第26話 ファンタスマゴリア5
「どうしたもんかなあ……」
校舎に入り、ムラクモの姿を探しながらハルはそう呟く。
雨降って地固まる。ネリーのおかげで、ムラクモは家ではずいぶんとくつろいだ姿を見せるようになった。ネリーをだっこして歌っていることも多い。どうやら歌が好きらしい。
ところが、学校ではこれまでとそう変わらない。アイリやレキはムラクモと普通に接するようになってくれたが、ムラクモがハル以外の生徒に自分から話しかけることはなかったし、他の生徒たちも依然としてムラクモを無視していた。無理もない。転入初日から非友好的な態度を取り、アナスタシアに続いてガロンとまで揉め事を起こした問題児。そんな相手と一体誰が仲良くしようと思うものか。ハルたちだって、廃墟でムラクモに助けられた経験がなければ、ずっと敬遠したままだっただろう。
でも、今のハルは知っているのだ。ムラクモの攻撃的な態度は虚勢に過ぎないと。
ムラクモはちょっと不器用で愛想がなくて口が悪くて遠慮を知らない、けれど本当は優しい女の子なのだと。
ハルは屋上までやってきた。ムラクモはもういなかった。
どこに行ったのだろう。
ハルは校内に戻り、特徴的なショートカットを探した。
ひとりぼっちで泣きそうな顔をしていて欲しくない。
みんなの中で笑って欲しい。
ハルはそう思うのだ。
でもそのためにどうしたらいいのかがさっぱり分からない。
どうやればみんながムラクモを受け入れてくれるのだろう。ムラクモが孤独を感じずに、笑っていられるようになるのだろう。何かきっかけがあればいいのだけれど。
ネリーのときは都合よく雨が降ってくれたが、また同じことは期待できない。
「っと!」
考え事をしながら歩いていたせいで、ハルは廊下の角から出てきた台車とぶつかりそうになった。軍学校祭の準備で校内はどこもかしこも混雑している。気をつけなければ――。
違った。
ぶつかりそうになった相手は、生徒が押す台車ではなかった。教官が乗る車椅子だった。
「どうした、ハル・アナン訓練生。貴様に似合わぬしけた面をしているな」
ハルは驚き、目を丸くした。センチネルとの遭遇戦で重傷を負って入院しているはずの、ハルたちの本来の担当教官がそこにいた。
「ウルスラ教官! いつ退院したんですか!」
「今朝だ。祭に合わせてちょっと無理矢理にな。教え子の晴れの舞台を見ないで寝てるなんて冗談じゃない。この様子だと軍学校祭は無事に開催されるか」
「中止するような話もあったようです。その……〝爆発事故〟の影響で」
爆発事故、とは廃墟で発生した遭遇戦のことを指す。世間はいまだにあの事件の真相を知らない。軍は、近くに現れたセンチネルの狙いも分からないのに祭などやるべきではない、と難色を示していたらしい。だが、ことが非公開である以上、公には中止する理由がないし、「余計なことをすれば市民に不安が生じる」とアムシェル議長が開催を決めた――と、ハルはレキから聞いた。
「で、勉強嫌いでお祭り好きのお前が何で、祭なのに辛気くさい顔をしているんだ?」
「それは……」
言いよどむハル。
「ハル・アナン訓練生!」
たちまちウルスラが大声を出した。
病み上がりとは思えない大音声であった。あまりの声の大きさに、廊下を行き交っていた生徒たちが一斉に立ち止まって振り返る。叱られているのがハルだと分かって、「なあんだ」という顔で歩き始める。
ハルは硬直していた。訓練生ならみんなそうだろう。指導教官に怒鳴られたら反射的に思考が止まる。
「私はお前の何だ?」
「指導教官であります!」
「教官相手に隠し事ができると思ったか? してもいいと思ったか?」
「いいえ。隠し事はよくないであります!」
「よろしい。ならば車椅子を押せ。行き先は生徒指導室だ」
「はいっ!」
で。
ハルは洗いざらい吐かされた。
廃墟でムラクモと出会って、教室で再会して。ガロンとの一件からムラクモが押しかけてきたこと、ネリーの事件はもちろん、「他人に見せたら殺す」と言われた魔法少女ムラクモの写真まで見せてしまった。
