第22話 ファンタスマゴリア1

 地下居住区にも季節はある。いや、季節めいた気温の変化はある。

 これもまた、人工的なものである。

 日の当たらない土の中は、本来ならば温度は常に一定して低く保たれる。

 冷蔵庫のようにひんやりしているはずの地下居住区が、昼はシャツ一枚、夜になっても上着を一枚足すだけで快適に過ごせる気温になっているのは、巨大な空調システムによって温度と湿度が保たれているからである。

 作り物の環境なのだから、夏も冬もなくしていつでも過ごしやすいようにしてしまうことは可能だし、管理上も楽なのだが、地下居住区ではあえて気温を変化させている。

 この世に四季というものがあることを忘れないように。いつか地上に戻ったときにすぐに環境に適応できるように――そう願って、人々は地下に季節を再現した。願いが果たされるのはいつのことだろう。

 ともあれ、地下居住区には四季がある。

 冬には身を引き締めるような冷気があり、春にはぽかぽか陽気があり、夏の天穹は他の季節よりも眩しい。

 秋にはひんやりとした風が建物の間を巡り、

 秋の終わりには、祭がある。



「……そういうわけでハルはアサルト大相撲に決まったです」

「え? ああ、もうそんな季節か」

 ネリーが退院した翌日の朝。

 教室に入るなり、ハルは委員長に捕まってそんなことを言われた。

 ちょっと前まで全開だった教室の窓は今はしまっている方が多い。あちこちにたむろする生徒たちの声は普段よりも少しだけ大きい。祭の予兆に浮かれている。

「よかったです。ハルが出てくれれば優勝間違いなし! です」

「まあな、って、ちょっと待て。俺は出るなんて一言も言ってないぞ。というか出てくれといわれた覚えすらないぞ」

「昨日休んだハルが悪いのです」

「あ、汚え。勝手に決めたのか。それが公平公正な委員長のやることか」

「……日頃のセクハラの恨みを思い知るのです」

 ふっふと笑う委員長。こんなことならご機嫌取っておくんだったとハルが後悔していると、

「ハル、アサルト大相撲って何? もの凄く頭悪そうな響きだけど。……っていうか、何か学校の雰囲気がいつもと違ってない?」

 話を聞いていたムラクモがそう訊ねる。

 アイリは驚いた。ムラクモの方から他人に話しかけている! 他にも数人、この異変に気付いた者がいて、教室は密かにざわめき、緊張をはらんだ。

 その中心にいるハルは周囲の様子に全く無頓着に、いつも通りのへらへらした顔でムラクモを見て、

「もうすぐ軍学校祭があるんだよ」

 ムラクモは首を傾げた。

「祭?」

「正しくはアルバ軍学校訓練生技能展示会って言って、日頃鍛えた技能を市民の皆さんにお披露目する……ってのが建前だけど、まあ、お祭りだな。いろんな出し物があって屋台があってパレードがあって、あとは演奏会なんかもやるな。全部終わったら学校で打ち上げ。出し物は射撃競技とか、格闘大会とか、救助とか部隊行動の訓練展示とか。一般市民を学校に入れて見せるものもあるし、街中で場所借りてやる場合もある」

「ふうん」とムラクモはさほど興味もない様子。

「説明させといてその態度か」

 ハルは突っ込み、けれど別に気分を悪くしたようでもない。

「アサルト大相撲ってのは、その軍学校祭の競技の一つ。要するにアサルトギアを着て相撲を取る」

「技能展示会には成績が付けられるんだよ」

 と新しい声が会話に加わった。レキだ。

「おはよう、みんな」

「おお、レキ聞いてくれよ。委員長が俺を勝手にアサルト大相撲にエントリーしたんだよ」

「あ、それ僕も賛成したから」

「はあ!?」

「去年は惜しいところで学年二位だったのです。今年は雪辱を果たすのです」

 何やら燃えているアイリ。委員長として、クラスが一丸となるイベントは無視できないのである。

「嫌でも何でも出てもらうですよ。今年はガロンが出場できないから、ポイントゲッターが足りないんです。去年みたいにサボってナンパしてたら吊す、というのがクラスの総意です」

