第20話 ネリーとムラクモ7

 ハルはムラクモの後について、初等学校裏手の立ち入り禁止区域に戻ってきた。

「おい、ここはもう探しただろ」

 ハルだけではない。初等学校の教員や何人もの警察官が、子供の入れそうなところはしらみつぶしに見て回ったのだ。見落としはあり得ない。

 ハルはもう別の可能性を考えていた。これだけ探して見つからないのは家出でもなければ事故でもない。誰かの悪意があってのことだ。誰かが意図的に隠している。居住区の治安は安定しているが、犯罪が全く起きないというわけではない。ネリーは誘拐されたに違いない。捜索を手伝ってくれている大人たち、特に警官たちもその可能性を検討し始めている。

「まだ誰も探していない場所があるわ。そんな場所があるなんて、誰も知らない場所が」

「え?」

 ムラクモは迷わず立ち入り禁止区域に入り、これ見よがしの坑道跡の前を通り過ぎ、通りからは死角になる場所にある、大きな岩の前に立った。

「やっぱり、足跡がある」

「どこに?」

 ハルには全く見えなかったが、ムラクモの高性能センサーは、砂地に残った小さな痕跡をしっかりと捉えていた。ムラクモは岩に手をつきあちこち調べ始める。

「信号を受け付けない。バグってる? それとも回路に物理的な不具合?」

「おい、ムラクモ」

「黙ってて。ふんっ!」

 ムラクモは岩を思いっきり蹴り付けた。信じられないことが起こった。巨岩がバネ仕掛けのように真上に跳ね上がったのだ。後にはぽっかりと坑道が口を開けている。

「軍の隠し通路よ」

「……こんなものがあったのか……。って、何でお前が知ってるんだ?」

「知ってたわけじゃないわ。今調べたの」

「は?」

 ムラクモは体内に通信装置が組み込まれており、ネットワークにも接続できる。その機能を使って軍のデータベースにアクセスし、周辺の図面をチェックしたのだ。すると遠い昔に作られたまま存在も忘れ去られている坑道があることが分かった――と説明するのも面倒で、ムラクモは勝手にずんずん進んでいく。ハルは慌てて後を追った。

「ネリー! ネリー! いるのか? いたら返事をしてくれ!」



「……」

 おにいちゃんの声が聞こえたような気がして、ネリーは薄目を開けた。

 けれどきっと幻聴だ。ハルの声ならもうずっと前から聞こえている。「起きろ寝坊だ」とか「ゆっくり食べなさい」とか「ネリーはかわいいなあ」とか。声どころか姿が見えたことも一度や二度ではない。全部幻だった。だからこれもまた、幻聴に違いない。

 寒い。地下水に濡れた服はどんどん体温を奪っていく。それに頭がぼうっとする。致死性のガスこそ溜まっていなかったが、地底の間隙には十分な酸素がなかった。

 低温と低酸素で、ネリーはうまくものが考えられないでいた。



「ハル、うるさい。ちょっと黙って」

 前を行くムラクモが突然そう言った。

「うるさいって何だよ!」

「あんたが叫ぶと他の音が拾えないの」

「……っ」

 ハルは落ち着きをなくしていたことを自覚した。

 わんわんと響いていた声が消える。静寂を取り戻した坑道を、ムラクモは忍者のように音もなく進んでいく。ハルの耳には聞こえない音が、ムラクモには聞こえているのだろうか。

「……変な反響がある」

 呟き、ムラクモが小走りになった。地面に埋まった大きな岩の前で立ち止まる。岩には滑ったような跡があり、その先にぽっかりと、井戸のような穴が開いていた。自然に出来たものらしい。ハルは岩に足をかけ、穴に懐中電灯をかざした。

「…………っ! ネリー!!」

 十メートルほどの穴の底、小さな女の子が仰向けに倒れていた。

「ネリー! 俺だ! おにいちゃんだ! 助けに来たぞ!」

 呼びかける。今度はムラクモも黙れとは言わない。だがネリーは返事をしなかった。懐中電灯に照らされた顔は蒼白だ。

「まずいわね。かなり体温が低下してる。このままじゃ危ない」

「ネリー! 今行くぞ!」

「馬鹿。装備もなしに飛び降りてどうするの? あんたも一緒に死ぬだけよ」

「じゃあどうしろって言うんだ! 助けを呼びに行ってる間にネリーは……」

「大丈夫、あたしが行くから」

「え?」

 ムラクモが穴に飛び込んだ。ムラクモは踵を岩に引っかけながら滑り降り、ネリーを踏まないようにちょっと跳ねて穴の底に着地した。どろっとした水溜まりに倒れているネリーを助け起こす。

 ムラクモはネリーを抱えて上を向き、

「そこどいて」

 ハルが穴の縁から離れると、ムラクモは出力をミリタリーレベルに上げた。ネリーをおぶったまま、助走もなしに五メートル以上飛び上がり、岩のくぼみを足がかりにしてもう一度ジャンプ、あっという間に坑道へと戻ってきた。

「ネリー! ああ、ネリー!」

 死人のような顔色をしていたが、ネリーは確かに生きていた。

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