黄色い空の下で

第36話 黄色い空の下で、黄空ひたき

 黄空ひたき、青山春来、そして拘束された赤星従後は警察病院で精密検査を受けた。

 三人とも大きな問題はなかった。

 青山春来はいち早く退院し、赤星従後は警察本部に移送され、黄空ひたきはかかりつけの総合病院に転院した。


「そういえばひたきさんは、お医者さんになろうとは思われなかったのですか?」

 総合病院の入院病棟で元いろははぼんやりとそう言った。

「ああ、うん……そうだねえ。近すぎるから、かなあ」

「近すぎる?」

「医者って患者との距離が近いじゃない。私、たぶんね両親にずっと怒ってるの。だから患者さんにも怒っちゃいそうで怖いんだ」

「ご両親に……」

「うん、置いてかれたからね。怒ってる」

 黄空ひたきは他人にその話をするのも初めてだった。

 いろはは小さく頷いた。

「……怒ってる」

 元天地のことを考えているのかも知れない。

 黄空ひたきは少しだけそう思った。

「うん。それでも医学には関わりたかったんだろうね。パナギアエリクシルの児童養護施設に引き取られたんだけど……そこの施設に社員が慰問に来てくれたんだ」

「慰問……」

「私もよく行ってるんだ。いろはちゃんも行く?」

「行ってみたい、です」

「そっか、じゃあ行こう。5月6月はしばらく忙しいから……七夕祭りに合わせて行こうかなあ。不思議だよねえ七夕祭りが残っているなんて。リリークリーフからはもうミルキーウェイなんて見えないのにさ」

「天の川銀河……我らの母星のあるところですよね」

「太陽系地球、か」

 我らの母星。

 とうに人が遠ざかった場所。

 全天コンピュータが静かに動き続けている遙かな星。

 それでも誰もの命がそこから始まった。

 黄空ひたきも元いろはも、赤星従後ですらも。

「つまるところ……地球を懐かしむ文化なのかもね、七夕って」

「そうかもしれないですね」

「ところで急にどうしたの? こんなこと聞いて」

「…………これからどうしようかと思いまして」

「そっか」

 元天地博士とは連絡がつかない。

 エメラルド恒星系警察や入星管理局、全天連合が総力を挙げて探しているが、足取りは掴めていない。

 元いろはの身分は宙に浮いていて、今のところは主のいない黄空の家と総合病院を往復している。

「とりあえず働きたいのですが、何もやりたいことがないのでとりあえず働いている方に……取材?」

「なるほどね。何でも聞いて、答えるよ。君の未来のために」

「ありがとうございます。……父も姉も研究者になったのは親の影響だったのでそうはならなかった私には参考にならなかったのです」

「お姉さん、詩歌さんも」

「はい。姉の死んだ両親は父のプロジェクトの参加者だったようです」

「義理のお姉さん、だったっけ」

「父が引き取ったらしくて、だから私、小さい頃から詩歌お姉ちゃんとは一緒でした」

「そっか」

 元詩歌は今なお拘束されている。

 その罪状がどうなっているのか黄空はまだよく知らなかった。

「そういえばいろはちゃんの名前っていろは歌から来てるんだねえ」

「ああ、そうでしょうね。大為爾おじいさま。天地お父様。そしていろは」

 大為爾たゐにうた天地あめつちことば、そしていろは歌。受け継がれた何か。

「……そういえばひたきさんのお名前の由来って?」

「そういう鳥が居るんだってさ。鶲、火焼。黄色い鳥……黄色い空を飛びますように」

「ひよこ……じゃ駄目ですね。飛べない」

「うん、飛べないね」

 二人は思わず噴き出した。

 軽やかで明るい笑い声が、病室にこだました。

「ああ、それにしても復帰したら仕事がどれだけたまってるか想像するだけで……死んでしまいそう」

 その冗談を黄空は笑顔で言えた。

 元いろはも微笑んだ。

 

