第10話 レプリカ・エクスマキナ3

 それからしばらくは、穏やかな日々が続いた。少なくとも表面上は。

 生徒たちはムラクモの希望通り、彼女に用がないときは一切話しかけないことに決めた。

 だって本人がそう望んでいるんだから――自ら人の輪に入ってこない相手を、いつまでも辛抱強く誘い続けるほど、誰も人間ができてはいないし、何より暇ではない。皮肉にもムラクモの言ったとおり、真面目に訓練を熟し、自らを鍛えていかないと、卒業して前線に送られるなり死んでしまうのだ。その気のない奴に構ってやる暇などない。

 誰もがムラクモを空気のように扱うようになった。

 関わらなければ摩擦も起きない。

 寮に入ったムラクモは、機械のように正確な学校生活を送っていた。時間通りに登校し、授業を退屈そうに受け、昼になると一旦自室へ戻る。午後になるとまた登校してきて授業を受ける。終わると帰る。訓練には一切参加しなかった。

「今更何を学ぶことがあるの? 無意味。あたしはやらない。訓練なんて未熟者がやることでしょ」

 普通の生徒が教官に向かってそんな口を利けば即座に鉄拳制裁の後、クラス全員連帯責任で倒れるまで腕立て伏せであるが、教官たちはムラクモの言い分を認めた。正体を知っていたからだ。機械の体で体力作りなどさせても意味がない。一緒に訓練をさせて事故でも起きたら大変だという配慮もあったかもしれない。あるいはムラクモ――というよりも機械知性への「不信」が。彼女もオリジナルたちのように、ある日突然人類に叛乱を起こすかもしれない。そうさせないためには、ムラクモの機嫌を損ねるようなことはできない、と。

 そんな教官たちの思惑は、しかし事情を知らない生徒たちにはなんの関係もないことだった。

 ――あの子だけずるい。何様のつもり。

 教官たちのムラクモの扱いは、生徒たちから見ればただの特別扱い、えこひいきでしかないものだった。

 ムラクモはクラスに溶け込むどころか、浮き続ける一方だった。

 そのまま何事もなく終わるのなら、ある意味では平和と言えただろう。

 けれどもそう穏やかにはいかなかった。

 退院したガロンが、登校してきたのだ。


 ガロンがドアを開けたその瞬間、教室の空気は明らかに変わった。

 学年トップクラスの優秀な生徒――同時に、校内でも有数の協調性に欠ける男。直接手を出したりするわけではないのだけれど、ガロンは常に攻撃的な、暴力の雰囲気を漂わせている。口も悪い。

 そのガロンが教室に入るなり、後ろの席に座っているムラクモに目を留めた。

「……」

 ムラクモの方も、見慣れない顔を見つけて訝しむ……というより睨み付ける。

「……」

 一触即発の緊張感。

 ガロンは自分を侮辱する相手に容赦したりはしないし、女が相手だからと手加減したりもしない。もしもムラクモがいつものような罵詈雑言を繰り出したら……。

 不意に立ち上がったのはアイリだった。

「お、おはよう、ガロン。その子はムラクモ・アマノさんです。ガロンが休んでる間に転入してきたの」

 委員長としてこの場を穏便に納めようとしたアイリは立派である。同時に無謀であった。

「アマノさん、あの人はうちのクラスのガロン・スカーです。ああ見えて成績トップで……」

「興味ない」ムラクモはアイリに最後まで言わせなかった。「話しかけるなって言ったわよね? これで何回目? 脳味噌入ってないの? 雑魚は雑魚同士で群れてなさいってば」

「うっ……」

 アイリが気圧される。

 ガロンは徹頭徹尾、アイリのことは無視していた。じっとムラクモを見ている。

「何よ? 文句でもあるの? この間抜けはあんたの彼女か何か?」

「フン」

 ガロンは下らなそうに鼻を鳴らした。自分の席につく。ガロンと同じ班の男子生徒二人が、すぐにガロンの席に集まっていった。「おはよう」「怪我はもういいの?」「よくなかったら出てこねえよ」ガロンたちが雑談を始め、成り行きを見守っていた生徒たちは緊張を緩める。

 急速に普段の空気に戻っていく教室で、けれどハルだけは気づいていた。

 班の仲間と雑談をしながら、ガロンがずっと、ムラクモから注意を逸らしていないことに。

 ――事件が起きたのは、午後の訓練の時間だった。



 その日の訓練内容は、対人格闘だった。

 人類解放軍はセンチネルと戦うための組織である。人間同士で戦うことはない。一部の生徒が軍学校卒業後に警察官になるケースがないこともないが、その場合に必要なのは逮捕術――相手を傷つけずに制圧する技能であって、人殺しの技ではない。

