第13話 レプリカ・エクスマキナ6
三十分ほど展望室にいて、それから戻った。
ハルはあまりいい気分ではなかった。話が済んだらちょっと街まで出かけて遊んでこよう――来るまではそんなつもりでいたのに、今はとてもそんな気分にはなれない。
アイリもレキも似たような気分のようだった。言葉少なく改札前まで移動して、そのまま解散することになった。
「じゃあ、また明日……じゃない、明後日か。月曜日に」
「ああ」
寮生のアイリが歩いて学校に戻り、中枢階層に家があるレキは路面電車の乗り場に向かう。
ハルは一人で改札を抜け、階層移動用エレベーターで居住階層に移動した。
帰り道の中程で妙な光景を見た。
毎日使う通学路。いつも朝食を摂るカフェテリアのテラス席に、ネリーによく似た女の子と見知らぬおっさんが差し向かいで座ってケーキを食べていた。いや、本人だった。
「あ、おにーちゃーん!」
ハルに気づいたネリーが、フォークを持った手をブンブン降る。
ハルはぎょっとした。こちらに背を向けているのでおっさんの顔は分からない。けれども背格好だけで、この近所の人間ではないと分かった。ネリーは一体何をやっているのだ。知らない人について行ってはいけないと、日頃口を酸っぱくして言っているのにあっさりケーキなんかに釣られて。
ハルは焦った。走った。ネリーが椅子から飛び降りハルに抱きついてくる。
「おかえり、おにいちゃん!」
「ただいま」
ネリーを受けとめ頭を撫でながら、さりげなくネリー庇うように位置取りする。人の大事な義妹に何をするつもりだこのおっさん。返答次第によってはただじゃ置かないぞいや勝手に餌付けした時点で万死に値する。
シスコン全開な思考をしながらハルは振り向いておっさんを睨み付け、ぎょっとした。
「やあ。お邪魔しているよ」
変質者と見えたおっさんの正体は、ノイ・アムシェル議長だった。
「ふむ。いい部屋だね。広くはないが掃除も行き届いている」
ハルの家に来たアムシェルは、当然のように上がり込み、リビングから風呂場から、まるで建物の傷を探す大家のように眺め回した。
「空き部屋もある、と。よしよし」
一体何がよしよしなのだろう。
――君のマンションを見せてくれないか。
居住区の最高権力者にそう言われて断れる住人がいるだろうか。ましてやハルは軍学校の生徒である。訓練生として給料をもらう身分である。要するに公務員みたいなものであり、ますます逆らえない。議長は何しに来たんだろう。
不安と混乱に陥っているハルとは対照的に、ネリーはずっとご機嫌だった。アムシェルにアイスクリームの詰め合わせを買ってもらったからだ。子供は気楽でいいな、なんて、ハルは珍しく妹をうらやむようなことを思った。
と、
「満足は言えないが、まあ十分ではあるか」
不動産鑑定士と化していたアムシェルが、何とも失礼なことを言った。そして玄関に向かうので驚いた。このおっさん、まさか本当に家を見に来ただけなのか。
もちろん違った。
玄関で靴を履いたアムシェルは、目顔でハルに、「ついてこい」と命じた。ネリーにケーキを奢った好々爺の目ではなかった。
「ネリー、おにいちゃんはちょっと出かけてくる」
「またー?」
「すぐ帰ってくるよ」
すぐ帰してくれますよね?――アムシェルに目線で問いかける。議長は軽くうなずき、先に外に出た。
「アイス食べてていい?」
「我慢しなさい。今食べたら晩ご飯が入らなくなるぞ」
「入るもーん。ね、一個だけ。おねがいおにいちゃん」
「……一個だけだぞ」
根負けして、それから議長を待たせるのもまずいと思って、ハルはそう言った。
部屋の前に議長の姿はなかった。探しながら歩いて行くと、議長はマンションの外の道路に立っていた。そばには公用車だろう、黒塗りの電気自動車が停まっている。
促されて、後部座席に乗り込む。公用車の内装は意外にも安っぽかった。
「見えない部分はこんなものさ。多数の市民が使うわけでもないものにコストはかけられん」
ハルの思考を読んだようにアムシェルは説明し、
「レキと一緒だったのか。では行き違いになってしまったな」
車が走り出す。
「あの、議長、今日は何の御用で……」
「実は君に頼みがある」
ハルは眉根を寄せた。居住区の最高権力者が、ただの軍学校生に「頼み」?
