第5話 出会いと再会5

「どうしてこんなところにセンチネルがいるんですか……」

 アイリが呻くように言った。

 この廃墟はとうの昔にうち捨てられていて敵も見向きもしなくなっている。そのはずだ。だからこそアルバではこの廃墟を演習場として利用してきたのだ。

「こんな僻地の廃墟に、センチネルが部隊を派遣する理由なんて」

「知るかよ」ガロンが苛立ちを隠さず言う。「現にいるんだ。目の前の問題に向き合えよ、優等生。向き合ったところで何も好転しないがな」

 嘲るような物言いにアイリはムッとするが、実際ガロンの言うとおりだった。

 解放軍では標準的な武装の敵ドロイド一体に対して、兵士三人で当たるようにしている。軍学校の訓練が三人を一班としているのもこれに合わせてのことだ。つまり、ドロイド一体の戦闘力はアサルトギアを身につけた兵士三人に相当する。

 向かってくるドロイドは五体。これと正面からやり合うには、最低でも十五人は必要になる。

 だが今、ハルたちは五人しかいない。うち一人は重傷で意識がなく、三人の銃にはペイント弾しか入っていなくて、正規軍なら当然受けられる機動兵器による支援もなく、しかも全員、これが初めての実戦だった。

 勝てる理由など、どこにもなかった。

 絶望的でもまだ足りない。既に終わっているような状況だ。

 にもかかわらず、不思議とガロンの目には闘志が宿っていた。

「お前、やる気なのか……」

「ったりめーだ。そもそも俺たちは何のために訓練してたんだよ。あのブリキ共を叩きつぶすためだろうが」

 血走った目で銃を構える。

「無茶だ」

「るせえ! 無茶だと思うならそこで遺書でも書いてろ!」

 吠えて、ガロンは二列横隊の敵の前に飛び出した。すさまじいくそ度胸だ。ドロイドたちが一斉に銃剣を構えて射撃する。ドロイドたちは高度なデータリンクによりまさに機械的、正確無比な射撃を行うが、ガロンの動きはその上を行った。雨あられと襲い来る銃弾を拡大された知覚で見切り、食らってはいけないものは避け、そうでないものは手足のプロテクターに斜めに当てて弾きながら応射する。敵の予測を上待ったガロンの射撃が、一体のドロイドのボディで弾けた。

「死ねやブリキが!」

 これが初めての実戦とは思えない見事な動きで、しかしガロンは欲張りすぎた。よろけたドロイドにとどめを刺そうと銃を向け、それが肉を切らせて骨を断つ相手の戦術――ドロイドは人間と違って、自軍に損害の出る戦術でもためらうことなく行う――だと気づかなかったのだ。

「ガロン!」

 ハルが飛び出しガロンにタックル。無理矢理地面に押し倒す。そのままの勢いで道路の反対側まで転がっていく。

「大丈夫か!」

「お前なんかに心配してもらいたくねえな」

 憎まれ口を叩けるなら大丈夫――そう言おうとして、ハルは口をつぐんだ。ガロンの額に脂汗が浮かんでいる。廃墟に生臭い血の臭いが漂い始める。ガロンは被弾していた。アサルトギアの人工筋肉部分を引き裂いた銃弾はガロンの右上腕に食い込んでいた。

「ううっ」

 ガロンが痛みに呻いた。

 手当てをしてやりたいところだが、敵はその時間をくれなかった。

 五体の敵は隊列を横一列に変えて距離を詰めてくる。ハルたちは瓦礫を盾にしているが、そんなものは気休めにもならない。

「ハル……」

 アイリが泣きそうな顔でこっちを見ていた。

 一瞬、ハルは三年前のことを思い出した。以前住んでいた居住区がセンチネルに襲撃された。まだ子供だったハルは、ネリーと抱き合って震えるしかなかった。大人たちが銃弾に倒れていく。

 ――ハル。ネリーのことを頼んだぞ。

 ――おじさん!