 勝利に取り憑かれた委員長は断固たる口調で言ったのだった。



「何がそんなに嫌なのよ?」

 放課後、学校を出てエレベーター駅に向かう道中、ムラクモが言った。

 軍学校祭の参加種目のことである。

 ハルは一日中がんばって抗議したのだけれど、アイリの意志は堅く、他のクラスメイトたちもアイリに同調したので、ハルのアサルト大相撲へのエントリーは覆らなかった。

「……何が楽しくて野郎と密着したりケツ触ったりしなきゃならないんだよ」

 ハルはそっぽを向き、子供のように唇を尖らせる。

 ちなみにアサルト大相撲に相撲の強さは一切関係ない。名前こそ相撲とついているが、足以外を地面についたら負けなこと以外はほとんど別競技である。アサルトギアを着用しているとかなり無茶な姿勢でも立っていられるようになるので、普通の相撲の技はほとんど通じなくなるのだ。勝敗を分けるのはアサルトギアの扱い、バランス感覚と反射である。このアサルト大相撲に、ハルは一年生のときに出場してベスト八に残っている。アルバ軍学校始まって以来の快挙であった。ハルはアサルトギアの扱いに天賦の才がある。生身で行う訓練の成績は凡人以下なのに、アサルトギアを使った訓練の成績だけはトップクラスだ。ギア着用でハルと同じレベルに動けるのはガロンくらいのものだろう。

「……」

 ハルはガロンのことを思い出した。

 ガロンは先日の訓練中、アサルトギアを私闘に用いたことで一週間の謹慎と一ヶ月のアサルトギア使用禁止の処分を下された。元々成績がよかったので、卒業に響くことはないだろうが、問題行動を起こしたことで、進路には影響するかもしれない。

 ガロンをそこまで激昂させた、ムラクモの作戦拒否――ムラクモが友軍を見捨てたというのが、ハルにはどうしても信じられない。

「何? あたしの顔に何かついてる?」

 ムラクモが言った。不機嫌そうな目つきは以前と変わらないが、口調は前ほどは攻撃的ではなくなってきている――とハルは思った。

「澄んだ瞳と艶やかな唇が」

「っ!」

 ムラクモの顔がボッと赤くなる。

「ちょ、な、こんなところで何言い出すのよ!」

「こんなところじゃなければいい? 人気のないところに行く?」

「そういうことじゃなくて……」

 初心な少女のような反応だ。人間よりも人間らしい、感情的な少女。

 ムラクモは逃げ道を探すように辺りを見回し、

「あれ、ネリーじゃない?」

 改札付近の人の流れを見ながら言う。

「え? どこ?」

 ハルは目を細めたが義妹の姿は見えない……いや、しばらく見ていると人の流れからふらふらと、はじき出されるみたいに出てくるネリーに気が付いた。

「ネリー!」

 呼びかけると、ネリーはぱあっと笑みを浮かべて走ってきた。通行人にぶつかりそうになって慌てて飛び退き頭を下げる。ハルもムラクモと一緒にネリーの方に向かった。

「おにいちゃん! おねえちゃん!」

「お前、一人で来たのか? 家で待ってろって行っただろ」

「あんまり子供扱いしないでよね。エレベーターくらい一人で乗れるもん。家で待ってたら往復の時間がもったいないよ」

「確かに駅で待ち合わせの方がよかったな。そこはネリーの言うとおりだ。でも予定を変えるならちゃんと連絡はすること。行き違いになったら大変だ」

「ちゃんと会えたんだからいいじゃない」

「ネリー、ハルはネリーのこと心配してるから言うのよ」

「はあい。ごめんなさい」

 ハルが注意しても言い返すのに、ムラクモが注意するとネリーは素直にうなずいた。けれど反省のそぶりを見せたのは一瞬だけ。ネリーはすぐに顔を上げると、

「お説教は後で聞くから早く行こう」

 と急き立てる。

「待て待て。そんなに急がなくてもお店は逃げないぞ」とハル。

 ネリーと合流したハルたちは路面電車に乗り込み、街へと向かった。

 普段は居住階層を出ないネリーは、久しぶりのお出かけにうきうき目を輝かせてている。あちこち忙しなく見回しながら、その腕はムラクモにしっかりしがみついていた。おにいちゃん離れが始まったのはいいが、今度はおねえちゃんにべったり気味で、ハルとしては苦笑するしかない。

 さて、どうして三人が放課後に街――商業地区に向かっているかというと、話は今朝に遡る。

『おねえちゃん、お洋服持ってないんだって』

 昨日はムラクモと一緒に寝たネリーが、朝の支度をしながらそう言った。

 そう言えばムラクモの私服姿を一度も見てないなあ……とハルは思い、訊ねてみると、なんとムラクモは、下着と学校の制服以外の服は一着も持っていないのだという。その下着と制服にしても二セット――着る奴と、予備の奴――しか持っていない。

『これで足りるのよ。人間と違って汗も掻かなければ皮脂も出ないから、服が汚れることはほとんどないし』

『てことは足が臭くならないのかうらやましい』

 軍学校生は大なり小なり、軍靴の通気性の悪さに泣いているのだが。

『そんなことどうでもいいでしょ!』

 ネリーは机をばんばん叩いて言った。

『こんなに綺麗なのにお洒落しないなんてもったいないよ!』

『……つまり?』

『おねえちゃんの服を買いに行こう! 今日! 学校が終わったらすぐ!』

 つまり、そんなわけなのである。

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