりに、いえ、言われた以上に働いてあげたわよ。約束は守ってくれるんでしょうね」

「もちろんだよ。お疲れ、おねえちゃん」

「っ!」

 ふざけて呼んだハルをムラクモが睨み付ける。ハルは什器と空き箱の間をすり抜けて逃げていく。その、「仲良く喧嘩してます」な様子を見てクラスメイトたちが笑う。

「ってわけで俺たちは先に引き上げてもいいかな?」

 ハルはクラスメイトたちに訊ねた。

「ムラクモは軍学校祭初めてだから、ちょっと案内してやりたいんだ」

「おっけー」

「お疲れー」

「おねえちゃんありがとー」

 クラスメイトの暖かい声――一部からかう声も混じっていたが――に送られて、ハルはムラクモと一緒に屋台を離れた。

 ハルは通路の脇に寄り、個人用端末でネリーを呼び出すが、

『ごめん先に帰っちゃった。だっておにいちゃんたち遅くなるんでしょ』

 軍学校祭自体は夕方、まだ明るいうちに終わる。けれども一般客が帰った後、暗くなってから生徒だけで行ういくつかのイベントがあるのだ。ハルとしてはネリーを含めた三人で祭を回ってから一旦帰宅して、その後ムラクモと二人で学校に戻ってくるつもりだったのだが、どうやら義妹に気を遣われてしまったらしい。

『おにいちゃんもたまには、ネリーのこと気にしないで遊んできたらいいよ』

 通話を終えて、ハルは端末をポケットにしまう。

 そんなわけで二人で見て回ることになった。

 といっても射撃や格闘、剣道などの競技会は既に全て終わってしまっている。グラウンドの一角には軍学校で使う装備や車両の展示が行われているが、生徒であるハルたちにとっては見慣れすぎていて面白くも何ともない。

「とりあえずその辺の屋台から冷やかしていくか」

 肯定に並んでいるのは、食べ物の屋台ばかりではない。くじ引きや輪投げ、おもちゃの銃を使った射的なんかもある。

「あ」

 ムラクモが射的の前で足を止めた。景品にでっかい熊のぬいぐるみがある。

「欲しいのか?」

「ほ、欲しくなんかないわよ! ネリーのお土産にいいかな、と思っただけで……」

 ムラクモは分かりやすく赤くなった。ハルは笑いながら射的の屋台に近付き、指定の料金を払って銃と弾を受け取った。ぺしっぺしっぺしっ、と撃つ。まともに当たらない。

「ヘイ親父、この銃まっすぐ飛ばねえぞ!」

 とハルは屋台の生徒に文句を付けた。

「誰が親父だ。まっすぐ飛ばない銃で何とかするゲームだろうが」

「くっそ、実銃なら全弾命中させられるのに」

 そう言ってハルは銃を構える。慎重に狙いを付けて、これまでの弾道を踏まえてちょっとずらして撃つ。当たった。けれどもぬいぐるみはちょっと揺れただけで倒れない。

「ヘイ親父、」

「詐欺じゃねえよ。ちゃんと重心を撃ち抜けば落ちる」

 ハルはムキになって撃ちまくった。当たらない、当たっても倒れない。それがしばらく続き、

「ちょっと貸して」

 ムラクモがハルの手から銃を取った。片手持ちでぴたりとぬいぐるみに狙いを付けて、一発で重心を撃ち抜いた。ぬいぐるみは後ろに大きく揺れる――が、倒れるまでは行かない。弾丸の重さが致命的に足りないのだ。

「やっぱり詐欺じゃねえか」

 ハルが抗議したそのとき、ムラクモは全く同じ構えから第二射を放った。揺れが収まりかけていたぬいぐるみがまた大きく揺れ始める。そこに間髪入れずにさらに撃つ。撃つ。撃つ。同じポイントを正確に幾度も撃ち抜かれたぬいぐるみは、そのたびに揺れ幅を大きくしていき、ついに仰向けにひっくり返って棚から落ちた。

「すげえ! 今の見たか!?」

「誰にも落とせなかった巨大熊が……」

「美人過ぎる神業シューター来たーっ!」

 いつの間にか集まっていたギャラリーから歓声と拍手が上がる。

 注目されることが恥ずかしかったのだろう、ムラクモは受け取ったぬいぐるみで顔を隠すようにして、その場を離れるのだった。

 校庭を離れた二人は第二校舎に入った。

 軍学校にも文化部や、各種同好会のような活動はあって、第二校舎にはそれらの企画展が並んでいる。行ってみると閑散としていた。超閑散としていた。

「まあ軍学校に来てまで、普通の学校の文化祭みたいなもの、わざわざ見ないよなあ」

 美術部が絵画や彫刻を展示し、将棋部や将棋部、チェス部は――この三部はメンバーがほぼ全員相互に掛け持ちで、実質一つの部活のようなものである――それぞれ教室を開いているのだが、客の入りはあまりなくて、仲間内で普段通りに勝負に興じている。