 では軍でも使わず、別の進路でも使わない技能をなぜ軍学校で教えるのかというと、それがアサルトギアの使い方を学ぶのに一番いい方法だからである。

 全身をくまなく使い、無駄の少ない動きでアサルトギアを――つまりは人工筋肉を駆動する。そのための訓練であるから、当然、アサルトギアを着用しての訓練となる。

「はいっ! せいっ! やあ!」

 アイリが気合いと呼ぶには少々かわいらしすぎる声を上げて攻める。受けているのはハルだ。アサルトギアを装着していれば男女の筋力差はほとんど問題にならない。大事なのは筋力ではなく反応速度と無駄のない動きだからだ。無論、そのためにはある程度の筋力が必要にはなるのだけれど。

「たあっ! とおっ! ……そこっ!」

「甘いっ!」

 アイリの鋭いミドルキックを、ハルは地面に体を投げ出して避けた。顔面が地面に接触する寸前、地面を叩くように手をつく。反動で体が半回転。仰向けになったハルは、アイリの脚の下をリンボーダンスのようにすり抜けると、人工筋肉の力をフルに活用して起き上がり、目の前にあるアイリの背中を指先でついっとなで上げた。

「うひっ!」

 悲鳴を上げたアイリが裏拳を放つ。けれどそこにハルはいない。けけけけけと笑いながら逃げていく。

「……なんでそんな猿みたいな動きができるんですか」

「セクハラモンキーだから」

「なるほど」

「納得するな!」とりあえず突っ込んでから、「前にも言ったけど、委員長は動き出しが硬いんだってば。力を抜かないと」

「うぐぐ……」

 全くその通りだと分かっているので反論できない。

「……もう一回! もう一回です!」

「いいけど、次は尻揉むよ?」

「上等です! 私が勝ったら、」

「ちんこ揉む?」

「ち……!? 揉みません!」

 真っ赤になって怒鳴り返すアイリ。

「委員長落ち着いてー、ハルの術中にはまってるよー」

 レキが忠告するがアイリは聞こえているのかどうか。

 と、離れたところでどさっという大きな音がした。

 見ると、男子生徒が一人倒れている。

「大丈夫か!?」

 教官がすぐに駆け寄っていき、倒れた生徒の具合を見始めた。

「脳震盪?」

「っぽいな」

 危険なので頭は狙わない決まりになっているが、どうしても事故は起きる。ハイキックか何か、カウンター気味にいいところに入ってしまったのだろう。教官は周りの生徒に指示をして担架を持ってこさせると、倒れた生徒を医務室へと運んでいった。

「悪いな委員長、勝負はお預けだ」

 監督する人間がいなくなってしまったので、訓練は続けられない。

 ハルたちはベンチのある方へ行こうとした。

 ベンチには体調不良で訓練を休んでいる生徒が数名いる。そこからだいぶ距離を置いたところに、ムラクモが立っていた。いつものように制服姿で、訓練には参加せず、誰とも口を利かない。

 そのムラクモのところに、一人の男子生徒が近付いていた。

「ガロン?」

 ハルは目を細めた。

「廃墟で助けてもらったお礼でも言うのかな」

 レキがそう言ったが、とてもそんな雰囲気には見えなかった。

 ガロンがムラクモの前で立ち止まる。

「……何?」

 いつものように刺々しい、他人を寄せ付けないムラクモの声。

「〝戦場育ち〟に一手ご教授願いたくてね」

 ガロンが両腕を胸の高さに上げた。格闘の構えだ。

 ムラクモは棒立ち。

 見ていた生徒たちに驚きが走る。

 ガロンがムラクモを訓練に誘った――形としてはそうなるが、しかし、アサルトギアを装着しているガロンに対し、ムラクモは制服のままだ。これで訓練として成り立つはずがない。

