第16話 ネリーとムラクモ3

 翌朝。

 ベッドから這い出たハルはあくびをしながら部屋を出て、隣のネリーの部屋のドアをノックした。返事がないのはいつものことなので構わず開ける。

「おはようネリー。もう朝だ……あ!? ……ああ、そうだった」

 空っぽの部屋を見て一瞬焦り、ようやくきちんと目が覚めて昨日のことを思い出す。

 ネリーは友達の家に泊まったんだった。

「学校が終わったら迎えに行かなきゃな……」

 呟きながらネリーの部屋を出たところて、視線に気づいた。

「……」

 制服をまとったムラクモが、リビングのソファに足を組んで座っていた。

「おはよう。……よく眠れたか?」

「普通」

「普通か。そりゃよかった」

 別に皮肉ではない。普通に眠れるのは素晴らしいことだとハルは思っている。そう思うのは以前住んでいた居住区がセンチネルに襲撃された後、ネリーと二人で幾晩も眠れない日々を体験したからである。

 ふと、疑問が湧いた。

「お前、眠るの?」

「人間的な睡眠じゃないけど。機能を停止して自己診断モードに入る」

「ついでに聞くけど飯は?」

「いらない、というかできない。一応味覚はあるけど」

 食事ができないのは予想通りだったが、味覚があるのは意外だった。ものが食べられないのに味だけ分かってもしょうがない気がするのだが。

「臭いも分かるわよ。……ガスとか毒とかを判別するための機能」

「なるほど」

 納得し、ハルは少しだけムラクモが気の毒になった。彼女はその体の何もかもが、戦いのためだけにデザインされているのだ。

 いつもはなんだかんだとじゃれついてくるネリーが今日はいないので、朝の支度はあっという間に終わってしまった。

「ちょっと早いけど学校行くか」

 ムラクモが立ち上がった。

 二人は連れだって家を出る。

 いつも朝食を摂っているカフェテリアに入ると、なじみの店員がハルを見つけて、「あれっ?」という顔をした。

「誰そのすごい美少女。彼女? てかネリーは?」

「こいつはムラクモ。彼女じゃない。ネリーは友達のところにお泊まり」

 簡潔に説明すると、店員は「ふうんそうなんだあ。ネリーがいないのをいいことに女の子連れ込んだと。で、一緒に学校に行くと」

「ち、違っ」

「いいのよ、ごまかさなくても大丈夫。分かってるから。というかちょっと安心したわ。ハルがロリコンじゃないって分かって」

「いや、だから、」

「分かってるって。ネリーには言わないでおいてあげる」

「そいつはもう手遅れかな……」

「え?」

「いやこっちの話。今日は急ぐからテイクアウトで」

 話を強引に打ち切り、ハルはパンの入った紙袋を受け取るとすぐに店を出た。急ぐというのはもちろん嘘だ。ムラクモが妙なことを言い出す前に――はっきり言えば店員に喧嘩を売る前に退散した方がいいと思ったのだ。

 初等学校の前を通る。ネリーがいないかとハルは見回したが、見つけられなかった。寝ぼすけネリーはまだ登校してないのだろう。ここで待ち伏せたら捕まえられる。が、こんなところで昨日の続きをやって騒いだらネリーはますます怒るに違いない。

 エレベーターで中枢階層に上がり、軍学校へ。

(なんだか視線を集めているなあ)

 校門を通り抜け、校舎に向かって歩きながら、ハルはぼんやりとそう考える。迂闊である。ネリーのことに気を取られすぎて、注意力は普段の半分もなかった。

 ムラクモ・戦場育ち・口の悪さ世界一・アマノと一緒に登校すれば、目立たないはずがない。

「ちょっと、あれどういうこと」

「……ハルの奴、転入生の弱みでも握ったか?」

「セクハラ(実力行使)? やべえ性犯罪者だ」

(あいつら、俺を何だと思ってるんだ……)

 ハルは憤慨した。いやしかし自分の日頃の言動もあまり褒められたものではないという自覚もないわけではない。

 生徒たちはハルとムラクモを遠巻きにして、ひそひそ言葉を交わしはするけれど、近付いてきて直接訊ねたりはしない。なんだかんだでムラクモが怖いのだろう。

 と、そこに寮生の一団が現れた。中にアイリがいるのをハルはめざとく見つける。ナイスだ委員長いいところに来てくれた。

「おはよう、委員長!」

 大きな声で呼びかけると、アイリはすぐに反応した。

「ハル? アマノさんと一緒だったの?」

「ああ。委員長も寮生なら知ってるだろうけど、こいつ、昨日から寮を出て街で暮らしてるんだって? 駅で会ってびっくりしたよ」

 アイリにというより周りの生徒たちに聞かせるために説明して、ハルはムラクモの方を向く。

「……お前が俺んちにいることは他の連中には秘密な。学校ではとりあえずこれまで通り」

 一緒に登校しただけでこれだ。バレたら何を言われるか分かったもんじゃない。

「分かってるわよ。……あたしだってあんたなんかと噂になりたくなんかないし」

 ハルが小声で注意すると、ムラクモは不愉快そうにそう答えた。

 とりあえずこれで妙な噂も立たないだろう。ハルはそう思ったのだが、

「ハル! おはよう!」

 背後から元気な声。レキが小動物的に駆け寄ってくる。レキはハルとムラクモを見てうなずき、

「一緒に住むって聞いたときにはびっくりしたけど、うまくやってるみたいだね。どうだった? ネリーちゃんとは仲良くなれそう?」

 興奮した様子でまくし立てたレキに、悪意はなかったのだと思いたい。驚きのニュースを聞かされて――教えたのは議長だろう――興奮して、ちょっとばかり周りが見えなくなっただけなのだ。多分。そうであって欲しい。そうじゃなかったら恨む。

「どういうこと……?」

「一緒に住んでるって……同棲?」

「人を見れば豚と罵るあの転入生が? 信じられない」

 囁きが伝播していく。

「というかなんでセクハラ魔王のハルと」

「そこよね。惚れる理由なんか全然ないし」

「じゃあやっぱりセクハラで弱みを握って……」

 周囲の白い目が突き刺さる。ハルは焦った顔で周囲を見回した。

「何でそうなる! 俺は潔白だ!」

 無罪の主張はしかし、

「だって日頃の行いが行いだし」

 無情に切り捨てられたのだった。

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