「……」

 多くの犠牲があって、ハルはネリーと共に生き延びた。自分たちの代わりに死んでいった人たちのためにも、ここで死ぬわけにはいかない。しかしこの状況では……。

「一か八か、だな」

「……何を考えている?」

「生き残る方法さ」

 アサルトギアの左の太股のプロテクターをめくると、スクラッチパッドがある。ハルはそこに指先で文字を入力していった。

『教官は動かせるか?』

 入力された文字は有線接続されたヘッドセットに送られる。ヘッドセットの通信機が、受け取った文字を暗号化してアイリとレキのところに送信。敵がジャミングを仕掛けているらしく、通じるかどうか不安だったが、近距離なのがよかったのだろう、すぐにゴーグルの内側に返信が表示された。

『止血は終わってます。何をするつもりです?』

『奴らの目を眩ます。合図したら委員長は教官を背負って走れ。レキはガロンを頼む』

『ハルは?』

 レキからの文字通信にハルは応答をしなかった。したくなかったこともあるし、敵が近付いてきていてそんな時間もなかった。

ハルは敵に向かって煙幕弾を投擲した。アサルトギアの力を使えば、発射装置がなくても数百メートルの投擲は余裕だ。敵ドロイドが反応して煙幕弾を打ち落とす。打ち落とされることも想定された設計の煙幕弾は空中で弾けながらも周囲に煙をまき散らす。この煙幕弾はただ煙を出すだけではなく、同時に微細な金属片を周囲にまき散らす、チャフ煙幕弾だ。ドロイドたちは光学的だけではなく、電波的にも視界を奪われる。

「今だ!」

 大きな声を上げ、アイリたちに行動を促すと同時に、ハルはガロンの手から銃を奪って飛び出した。煙幕弾一つで敵を止められるとは思っていない。

「ハル!」

「心配するな! ネリーを泣かせるようなことはしないさ!」

 叫び返してハルは走った。煙幕が晴れる前に敵の裏に回る。

 スカー班の二人が既に連絡に走っているのだ。何も相手を倒す必要はない。アイリとレキが負傷した教官とガロンを連れて、どこかに隠れるまでの時間を稼げればいい。後は別のエリアで訓練をしている教官たちか、居住区からの応援がやってくれる――はずだ。それまで逃げ続けられるかは分からないが、とにかく、今できることとしてはこれがベストだ。

(委員長たちの方にはいかせないぞ、っと)

 アサルトギア出力上昇。神経加速はとっくに戦闘レベルに上げてある。拡張された身体能力と知覚。ハルは瓦礫の上を猿のように跳びながら牽制の射撃を放つ。狙うは敵そのものではなくその上――古いビルの壁面から突き出した大きな看板だ。脆くなった壁面が銃撃で砕かれ、看板がドロイドたちの上に落下する。ドロイド二体が看板を避けてビルの中へと退避していく。残る三体はまだチャフ煙幕に巻かれている。

「よし!」

 稼いだ時間はほんの数秒だろう。だが、数秒あればアイリたちは離脱できる。

 牽制の役目はは果たした。後は自分が狙われる前に逃げるだけ――そう思った直後、

 ハルは着地を狙われて被弾した。右腿に強い衝撃。

「うあっ! ああっ!」

 拡張された痛みが被弾箇所どころか全身を駆け巡る。

(神経加速のレベルを調整しないと。痛覚選別鈍化。ううっ!)

 頭は授業で習った手順を思い出している。けれど痛みのせいで上手くできない。ハルは何もできないまま、無様に瓦礫の上に墜落した。倒れて転げ落ちる。油の浮いた水たまりに顔面から突っ込む。銃を落としてしまう。

「あ――」

 立ち上がったところに、ドロイドが待ち構えていた。すぐ目の前だ。

 銃剣を構えている。ドロイドの銃剣には照準器もトリガーもない。本体と電子的に接続されているためだ。やたらとのっぺりした、おもちゃのような銃剣。その銃口がハルの額に向けられたていた。

 落とした銃は十メートルほど離れたところ。アサルトギアなら一歩で届く。けれどその一歩の間に、敵は数十発の弾丸をハルに叩き込めるだろう。たった十メートルが絶望的に遠い。

