第4話 出会いと再会4

 出会いは、野外訓練の日だった。


 軍学校は、人類解放軍に兵士を供給する役目を持つ重要な施設であり、居住区ではかなり広い用地を割り当てられている。だがしょせんは狭い地下空間のこと、広いと言っても高が知れている。たとえばアルバ居住区軍学校の場合、射撃場の奥行きは四百メートルほどしかない。生徒たちが訓練に使っているライフルですら射程はその三倍以上あるのに、である。

 限られた空間では訓練内容も限定される。空間を拡げたいのは山々だが、地質の都合でこれ以上は掘れないのだ。

 そこで、高度で実践的な訓練がしたいときには、地上に出ることになる。

 幸いにして、アルバ居住区から五十キロほどの距離に、古い廃墟がある。

 大戦争の初期に破壊されて住民がいなくなり、忘れ去られた古い街。前線から遠く離れて戦略的な価値もなく、センチネルも寄りつかないその廃墟を、アルバ居住区軍学校は、野外演習場として利用している。



 石造りの煤けたアパートメントの並ぶ通りを、三人の訓練生が進んでいる。ハルたちサハラ班の面々である。先頭を行くのは班長であるアイリ。その左右後方にハルとレキがついた三角形のフォーメーションだ。

 学校で訓練をするときは簡素な運動着姿だが、今日は実戦を想定しての訓練なので、装備もそのようになっている。旧式だが取り回しがよく、教材にうってつけのKP16アンチマシンライフル。軽量ヘルメット。多機能ディスプレイ一体型ヘッドセット。通信機。首回りを保護する防具はそのままボディーアーマーにつながっている。手足にもプロテクターが装着され、背中には、救急キットや糧食の他、戦場で必要になる道具をまとめた大きなバックパックを背負っている。

 装備の総重量は三十キロほどだろうか。子供を一人背負っているようなものだが、三人はそんなことを一切感じさせない軽い足取りだ。時速十キロ以上で道路を疾走し、瓦礫の山をひょいひょいと、カモシカのように登っていく。

 いくら厳しい訓練をしても、こうはならない。人間の身体能力を超えたこの動きには、もちろん秘密がある。ハルたちが防具の下に身につけている、黒いアンダーウェア――一見薄手のダイビングスーツのように見えるこれは、特殊な方法で編み込まれた人工筋肉の一種で、着用者の筋電位を読み取って、動きを先読みする形でサポートし、その力を数十倍に高めてくれる機能がある。この人工筋肉と最小限のプロテクターで構成された戦闘服をアサルトギアと言い、人民解放軍の標準装備となっている。これがなければ生身の人間は、機械の兵士たちの動きに一切ついて行けない。

「わっ、とと」

 瓦礫の山の頂点にたどりついたアイリが、勢い余って軽く足を滑らせた。どうにか転げ落ちずには済んだが、崩れた瓦礫がガラガラと音を立てる。

「力みすぎなんだよ委員長は」

 数歩遅れて瓦礫の山に登ったハルがそう言う。

「そうですか?」

「うん。後ろから見てるとよく分かる。かわいい尻ががっちがちになってるから」

「……っ!」

 アイリが顔を真っ赤にして、両手でお尻を押さえる。

「はっはっはっ」

 とハルはわざとらしく笑う。

「言い方はともかくハルのアドバイスは本当だよ」とレキ。「動きの主体はアサルトギアにおいた方がいいよ。自分で動こうとするんじゃなくて、アサルトギアに指示を出すために手足を動かす、って感じ。その方が体力も使わないし、反応が早くなる。要は動きを読み取ってもらえればそれでいいんだ。着用者が力む必要はあんまりない」

 レキの説明は教本の最初の章にあるようなことで、アイリも知ってはいる。だが技術とは知っていればできるというものではない。上手くできるうになるためには、何度も繰り返しての訓練が必要になる。