「命令を下してもよかったのだがな。それではきっとうまくいかない」
「何でしょう?」
「君の家に、ムラクモを住ませてやってくれないか?」
「……………………は?」
今の自分は信じられないくらい間抜けな顔をしているのだろうな、とハルは思った。
「いや、でも、あいつ、その……」
「学校での様子は聞いている。ガロン・スカー訓練生とのことも。……あれはさすがに想定外だった。エムス砦の関係者が、まさか遠く離れたこの居住区にいるとはね」
議長が悲しそうに首を振る。
ハルはいくつか、気になることを思い出した。
「質問してもいいですか? あの子、ムラクモは、どうして命令拒否を?」
「それは私の口からは言えない」
なんだそりゃ、とハルは思った。だが議長が言えないと言ったのだから、一介の訓練生にはそれ以上追究できない。
「で、どうだね?」
「……どうだと言われても」ハルは思い切って答えた。「無理です。家にはあの通り、まだ小さい妹がいます。あの、ムラクモは、こう言っちゃ何ですけど、性格最悪ですよね? あれが妹に向かって糞だの豚だの言うのは目に見えてるので」
「それについては我々も手を焼いていてね。……最初はああではなかったのだが」
さりげなく重要なことを言われた気がする。
けれどハルがそのことについて考える前に、アムシェルは話を進めてしまった。
「もし同居するなら、君の言うことを聞くように厳命する。君はもちろん、君の妹にも失礼な真似はしないと誓わせよう。逆らったら何をしてくれても構わない」
「でもあの子はエクスマキナです。万一の事故の可能性は」
「その点は全く心配する必要はない。考えてもみたまえ。我々が、何の備えもなしに人格型人工知能を運用すると思うかね? あまつさえ一般市民でいっぱいの居住区に入れるなど」
そういわれれば確かにそうだ。レプリカ・エクスマキナ――エクスマキナに匹敵する戦闘力を有する彼女は、本質的にはエクスマキナと同じものである。人格型人工知能を有し、自ら考え――そして人類に反旗を翻したオリジナルたちと。
そのムラクモに、軍が何の安全装置も組み込まないはずがない。一般市民も大勢いる地下居住区に入れるのだから、過剰なまでのプロテクトが組み込まれていて当然なのだ。
「安全対策は完璧だ。そのことについては請け負う。あの子は、人間に一切の危害を加えることができない。そういう風に造られている」
「人間を攻撃できない……」
なのにあの態度なのか。片っ端から喧嘩を売って回るような。
「……わけ分かんねえ」
思わず素がでた。
ふと外を見ると、車は居住階層をぐるりと回って、エレベーター駅へと向かっていた。
「これは一方的なお願いであるから、受けてくれるなら相応の見返りを用意する」
「といっても、俺、そんなに欲ないっすよ」
「欲はなくても心配事はあるだろう?」
議長は後方を見た。ハルとネリーが住むマンションがある方向を。
「孤児には兵役の義務がある。君がそうであるように、君の義妹にも」
「……」
そう、それはハルがずっと気にしていたことだ。やがてネリーも軍学校に入り、銃を持たなければいけなくなる。そして戦場に行かなくてはいけなくなる。
「私の見たところ、義妹さんは戦場には耐えられそうにない」
「……何とかしてくれる、と?」
「もし私の頼みを聞いてくれるなら、軍に掛け合って君の義妹の兵役を免除し、終生までの生活の保障もしよう」
嘘ではないだろう。その程度の横車は通せる立場だ。
「分かりません。何でそこまでして、ムラクモを俺の家に住ませる必要があるんです?」
「特別に君である必要は特にない。あえて言えば都合がよかったのだ。すでに事情を知っているし、説得しやすい材料もあるし」
「そうじゃなくて、秘密兵器に居住区で生活をさせる理由です」
「……」
議長はシートに座り直し、前を向いて目を閉じた。
(また、「それは私の口からは言えない」か?)