「……ちくしょう」

 けれどもハルはまだ諦めていない。自分が死んだらネリーが泣く。それだけは避けたい。武器がないなら奪えばいい。センチネルの銃器には敵味方識別装置が組み込んであるが、銃弾が発射できなくても、棍棒かナイフの代わりにはなる。

 やってやる。生き延びて、ネリーのところに帰るのだ。

 ハルは闘志を込めてドロイドの、仮面のような頭部を睨む。と、ハルの思考を読んだかのようにドロイドが下がった。アサルトギアに頼っても、片足の跳躍ではぎりぎり届かない間合い。

(こいつ……っ!」

 何か手はないか。この場を脱出する名案が。

 何もなかった。

 そのときだった。


「じっとしてて」


 それは、なんの気配もなく、突然現れた。

 生命の危機を前にしてハルの神経加速は自動的に最大レベルを超えた緊急レベルまで引き上げられていた。

 神経系に後遺症を残す恐れがあるとして通常使用が禁じられているその拡大知覚を持ってしても、ハルには彼女がどこからどうやって戦場に現れたのか、全く分からなかった。

 分かったのは、自分を狙っていたドロイドが瞬き半分の間に、真っ二つにされたこと。それを成したのが二本の短刀を手にした、自分と同年代の少女であるということ。

(刃物でドロイドを真っ二つにした……!?)

 幻覚でも見ているのだと思った。

 解放軍のマークが入った、丈の短いポンチョのようなものをまとっていた。広く開いた袖から伸びる二本の細腕に、それぞれ意匠の違う短刀を握っている。ポンチョの裾から短いスカートを穿いた足が伸びている。むき出しの腿に短刀の鞘がベルトで止めてあった。足下は防具と一体になった軍靴。解放軍の兵士? いや、それにしては若すぎる。

 両断されたドロイドが薪のように左右に倒れた。泥水が跳ね上がる。ハルが我に返ったときには、少女は次の行動を開始していた。

 ――速い!

 今度はかろうじて見えた。けれど、やはり完全には捉えられない。ひるがえるポンチョの裾、短刀の鈍い反射。少女の動きで生じた突風。弾ける雨粒。そんなものが一体になって、そこに何かが動いた痕跡として感じられるだけだ。

 高性能なセンサーを持つはずのドロイドたちもまた、ハルと同じように混乱していた。完全に視界に納めていたはずの少女を見失う。脅威レベル最大に認定。もはやハルのことなど埒外で、全能力を少女への対処に振り向ける。だが少女の速さはそれ以上だった。

 首が高々と飛んだ。

 胴体から切り離されたドロイドの首が、空中でチカチカとセンサーを明滅させる。

 少女は首を失ったドロイドの背後を取っていた。逆手に持った短刀を振り抜いた姿勢。

 そこに横殴りの雨のような銃撃が降り注いだ。チャフ煙幕から脱出した残り三体のドロイドたちだ。少女が横っ飛びで離脱する。取り残されたドロイドの胴体が弾丸を浴びて踊るように痙攣する。離脱した少女がビルの壁面に着地した。そのまま壁を走り出す。ドロイドたちの銃弾がそれを追う。

(すげえ……)

 少女が走る。跳ねる。縦横無尽に、まるで一人だけ重力から解き放たれたかのような動きだ。正確無比なはずのドロイドの射撃が一発も当たらない。嵐のような弾丸は廃墟の壁を削り、瓦礫を粉砕するばかりだ。

(いや、違う)

 ハルには敵の意図が見えた。少女は余裕で回避しているように見えて、しかしドロイドたちによってある一点に誘導されている。少女は瓦礫の上を踊るように走る。ひときわ激しい銃撃が降り注ぐ。少女が回避のために瓦礫の頂点から大きく飛んだ。それこそが敵の狙いだった。足場のない空中に少女を追いやることが。

