第9話 レプリカ・エクスマキナ2
「……なんだか面倒なことになりそうだなあ」
校長室を出たハルは、そうぼやいた。
その認識は甘すぎた。
もう面倒なことは始まっていた。
教室に戻ったハルたちを、女子生徒の金切り声が出迎えたのだ。
「もうさいってー信じられない! 何なのこいつ!」
異変の源はすぐに分かった。窓側の一番後ろの列。今朝までなかった席に座るムラクモを、三人の女子生徒が取り囲んでいる。金切り声を上げたのはその一人だ。
他の生徒たちはムラクモたちを遠巻きにしている。
ムラクモと三人の女子生徒と、その他大勢の生徒たちの間の空白地帯に、アイリが一人取り残されるような感じでオロオロしている。
「あの、アナもその辺に……」
「お黙り!」
アナと呼ばれた生徒がアイリに怒鳴りつける。
「ずいぶん賑やかだな。これはもしかして、クラス一の美男子ハル様の争奪戦か?」
場を和ませようとしたハルの渾身のジョークは不発に終わった。
誰も笑わなかったが、これでしらけてしまったのだろう、ムラクモを取り囲んでいた女子生徒たちは荒々しい足音を立てながら引き上げていく。
ムラクモは鼻を鳴らし、投げやりな様子で窓の外を眺める。
「委員長」
ハルとレキがアイリのところに歩み寄る。
「あ、お帰りです。呼び出し、何でした?」
「それについては後で話すよ。……そっちは何があったの?」
「実は……」
レキが訊ね、アイリが答えようとしたそのとき、授業の始まりを知らせる鐘が鳴った。
「っと。話は昼休みにでもしよう。委員長の膝枕でゆっくり」
「しませんよ膝枕なんて」
アイリが呆れたように言う。
そして昼休み。ハルたちは食堂のいつもの席ではなく、グラウンドの脇にあるベンチで昼食にした。グラウンドには自主トレで走っている生徒が何人かいたが、距離があるので聞かれる心配はない。そこでまずハルとレキが、呼び出しの内容についてアイリに教えた。
「……レプリカ・エクスマキナですか。信じられませんけど、まあ、そう説明されるとあれこれ納得です」
「で、そっちは何の騒ぎだったんだ」
「まあだいたい想像はつくと思いますけど……」
そうしてアイリが話した内容は、確かにハルが想像したものとだいたい一緒だった。
軍学校にはいろんな人間がいる。中には性格的に多少問題のある奴も少なくはなくて――特にセンチネルとの家族を失い、復讐のために銃を取った者などは――愛想も態度も糞みたいな連中というのは珍しくない。
そういう意味ではムラクモの、「話しかけたらぶっ殺す」などはまあ定型句、時候のあいさつみたいなもので、不愉快ではあるが、本気で腹を立てるほどのことでもない。
さて、ここに一つの班【チーム】がある。班長はアナスタシア・マキシモフ。班員は全員女子だが、ガロン・スカー率いるスカー班と常にトップ争いをしている優秀な班だ。
今は居住区の議員をしているアナスタシアの両親は強烈なエリート思考の持ち主であり、自分たちがそうであったように、娘にも主席で軍学校を卒業することを期待していた。だがマキシモフ班はどうしてもスカー班に勝てずに万年二位。そこに現れたのが、「戦場育ち」のムラクモ・アマノ。彼女を自分の班に参加させることができればスカー班に勝てるかもしれない――アナスタシアはそう考えた。つまるところスカウトである。有力新人を班に引き入れたかったのだ。
「ごきげんよう。アマノさん? 私、アナスタシア・マキシモフと申します」
そうした打算、皮算用が根っこにあったとはいえ、アナスタシアはムラクモを「仲間」として迎えるつもりだった。そのこと自体は偽りなく立派なものと言ってもいいだろう。
「私のことは気軽にアナと呼んでくさだって結構よ。あなたのこと、ムラクモって呼んでもいいかしら?」
自分を取り囲む女子生徒たちを見回して、ムラクモはこう言った。
「馴れ馴れしいのよ豚」
「…………え?」
誰も最初は本気で腹を立ててはいなかった。けれど、
「ああ、豚って地下居住区にはいないんだっけ? じゃあネズミでもゴキブリでも何でもいいわ。つまり、あんたは言語が理解できない下等生物なの? ってこと。あたしさっき言ったわよね? 用もないのに話しかけたら殺すって」
「あなたね……」
豚呼ばわりに続いてこの言いぐさである。
