第2話 出会いと再会2
「遅いです。何をやっていたですか」
朝礼が終わるなり、「委員長」ことアイリ・サハラがやってきてハルを叱った。アイリはハルたちの班の班長でもある。尻尾のように束ねた髪。丸っこい顔。普段はちょっと垂れている目を一生懸命吊り上げたその様子を見ていると、頭の上に、「ぷんすかぷん」と、漫画みたいな文字を書き込みたくなってくる。
「どこを見ているのですか?」
「別に」ごまかし、「てかなんで怒られてるわけ? 遅いって、別に遅刻してないだろ。ぎりぎりだったけど」
「五分前行動です」
アイリは当然のように言った。
「何事にも余裕を持って当たらなければいざというとき困るのです。そうでなくてもハルは不真面目すぎるのです。心の乱れは警戒の乱れ。そんなことでは戦場で生き残れませんよ?」
「いやちょっと待って欲しい。確かに余裕があるのはいいことだ。でもこうも考えられないか? 五分も前に来ているってことは、そのあと行動開始まで五分も待つことになる。その五分は何ができるわけでもない無駄な時間だ。五分前行動はあくまでも心構えの問題であって、『五分前に到着していること』を絶対条件にするのは本末転倒ではないだろうか? むしろ五分前に来てはいけない。『ちょうどよく到着』こそが一番無駄がないと思うんだがいかがか?」
「そう言われると確かにその側面も……」
立て板に水を流すようなハルの弁舌に、素直なアイリはなるほどと頷く。チョロいな、とハルはほくそ笑んだ。委員長は勉強は得意だがこの手の議論は苦手だ。詭弁にあっさり引っかかる。性格が素直すぎるのだろう。
委員長はチョロいが、ハルの方は詰めが甘い。うまく騙せたと笑っていたものだから、委員長に感づかれてしまった。
「……ってそんなわけないじゃないですか。余裕を持って到着した方が不測の事態にも対応しやすいに決まってます。危うく騙されるところでした」
「ちっ。最近委員長も賢くなってきたな……次からはもっと手の込んだ理屈を用意しないと」
「ふふん。日々成長していますから」
ちょっとおだてられた程度で薄い胸を張るアイリ。けれどすぐ我に返って、
「ではなくて! ハルはもうちょっと真面目になってください」
「ふむ。委員長は怒ると美人になるな」
「はへえっ!?」
アイリは不意打ちを食らって目を白黒させた。何か言い返そうとするのだが言葉が出てこない。うろたえる委員長を見てハルは性格の悪い笑みを浮かべる。と、そこに小柄な男子生徒がやってきた。同じ班のレキ・アムシェル。
「おはよう、ハル。あんまり委員長のこといじめちゃダメだよ。すぐいっぱいいっぱいになるんだから」
「おはよ。分かってるんだけど、何かさ、からかいたくなるって言うか……分かるだろ?」
「分かる」
「分からないでください!?」
頷くレキにアイリが悲鳴を上げて抗議した。
「レキまでハルみたいになったら私……私……」
「冗談だよ委員長。そんなことよりそろそろ授業の準備しないと」
「一限なんだっけ?」とハル。
「射撃訓練」
「朝から訓練ってだるいよなあ」
「座学の時は、『朝から座学って眠くなる』って言うくせに」
どうでもいいことを話しながら、三人は連れ立って教室を出た。
同じクラスの生徒たちの流れに沿って進む。校舎の端にある更衣室で着替えてから階段を降り、外へ。校舎の裏手に回ると岩盤がむき出しになっていて、ここが地下空間であることを否応にも思い出させる。その岩盤の下に、分厚い鉄扉が設置されていた。今は開かれている鉄扉の向こうに進むと、グラウンドとほとんど変わらない広さの空間が広がっている。射撃訓練場だ。保管庫の前で、教官が生徒たちに銃を渡していた。ハルたちもその列に並び、銃を受け取る。KP16アンチマシンライフル。二世代古い型だが、れっきとした実銃である。
受け取った銃の点検をする生徒たちに戸惑う様子はない。一見銃と縁遠そうなアイリでさえ、テキパキと分解し、再組み立てを行っている。慣れるはずである。十二歳で入学して以来、三年も繰り返してきた手順なのだ。
「……」
銃を組み立てながら、ハルはふと、突き刺すような視線を感じた。そちらを向くと、くすんだ金髪をハリネズミのように逆立てた男子生徒が、眉間に皺を寄せてハルを睨み付けていた。