 ドロイドの一体が狙い澄ましたようにグレネード弾を発射していた。

「っ!」

 少女が短刀を投げた。

 回転しながら飛んだ短刀の柄尻がグレネード弾の先端にぶち当たった。空中で大爆発が起こる。大気が震え、舞い上がった粉塵と雨滴が吹雪のように押し寄せる。

「うっ」

 センサーが効かない。ハルは肉眼で少女を探した。いない。爆発に呑み込まれてしまったのか――ハルがそう思ったとき、ゴトンと重い音がした。

 少女がドロイドを組み伏せて、その首を落としたところだった。少女の左腕の手甲から細いワイヤーが伸びていて、それがきゅるきゅると巻き取られていく。

「……ワイヤーフックを使って強引に軌道を変えたのか」

 しかもただ爆発から逃れただけではない。爆発を利用して相手のセンサーをくらまし、瞬時に回り込んで懐に入り込むという離れ業である。一体どんな訓練を積んだら、こんなことができるようになるのだろう。

 残るニ体のドロイドのうち一体が銃剣を背中に回し、両手を空けた。格闘の構えだ。早過ぎて攻撃を当てられないなら捕まえてしまえばいい、という判断だろう。少女の武器は二振りの短刀だけ。攻撃するには敵に接近する必要がある。そこを捕らえ、残る一体がとどめを刺す。捕らえる役のドロイドは撃破されるだろうが、命なきドロイドたちにとってそんなことは考慮の必要もないことだった。

「ハル! おい! 生きてるか糞野郎!」

 声がした。振り返ると意外なほど近くに、ガロンとレキの姿があった。

「二人とも何で!? 委員長と教官は?」

「教官と委員長は近くの銀行の金庫室に隠れてる」レキは言い、「ハルを見捨てて自分だけ逃げるなんて嫌だよ僕は」

「助けに来てくれたのか」

「ああ? 誰が手前なんか」とガロンは悪態をついた。「俺はブリキ共をぶっ壊しに来ただけだ。教官のバックパックを回収したら、予備の弾薬とかロケット弾とか見つかったからな。武器があるなら戦う。奴らを地獄に叩き落とす。それだけだ……」

 野外訓練に出るときには、生徒はさておき教官はきちんと武装をしていく。万が一に備えるためだ――アルバ周辺で実際にそんなことが起きるなんて誰も思ってはいなかったが。ガロンが見つけたのはそれだ。

「……が、どうもそんな様子でもないな。なんだあの女?」

「あっ!」

 とハルは声を上げた。

 ドロイドたちが動いたのだ。一体が少女を捕らえようと飛びかかる。

 少女は敵の手から逃れようとせず、逆に自分を捕まえようとするドロイドに向かっていった。懐に飛び込み、短刀の一閃で相手の腕を手首から切り落とす。短刀から手を離して相手の腕を掴み、

「はああっ!」

 背負い投げだった。それも地面に叩き付けるのではなく、横方向に飛ばす投げ方の。投げられたドロイドはほとんど水平に何十メートルも飛び、もう一体のドロイドと衝突。もつれ合って廃墟の壁に激突する。

 少女はすぐに短刀を拾って走り、起き上がる前のドロイドたちにとどめを刺した。

 短刀を腰の鞘に戻した少女は、全く息を乱していない。

「嘘だろ……」

 ハルは信じられない思いでそれを見ていた。

 ドロイドは一体三百キロ以上ある。それを、相手の力を利用する投げ方とはいえ水平に投げ飛ばすなんて。

 重火器もなしに、二振りの短刀だけで五体のドロイドを撃破してしまうなんて。

 しかも少女は全くの無傷である。

 戦闘を終えた少女が振り向いた。

「っ!」

 その冷たい眼差しに射すくめられたように、ハルたちは動けない。

 そのまましばらく、見つめ合う。いや、長い時間だと思ったのは神経加速の影響による錯覚で、実際はほんの数瞬のことだったのかもしれない。

 三人が声をかけようとする前に少女は視線を逸らし、地面を蹴って傾いた道路標識の上に飛び乗った。そこからさらにジャンプ。ワイヤーガンを使ってビルの屋上に飛び乗り、そのまま姿を消してしまう。

「僕……夢でも見てるのかな……」

 レキの呟きは、ハルたち三人の気持ちそのものだった。

 撃たれた腿の傷みも忘れて、ハルは少女が消えたビルの屋上を見上げている。


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