プライドの高いアナスタシアは激昂しかけたが、かろうじて怒りを抑えた。
この子は戦場育ちなのだ。礼儀など誰も教えてくれなかったのだ。かわいそうな子なのだ。
名門を自負するアナスタシアはこの無礼な新入りを許し、自分が導けばいいのだと考えることにした。
「……そういう言い方は無駄に敵を作るだけですわよ? ここは戦場ではなく、私たちはあなたの敵でもありませんわ。私は、あなたを助けて差し上げたいの。あなたはこの学校のことはよく知らないだろうから、色々教えてあげようと思って」
「へえ。あたしを助けてくれるって」
ムラクモは笑った。
「じゃあ訊くけど、あんたたち、撃破数は?」
「撃破数?」
「決まってるでしょセンチネルの撃破数よ。いくつ?」
アナスタシアたちは顔を見合わせた。誰も答えられない。当然だ。みんな軍学校の生徒――実戦経験ゼロの訓練生なのだ。敵を撃破どころか、動くドロイドをその目で見たことすらない。
「あたしは二百以上倒してる。あんたがへっぴり腰でおもちゃの的を狙ってる間、糞つまんないお勉強をしてる間、その綺麗な爪を磨いてる間、あたしは前線で戦ってた。あんたたちがお遊戯みたいな訓練をしたり、暖かい布団で寝たりできるようにね。そのあたしに、あんたたち、何を教えてくれるの? まさか戦闘のコツじゃないわよね? それじゃあトイレの場所? あたしはそんなことも人に聞かなきゃ分からないようなポンコツに見えるの?」
鋭い眼光で、けれど淡々とした口調でムラクモは問う。
問われたアナスタシアは青ざめた。
「な、ななななな……」
怒りのあまり言葉が出ない。アナスタシアはわなわなと震えている。
多少のことなら腹を立てることもない。軍学校にはいろんな奴がいるし、罵詈雑言など日常茶飯事、時候のあいさつみたいなものだ。
だが、ものにはやっぱり限度がある。
「ちょっとあんた。いくら何でも失礼なんじゃないの?」
震えるアナスタシアに代わって、班員の女子生徒がムラクモを咎めた。
「あんたは転入生。新入り。軍隊で言うならあたしらが先任よ? 戦場帰りなら先輩を敬わない奴がどうなるか分かるわよね?」
「どうなるの?」
ムラクモは笑った。刀傷がぱっくりと開くような、そんな笑みだった。
「……っ!」
〝戦場帰り〟が醸し出すその迫力に、実戦を知らない生徒たちはたちまち呑み込まれた。
ムラクモはふっと息を漏らす。もう笑ってはいなかった。代わりに、整った顔に憐憫を浮かべていた。
「もう一回だけ説明して上げる。あたしは命令されたからここにいるだけ。子供の遊びに付き合う気はないの。分かったらもう話しかけないで。安い親切心を発揮してる暇があったら訓練の一つもしたらどう? でないと、卒業して戦場に送られるなり死ぬわよ」
淡々と、事実を指摘した声だった。貴様らとは話す価値もないのだと、そう言ったような声だった。
「分かったらあっち行って。あたしの視界から消えて」
「……」
「……とまあこんな感じです」
「なるほど、それは酷いな。そんな悪意に満ちた対応されたらそれは怒るわ」
話を聞いたハルは何度もうなずいた。そして疑問が湧く。
「あの転入生も何だってそんな攻撃的な態度を取るのかね」
「来たくてここに来たわけじゃない、って言ってましたけど」
状況に不満があるから――だとしてもそんなのはこっちにはなんの関係もないことだ。八つ当たりみたいに敵意をぶつけられたアナスタシアはいい迷惑だっただろう。
「議長はあいつが学校生活になじめるよう協力しろって言ってたけど、ぶっちゃけ無理だろ」
「……ふと思ったんですけど、人工知能なんですよね?」
「うん?」
「人が作ったんですよね。何でもっと協調性のある性格に作らなかったんでしょう」
「好戦的な方が兵器として向いてるんじゃないか?」
「協調性の方が大事だと思うなあ、僕は。仲間同士ギスギスしてたら勝てる戦いも勝てなくなる」
確かに、あんな態度じゃ味方から撃たれそうだ。
(……戦場育ちならその程度のことは理解してそうなものだけど……もしかしてわざと? 分かっててやってる? いやそんなことをして何の意味が)
ハルは首をひねり――考えても分からないことは考えないことにした。
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