 まずい流れだ。

 けれど止めに入る生徒はいなかった。誰もが面白そうに見ている。感じの悪い転入生が、学年トップにボコボコにされるのをを期待している。

「ハル……」

 アイリが困ったように眉根を寄せた。ハルはうなずく。状況の深刻さを本当に分かっているのは、ムラクモの正体を知るハルたち三人だけだった。

「あんたバカ? 見ての通りあたし、制服だから。アサルトギアを持ってないから」

 ムラクモが徴発するように言った。

「なくても問題ないだろ? お前なら」

 ガロンのその返しで、ムラクモはピンときたようだった。こいつは自分の正体を知っているのだ、と。

「……あんた、どこかで会ったことある?」

「あることはあるが。それとは関係ない」

「じゃあ何?」

「入院中に軍の偉いさんが色々教えてくれてな。……エムス砦、と言えば分かるか? 戦場育ちさんよ」

「……」

「思い出せないか? なら教えてやる。……お前が見殺しにした砦の名前だよ!」

 突然だった。ガロンは右回し蹴りを放った。

「っ!」

 人工筋肉によって数倍に増幅された蹴りがムラクモの頭部に向かう。ハルは目を見張った。ガロンの蹴りは、訓練モードで出せる勢いではなかったからだ。

「あの馬鹿っ!」

 訓練中に勝手に戦闘モードに切り替え、あまつさえ同級生の女子生徒――ということになっている――に襲いかかるとは。

 ハルはとっさに自分もアサルトギアを戦闘モードに切り替えて飛び出した。ガロンを止めるため――ではない。逆だ。

 アサルトギアは人間の身体能力を数十倍に高める。けれどそれは、しょせんはドロイドと同程度の機動性を発揮するだけに過ぎない。ムラクモはそのドロイドを五体まとめて手玉に取れるほど強いのだ。訓練モードだろうが戦闘モードだろうが誤差みたいなものだ。

 ガロンの攻撃は当たらない。そしてムラクモが反撃をすれば、ガロンは無事では済まない。あれだけ協調性皆無、毒をまき散らしてきたムラクモだ。自分に対する明確な攻撃を許すとは思えなかった。

 想定外のことが起こった。

「っ!」

 ガロンの蹴りがムラクモに直撃したのだ。その細い体が横にふっ飛び、芝生の上を幾度か転がる。ハルも驚いたが、一番あっけにとられていたのは蹴ったガロン本人だった。まさか当たるとは思っていなかったのだろう。見え見えの蹴りは躱される前提で、その後の攻防こそが勝負だとガロンは思っていたのだ。

「な……」

 芝生の上でムラクモが起き上がる。

 生徒たちが騒然とした。

「おい、なんで起き上がれるんだ……」

「食らう前に自分で飛んだとか?」

「いやでもアサルトギア無しだぞ」

 起き上がったムラクモは、芝生に片膝をつき、

「……それで終わり? ずいぶん貧弱なのね」

 蚊に食われた程度にも感じてない顔だった。制服の砂を払って立とうとする。その、本当に何でもないような様子がガロンの神経を逆なでした。

「ならお望み通りやってやる!」

 吠える。走る。勢いのまま跳び蹴りを叩き込む。胸を蹴られたムラクモが芝生の上を十メートル以上滑った。ガロンは追いかけていき、今度はムラクモを起き上がらせなかった。蹴りを叩き込んで地面に伏せさせ、馬乗りになって顔面に拳を落とす。

「何でお前が! お前みたいな奴のために! ちくしょう! ちくしょう! このブリ――」

「よせ! ガロン!」

 激しくガロンの打ち下ろしを、ハルは横から手を伸ばし――というよりもほとんど体当たりをするようにして止めた。

「ハル、お前! 邪魔するな! 俺はこいつをぶっ殺さなきゃいけないんだ! 邪魔するならお前からぶっ殺すぞ!」

 血走った目。ハルはガロンが正気を失っているのではないかと一瞬思った。

 けれどもハルはどかなかった。

 むしろムラクモを庇うように位置を変える。ムラクモが不思議なものを見る目でハルを見た。

「……それがお前の返事か」

 ガロンが唾を吐いた。ターゲットをハルに切り替える。

「ちょうどいい。いずれお前もぶん殴っておかなきゃいけないと思っていた」

 ガロンが両腕を高く掲げた。

「こらーっ! お前ら何をやっとるかーっ!」

 校舎の方から怒声が響く。怪我人を医務室に送り届けた教官が帰ってきたのだ。

 ガロンはチッ、と舌打ちをして構えを解くと、更衣室のある方へと歩き出した。

「どこへ行く」

 教官がガロンを呼び止めた。ガロンは立ち止まりもせずに、

「病み上がりで無茶をしたら傷が痛み出したので医務室に行ってきます」

 ちっとも痛みを感じてなさそうな口調でそう言った。

 一方のムラクモも自力で立ち上がり、

「帰る」

 こちらは体裁すら繕わずに寮に向かう。

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