第23話 ファンタスマゴリア2
「ハル! こっち!」
商業地区の真ん中で路面電車を降りると、歩道でレキが手を振っていた。アイリも一緒だ。
「いいんちょー! こんにちはー!」
とネリーがブンブン手を振り返す。
ネリーは人見知りの激しい子供だが、一方で一度警戒を解いてしまうと一気に距離がなくなる。レキとアイリはハルの家に遊びに来たこともあり、ネリーともそれなりに長い付き合いだ。
「いいんちょーたちも一緒なの?」
「ああ」
ネリーの問いにハルはうなずいた。
ムラクモの服を買いに行く――それ自体はいいとして、問題は、男子であるハルには女子向けの店がよく分からないことにあった。ネリーは女子だが、まだ子供服の歳なので似たようなもの。そこでハルが相談する身近な女子と言えば、アイリである。レキは完全におまけ。面白そうだからとついてきただけ。
「悪いな、付き合わせて」
「クラスメイトの面倒を見るのも委員長の務めなのです」
ハルが謝るとアイリはそう言って胸を張った。妙に気合いが入っている。
「それにハルに任せておいたら無駄にエロい服だけ選びそうなので」
「……んなことしねえよ」
「返事が遅いのは何でだろうね」
とレキに突っ込まれハルは憮然とした。みんな俺を何だと思ってるんだ。セクハラ大明神だ。自業自得であった。身から出たサビであった。
「で、アマノさん。何か好みの方向性とか、あります?」
「別に。服なんて着られれば何でもいいじゃない」
ムラクモはそっぽを向いて言った。
「じゃあとりあえず適当に見ていきましょう」
アイリの先導で、一行は手近なビルへと入った。
そのビルは一階から最上階まで全て、女性向けの衣料品を扱う店で埋まっていた。帽子から靴まで。シニアからお子様用まで。仕事着も寝間着も、ステージ衣装も。女性用ならあらゆるものがここ一ヶ所でそろえられる特大のファッション専門ビルであった。
店員はもちろん全員女性、マネキンも全部女性型。客――は全員とはいかないが九割以上が女性。これ以上に女性率の高い空間は女子トイレぐらいなものだ。
「……すげえな」
初めて入った女の園の、問答無用の雰囲気にハルは気圧された。ここは自分たちのいていい場所じゃない。そんな気がしてレキを見ると、こちらは割と涼しい顔で、物珍しげに周囲を見回している。
「お前なんで平気なんだよ」
「え? ただのお店でしょ。僕に言わせればハルの反応の方が意外だよ。もっとニヤニヤして鼻の下を伸ばすかと思ってたのに」
「いや、何というかアウェー感が……」
学校【ホーム】では無敵のセクハラキングも、敵地では縮こまってしまうのであった。意外にヘタレ。
一方の女子組は、
「すごい! かわいい服いっぱい! おにいちゃん、ネリーも何か買っていい?」
「どうですかこの品揃え。ここならきっと、アマノさんの気に入る服が見つかりますよ」
「……え、あの、何かもっと適当なのでいいんだけど……服なんて着られればそれで……」
テンション上がりまくっているネリーとアイリに対して、ムラクモはちょっと引いていた。
「ダメです!」
アイリが一喝した。
「かわいくするのは女の子の権利……いえ、義務なのです! 義務!」
「ぎむなのです!」
「え、え……」
「さあ分かったら行きますよ! ネリーちゃんそっち押さえて!」
「ラジャー!」
アイリとネリーが戸惑うムラクモを両側から捕まえた。ムラクモはふりほどこうにもふりほどけない。そのまま奥へと連行されていく。
ハルとレキは少し離れて女子組を追いかける。
「……あの暴言マシーンに人見知りのネリーちゃんがあんなに懐くなんてねえ」
レキが小声で言った。
「……お前の言い方も大概酷いぞ」
ハルが昨日休んだ理由――ネリーが行方不明になり、ムラクモが助けた経緯については、学校でもう説明してある。
――ムラクモはやっぱり悪い奴じゃないよ。
ハルはそう言い、レキとアイリに、「普通の人間に接するように、ムラクモと接してくれないか」と頼んだ。もちろんムラクモがいないときにだ。
廃墟で自分自身が助けられ、今度は義妹が助けられた。二つのできごとを通じて、ハルはムラクモが本当は性根の優しい子なのだと思うようになった。あの口の悪さ、攻撃性にはきっと何か理由があるのだ。何らかの理由で、ムラクモは他人を拒絶するようになったに違いない。
「こう言っちゃ何だけどさ」レキは言う。「ネリーちゃんのことは、半分はあの子――ムラクモのせいみたいなものじゃない? それを助けてもらってありがとう、って言うのは……」
普段は爛漫なレキだが、ときどきこんなふうにシビアなものの見方をする。あるいはこちらが本性なのかもしれない。「議長の一人息子」は、ハルたちのようなただの訓練生とは違って、色々と世の中の暗い部分を見て育ってきているだろうから。
ハルとしてもレキの考えが分からないではない。実際、ムラクモは責任を感じたからこそ、積極的にネリーの救助に加わったのだろうし。
