第6話 出会いと再会6
「おにいちゃん!」
病室のドアを開けて駆け込んできたネリーを見てようやく、ハルは居住区に帰ってきた――助かったんだという実感が湧いてきた。
「ネリー」
「おにいちゃん! おにいちゃん! おにいちゃん!」
「っぷ!」
抱きつくというよりほとんどタックルみたいな勢いでネリーがベッドに飛び乗りしがみついてくる。おにいちゃんおにいちゃんと泣きながらぎゅうぎゅう締め付けるネリーはハルの腿に乗っていて、昼間に受けたばかりの銃創をぐりぐり押している。まだ十歳の子供の体重でも死ぬほど痛い。脳髄にガンガン響く。
「ね……り……い……」
「おにいちゃん苦しいの!?」
「ち……が……うご……」
「うご? 動けない!? たいへん!」
ネリーはぐっと身を乗り出した。ナースコールのボタンを押そうとしたのだけれど、その動きはますます傷口に体重をかける結果になった。もう限界。
「……」
「ネリーちゃん、そこ、ハルは怪我してるから」
義兄妹の対面を見守っていたレキがやんわりと指摘すると、
「あっ!」
ネリーは青ざめて床に飛び降りた。
「おにいちゃんごめんなさいだいじょうぶ? 痛くない?」
痛いに決まっていた。危うく意識を持って行かれそうだった。
けれどもおにいちゃんは妹の前でそんな顔はしないのである。
「……ネリーの顔を見たら痛みなんて全部吹っ飛んだよ」
「おにいちゃん……」
感激して涙まで流しそうなネリー。再びベッドに飛び乗ろうとするネリーを、ハルは慌てて止めた。静かにベッドに座らせて、傷に響かないように抱きしめてやる。
「ごめんな、心配かけて」
救援は思っていたより早く着いた。
ウルスラ教官とドロイドの戦いによる爆発は、廃墟の別のエリアで演習をしていた教官たちからも見えていたのだ。スカー班の二人が非常事態を知らせに行ったときには既に、教官たちは学校と居住区防衛隊に異変を知らせ、自分たちは現場へと急行していた。
その後すぐに無線も回復し、センチネルとの遭遇戦があったこと、それによってウルスラが重症を負い、ハルとガロンも負傷をしたこと――正体不明の少女が敵を撃破したことなどがアイリによって報告された。
三人の重軽傷者はすぐに病院へと運ばれた。
ハルが一番の軽傷だった。三日もしないで歩けるようになるだろう。ガロンはもう少し重症だが骨には異常がなく、回復は早いと見込まれた。一番の重症だったウルスラ教官は一ヶ月程の入院が必要となったが、幸いに後遺症が残ることはなさそうだった。手術を担当した医師は、初期対応がよかったおかげだと、アイリを褒めた。
他の生徒たちは訓練を中止して学校に帰還。しばらく足止めを受けた後、夜になってから校長直々の説明があった。
その説明では、教官とハルたちの負傷の原因は、「ガス爆発事故」とされていた。
遭遇戦の実態は、軍の判断で機密扱いとなったのだ。生徒の中で真相を知るのは、あの場にいたハルたち四人のみ。『家族に対しても決して話さないこと。漏らせば懲罰もあり得る』と、昼間のうちに脅しめいたことを言われた。
「まあ、言えないよね、センチネルが居住区の近くに現れたなんて」
レキがそう言うと、
「でも何となく納得いかないです。これって情報隠蔽です」
生真面目なアイリが頬を膨らませる。
現在時刻は二〇四五【フタマルヨンゴー】。面会の時間はとっくに終わり、ネリーはもう帰宅している。レキとアイリが残っているのは、先ほどまで病院の一室を借りて、軍による事情聴取が行われていたからだ。
聴取を学校でやれば他の生徒に話を聞かれるかもしれず、かといって駐屯地に呼び出すのもあらぬ噂の元になる。入院中で動けないハルとガロンにも話を聞かなければいけないのだから、残る二人も病院に呼び出すのが手間がなくていい、ということらしい。
「まあまあ」とハルは言った。「委員長の言うことももっともだけど、俺は伏せておいた方がいいと思う。言えばパニックになる」
ハルが目を伏せる。アイリとレキは、ハルの故郷がセンチネルの襲撃によって壊滅したこと――ハルと一緒に避難してきた人が、アルバ居住区には多数いることを思いだした。
「ごめんなさいです」
気にするな、というようにハルは手を振った。
「……どうなるんだろうね」
「どうなるんだろうな」
現場は軍が調べている。遭遇したドロイド部隊の目的が何だったのかは、まだ分かっていない。もしも敵が、アルバ居住区の存在を知り、その正確な場所を探していたのだとしたら。
(……また、前みたいに……)
一瞬、暗い思いがよぎったが、ハルはそれを覆い隠す笑顔を浮かべて、
「まあ何とかなるだろ。それよりさ、委員長とレキはどう思う? ――ついでにガロンも」
と、ハルは病室の奥へと呼びかけた。
一緒に怪我をして一緒に運ばれたのだから、当然のように一緒の病室である。治療が終わって病室に通されるなりシーツをかぶったガロンが、ただ寝たふりをしているだけだとハルは見抜いていた。