話しながら、なんだかほっとしている自分にハルは気が付いた。
廃墟での遭遇戦以来、ハルはずっと非日常に振り回されていた。自分では意識していなかったが、いっぱいいっぱいだったのだろう。
ウルスラ教官が帰ってきたこと――相談できる大人の存在に、ハルは安心したのだった。
「……とまあ、そんな感じ、じゃなかった、報告は以上であります」
「なるほどな」
そう言ってウルスラは車椅子の背もたれに身を預け、ふふっと少女のように笑った。
「教官?」
「いや、すまん。軍学校でこんな甘酸っぱい相談をされるとは思ってもいなかったから」
甘酸っぱいとは何事か。ハルは苦いものを食わされたような顔になる。
「つまりあれだ。お前はムラクモ・アマノに祭を楽しんでもらいたい――一緒に祭を楽しみたいわけだ」
「そういうわけでは……」
「そういうわけだよ」
ウルスラは断言した。ハルは承服しかねて首を傾げる。自分のことがよく分からなかった。
「で、結局どうすればいいのでありますか?」
ここまで聞いたからには教官らしいことを言ってくれよ……ハルはそんな思いを込めてウルスラを見つめる。と、
「ハル・アナン訓練生。ここはどこだ?」
「は? 生徒指導室であります。アルバ軍学校の……?」
「そうだ。ここは軍学校だ。軍学校での問題は軍学校式に解決しろ」
「はい?」
「問答無用でやらせるんだ。我々がお前らをしごき倒すときのようにな」
「いや、それはどうなんだろう」
教官への態度も忘れてハルは素で聞き返してしまった。
無理矢理やらされたって楽しめないだろう。むしろどんな素敵なことでも、強制的にやらされたらつまらなくなる――とハルは思う。
「それはどうかな?」ウルスラはにやっと笑って、「ちょっと昔の話をしよう。私は子供の頃、体を動かすのが大嫌いだった。かけっこなんて疲れるだけ、家の中で本を読んだり映画を見たりした方がいい。そういう子供だった」
「意外であります」
「今じゃすっかりメスゴリラだからな」
「ですね……いえいえ! ウルスラ教官はアルバ軍学校一の美人過ぎる教官であります!」
思わずうなずき、慌てて訂正するハル。ウルスラは笑っていた。ハルは血の気の引く思いで続きを促す。
「あるときな、面子が足りないとかで兄のサッカーに無理矢理入れられた。私はもちろん嫌がったさ。何で暑い中走り回って球蹴りなんかしないといけないのかと。ところが、だ。……オチはもう分かるだろう?」
「やってみたらはまった」
「その通り。もしも兄が言葉で説いていたら、私はサッカーの魅力を理解しなかったことだろう。体を動かすことの気持ちよさに気がつくこともなく、よりハードな運動を求めて軍学校に入ることもなく、だから軍人になることもなく……考えてみれば今私がこんな目に遭っているのは兄のせいとも言えるな」
糞兄貴め、今度会ったら締め落としてやる――ウルスラは苦笑交じりで言って、
「話がそれた。要するにだ、世の中には、やって初めて分かることがある。やらなきゃ分からないことを分からせるには、やらせるしかないんだ」
「やらなきゃ分からないことを分からせるには、やらせるしかない……」
確かにその通りだ。
祭の楽しさを知るためには、祭に参加するしかない。
相手の良さを知るためには、相手と接触するしかない。
ムラクモに祭を楽しんでもらうには、そしてクラスメイトたちにムラクモの良さを知ってもらうには、ぶつけてみるしかないのだろう。
「でも、無理矢理やらせるって、一体どうやって」
親子や、教官と生徒なら話は簡単だ。立場にものを言わせればいい。
けれどもハルとムラクモは赤の他人だ。階級としても共に訓練生なので上下はない。
命令をする、しないの関係ではないのである。
「方法はある。が、教えてやらん」教官は素っ気なく言った。「答えを教えるのは教育ではないからな」
「そんなあ」
「まあ考えてみることだ。お前は必要なものはもう手にしているはずだぞ」
そして週末がやってくる。
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