「何だ? 俺の顔にご飯粒でもついてる? 今朝はパンだったはずなんだけどなあ……」
「……フン」
ハルがふざけてそう言うと、男子生徒は地面に唾を吐いて背を向けた。
「ずいぶん嫌われたもんだね」
ハルと男子生徒の様子をそばで見ていたレキがそう言った。
「……俺は嫌われるようなことをした覚えはないんだけどなあ」
ハルは首を傾げる。これはふざけているわけではなく、本当に分からないのだ。
件の男子生徒――ガロン・スカーとは今年始めて同じクラスになった。それまでは何の接点もなく、同じクラスになってからも特に衝突したこともない。それどころか、まともに口を利いたこともない。にもかかわらず、年度が始まって二ヶ月ほどした頃だろうか、ガロンはハルにあからさまな敵意を向けてくるようになった。なお、成績に関してはガロンは全てにおいてトップクラスである。学年三十番手くらいをウロウロしているハルをライバル視する理由もない。
「ハルが不真面目なことに怒ってるんですよ、きっと」
アイリの言葉にハルは頭を振って、
「ありえない。あいつはそんなタマじゃねえよ」
「だよね。ガロンは他人がどうだろうと興味ないってタイプだよ」
ハルが否定するとレキも同意した。
当のガロンは何を考えているのか、いつも通りの何かにイライラしているような顔で、訓練の始まりを待っている。
(……あいつ、あんな顔して毎日過ごしててつまらなくないのかねえ)
ハルはふとそんなことを思った。
「これより射撃訓練を始める! 全員整列!」
教官のだみ声が射撃場に響き渡った。ハルたちは銃を背負って所定の位置に走る。
「そんなへっぴり腰で当たるか!」
ハルたちが生まれるよりずっと昔、人類がまだ地上で生活していた頃、世界は二つの陣営に分かれていた。〝ユニオン〟と〝ステート〟――思想の違いはあっても一応は共存を保っていたはずの二つの陣営の衝突は、始めは些細なものであったらしい。「らしい」というのは当時の記録がほとんど残っていないからである。いずれにせよ、小さな衝突はすぐに広域の紛争へと拡大し、世界規模の大戦争へと発展した。
両陣営は、人類の活動可能なあらゆる領域で戦闘を繰り広げた。陸で、海で、空で、そして宇宙空間で。戦車が、戦闘機が、ミサイルが、軍事衛星が、機械兵が、熱核爆弾が、生物兵器が。あらゆる兵器が投入された。
街は焼かれ、山は削られ、海岸線は後退し、気候さえも変わった。
だが、人類を地下に追いやったのは、今日〝大戦争【ビッグウォー】〟と呼ばれている、その戦いではない。
「すぐに構えろ! すぐに撃て! 敵はお前らが用意できるまで待ってはくれないぞ! 遅い! 貴様は今戦死した! ペナルティは運動場十周だ! 走れ走れ走れ!」
教官に怒鳴られながら生徒たちは射撃場を走る。射撃レーンの向こうには瓦礫が雑多に積み上げられていて、その陰から不規則に、敵の姿を描いたターゲットが飛び出してくる。
射撃場の左端から右端まで、銃を抱えて走る。敵が出てきたら、撃つ。外したらペナルティ。撃てなくてもペナルティ。時間内にゴールまで行けなくてもペナルティ。そもそもまともにクリアできるような時間設定にはなっていないので、生徒たちはゲロを吐くまで走らされる。訓練中に嘔吐したらやっぱりペナルティだ。
今、ガロンに何度目かの順番が回ってきた。ここまで唯一、ペナルティを受けずに訓練をこなしてきたガロンは、その回も見事なダッシュで射撃場を横断していく。瓦礫の陰からターゲットが飛び出す。それが完全に現れる前に破壊する。生徒に何かと難癖を付けてペナルティを科すことが訓練だと心得ている教官が、ガロンにだけは何の文句も付けられない。瞠目してその動きに見入るだけだ。
ゴール間際、瓦礫の陰から新たなターゲットが出現した。可憐なドレスをまとった少女。ガロンは迷うことなく撃ち抜いた。
誤射ではない。彼らの〝敵〟は、そういう姿をしているのだ。
二十四体の、見目麗しい機械仕掛けの乙女たち――エクスマキナ。
彼女たちは〝大戦争〟のさなか、突如として現れると、ユニオンとステート、両方の軍に襲いかかった。