「うるせえな。もうすぐ消灯時間だろうが」
チンピラみたいな物言いをするガロンが、規則を盾に黙らせようとしたのがおかしくてハルは笑った。
「まあ気にならないならいいけど」
「何がだ」
「やっぱり気になるんだ」
「ふざけてると退院できなくしてやるぞ」
「怖っ」ハルはおどけて、「俺たちを助けてくれたあの子のことだよ」
「……」
ガロンは起き上がりも、こちらを向きもしなかった。けれど、話を聞くつもりになったのが、気配で分かった。
「訊いてみた?」
とレキが訊ねた。事情聴取の最、こちらから軍に質問をしてみたか? の意である。
ハルとアイリは同時にうなずき、それから首を横に振った。
「君にはその情報に触れる権限がない、だそうです」
「右に同じ。……どうも軍の人も何も知らないみたいな感じだったな。少なくともアルバに駐屯してる部隊は、だけど」
謎の少女は解放軍の装備を使っていた。だが、それだけを理由に彼女を解放軍兵士と見なすことはできない。装備は拾ったものかもしれないし、何より若すぎる。ハルたちと同年代。普通ならまだ教官にしごかれてヒイヒイ言ってる歳だ。それであれだけの動き。
「強すぎだよね。化物とか、鬼とかそんな感じ」
女の子相手に酷い表現だが、他に何と言えばいいのか。
と、ハルが首の後ろに手をやった。うーん、と唸る。
「どうしたの?」
「何か、何か引っかかるんだよな……あの子……」
「まさか、知り合い?」
「いや、あんな美少女、知り合いだったら絶対忘れない」
断言して、
「そうじゃなくて、何かこう、違和感があったんだよ」
ハルは記憶を丹念にたどった。死を覚悟したこと。そこに現れた少女。短い髪と意志の強そうな、けれど不機嫌な刃物のような美貌。細腕に逆手に握られた二刀。解放軍の防水ポンチョを、豊かな膨らみが押し上げていた。ミニスカートから伸びた白い太股と――
「……太股?」
瞬間、霧が晴れた。
「そうだ太股だ! あの子太股丸出しだった!」
晴れ晴れとした気持ちで叫ぶハル。
アイリが心底あきれ果てた顔でハルを見下ろしていた。
「先生呼びます? 頭の再検査必要です? ……生きるか死ぬかというときにそんなところを見てたんですか、嫌らしい」
「違うって。いや太股は大好物だけど、そうじゃなくて……レキ、お前なら分かるだろ」
「ごめん、僕もちょっと」
レキまで距離を取る。
「ああっ!」
ハルは天井を見上げて嘆いた。と、
「アサルトギアを着ていれば肌の露出なんかあり得ない……」
病室の奥から不機嫌な声。シーツから頭を出したガロンである。
「……肌が見えたってことは、アサルトギアを着ていなかったってことだ。つまりあの女は生身でドロイドを真っ二つにして、生身でドロイドをぶん投げて、生身でワイヤーガンを使った高G機動に耐えてビルの上に跳び上がったってことだ」
「そんなことできるの?」
「知るかよ」
そう言うとガロンはまたシーツをかぶった。
「どう考えても生身じゃ無理ですよね。じゃあ、ええっと……肌色の人工筋肉、とか?」
アイリが自信なさそうにそう言った。
ハルは首を振る。そんなものが存在しない、作るメリットも特にないことは言うまでもない。それに人工筋肉なら質感が人肌とは全く違う。見間違えるはずがないのだ。
「じゃああの子は一体……」
数秒の沈黙。そして、
「……私、とんでもないこと思いついちゃったんですけど」
「……奇遇だな、僕もだよ」
アイリとレキは目を合わせた。どちらの顔も強ばっていた。
エクスマキナ。
ハリエット・シェリーの娘たち。
あらゆる兵器を破壊し、地上から戦いを根絶するために生み出された、見目麗しい機械仕掛けの乙女たち。
「もしもあの子がエクスマキナなら、あの戦闘力も不思議じゃない」
「……お前ら頭湧いてるのか?」
ガロンが不機嫌そうに言った。
「エクスマキナはドロイド共のボスで人類の敵だろうが。それが人間を助けた? んなわけあるかよ。あいつらが人を殺す、人を攫う以外の行動を取るわけがない。慣れない神経加速の影響で幻覚でも見たんだろ」
ガロンの指摘は全くもってその通りで、ハル自身、何かを見間違ったのだと言われた方がしっくりくる。そのくらい、現実味がないできごとだった。
それにもうひとつ問題があった。エクスマキナは合計二十四体。その姿形は全世界に知れ渡っている。生みの親であるハリエット・シェリーが、「人類を戦いから解放する平和の使者」として紹介したからだ。軍関係者でその顔を知らないものはいない。今日、出会った少女は、二十四体のどれとも違っていた。
果たして彼女は何者なのか。
敵か、味方か。
人間か、それとも機械【エクスマキナ】か。
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