『サハラ班、サハラ班、応答しろ――』

 三人のヘッドセットにウルスラ教官の声が響いた。

「こちらサハラ班。アイリ・サハラ以下三名、今、開始地点に到着しました」

『体調等の問題はないか?』

 アイリがハルとレキの顔を見た。二人が頷く。

「三人とも問題ありません」

『よろしい。訓練開始までその場で待機』

「了解」

 ハルは視界の隅に表示された時計を見た。一三四四【ヒトサンヨンヨン】。訓練開始は一四〇〇【ヒトヨンマルマル】の予定だから、まだかなり余裕がある。

「開始まで休んでようぜ」

 ハルは瓦礫の上に座り込むと、バックパックのサイドポーチからタッパーを取り出した。中には不格好なクッキーが詰まっている。

「あ、ちょっと、なんで訓練にお菓子なんか持ってきてるんですか。規則違反ですよ」

「固いこと言うなよ。ネリーの手作りだぞ」

 今朝起きたら机の上に手紙と一緒に置いてあったのだ。朝が早すぎるのでネリーは多分起きられないからお手紙を書いておきます。怪我をしないで帰ってきてください。

「これ食べてがんばってね、って作ってくれたんだぞ? 委員長だったら置いていけるか? 委員長はそんな非道なの? 血も涙もないの? 貧乳なの?」

「むむ胸のサイズは関係ないです!」

「ネリーちゃん、いい子だよね」

 レキがそう言いながらクッキーを一つ口に放り込んで、「あ、普通においしい」

「普通って何だよ世界一うまいだろ」

「ハルは親馬鹿ならぬ兄馬鹿です。見逃すのは今回だけですからね」

 そう言いながらもアイリもクッキーをつまむ。

「うーん。なんて言うか特徴のない普通のクッキーです」

「……お前ら初等学校の女の子が作ったものに対して厳しすぎないか?」

 兄馬鹿ハルはちょっぴり涙目。

 地下居住区では一般市民はほとんど料理をしない。これは地下居住区が元は避難シェルターだったことに起因する。戦火を逃れてシェルターに逃げ込んだ避難民には料理する余裕などなくて、食事は専門のスタッフが一括して大量に用意し、配給するものだったのだ。そうした暮らしが長かったものだから、居住区では、「食事は家で作るものではない」という認識がある。

「まあ委員長は家にプロの料理人がいるしね」

 レキがそう言い、ハルも思い出す。アイリには七歳年上の、マリアという姉がいる。こちらは妹とは違って軍人の道は選ばず、普通高校を卒業した後料理人になった。セントラルの行政区にある人気店に勤めている。一度食べに行ったことがあるが、確かに美味い店だった。お財布にも厳しい店だった。ついでにマリアは凄い美人だった。思わず鼻の下が伸びてしまい、ネリーの機嫌を損ねたことを今も覚えている。おにいちゃんなんかきらいだもん! あのときは大変だった。

「お姉ちゃん、もうすぐ結婚するんです」

「へえ。そりゃめでたい」

 ハルがそう言うと、アイリは表情を曇らせた。

「何か問題が? 相手が酷いDV男とか」

「それが分かってたら結婚しませんよ。相手は凄くいい人です。格好良くて優しくて礼儀正しくて、話も面白くて」

「ならいいじゃないか」

「相手の人、軍の技術者なんです。結婚したらお姉ちゃんも一緒にウィレム要塞に行くって。要塞の厨房で働くって」

「……」

 ウィレム要塞は、対センチネル戦線の最前線だ。行けば必ず死ぬというわけではないが――兵士ではなくコックなら、まず戦死の心配はないだろう――それでも敵に近い分だけ、アルバ居住区よりも危険なのは間違いない。

