第28話 ファンタスマゴリア7
学校祭は順調に進行していった。市街地で行われていた競技が終わると、そちらから見物客が軍学校へと流れてくる。朝からいた見物客と合わせて、校内は時間を追うごとに混雑をましていく。
折しも時間は正午近く。見物客や、自分が出る競技が終わった生徒たちが空腹を満たそうと、校庭に建ち並ぶ屋台の群れに押し寄せてくる。
「おい、肉が足りないんだが?」
「ちょっと何でキャベツがまだ切ってないのよ!」
「ゴミ袋! 予備のゴミ袋は!?」
ハルたちのクラスが開いている、お好み焼きと焼きそばの屋台は殺伐としていた。先ほどまで調理をしていた生徒が、午後の競技の準備のために抜けたので人手が全く足りてないのだ。そして交代要員のハルが来ていない。
「レキ、ハルの奴はどこ行ったんだ!?」
「分かんない。大相撲が終わったあとどっか行っちゃって。何度か呼び出してるんだけど応答がないんだ」
「あの野郎どこかでナンパでもしてるんじゃ」
男子生徒が舌打ちをしたそのとき、
「みんな悪い! 遅くなった!」
人混みをかき分けてハルがやってくる。
「どこ行ってたんだ馬鹿!」
「悪い悪い。でも代わりに助っ人連れてきたぜ」
「助っ人? ……っ!」
クラスメイトたちは、ハルの後ろから現れたムラクモを見て一斉に硬直した。
無理もない。他の生徒たちにとってムラクモは、クラスに溶け込もうとしない愛想の悪い厄介者でしかないのだから。
けれどハルはそんなことお構いなしに屋台の裏に回り、椅子の背にかけてあったエプロンを手に取ると、一つをムラクモに渡し、もうひとつを自分で着けた。
「さて、キリキリ働いてもらおうかな」
「……本当に、言うことを聞いたらあれは消してくれるんでしょうね」
「それはお前のがんばり次第かな」
ふひひ、と変態的に笑うハル。
周りの生徒たちがひそひそと言葉を交わした。「どういうことだ?」「やっぱりハルの奴は転入生の弱みを……」「やだーさいてー」。
「くっ」
ムラクモはハルを睨み付けたが、観念すると上着を脱ぎ、タンクトップの上からエプロンを着けた。
「そこどいて」
包丁を手にしたムラクモは、刃物よりも鋭い目つきで女子生徒を下がらせた。そこにハルがキャベツを一玉放り投げる。結構な勢いで投げつけられた緑の玉をムラクモは片手で受け止めるとまな板に置くが速いかずだだだだだん! とすさまじい勢いで刻み始める。
「は、速いっ!」
周囲の生徒たちが思わず感嘆する。ムラクモの包丁さばきは高速だった。早過ぎて刃先が見えない。キャベツが魔法のような勢いで一口大に刻まれていく。
しかもただ速いだけではない。一口大に刻まれたキャベツはほとんど全て同じ大きさ。誤差は一ミリあるかどうか。
「この速さでこの正確さ……」
「芸も細かいぞ。芯の部分には細かく切り込みを入れてすぐに火が通るようにしてある。どこでこんな技を……」
こいつは一体何者なんだ――誰もがムラクモにそういう目を向けた。
当のムラクモは切り終えたキャベツをザルに移して、
「次!」
再び空を飛んだキャベツが瞬く間に切り刻まれる。
その曲芸のような包丁さばきに通行人までもが足を止め、思わず拍手をしてしまう人までいた。
ハルはにやりと笑って、
「さあさあお客さん、見てるだけじゃなくて買っていって下さいよ! 見ての通り、その辺の屋台とは料理人が違うからね、うちの焼きそばは天下一だよ!」
ハルが呼び込みをかけると、どっと人が押し寄せてきた。
バンドワゴン効果、というものがある。
多数の中から何かを選ぶとき、人は無意識のうちに周りの人が選んでいるものと同じものを選ぶ、というものだ。要するに人が人を呼ぶ。客が客を呼ぶ。古今東西商売が成功するために必要不可欠な要素である。
ムラクモの包丁さばきは、強烈なバンドワゴン効果をもたらした。