ハルがそう思ったとき、議長は長いため息をついた。
「……親心、のようなものだよ」
「え……」
「私は政治家になる前は統合開発局にいた。政治家になってからも、対エクスマキナ兵器――つまりはムラクモ開発計画とは深い関わりを持っている。……私にとってあれはな、娘みたいなものなのだ。あれは兵器だ。だが人の心を持っている。おかげであの子は非常な苦労を強いられた。心があるばかりに余計な苦しみを味わった。私はあれに、わずかな間だけでも人並みの暮らしというものをさせてやりたいのだ。だからエムス砦の事件の後、ムラクモを調整するという名目で呼び寄せた」
「……」
「だからこれは『お願い』なのだ。……あの子の友達になってやって欲しい」
アムシェルは頭を下げなかった。顔はまっすぐ前を向いている。
その横顔に、亡き義父の面影が重なった。ネリーのことを頼む――そう言った最期の顔が。
「……条件が、二つあります」
ハルは静かに言った。
「一つはネリーのこと。兵役免除はありがたいですが、生活の保障まではしなくていいです。そういう施しは、きっとあの子をダメにする」
「まるで父親だな」とアムシェルは笑った。
「まあ、頼まれましたから」
「では就職の世話……という線でどうかな?」
ハルはうなずいた。
「もうひとつの条件は?」
「来るか来ないかはムラクモの自由意思で決めること。あなたも軍も、ムラクモの判断に一切影響を与えるようなことをしないこと。あ、それからもうひとつ。どちらになろうと最初の条件は守って下さい」
「結構だ」
車はいつの間にかエレベーター駅の、VIP専用スペースに停まっていた。
ドアが開き議長が降りる。ハルが続けて降りようとすると、
「いや、このまま乗っていたまえ。家まで送らせる」
どうやら議長にはハルをどこかに連れて行くつもりはなく、単に車を談話室の代わりにしていただけらしい。道理でやたらとゆっくり走っていたわけだ。
議長がSPと一緒にエレベーター駅へ入っていく。
ハルを乗せた公用車が走り出す。
(……あの子は、ムラクモは「うん」とは言わないだろうな……)
帰り道、ハルはそう思った。
のだが――。
翌朝。
さわやかに目覚めた日曜日。
平日は訓練で遅くなることの多いハルは、日曜日に家事をまとめてこなすことにしている。 午前中いっぱいかかって洗濯物を干し、掃除を済ませる。昼食はネリーの希望でピザになった。はためく洗濯物を見ながら宅配の熱々ピザを味わい、さて午後からは何をしようかと考えていたそのとき、インターフォンが鳴った。
「友達と遊ぶ約束でもしてたか?」
「ううん。おにいちゃんは?」
ハルの方も特に約束はない。インターフォンは鳴り続けている。ピンポンピンポンピポピポピピピピ……。誰だか知らんが来訪者は相当に短気らしい。
「はいはい日曜日のきょうだい水入らずを邪魔するのは誰ですか、っと……あ?」
ぶつくさ言いながら玄関に向かい、ドアスコープを覗いたハルは、そこに世界で一番性格の悪い秘密兵器がいるのを見た。
「っ!」
目が合った。ハルが思わず飛び退ると、
「いるのは分かってるのよ。無駄な抵抗は止めて早く開けなさい」
ドアの向こうでムラクモは、犯人を追い詰めた警察のようなことを言う。
「おにいちゃん、誰だった?」
後ろからは手がピザの油まみれのがぺたぺた近付いてくる。
「開けろって言ってるのよ聞こえないの!? 開けないならぶち破って入るわよ」
ドアがゴンゴン叩かれる。
それは間違いなく、平和な日常が破壊される轟音だった。
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