「ねえ、ハル。あの子は訳ありである以上に、厄介ごとを抱えてるよ、間違いなく。それを一緒に住ませたり、面倒見てやったり。お人好し過ぎるんじゃないかな」
「かもな」ハルは答えた。「でも俺は物事はシンプルに考えたい。経緯はどうでも、助けてもらったらありがとうだよ。それに嫌なんだよ。目の前につまらなそうにむすっとしてる奴がいるのが。落ち着かないんだよ。俺は、俺の周りにいる奴らには笑っていて欲しいと思う。……甘いか?」
センチネルに地上を奪われ、息を殺して地下に隠れ住む生活。そのかりそめの安寧すら、いつ破られるか分からない。そんな暮らしの中で、でも、笑うことすら出来なくなったら――笑えもしない世の中になってしまったら、本当におしまいだと、ハルは思う。
「甘いね。でも、ハルのそういうところ、嫌いじゃないよ」
レキはハルの方を見ないでそう言った。
「このやろ」
照れ臭いのをごまかすために、ハルはレキの脇腹を肘で突いた。
「おにいちゃんたち何やってるの! 早く来て!」
遠くのエスカレーターの前でネリーがおかんむりだった。ハルは慌てて追いかける。
シャツがありブラウスがありポロシャツがありセーターがありカットソーがありTシャツがありタンクトップがあり、フレアスカートがありタイトスカートもありキュロットパンツもありスラックスもあればデニムもありチノパンもある。
フロア中が、いや建物中が布で埋め尽くされている。
「あ、これ似合いそう」
「いやいやこっちの方が」
「どう、おねえちゃん?」
その布の海をネリーとアイリは器用に泳いでは、カラフルな服を次々と繰り出してくる。
ムラクモは……溺れていた。
自我を持ってこの方、ムラクモが着たことのある、戦闘用ではない服は二種類しかない。軍の制服と軍学校の制服だ。カーキでも都市迷彩でもステルスコーティングの暗い灰色でもない布は眩しすぎて見ただけでクラクラする。
どう、といわれても困るのだ。
始めのうちはそれでもがんばって手に取ったり体に当ててみたりもしていたのだが、ネリーとアイリが袖の長さの五センチの違いで何故言い争っているのか、ムラクモには本気で理解不能だった。
「おねえちゃんはどっちがいいと思う!?」
「こっちですよね! 絶対こっち!」
「どう――」
どうでもいいわよそんなもの――反射的にそう答えようとして、この二人は善意でやってくれているのだと思いだして自制する。でもどう答えたらいいのか分からない。
困ったムラクモは振り返ってハルを見た。
ハルはおもしろがって笑っていた。こんちくしょう。と思ったそのとき、
「……それ、どこか違いがあるのか?」
ハルはネリーとアイリが持っている服を指差して言った。
「ありますよ大ありですよ!」
「このびみょうな違いがかわいさを左右するんだよ!」
「まったく、ハルはセンスがないですねえ!」
「そうだよ。おにいちゃんに任せておくといつもダサい服買ってくるもん」
たちまち始まる集中砲火。ムラクモは「それ何が違うの?」とうっかり訊かなくてよかったと思った。いや、ハルはもしかしたらわざと言ったのかもしれない。
「何だと? 俺のセンスは悪くない!」
言い返すハル。けれど二対一で旗色は悪い。
そこにレキがポンと手を打って、
「じゃあ勝負したらどうかな?」
「勝負?」
「コーディネイト勝負。それぞれが『これぞ』って服を一式選んで持ってくる。アマノさんに着てもらう。で、一番似合ってる服を選んだ人が勝ち」
「やる!」
即断するネリー。
「……いいでしょう。もう『委員長は女子力低い』なんて言わせませんよ」
不敵に笑うアイリ。
二人はすぐに売り場へと走って行った。
「張り切っちゃってまあ……」
「僕たちも参加するんだよ」
「え? 俺も?」
「やらなきゃどっちのセンスが上か分からないじゃない。それとも不戦敗にする?」
それはそれで面白くない。もとよりハルはお祭り男である。すぐにやる気になって、ムラクモに何を着せるか考え始めた。
「よし。ムラクモはここで待ってな」
「え、ちょ、ちょっと……」
ハルとレキも売り場に消える。
一人取り残されたムラクモは、たちまち落ち着かない気分になった。
「……」
広いビルのフロア。女性客が笑顔で服を――あまり機能的とも言えない、防御力などあるはずもない服を真剣な顔で選んでいる。あの人たちは多脚戦車の二〇ミリ機銃を食らう心配などしたことないのだろうな、と思った。ここは平和だ。夢のように平和だ。
その平和な人間の世界に、自分がいることが信じられない。誰もムラクモを警戒しない。怯えもしなければ、罵ってくることもない。すれ違い様に笑顔さえ向けてくる。現実感が全くなかった。
落ち着かない。雲の上に立っているような気分だった。ふわふわする。なんだか心がくすぐったい。悪い気持ちではなかった。
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