「前線の状況って、今どうなってるんだろう……」

 ハルは珍しく真面目な顔で呟いた。

 アルバのような辺境の居住区には、最新の情報はなかなか入ってこない。ここ数年は膠着状態が続いているらしいのだが。

「そういえば解放軍が秘密兵器を作ってるって噂、聞いたよ。なんか凄い性能で、センチネルの工場を単機でぶっつぶしたとか、エクスマキナと互角にやり合ったとか」

 レキが思い出したように言った。

「なんだそりゃ。荒唐無稽にも程がある」

 人類解放軍は、エクスマキナ率いる機械兵団に対して防戦で精一杯で、一度も勝利をしたことがない。もしもそんな兵器が実在して、戦果をあげているのなら、大々的に喧伝して、士気高揚に役立てているはずだ。眉唾物の噂として流れてきている時点で、それは実在しないのだろうとハルは思った。

「そろそろ開始時刻だね」

 レキが時計を確かめ、言った。

「……疲れるの嫌だなあ。始まったらわざと見つかって速攻でやられて、」

「ダメです」

 ハルに最後まで言わせずアイリは叱った。

 そこにウルスラ教官からの通信が入った。

『そろそろ始めるぞ。準備はできてるか?』

「はい。いつでも大丈夫です」

 アイリが、教官が見てないのに気をつけの姿勢で通信に答える。

「……委員長は何でこんなくそ真面目なんだろ」

「ハルと足して二で割るとちょうどいいよね」

 ハルの呟きにレキが皮肉で応じる。

『よし。分かっているとは思うが改めてルールを説明する。これは班同士の模擬戦だ。作戦目標は攻撃側と防御側で違う。攻撃側はサハラ班、防御側はスカー班』

「げ」とハルは声を上げた。

 スカー班、ということはもちろん、ガロン・スカー率いる班だ。学年トップクラスの優秀な生徒で、ハルに何かと敵意をぶつけてくる男。

「あいつ、何で俺に突っかかってくるんだろう。俺になんか構わずに成績優秀な連中同士で勝手に競ってればいいのに……」

 ハルのぼやきが聞こえていない教官は構わず説明を続ける。

『訓練開始と同時に廃墟内のあるポイントが示される。攻撃側はそのポイントにたどり着けば勝ち、防御側は制限時間まで到達を阻止できれば勝ち。なお相手チームを全滅させた場合はその時点で……うん? 何だ? ――っ! ……』

