第15話 ネリーとムラクモ2
「……ここが風呂、トイレ、そっちは物置。リビング、向かいが俺の部屋とネリーの部屋。言う必要もないことだけど勝手に入るなよ。お前の部屋はそっち」
とハルが示したのは、リビングに隣接する畳敷きの部屋だ。中には無数の段ボールが乱雑に置かれ、アルミ製のハンガーラックには、クリーニングから帰ってきたままの礼服が掛かっている。
「とりあえず片づけないとな。……ったく、来るなら来るで事前連絡の一つくらい……」
ぶつぶつ言いながら、ハルは段ボール箱をリビングへと移動させる。
壁の時計は午後の三時。ムラクモがやってきてから、つまり、ネリーが家を飛び出してから三時間弱が過ぎている。
ネリーが飛び出したあの後、もちろんハルは周囲を探し回った。そうしていると電話がかかってきた。相手はネリーのクラスメイトの母親で、
『さっきネリーちゃんがうちの娘のところに遊びに来たんだけど……何かあったの?』
ネリーの様子が普通ではなかったので、心配して電話をくれたのだ。
『すみません。ちょっと喧嘩というか何というか。うちに俺の友達が訪ねて来たらネリーが怒っちゃって』
『友達って女の子?』
ずばり指摘されてハルは言葉につまる。相手はうふふふふと笑って、
『ネリーちゃんはおにいちゃんが大好きだものねえ』
『はあ』
『ネリーちゃんも大変だ』また楽しそうに笑って、『ちょっと待ってね』
電話が保留になって、待たされることしばし、
『もしもし? 今ちょっと話してきたんだけど、「浮気は大目に見ませんなのだ」だって。まだカンカンよ』
『すみません』
ハルとしては迷惑を掛けて申し訳ないやら恥ずかしいやら。電話だというのに頭を下げそうなくらい縮こまっている。
『ネリーちゃん、今日のところはうちに泊めるわ』
『えっ? そんな迷惑を掛けるわけには……』
『年長者の好意には素直に甘えなさい。というよりも、だいぶ興奮してるみたいだから、今帰らせるのはちょっとよろしくないかなあ、と思って。一晩たてば頭も冷えるでしょう。……ネリーちゃんだけじゃなく、おにいちゃんもね』
そんなわけでネリーは友達の家に泊まらせることになり、ハルは自宅マンションに戻ってきた。
戻ってくると玄関の前に、靴をはき直したムラクモが立っていた。
どうやら家主不在の間に勝手をするほど無神経ではないらしい。何の慰めにもならないけど。
「……あの子は?」
「友達の家に行った。今夜は泊まるそうだ」
ハルは靴を脱いで家に上がる。それから振り返って、
「突っ立ってないで入れよ」
「いいの?」
今更訊くのか、と思った。さっきは強引に上がり込んだくせに。
「……いいも何も、もう寮は出払ってしまって、行くところがないんだろ?」
そうしてムラクモを再び中に入れ、広くもないマンションを案内した後、ハルはムラクモの部屋と決めた小部屋の荷物を運び出している。
「掃除はできる?」
「馬鹿にしてるの?」
「確認しただけだよ。掃除機は物置。雑巾とバケツは洗面所。後は自分でやってくれ」
ハルはそう言ってリビングに戻った。小部屋から出したものを片づけていると、
「……妹って、ああいうものなの?」
出し抜けにそんな質問が飛んできた。
「あー、うちはかなり特殊。血がつながってないし、親はもういないし」
「両親は……」
「ネリーの親は……俺から見ると養父母だな。これはセンチネルの襲撃で死んだ。俺の実の親は顔も知らない」
ムラクモが首を傾げた。
「どうも捨て子だったらしいんだよ、俺。自動で居住区に向かうようにセットされた車の中で寝てるのが見つかって、保護された。自分の名前以外は、どこから来たのかも、親のことも何にも覚えてない」
捨て子のハルは医師のアナン夫妻に引き取られ、ネリーときょうだいになった。それから、ずっと一緒に育ってきた。ハルの方はネリーを実の妹のように思っているが、ネリーはどうやらそうではないらしい、と気づいたのはいつのことだったか。
「……悪かったわね」
突然言われて、ハルは何のことだか分からなかった。
「…………」
ようやく理解が追いついてきて、ハルは目を丸くした。
あのムラクモが、口を開けば豚だの糞だのと相手を罵るばかりのムラクモが、まさか謝罪の言葉を口にするとは。
「何よ? あたしが謝ったらそんなに変?」
「……いや、謝られるようなことあったかな、と思って」
「あたしが急に来たせいで、あんた、妹と喧嘩しちゃったでしょ」
「喧嘩って言うのかなあ。あれは」ハルはため息をついた。「別にお前のせいじゃないさ。ネリーがちょっとブラコン過ぎるのが悪いんだ。もしかしたらいい機会かもしれない。そろそろ兄離れしてくれないとって思ってたところだし。帰ってきたらまず説教だな。でも説教だけだとかわいそうだなあ。誤解させたのはこっちにも責任あるしなあ。仲直りの印に何か甘いものでも用意しよう。うん。それがいい」
自分もちょっとシスコン過ぎることに、ちっとも気付いていないハルなのであった。
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