第19話 ネリーとムラクモ6

 捜索が始まるちょっと前のことだ。

 友達の家を出たネリーは、最初はまっすぐ家に帰るつもりだった。帰ってちゃんとおにいちゃんにごめんなさいをして、仲直りをするつもりだった。

 けれども家に近づくにつれて怖くなった。

 おにいちゃんはもう、ネリーのことがいらなくなったのかもしれない。

 ネリーがいつもわがままばかり言うから、嫌いになったのかもしれない。それで学校で綺麗な恋人を見つけて、これからはあの人と二人で暮らすことにしたんだ――そういうことだったら、どうしよう。

 落ち着いて考えれば、ハルがそんなことを言い出すはずがないことは分かったはずだ。けれどネリーは自分が生み出した不安に取り憑かれてしまっていた。不安は不安を増幅する。真実を確かめるのが怖くて、足が止まってしまった。

 止まった足は自宅とは逆方向に走り出す。

 一人になりたかった。誰とも会いたくなかった。

 それでネリーは学校の裏手に回った。

 そこが立ち入り禁止区域に指定されたのは、地下居住区が今の姿になった直後だった。つまりは三十年以上前のことだ。

 地下居住区は、元々は戦争や災害から逃れるための避難シェルターだった。シェルターだった頃は、今で言う中枢階層しかなかったのだが、内部で人口が増えるにつれて拡張が必要になり、中枢階層の斜め下に、居住階層が掘り進められた。

 初等学校裏手の立ち入り禁止区域は、そうした拡張工事の名残だ。地層があまり丈夫ではなく、これ以上の拡張は難しいと判断され、試験的に掘られた坑道は全てふさがれた――はずだった。

 坑道の一つが埋められるどころか、拡張して中枢階層とつなげた上で、出入り口を偽装されて今も残っていることを一般市民は誰も知らない。実際に工事をしたのは軍で、命令したのは当時の議長だった。居住区内で暴動等が起きてエレベーター駅が使えなくなるなどした場合には、この坑道を使って軍が居住階層に乗り込み、事態を鎮圧する。

 けれどそうした事態が起きたことは一度もなく、一般市民どころか、坑道を作らせた軍と政府すら、そんなものの存在はほとんど忘れきっていた。秘密の坑道はメンテナンスされることもなく放置され、三十年の間に不具合が生じて、大きな岩に偽装された出入り口のロックは機能しなくなっていた。ネリーが寄り掛かった途端、岩は上に持ち上がった。

「わっ!」

 支えを失ったネリーは坑道内部へと後ろ向きに転がり込んだ。

「なにこれ……」

 道幅はそこそこ以上にある。高さも十分。車でも通れるだろう。けれど舗装はされていない。足下はむき出しの土と岩だ。人感センサーが機能して、三十年ぶりに照明を輝かせる。坑道は奥まで続いていた。

 ネリーは立ち上がり、どこまで続いているのかと首を伸ばして遠くを見た。奥に向かって数歩進み、何の警告もなく入り口が閉ざされたのはそのときだった。

「えっ!」

 ネリーは慌てて駆け戻った。表からでは岩に見えたハッチは、裏側は金属パネルに覆われた垂直な壁だった。ネリーはその壁を押したり叩いたりしてみた。反応がない。

「……閉じ込められた」

 坑道の闇よりさらに暗い事実が思考を埋め尽くす。

「開けて! 開いて! お願い! 開いて!」

 必死で訴えながらハッチを叩き、押し、蹴り飛ばす。すぐにネリーはハッチに備えられた開閉用スイッチの存在に気が付く。思いっきり押す。何度も押す。

「なんで!? どうして!?」

 けれども不具合によって作動したドアは、正常な開閉処理を受け付けなかった。

「どうしよう……」

 不安が胸を締め付ける。

 閉じ込められた。出られない。

 けれどもネリーは錯乱したりはしなかった。このぐらいたいしたことじゃない。うん。前に住んでいた居住区がセンチネルに襲われたときは、本当に死ぬかと思った。でも今は、少なくとも敵はいない。怪我もしてないし、空気もある。お腹はちょっと減ったけど。問題はそれだけ。

 落ち着いて辺りを見回す。出入り口の構造からも分かることだが、ここは自然の洞窟ではない。人が掘った坑道だ。ということは出口がどこかにあるかもしれない。ううん。あるに決まってる。そう信じてネリーは奥に向かって歩き出した。

「ここで待ってても、見つけてもらえるとは限らないし……」

 ネリーの状況判断は子供にしては立派なもので、けれどやっぱり子供だった。

 たとえ人の手が入っているからといって、街中の道路のような安全まで確保されているわけではない。

 ネリーは壁に沿って歩くことにした。その方が何となく安心な気がしたのだ。

 だが、

「……寒いなあ。湿気でひんやりする……っ!」

 ネリーは足を滑らせた。岩から染み出した水で足下の岩が濡れていたのだ。そして、何かに捕まろうと手を伸ばしたその先に、寄りかかれるはずの壁はなかった。

「きゃーっ!」

 悲鳴を上げて滑り落ちる。全身が痛い。どこがどうと言えないくらい、あちこちをぶつけながらネリーは闇の中に滑り落ちた。

「……うう……」

 ネリーが落ち込んだのは、地下にぽっかりと開いた空隙だった。一体どんな作用でできたのか、ベッドを一つ入れられるくらいの空間が、地底に空いていたのだった。

 見上げると十メートル以上の高みに、ほんのりとした明かりがあった。

「……あんなところから落ちてきたんだ……うっ!」

 立ち上がろうとしたら足首に激痛が走った。どうやらひねってしまったらしい。とはいえ、怪我をしていなくても、ほとんど垂直に近い岩の壁を、道具も無しに登ることなど不可能だ。

「…………」

 事態は悪化した。閉じ込められた上に、遭難までしてしまった。

「おにいちゃん……助けて……怖いよ……」

 か細い声が暗闇に吸い込まれて消える。

 ネリーはたまらなくなって大声で叫んだ。

「おにいちゃん! おにいちゃん! おにいちゃああああああん!」

 絶叫が反響して、まるで魔女の笑い声のように響いた。ネリーはますます恐怖を覚え、打ち消すように大声で叫び続けた。

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