それだけで一芸になるパフォーマンスに通行人が足を止める。足を止めた通行人を見て、「あの集まりは何だろう?」とさらに人が集まってくる。そこに香ばしいソースの匂いと、ハルの陽気な呼び込みが加わればまさに入れ食いだった。客の列は全く途切れない。ムラクモは三人分以上の働きをしたが、それ以上に客が来てしまうため、ハルたちの屋台は前よりも忙しくなってしまった。
「へいらっしゃい焼きそば三人前ね! そちらお好み焼きのお客様は少々お待ち」
「おい材料が足りないぞ、誰か校舎行って、」
「大丈夫、今持ってきた!」
「次!」
ずだだだだん! 肉や野菜がたちまち細切れになり、鉄板の上を踊る。客は拍手喝采、生徒たちはなんだか妙なハイテンション。忙しさは三倍になったのに誰も殺伐としていない。
忙しい。けれども楽しい。忙しいのが楽しい。奇妙な一体感があった。
「あいつすげえな。こんな技を隠し持ってたとは」
男子生徒の一人が、お好み焼きのタネを作りつつ、ムラクモを横目で見て言った。
「これで愛想もあればもっといいんだけど」
「ああ見えてかわいいところもあるぜ」とハル。「実はこの間買い物に行ったんだけどさ……」
「ハル。それ以上言ったらあんたを刻んでお好み焼きの具にするわよ」
全く手を休めず、振り向きもせずに冷たい声で突っ込むムラクモ。
男子生徒は「うひい」と首をすくめる。
「おにーちゃーん! おねーちゃーん!」
甲高い子供の声がした。ハルが耳ざとく顔を上げて、
「ネリー!」
「おにいちゃん!」
ハルが手を振ると、ネリーはこちらを見つけて、人並みをてててっとかけてくる。
「何? ハルの妹?」会計をしていた女子生徒が訊ねた。
「はい。ネリー・アナンです」
「おにいちゃんに似なくてかわいいわねー」
「ほっとけ」とハル。
「ん? おにいちゃんは分かるけど、おねえちゃんって?」
女子生徒は首を傾げた。軍学校は普通高校に比べて生徒数が少ない。他に兄弟が通っていれば分からないはずはないのだ。
「おねえちゃんは、ムラクモおねえちゃんです!」
ネリーは高らかに宣言した。
生徒たちは硬直し、
「え?」
「マジで?」
「本当だよ」とネリーは言った。「ムラクモはネリーのおねえちゃんなの」
「いじめられてない?」
ネリーはとんでもないと首を振り、
「ううん。おねえちゃん優しいの。ネリーのために歌ってくれたり、一緒に寝てくれたりする」
生徒たちが一斉にムラクモを見る。
「……何よ? 文句あるの?」
ムラクモが仏頂面で言った。そこにハルが、
「ムラクモはほとんど毎晩、ネリーに添い寝してる。義妹を取られたおにいちゃんとしてはちょっと寂しい」と追い打ちをかけた。
生徒たちは顔を見合わせ、それから大きな声で笑った。
「添い寝! 添い寝って! マジでいいおねえちゃんか!」
「似合わねー!」
調理の手を止めて大爆笑する生徒たち。
戦場育ちの実戦経験者。転入してからずっと、「お前らみたいなガキと仲良くするつもりなど一切ない、無駄に話しかけたら殺す」という態度を押し通していたムラクモが、ナイトキャップをかぶってネリーと一緒のベッドに入り、頭をなでなでしてあげている――ちょっと想像できない姿だった。無理に想像しようとするとあまりのギャップに笑いがこみ上げてくる。だって「死ね、糞、豚」が口癖みたいなムラクモだぜ? それがどんな顔をして小さな子供の面倒を見ているのだと。
「笑ってないで働け! お客さんが待ってるでしょ!」
ムラクモが真っ赤な顔で叫んだ。生徒たちは仕事に戻りつつも笑うのを止めない。
彼らの心には、一つの共通した思いが芽生えていた。
――転入生は口が悪いだけで、実はいい奴なのかもしれない。
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