その柔肌は銃弾を弾き、細腕は装甲車のドアをあっさりと引きちぎる。当時の主力兵器だった機械兵などではまるで歯が立たない。既存のあらゆる兵器が、彼女たちの前ではおもちゃも同然だった。
両陣営は激しく混乱した。初めは前線からの報告を信じられず、次にはそのような兵器が出現したことが信じられずに。無理もない。可憐なドレスの美少女が戦闘ヘリを蹴り落としたなどと、信じる方がどうかしている。だが、それは紛れもない現実だった。
ユニオンはそれをステートの秘密兵器だと思った。
ステートはそれをユニオンの秘密兵器だと思った。
真相はどちらでもなかった。
エクスマキナを造り出したのは、ユニオンにもステートにも属さない在野の科学者、ハリエット・シェリーという人物だ。
シェリーは終わる気配すらない戦争に嫌気がさし、このままでは人類の滅亡もあり得ると危惧し、その天才と財産の全てを使って戦争を終わらせることを決意した。物理的な手段で――つまり、あらゆる兵器の破壊である。
兵器がなくなってしまえば戦争は続けられない。戦争を終わらせたければ、あらゆる兵器を破壊してしまえばいい。あらゆる兵器を破壊するには、既存の全ての兵器を上回る圧倒的な力が必要だ。そうしたシェリーの発想も、あるいは長い戦いによって生じた狂気の一つだったのかもしれない。
事実だけを言えば、ハリエット・シェリーはやり遂げた。
彼女が生み出した二十四体のエクスマキナはあらゆる戦場に介入し、あらゆる兵器を破壊して回った。ユニオンもステートも戦争どころではなくなってしまった。
……それで終わりだったらどんなによかっただろう。
エクスマキナの介入によって〝大戦争〟は予想もしない終わりを迎えた。
だが、それはさらに酷い戦いの始まりでしかなかった。
『私たちの活動は、まだ終わったとは言えません。この世界から真に戦いをなくすために。我々は戦い続けなければならないのです』
ユニオンとステートが休戦に向けた話し合いを始めたその日、エクスマキナたちは世界に向けてそう発信すると、人類への攻撃を再開したのだ。
二度目の攻撃は無差別だった。軍だけではなく、その活動を支える街へ、あるいは農村へ。
戦争を根絶するために、エクスマキナは人類社会の破壊を――人類の殲滅が必要だと判断したのである。
暴走――そうとしか考えられない事態に、生みの親であるはずのシェリーは何もできなかった。エクスマキナには〝人格型人工知能〟が搭載されている。これは人格を有し、極めて高いレベルの自己判断を行うことができるが、構造が極めて特殊で、外部からの干渉を受け付けないのだ。
新たな、そしてこれまでにない脅威の出現に、もはやユニオンもステートもなかった。
人類は文字通りの総力を挙げて、エクスマキナたちへの抵抗を始める。
それは始め、一方的に蹂躙されて終わるだけの戦いになるかと思われた。エクスマキナと互角に戦える兵器を、人類側は一つも持っていなかったからだ。
だが、人類側に一つだけ有利な条件があった。物量差だ。
いかに強力とはいえエクスマキナの総数はたったの二十四体。対する人類の総数は、大戦争末期の概算で三十億。兵器も全てが破壊されたわけでなく、まだかなり残っていた。
物量差と運にも助けられて、人類はエクスマキナの何体かを破壊することに成功する。
性能に頼った単なる力押しでは目的を達成できないと悟ったエクスマキナは戦い方を変えた。人類の物量と組織力に対抗するために、手足となって働く機械の軍団を作り始めたのだ。
一方の人類も、その間に体制の立て直しを図る。
ほどなくエクスマキナたちは、自分たちを頂点とした機械兵団〝センチネル〟を作り上げた。
人類はユニオンとステートが歴史的な融和を果たし、センチネルと戦うため〝人類解放軍【リベレーション・アーミー】〟を組織した。
双方が軍備を整え再度の衝突が始まり、優勢であったのはやはりエクスマキナたちであった。
地上の大半が敵の手に落ちるまで、そう長い時間はかからなかった。
それから半世紀が過ぎた。戦いは今も続いている。
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