「ねえ」とムラクモがチェス盤を指して言った。「負けた方が勝った方の言うことを何でも聞く、ってどう?」

 ムラクモは意地の悪い笑みを浮かべていた。

 ムラクモは見た目は人間の美少女でも、その中身は軍の秘密兵器だ。頭の中には最新鋭の人工知能が搭載されている。知的ゲームで人間が機械に敵うはずがない。だが、

「乗った!」

「え? ちょっと本気で?」

「本気も本気さ。まさかお前、自分から勝負振っておいて逃げる気じゃないだろうな」

「いや、逃げないけど……」

 戸惑うムラクモ。

 ハルはずかずか教室に入っていって、どすんとチェス盤の前に座るのだった。

「さあて、勝ったら何してもらおうかなあ……うぇひひひひ」

 ムラクモの胸やら腰やら眺め回しながら、ハルはスケベ笑いを浮かべ――

「え? そこ!?」

「ちょ、待った、待った待った」

「あー…………」

 ――たった二十手で負けた。

「……いくら何でも弱すぎるわよ」

 勝負が終わって席を立ち、ムラクモは呆れたように言った。

 あまりにも自信満々だから、何か秘策――ムラクモの知らない特殊な嵌め手でもあるのかと思ったら、ハルは普通に突っ込んできて普通に撃退されて普通に負けた。にもかかわらずふてぶてしい態度は崩さない。

「今回は負けたが次は勝つよ。もうお前の癖は見切った」

「じゃあ戻ってもう一回やる?」

「勘弁して下さい」

 すさまじい速さの手のひら返しにムラクモは笑うしかない。

「で、お前は俺に何をさせるつもりなんだ?」

「ん……」とムラクモは天井を見上げた。

 勝負を持ちかけたこと自体が一種の冗談だった。まさか乗ってくるとは思いもしなかったので、勝ったときのことなんてまるっきりの想定外だった。

「……考えとくわ」

 ムラクモは、ふわふわのぬいぐるみの後頭部に顎を埋めてそう言った。

「これ持って歩いてると結構邪魔ね」

「教室に置いてこよう」

 二人は自分たちの教室に戻った。ムラクモが自分の席に熊のぬいぐるみを座らせて、その頭をぽんぽんと叩く。ネリーをあやすときと同じ、優しい手つきだった。

「……」

 開け放たれた教室の窓。天穹がゆっくりと。いつかのような茜色に染まる。。

 ハルは不思議な思いがした。

 ムラクモは人間ではない。レプリカ・エクスマキナ――エクスマキナに対抗するために開発された軍の秘密兵器だ。その見た目からは想像もつかない戦闘力で、ドロイドの小隊を一蹴したとところを、ハルはその目で見ている。けれどもハルには、今のムラクモの方が――ぬいぐるみの手触りに目を細める姿の方が、本当の彼女に見える。

 その頼りない背中を、不意に抱きしめてやりたくなった。ハルはふらりと一歩踏み出し、

 ばつん、と耳障りなノイズと共に、教室のスピーカーのスイッチが入った。

『ご来場の皆様。本日はアルバ軍学校祭、訓練生技能展示会にお越しいただきありがとうございます。間もなく閉門のお時間となりますので……』

「もう終わりなのね」

 ムラクモが呟いた。

「技能展示会は、な」ハルは言った。「祭の本番はむしろこれからさ」


 


 一般客が退場する。校門が閉じられる。天穹から光が落ちる。投光器の電源が入る。

「軍学校祭終了、お疲れ様でしたー――――っ!」

 無数の投光器に照らされた、グラウンドの特設ステージ。マイクを持った生徒が盛大なハウリングをまき散らしながらシャウトした。

「でも俺たちの祭はこれからだ! 日が落ちてからが本番! 魅惑の後夜祭。はっじまるぜー――――っ!」

「いやっふうううう!」

 どんどんぶーぶーぎゅいいいいんん! と、ステージの後ろで生徒たちが楽器を鳴らす。適当に音を出しているだけだったそれが、自然と一つのリズムに揃い、アドリブ混じりの演奏へと変わる。巨大なスピーカーが荒々しいメロディーを数倍に増幅して打ち放つ。

 グラウンドの中央にはいつの間にか櫓が設置されている。その上に乗っているのは大きな、とても大きな幻灯機だった。電子制御された半透過スクリーンに浮かんだ映像を、内部に仕込まれた軍用の強力な投光器が周囲に投げかける。

 校舎も、地面も、動き回る生徒たちも、すべてが幻灯の中に踊る。この場の全てをスクリーンにしたプロジェクションマッピング。

 音の波と光の渦が、夜の学校を幻想世界に変えていく。

 生徒たちは音の波に乗り、光の渦に巻かれて一人、また一人と踊り始める。

 テンションの上がった生徒がステージに跳びあがる。マイクを奪って歌い始める。

「…………」

 ムラクモは、ただ圧倒されていた。瞬きもできない。文字通りに眩しいものを見る目で、踊り騒ぐ生徒たちを見ている。その手が、足が、自然にリズムを刻み始めるのを、ハルは見た。

「行こうぜ」

「えっ。あたしは……きゃっ!」

 ムラクモの手を取る。強引に、有無を言わせず、踊りの輪に連れ込んで振り回す。

 言葉にできない情動が体を突き動かす。その流れに逆らわずに身を任せれば、ほら、後は音が導いてくれる。

「あはっ!」

 いつしか、ムラクモは自然に笑っていた。

 繋いだ手からハルの意志が伝わってくる。それに合わせてステップを踏む。ハルがさらにテンポを上げる。挑戦のつもりか。もちろん応じる。こちらもさらにテンポを上げる。歌い手が変わって急に曲調が変わる。でもダンスは崩れない。どう動くのかが分かる。気持ちが通じている。こんなの初めてだ。楽しい。楽しい。楽しい!

「あはっ! あははっ! あはははっ!」

 踊りながら、ムラクモは無邪気な笑い声を上げる。

 ムラクモがずっと仮面の下に隠していた、ハルが見たいと思った、ムラクモの素顔がそこにあった。

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