第14話 ネリーとムラクモ1
過激なノックの音が響くたびにドアがどっかんどっかん揺れる。どうやら叩くのをやめて蹴りを入れているらしい。
「待て待て待て待て今開けるすぐ開ける壊すな叩くな蹴りを入れるな!」
ムラクモなら本当にドアをぶち破りかねないと思ったハルは、大急ぎでロックを解除しドアチェーンを外す。焦ってなかなか外せなかった。
ロック解除が音で分かったのだろう、ハルがドアを開けるよりも早く、ムラクモが外から勢いよくドアを開けた。
「邪魔するわよ」
邪魔だどけと言われたのかとハルは思った。
そのくらいムラクモは堂々と、強引に、我が物顔でアナン家に踏み込んだ。
「靴を脱げ!」
ハルの注意は何とか間に合った。廊下に上がろうとしていたムラクモの足が玄関のタイルに戻される。靴を脱ごうとかがんで踵を上げるムラクモの肩口を見下ろしながらハルは思った。
(……本当に来やがった……)
絶対来ないと思ってたのに。何考えてんだこいつ。
「お前、正気か? 本気でここに住むつもりなのか? 命令されて嫌々なら帰っていいんだぞ?」
「正直に言えば嫌よ。でも寮にいるよりはマシかと思って。消極的選択って奴?」
「……」
ぶっちゃけ糞迷惑であった。
アムシェルの無茶な「お願い」に、けれども条件を出したのは――条件をクリアできるならムラクモを家に置いてもいい、という話をしたのはハルである。
それを今更、やっぱり嫌だから帰れ、というのはあまりにも筋が通ってない。
(仕方ない、言ったことには責任を取らないとなあ……)
と、ハルとしてはそれで自分を納得させられるのだけれど。
「おにいちゃん……」
背後からネリーの声。
振り返り、ハルはまずいことになったと思った。大好きなおにいちゃんとの大切な休日を邪魔されたネリーはご機嫌斜めである。靴を脱いで家に上がったムラクモにあからさまな敵意を向ける。
「……この女、何?」
誰【傍点】、ではなく、何【傍点】と来た。
「まさかおにいちゃんの彼女? ううん。おにいちゃんが彼女作ったりはしないよね。だってネリーがいるんだもん。……ハッ! ということはこの女はストーカー! ネリーがおにいちゃんを守らなきゃ!」
「違う違う落ち着けネリー。こいつはムラクモ、ムラクモ・アマノといっておにいちゃんの学校の友達だ。悪さをしすぎて寮から追い出されたから、しばらくうちで面倒見ることになったんだ」
「うちで面倒……って?」
ネリーが首を傾げた。
同時にムラクモが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「ここに住むってことよ」
「っ!」
その言葉を聞いて、ネリーは雷に打たれたように硬直した。
ムラクモはハルの方を見て、
「ところで追い出されたとか心外なんだけど。あたし自分の意思で出てきたんだし。悪さなんかしてないし、来いって言ったのはあんた、」
「ストップ!」
ハルはムラクモの方を向いて顔を寄せ、
「ちょっと黙ってろ。お前が割り込むと話がこじれる」
「嫌よ。なんであんたに命令されなきゃいけないの」
「人ん家に押しかけといてその態度……」
「…………おにいちゃん、その女と何をこそそこお話ししてるのかなあ……?」
ネリーがどす黒いオーラを放っていた。
「……おでこぴったりくっつけて、すっごく仲よさそう……ネリーがくっつこうとするとすぐに押し返すくせに、その女とはくっつくんだ……」
「ネ、ネリー、違うんだ! これは、その……」
うろたえるハル。ハルとしてはムラクモとにらみ合ってたつもりだったが、ネリーにはそうは見えなかったらしい。
「おにいちゃんの…………」
ゆらり。
ネリーは幽霊のように揺らめいた。
ハルはごくりと息を呑む。
「おにいちゃんの…………ばかあああああああああああああああ!」
顔を上げたネリーは泣きながら怒っていた。涙に濡れた目に爛々と怒りの炎を燃えたぎらせて、廊下を全力で走ってくる。
「おにいちゃんのうわきものおおおおおおおおおおおおおお!」
ネリーの怒りの矛先はハルだった。
傍目には十歳の女の子のへなちょこキックだったかもしれない。けれどもハルにとって、ネリーが泣きながら放った一撃は、は絶対に避けられない必殺必中の一撃だった。
「ふぐっ」
脛を思いっきり蹴られてハルは崩れ落ちた。わざと倒されてあげたのではない。本当に痛かった。意外に腰の入ったいい蹴りだった。
「馬鹿! 浮気者! もう知らない! 馬鹿ばかばか!」
乏しい罵倒の語彙も尽きたか、同じ言葉を何度も繰り返すと、ネリーは倒れたハルをまたぎ越え、ムラクモのことは鮮やかに無視して表に飛び出した。
「ネリー! 待て! ネリー!」
ハルは痛みをこらえて立ち上がる。義妹を追いかけるが時既に遅し。ネリーの姿はもうどこにも見えなくなっていた。
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