 教官が息を呑む。続いて、左の耳には通信越しの、右の耳には直接の鈍い轟音が聞こえてくる。一拍遅れて足下に地響きが伝わってきた。

「何だ!?」

 だらしなく座っていたハルがさっと身を起こす。

「教官? 応答してください、教官! 何かあったのですか?」

 アイリが何度も呼びかけるが、通信機はひび割れのようなノイズしか返してこなかった。

「ハル、委員長、あれ!」

 レキが指さす方向を三人は見た。廃墟の彼方に黒煙が上がっている。

「爆発? 何の?」

 通信機がノイズを立てる。

『……が、…………なとこ…………は…………』

「教官!?」

 ノイズが酷くてほぼ聞き取れない。それでも、何かしらの異変が起きたことは察せられた。

「委員長、どうする?」

 レキがアイリに指示を求める。

 教官の指示がない以上、班長であるアイリが行動を決めなくてはならない。非常事態、不測の事態。もし判断を間違ったら……。重圧にアイリの表情が強ばる。

「落ち着け委員長。まだ教官に何かあったと決まったわけじゃない。テンパらずにいつも通りにやろう」

 ハルはそう言って親指を立てた。

「いつもセクハラしないでそんなふうにしてくれたらいいのに」

 アイリはぼやいて、いつもの調子を取り戻した。

「……不測の事態と判断して訓練は中止、非常対応マニュアルに従い、指揮官、つまり教官との合流を目指します」

「了解」

「教官はきっと、爆発地点だね」

 ヘッドセットを操作し、視界に地図をオーバーレイ表示させる。爆発地点の座標を入力。

「スカー班は?」

「呼びかけてるけど通じないです」

 まあ、あっちは大丈夫だろう。ガロンはもちろん、他の二人も優秀だ。ハルたちが心配する必要のある相手ではない。

 三人は爆発地点に向かって、古い廃墟を駆け抜ける。

 ハルは走りながら周囲を見回した。

 倒壊したビル。割れたアスファルト。倒れていないビルにも無事なものはない。

 折れ曲がった信号機が車の屋根に突き刺さっている。そこかしこに戦車の残骸。ヘリの残骸。装甲車の残骸。それら全ての上に雨が降り注ぐ。油の混じった雨だれが、血の跡のように建物の壁を伝っている。

 割れたアスファルトや瓦礫の隙間から草が生え、ねじくれた木々が天に向かって枝葉を伸ばしていた。もはやここは人間の領土ではない、そう主張するかのように。

 地上に出るのは初めてではないが、何度見ても心をかき乱される光景だ。

 ずん、と低い音がして、二度目の爆発が起こった。続いて銃声が聞こえてきて、ハルたちは顔を見合わせた。爆発だけなら何らかの事故とも思えるが、銃声が聞こえたとなると話は違ってくる。

「あそこ!」

 新たな爆発地点は、ハルたちのいる場所から一キロ程度しか離れていなかった。アサルトギアならあっという間の距離だ。瓦礫の間を駆け抜け、最上階が崩壊したデパートの角を折れる。

 元は四車線ほどあったであろう通りに出た。地面に大きな穴が開いていた。歩道にウルスラ教官が仰向けに倒れ、そのそばには銃を構えたガロンがいた。

「教官!」

 アイリが真っ先に駆け寄って教官の手当てを始める。すぐにレキが手伝い始め、ハルはガロンの方へと近付いた。

「お前らか……」

 ガロンはハルの顔を見ると、吐き捨てるように言った。

「ガロン。何があった? お前の班の他のメンバーは?」

「アベルとトリスタンは状況を知らせに行かせて、俺だけ様子を見に来た。どうなってる。さっきから無線が全然通じねえ」

 無線が通じないので直接連絡しに行かせたということか。

「神経加速ナノマシンを起動しろ。今すぐにだ」

 ガロンは命令口調で言った。

「まずいよ。教官の指示もなしに」

 レキが言い返す。ガロンは唾を吐いた。

「その教官がこの有様だろうが!」

 人類解放軍の兵士は皆、脊椎に特殊なナノマシンを注入している。これは普段は何もせずに休眠しているが、ひとたび脳からの指示があると、たちまち活性化して脊髄に入り込み、神経細胞の働きを数倍から数十倍に引き上げる働きをする。アサルトギアが人間に機械と同等の機動力を与えるものならば、こちらは反応速度と知覚能力を機械並に引き上げるものだ。この二つの力によって、人間はセンチネルと互角に戦えるようになる。軍学校の生徒であるハルたちも皆、入学時に同じナノマシンを注入されている。

 ガロンは持っていた銃をレキとハルに見せつけるようにかざした。

「こいつは教官の銃だ。実弾が装填されてる。そして熱を持ってる」

「っ まさか……」

「そのまさかとしか考えられねえ。わかったら今すぐ神経加速を起動しろ。すぐに奴らが――チッ!」

 ガロンが舌打ちをする。

 ――「奴ら」が現れたのだ。

 甲高いモーターの音、重量物が移動する際に生じる振動、規則正しい足音に、無数のアクチュエーターが奏でる不協和音。のっぺらぼうの仮面。半透明装甲の下でセンサーが縦横に蠢く光が漏れる。金属と樹脂で構成された痩躯がどことなく女性的なのは、その設計が彼らの主を元にしているからかもしれない。

「そんな……」

 治療の手を止めアイリが呻いた。

 エクスマキナのしもべたる機械兵団センチネル。その主力である機械歩兵〝ドロイド〟の群れが、ハルたちの前に現れた。

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