 一週間後、昼休み。パナギアエリクシル食堂。

 黄空ひたきと犬生絆は向かい合って食事を取っていた。

 黄空は定食に手をつけたばかりで、犬生はラーメンの最後の一すすりを呑み込んでいた。

「……こうして黄色い小鳥イエロー青い官憲ブルーの活躍により、赤い男レツドは無事鹵獲されました……というおはなし・・・・があるんだ」

 黄空ひたきは長い話をし終えたところだった。

「なるほど面白いおはなしですね」

「そう、おはなし」

「それで、黄空さんはこの犬生にその面白いおはなしをしてどうしたいのでしょう?」

「このおはなしには分からないことが一つあってね」

 たわいのない疑問が残っていた。

 わざわざ青山たちに質問するのも気が引けるほどたわいのない疑問だった。

「ほうほう」

「赤い男が結局どうやって宇宙港に侵入したのか……犬生さんの頭脳ならそれが分かるんじゃないかなって」

「なるほど。どこから来て、どうやったのか」

 犬生はラーメンの汁を飲み干した。

「まずリリークリーフで何があったのか? これは簡単ですね。その規格外のAデバイスとやらが積荷にあったのなら積荷から見つけ出してパワードスーツを装着。そして着火。簡単単純。トリックも何もない」

「うん、それはたぶんそうなんだと思う」

「問題は積荷エリアにどうやって侵入したのか……まあ、簡単ですね」

「簡単かあ」

「簡単です。ヒントは怪獣」

「ボルケーノサラマンダー?」

「の、原産地……輸出元ですねえ。アニマルーレット」

「……カクティエ恒星系実験惑星アニマルーレット」

「動物を飼育している実験惑星……人間も動物ですから」

 それは定義の問題ではない。

 人間と動物をどう分かつかだの、知能がどうだのという問題ではない。

 機械がどう処理するか。そういう問題だ。

「アニマルーレット側の検査態勢がどうなってるか詳しくは知りませんけど、そこに協力者でもいたんじゃないですか? アニマルーレットが日々輸出している動物の量とそのチェック効率のことを思えば協力者はひとりでもいれば十分です。赤い男は実験動物の一体扱いでリリークリーフに輸出された」

「協力者、ね」

 考慮をほとんどしていなかった。

 赤星従後の協力者。

 あれが誰かと協力できる人間だなんて思いもしなかった。

 あれと協力をしたがる人間がいるなんて思いたくもなかった。

「……さて、ここで犬生からも気になった問題です」

「はい、どうぞ」

「投薬機能」

 犬生と黄空はしばし沈黙した。

「本当に赤い男には何もなかったのか?」

「…………犬生さん」

「モニタリングが必要のない人種……遺伝子操作の果ての産物……ええ、そういう可能性もあります。それでも、投薬機能のモニタリングをする人間は……居るに越したことはない」

 そしてそれが出来るとしたら、それほどの技術を持った人間がどこかにいるとしたら。

 あの見覚えのある薬物の数々を、調整して監視するだけの能力を持った人間。


 たとえば、製薬会社の研究者。


 黄空ひたきは目の前の犬生絆を真っ直ぐ見つめた。

 犬生絆はコップの水を飲み干そうとしていた。

「……まあ、これはすべてたわいのないおはなし・・・・。でも、うちに居候がいるってのは本当」

「そうでしたか」

「……いつか会ってみない? なんとなく話は合う気がするよ。キューブヒルズ育ち同士」

「そうだといいのですが」

 犬生絆は肩をすくめて立ち上がった。

「それでは、昼休みもまだ途中ですが、マウスへの投薬の時間なので失礼します」

「うん。いってらっしゃい」

「はい。いってきます。黄空さん、ごきげんよう……さようなら」

「さよなら、犬生さん……」

 犬生絆が食堂の入り口、二人の制服警官が居る方向へと消えていくのを眺めながら、黄空ひたきは深くため息をついた。

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